八葉を継ぐ者──A2──   作:クラウンドッグ

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影を捕らう

 

 

「総督府付きの臨時武官、ナギト・ウィル・カーファイさんとお話しがしたいのですが。3時にアポをとっていたエリィ・マクダエルです」

 

 

嘘である。この女、とんでもないハッタリで事態を好転させようとするギャンブラーである。

 

 

カジノでの一件から数日後、エリィはナギトにコンタクトを取るべく行動を開始した。

 

クロスベル総督府においてナギトの扱いは非常に厳重なものとなっている。その立場、思想ゆえ安易に接触がなされないように配慮されているのだ。それはナギトのあずかり知らぬ所(勘付いてはいるが)であり、感知すべき所ではない。

 

具体的に何が為されているかと言うと、正しい方法でナギトに接触しようとすると、まずオルキスタワーの受付から総督府に話が行き、そこからルーファスの許可を得て、ようやくナギトが接触について可であるか不可であるか判断するというもの。

 

ナギト・ウィル・カーファイという扱いに困る破格の戦力に会見するためには、クロスベル総督であるルーファスの許可が必要なのであった。

 

しかし、すでにアポイントメントを取り付けているなら話は別だ。

 

本来はそれすらルーファスの許可が必要なのだが、ナギトが街に繰り出してたまたまエリィと遭遇し「明日会えませんか?」「おけ。3時でよろし?」などというやり取りを交わしていたとしたら、その限りではないのだ。

そして、紙面に取り上げられたわけではないが、アリオス・マクレインの逮捕、《Ω》の壊滅…それらはすべて臨時武官としてやってきたナギトが行ったものではないかと噂されており、注目の的となっている。

注目されれば、その普段の様子も丸裸にされるというもので、ナギトは街中で突然アポイントメントを取り付けられても「いいよん」と答えそうな人物である事を把握されてしまっていた。

 

そのため総督府は、エリィのアポイントメントを安易には否定できず、またルーファスに許可云々の事実がナギトにバレると危ういため、そのままナギトに直通で連絡を入れる。

 

 

そうして数分後。賭けに勝ったエリィの前にはナギトが姿を見せて、2人の密談とは言えぬ密談が開始された。

 

帝国の統治となってから華美な装飾の施された客室は、帝国の在り方というものを示しているように思えた。

 

 

 

「まずは、先月の《Ω》の撃退…お見事でした。クロスベルに住まうひとりの人間としてお礼申し上げます」

 

 

「いえいえ、遊撃士協会をはじめとした各方面からの協力があったからこそですよ。それに、そちらは囮だったようでノックス拘置所を襲撃された事の方が問題です」

 

 

 

「逃げ出した囚人は《Ω》と比較すれば大した脅威ではない。街は軍人が警護するため市民の皆様には安心してほしい………それが総督府からの発表だったと記憶していますが」

 

 

 

「まあ表向きですな。確かに囚人だけなら《Ω》とは比較にならんでしょうが…ノックス拘置所を襲撃した組織が、この地に留まったのがまた難儀な懸念事案でして」

 

 

「国境なき軍隊………ゼムリア史上初の猟兵団。伝説が息を吹き返し、クロスベルに根を張ったと?」

 

 

「はい。《Ω》を上回る脅威…これからクロスベルは彼らを中心に事が起こるでしょう」

 

 

軽々しく、挨拶をするように告げるナギト。受けるエリィもさすがの面の皮の厚さを身につけていたが、クロスベルがまた戦火に晒されるとなれば鉄面皮を保てない。

 

 

「………真の意味で《Ω》は滅びたのでしょうか?」

 

 

それからエリィは、独自の情報網から得たネタでナギトを揺さぶりにかかる。

 

 

「滅びた、と言えるでしょう。少なくともその意思は。クロスベルを解放し《鉄血宰相》の喉元に刃を突きつける…そんな悲願を掲げた組織は潰えました。………今、水面下で蠢いてる何かは残骸に過ぎません《Ω》のリーダーと精鋭こそ生き残ってますが、そこにクロスベル解放の思想はありません」

 

 

 

「残骸…?再起を図るために身を潜めたわけではないのですか?」

 

 

「個人の妄執が大義を上回る事もある………《Ω》のリーダーであるクロウ・ゼネフォードの掲げた目的は人材を集めるための大義名分に過ぎず、真の目的は別にあった……そう考えるのが妥当だと結論しました」

