当時、小さな私は畦道を渡っていた時に川に転落してしまった。私は小さくて、泳げなくて…足もつかなくて…だんだんと服も水を吸って行って重くなってきて…バシャバシャもがくのがやっとだった。
口の中にどんどん水が入ってきて、お腹の下あたりが冷たくなってきて…それで…だんだん苦しくなってきた。
遠くで弟…スグの私を呼ぶ声が聞こえてきた気がした。泣きじゃくってる声で…吐き気がした。何泣いてんのよ…そう言おうとした。
その時だった。
『ゼイユッ!!』
…とても嫌気がした。
バシャッという音と共に、あの
でも、ひどいことばかり言ったのに、彼は私の盾になった。私を襲いにきたシザリガーによって…彼は打撃を喰らったんだ。私を守ろうとしたから。
…私は陸に上がった時、息ができた安心感からか、意識を落とした。
その後だ。
私が目覚めたのはベッドの上。ピーピー泣くスグの姿と安堵する爺ちゃん、婆ちゃんの姿を覚えている。私は何故か、スグの姿を見て…目から涙が溢れ出た。あぁ、生きてたんだって。それと同時にあの男のことが気になった。
生きてるのかな。
死んでないかな。…子どもだから、その程度。爺ちゃんから『謝りなさい。感謝しなさい。』と言われたのを今でも覚えてる。
あの男の病室に入った瞬間、男は開口一番、私を見てこう言った。
『よかった。無事で。』
…頭が真っ白になった。
男は腕を包帯でぐるぐる巻きにして、首から支えるための布を掛けて、なおも笑って見せた。私が無事だったから
何故か知らないけれど、私の目から大粒の涙が溢れ出た。それに感化されてか、スグも大泣きした。スグは爺ちゃんが、私は彼が私を宥めるように頭を撫でた。優しくて大きな手が更に安堵を生んだ。
その日から彼の…ヤブ兄の病室によく立ち入った。ヤブ兄は元々、ヤブサ兄ちゃんとスグが言い出したから私も言ってるだけだった。スグとヤブ兄は仲が良くて、子どもながらによそ者と仲良くしているスグが気に食わなかった。
この日からずっと私はヤブ兄の身の回りのお世話を始めた。私のせいでヤブ兄は怪我を負ったのだから。気に食わなかったスグの態度のように、掌を返すように仲良くなって。でも、今と同じくらいそっけない時もあった。
そんな時、またキタカミに夏がやってきた。
夏は好きだ。緑色の田んぼの稲も風に煽られて、綺麗に動いていたり、キタカミセンターではオモテ祭りも始まる。
「祭り?」
「うん。オモテ祭り。知らない?遅れてるわよ。」
「ごめんごめん。キタカミに来たのは最近だから。」
オモテ祭りは私は大好きだ。
大好きだけど、この時ばかりは諦めようと思った。なんだかんだ、微笑んでいるコイツが無理してそうで。
ヤブ兄の怪我は私のせいだということを心の奥でずっと追い詰めていたのかもしれない。だから、自分のことよりもヤブ兄のことを先決した。でも、ヤブ兄にはそれがわかってたみたいで、ベッドの上から覗き込む顔は少し心配そうだった。
「ゼイユ、祭り、行きたいんじゃないのか?」
急にそんなことを言われたものだから、びっくりした。
「そりゃあ行きたいよ。好きだし。でも、ヤブ兄が私のせいでこうなったんだし。」
「だから、あれは事故だって…。」
「事故でもなんでも、ヤブ兄の世話は私がするのッ!!…いい?」
…本当は世話なんてほっぽり出して祭りに行きたい。甚平着て、お面被って焼きそば食べてりんご飴食べて鬼退治して…。色々したいことは盛りだくさんだった。
「…しゃあねえなぁ。そこの鞄取って?」
「え?…あ、うん。」
私は言われるがまま、ベッドの横の備え付けの机の上の鞄を取る。少しボロボロの手提げ鞄にはヒトモシのアップリケが縫い付けられていた。それをヤブ兄に渡すとヤブ兄はそこから革でできた財布を取り出す。出したのは千円札だった。
「祭り、やってんだろ?これでりんご飴、二つ買ってきてくれ。」
「…え?わ、わかった。」
渡された千円札を握り締め、診療所を飛び出す。なんで二つなんだろうとか、考えながら、オモテ祭りのりんご飴屋の前で私は立っていた。そこでりんご飴を二つ買う。小銭はポケットにしまい、落ちないように診療所へと入る。
「はい。でも、なんで二つ…。」
「ん?そりゃ、お前の分だろ。」
「…は?なんで私の分まで…そんなの…。」
『頼んでない』…子どもながらにそんな言葉がでかけた。いや、子どもだからかもしれない。ヤブ兄はそんな私にニコッと微笑んだ。