 

 

大衆的に見てそれがどんな小さな問題でも、抱えている本人からすれば、それ以上に大事なものなどない…いつかナハトに語った内容と同じであった。

 

 

 

「なるほど……では当面の脅威は国旗なき軍隊と《Ω》の残骸……そういう事ですね?」

 

 

「いや、その2つは繋がっています。それぞれが独自の目的を持ってますが、敵として見るならば1つの組織として見るべき…ですかね」

 

 

「繋がっている………そうですか。クロスベル襲撃が失敗した《Ω》の残党が国境なき軍隊を頼ったというわけですか?…………いえ、もしかしてそれ以前から…?」

 

 

「おそらくは、そのもしかして、です」

 

 

 

交わされていく、やり取りが。クロスベルを揺るがした出来事を軽々に語る。クロスベルを揺るがしかねない情報を、軽々しく口にする。

そんなナギトに、エリィは感謝しつつも戦慄を覚えていた。

この男にとってクロスベルの価値はいかほどなのか?それがわからないのだ。そしてそれは、クロスベルの未来を第一に考える特務支援課にとって悪夢のような事実である。

なにせナギト・ウィル・カーファイは単独であの《風の剣聖》を下した世界でも指折りの使い手なのだから。

 

だから、ナギトにとっての優先順位の高いものは何か…エリィはずっと考えていた。

それこそがクロスベルの暗雲を払う突破口、光明に成り得ると思ったからだ。

 

 

1つ、2つ、3つ。呼吸を置いてエリィは真摯な瞳をナギトに向けた。それは話題を変える意思表示であり、重要な案件を伝える決意を秘めた表情である。

 

 

「…では、本題に入らせていただきます」

 

 

 

「今までは本題ではなかったと?それなりの情報は提供したつもりですがね」

 

 

 

笑いながら、まるでそんなつもりはないセリフを吐くナギト。本題とやらが何かはわからないが、これまでの会話はあくまで自分と特務支援課の情報共有に過ぎない。

 

 

 

「ナギト・ウィル・カーファイさん。どうか、私たちの仲間になってくれませんか?」

 

 

 

その本題に、さすがのナギトも目を剥いた。この女はいきなり何を言い出すのだと。

客室と銘打たれたこの部屋は、盗聴器が仕掛けられている。当然の話であって、それをエリィ・マクダエルが理解していないはずはないのだ。

 

 

「お断りしましょう。…私には宰相に逆らえない理由がある」

 

 

「…………聞かせていただけませんか?大丈夫です、この部屋の盗聴器はすべて取り除いてあります」

 

 

「……ほう?」

 

 

「ARCUSに搭載されているモードを使って、あなたを待っている間にこの部屋を検分させてもらいました」

 

 

 

確かにARCUSには盗聴器のようなものを探知する機能があったとナギトは記憶を想起させる。4度目の特別実習だったか、帝都に仕掛けられた盗聴器を見つけ出す依頼を解決したはずだ。

 

 

 

「なるほど。……わかりました、これで気兼ねなく話せるというもの」

 

 

だというのに。もう盗聴器はないというのに、ナギトの雰囲気は変わらない。

いつか会った時、その最後の瞬間に見せた素顔をまだナギトが晒さない事にエリィは言い知れぬ不安を覚えた。

 

 

「まあ、人質ですよ。簡単に言えば」

 

 

しかし、そんな不安を吹き飛ばすように。事もなしとばかりにナギトは言い放った。

 

 

 

「人質、ですか。………では、その人質を我々が解放するとしたら、どうです?」

 

 

「無理ですよ」

 

 

明確なる帝国への叛逆を口にしたエリィだったが、それはにべもなく拒絶──否、不可能だと断じられる。

 

 

「人質と言っても、別に囚われの身というわけじゃありません。私が大切にしたいと思う人たちは皆がそれぞれの日常を謳歌してるのです。しかし《鉄血宰相》なら、そんな日常を奪い去る事も可能だ」

 

 

 

「なら、ギリアス・オズボーンを何とかできれば」

 

 

 

「それも無理でしょう。……そこにいる生きる伝説の《銀》であっても」

 

 

指摘されて若干の驚愕と共に影から姿を現わすリーシャ・マオ。伝説の凶手たる《銀》であっても、ギリアス・オズボーンの暗殺は至難を極めるだろう、とナギトは言及していた。

 

 

「いつから……気づいていたんですか?」

 

 

完璧に気配は殺していたはずだ、とばかりにリーシャはナギトに問いかける。

それにナギトは大仰に鼻を鳴らして、

 

 

「大スターのオーラが隠しきれてませんよ、《月の姫》殿。ファンなんです」

 

 

 

小馬鹿にするように誤魔化す。

クロスベル歓楽街にあるアルカンシェルは、大陸西部でも最高の演劇が楽しめるとされる娯楽の場だ。その舞台に立った者はそれ相応のオーラが発される。

看板女優ともなれば尚更だ。だからそんな有名人のオーラにミーハー魂で気づいたとナギトは戯言をほざいたのだ。

 

 

「よしんばギリアス・オズボーンをどうにかできたとしても、もし今あの《鉄血宰相》が消えてしまえば帝国は混迷を極める事になるでしょう。そうなれば私の大切な人たちの日常が奪われるどころか一般市民の安寧さえも脅かされるのも必然。ギリアス・オズボーンとその忠実な配下、意思を受け継ぐ者すべてを殺して、かつ帝国の平穏を保つ事ができるのなら、喜んでお受けしますとも」

 

 

不可能な事だ。それは無理な事だ。だからこそ絶対の拒否として受け取られる。

──────この場の全員に。

 

 

ゆえに、好機はここしかなかった。

 

 

 

渦巻く気力と魔力を織り交ぜて、形になったのは鉄壁の檻。否、防壁だ。

それは一分の隙間もなくナギトとエリィ、リーシャを正方形の箱の中に閉じ込める。

 

 

「なにを──!?」

 

 

リーシャが剣を抜くと同時にその意図を尋ねる。まさか自分たちをここで捕らえるつもりなのか、と。

先ほどの誘いはまさしくエレボニアに叛逆する者の言葉。臨時武官のナギトが捕らえるべきだと判断するのは当然の事だった。

 

しかし、それはないと踏んだからこそ“仲間にならないか”と誘いかけたのだ。

オルキスタワーではロイドを見逃し、《Ω》迎撃戦ではランディとダドリーの背中を守った、そして仲間であったクロウの言葉からファイリングしたナギトの性格は、そんなものではないと。

 

見立てが甘かったか、とエリィは後悔しつつも身構える。

 

 

だが、そんなエリィとリーシャを抑えるように「待て待て」とナギトは手を差し出す。

 

 

「これでようやく…本当の意味で秘密の話ができる」

 

 

砕けたナギトの喋り方は、彼本来の在り方だ。そして言葉の意味も把握する。

 

 

「まだ…監視されていたと?」

 

 

盗聴器の類はすべて除去したはずだった。だがもし、探知できないステルス機能を持つ盗聴器があるならその限りではないが…ナギトが言っているのはそういう事ではないようだ。

 

 

 

「ああ。と言っても監視されてるのはこの部屋じゃなくて俺なんだけど。まあ、盗聴器を外したってのは良い判断だよ。総督府の立場からしたら、それは表向き感謝しかできないからね。だから俺も過激な発言ができる…感じを装った」

 

 

ナギトの言葉に合点がいくエリィとリーシャ。それは先ほどの事を言っているのだろうと理解する。

 

 

「ギリアス・オズボーンを殺す……」

 

 

「そう……《鉄血宰相》を殺して帝国臣民に何ら影響がなければ仲間になるって発言。まあ不可能だから絶対的な拒否になるよね……だからお前さんたちは諦めるし、逆に総督府側からすればホッとする一瞬だ」

 

 

言った後にニヤリと笑うナギトを見て、エリィは点と点が繋がった気がした。

 

 

「まさか…監視を油断させてこの密室を作るために?」

 

 

「正解」

 

 

ナギトを監視する者によって客室の様子は筒抜けだった。例え盗聴器がなかったとしても、直接監視人に聞かれていれば意味はない。

 

だから、エリィの誘いに拒否の意思を示す事で、その注意を緩めてやったのだ。それは欠片ほどの気の緩み…油断と呼べるものですらなかったが、機転により生み出された好機を逃す手はなかった。