「りんご飴に祭囃子。ちょっとでもお祭り気分が味わえるかと思ってな。…ん。美味いじゃないか。」
りんご飴にかぶりつくヤブ兄を見て、突然口の中が甘さを欲しがった。前を見れば、私の握り拳より大きなりんご飴が飴に包まれ、電飾の光でキラキラと輝いていた。それを一口、齧る。穏やかな酸味と共にパリッとした感触とほのかな甘みが口の中で弾けた。
「…美味しい。」
「だろ?」
「なんでヤブ兄が得意げなのよ。」
口元が変に綻ぶ。
何故か、その日のりんご飴は他の日とは違って特別美味しく感じた。ヤブ兄と食べたからかな…なんて思いながら。
「…治ったら、お祭り、行くわよ。」
「へ?」
「絶対っ!!約束ッ!!」
…『2人で』なんてつけられれば良かっただろうか。
「あぁ。…スグリと一緒にな。」
その時はこれで嬉しかった。
必死に飛びあがろうとする自分の体を静止して、でも、口元は我慢できなくて綻んでた。
「約束よっ!!嘘ついたらドガース丸呑みさせるからねッ!!」
「…いや、それこそ死ぬって。」
…その約束が結局、今になるまで叶えられたことはなかったけれど。
「……バカ。」
恐れ穴の手前で足をくの字に曲げて縮こまって座っている。何故か、胸がひどく苦しい。…こんなところまで来てしまったなんて。
恐れ穴は鬼の居住地。こんなところにいたら鬼に食べられてしまう。いっそ、鬼に食べられたら…素直に生まれ変われるかな。
ついて出た言葉は自分に向けられたもののような気がした。今の私は大馬鹿だ。ヤブ兄にはヤブ兄の人生がある。…その中で誰と居ようたって知ったこっちゃない。でも、理由なく…嫌なんだ。
2人っきり…デートだなんて浮き足立ってた自分が恥ずかしい。ヤブ兄が他の女と話してるのが嫌で、悪態ついた自分が嘆かわしい。…ヤブ兄にもっと私を見てもらいたい。子ども扱いなんてして欲しくない。
…こんなこと思うなんて私らしくない。
『ごめんなさい』…たった一言言えればどれだけ楽だろうか。
なんで考えてた時だった。
「ゼイユゥゥッ!!」
…今どうしても聞きたくなくて、今どうしても会いたくなくて…今どうしても聞きたい声が聞こえた。鬼が山全体が震えるような大声量。低めの落ち着いた彼の声から信じられないほどの叫び。
赤獅子に乗った王子様が私の目の前に現れた。
黒っぽい灰色っぽい髪が風に煽られて。その目に映った私は…情けない姿をしていた。
「ここに居たか。…戻ろう。ゼイユ。」
「…なんで…なんで来たのよ。…私、アンタの顔なんて見たくないからッ!!」
…そう言って目を背けた。
とんだ勘違い女だ。つくづく自分が嫌になる。来てくれてありがとう、会いたかったの言葉すら出ないなんて。
「…悪かった。」
「……何がよ。」
「…すまん。俺も何が悪かったか、わからない。」
その言葉で目の前が真っ赤に染まる。
だが、ヤブ兄は言葉を続けた。
「でもな。お前を怒らせたのは事実だ。だから、ごめん。…俺はお前とピクニックしたかっただけなんだよ。…祭りも行きたい。それでも怒ってんなら、なんでも言え。全部、聞いてやる。」
真剣な眼差しでそう言うヤブ兄。
我ながらチョロいと思う。こんな言葉で…許そうだなんて思ってるんだから。
「…だから…「嫌だったのよ。」…。」
「アンタが…他の女と喋ってるのが嫌だったのよ。悪い!?」
目をかっと開いてヤブ兄を睨む。
ヤブ兄はその言葉にふっと柔らかな笑みを浮かべていた。
「…あぁ、わかってた。」
「…へ?」
…頭の中が真っ白になった。わかってたって何!?
怒りとは別に顔が熱を帯びる。何…何、何!?私の気持ち気づいてたってことッ!?
「…だから、その…あれだろ?」
「…う、わかってたんなら…何か言いなさいよ。バカ。」
「腹、空いてんだろ?」
…………は?
空いた口が塞がらなかった。ヤブ兄は屈託のない笑顔でそう言うもんだから。あぁ、これ、絶対そう思ってるって。
「ほら、サンドウィッチもあるからさ。続きしようぜ?ウインディの後ろに乗ればいい…か…ら?」
「ヤブ兄の……。」
「…ん?どうした?」
「ヤブ兄のバカァァァァッ!!」
「イッてぇぇぇッ!?」
…ヤブ兄の頬っぺたが紅葉型に腫れる。
パチンっていい音が出た。
あぁ、もう。…ホントにバカだ。ヤブ兄も。ヤブ兄の背中にひっついてウインディに乗ってるだけで、嬉しい私も。
難しい…。次回はヤブサに戻るね。
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