こうでもしなければ、この箱の密室にすら潜入しかねないほどの手練れゆえに。

 

 

「俺についてる監視ってのが、これまた凄腕でな。こうするしかなかった。まー、なんぞ密談してるなってのは把握されるが、どんな内容かはわからない…今はそれで充分」

 

 

その監視にとって、ナギトが箱を作り出してそこで密談しているのはわかるが、そこまでだ。密談の内容がわからなければ意味がない。

 

先に結社入りした時と一緒だ。あの夜は《鉄機隊》の面々が監視を抑えた事でナギトはヴィータ・クロチルダ、アリアンロードと腹を割って話す事ができた。

 

 

 

「さて、改めて返事をさせてもらうが……やはりノーだ。俺はお前さんたちの仲間になる事はできない」

 

 

しかし、密室となったこの場においてもナギトの答えは変わらなかった。

エリィが何故か問う前にナギトは理由を説明する。

 

 

「俺の立場は総督府臨時武官…しかもクロスベルに着任して早々《風の剣聖》を撃破し、《Ω》を壊滅した破格の武官と言っていい」

 

 

それは自己に対する過大評価でもなんでもなく、事実であった。ナギト・ウィル・カーファイはクロスベルの民に畏怖されていると言っていい。

 

 

「だからこそ」

 

 

だが、それだからこそ。そんなナギトだからこそ。

 

 

「その言葉には重みがある」

 

 

また、ニヤリと笑う。

 

 

「もし俺がここで総督府から離反したとして、仮にクロスベルを解放できたとする……だがそれは一時的なものに過ぎん。“属州の愚挙”としてエレボニア本土から機甲師団が出陣するだろう。……共和国もまた好機と見計らって侵攻してくるのが当然。したらクロスベルが戦場になるのは目に見えてるよね」

 

 

クロスベルが戦火に包まれれば、少し前までの暗闘が可愛く見えるほどの被害者が出る。それは望まないだろう?──とナギトは言外に語りかける。

 

 

「だから俺がお前さんたちの仲間になって、直接総督府と戦うのはおススメできない」

 

 

仮に共和国と戦争になったとして、それでギリアス・オズボーンの戦力が削げたとしても、またリィンやクロウと言った戦力に協力を要請してしまう可能性もある。

ナギトとしても、それは避けたい選択肢だった。

 

 

ならばどうするか?

それについての答えもナギトの中にあった。

 

 

「代わりに…俺は証言しよう。此度の騒動はすべてこちらの責任であると。すべて総督府…ルーファス・アルバレア総督の手際が悪かったから起こった悲劇だと」

 

 

 

「それは……何なのですか………?」

 

 

 

意味のわからないナギトの言葉に、エリィは問いかける。これは何か重大なものなのではないか。見落としてはならないものではないかと思考を巡らせる。

 

 

「未来の話さ」

 

 

それにナギトはまた笑って短く答えた。

 

 

それはどういう意味なのか、尋ねようとしてそれを遮るように「この話は終わりだ」とナギトは言い放つ。

 

 

 

「あまり知り過ぎるのも良くない。……お前さんたちにはあくまでも正義の味方でいてもらわなきゃな」

 

 

また、意味深な言葉。それにも答えてくれないだろうと思ってエリィは口を噤んだ。

 

 

 

「んで、ここからはお願い……依頼の話だ」

 

 

 

「依頼……というと、私たちに何かしてほしい事があるの?」

 

 

 

「ああ、俺には凄腕の監視がついてるって言ったろ?そいつを見つけて、俺の前に連れてきてほしい」

 

 

「あなた自身では動かないのですか?アリオスさんを捕らえた実力があれば…」

 

 

リーシャが言う。《風の剣聖》を下した程の実力を持つナギトなら、その凄腕の監視とやらを捕まえるのなんて造作もないのではないか、と。

 

 

「たぶん、無理だ」

 

しかしナギトはあっさりと不可能だと告げる。

 

 

「確かに、全力を出せば見つける事は可能だ。しかし、そこに全力を費やせば追う事ができない。逆に追おうとすれば姿を見失う。……隠形のレベルはリーシャと同じくらいだな」

 

 

伝説の《銀》と同等の隠形を身につけているという監視。それだけでも尋常ではないが、それよりもさらに厄介なのは、何ら干渉してこない事だ。

 

おそらくルーファスに報告はしているのだろうが、それだけ。たったそれっぽっちの脅威だ。

だからこそ、こんなに後回しになってしまった。

 

 

「もし俺が監視から解放されれば、これからお前さんたちを援護し易くなる。……受けてくれるか?」

 

 

たっぷり十呼吸分ほどの間を置いて、その依頼を受けてくれるかどうか問いかける。

 

これは特務支援課とナギトが秘密裏に協力できるか否かの分水嶺であった。

 

エリィはこの短い時間で、ナギトがどういうスタンスでいるか朧げながらも掴んでいた。

公人としては総督府付きの臨時武官として動き、私人としてはクロスベル解放に賛同している。監視がいれば公人としての働きを余儀なくされるが、監視から解放されれば私人として動き易くなる。

だから、この監視を捕まえる手助けをする。そうすれば協力関係を築ける。

 

これはきっと、願っても無い申し出なのだとエリィは察する。

 

 

「お受けします。具体的には何をすれば?」

 

 

「ありがとう。まずは俺が郊外まで出る。監視は付いてくるだろうから、そこを捕らえる」

 

 

「ずいぶん簡単な作戦ですね…そう上手くいくでしょうか?」

 

 

自身の隠形と同等の技術を持つというナギトの監視に、興味を持ったリーシャが食いついてくる。

それにナギトは「シンプルイズベスト、だよ」と微笑み、作戦の詳細を説明した。

 

 

 

☆★

 

 

 

3日後

 

 

ナギトの作戦は始動する。

ナギトは零の残り香と呼ばれた結界のあった湿地帯に向かう。

少し前までロイドらが滞在したログハウスに入ると、そこで足を止めて休憩した。

 

 

 

そこにはナギト以外には誰もいない。誰かとの待ち合わせかもしれない、と思っていた監視だが周囲にそんな気配もない。耳をすませて室内の様子を探るも、ナギトの息遣いしか聞こえない。

3日前のエリィとの会談、その後半の内容を自分は知らない。警戒したナギトが自分たちを隔離したからだ。

 

 

ログハウスの中では、ナギトが膨大な気を練りあげていた。

考えてみれば、この湿地帯に人は滅多に入らない。修行するにはもってこいだ。もしやナギトはここには修行をしにきただけではないか、という可能性を思い浮かべた、その瞬間。

 

 

 

練りあげられたナギトの気が解放された。莫大な、剣に集中させればオルキスタワーですら一刀両断できそうなほどの気を、一息に解放した。

 

 

 

とたんに、空が暗くなる。

 

 

「なっ──!?」

 

 

思わず見上げると、黒い壁がせり上がってきていた。気持ち程度の天窓を残して巨大なドームが完成する。

湿地帯の中心からおよそ半径10セルジュ程を包み込む黒壁の檻。

 

いったい何の意図があってこんな事をしたのか。このドームの中にはおよそ人らしき気配は感じない。ただの修行なのか。それにしては目立つのではないか。

 

 

ログハウスから出たナギトは、掌に気を集中させてまた解放する。それは形を伴わない波であり、攻撃力は皆無だ。

 

ブワリ、と迫る気の波に晒されて、黒壁のドームに反射して戻ってきた気の波を感じ取った監視はようやく察する。

 

 

「これは……まさか…っ!」

 

 

「見つけた」ニヤリと笑うナギトの呟きを聞いた監視は、自分が発見された事に気付いた。

 

この黒壁のドームはまさしく檻であり、空間を外と遮断するもの。内側という限定された世界を作り出す目的で作り出されたものだと理解する。

そして、なぜ外と内を遮断する壁が必要だったのか。

気の波による反響──エコーで、気配を消した相手を見つけるための結界だ。

気配を完全に殺した相手は、気配探知の網に引っかかる事はない。だが反響であれば、そこに気配がなくても人の形をした者がいる、ということはわかる。いわゆるエコーロケションだ。

 

 

監視のいる方向を指差したナギト。突き付けられた指先にいる監視は濃密な死の気配を感じ取り戦慄する。

 

ああ、だからもう会いたいないと思ったのに。

 

心の中で舌打ちするのと同時に、死の気配がナギトからのものではないと理解し──、跳ぶ。

 

 

監視のいた木の枝を音もなく両断する大剣。それを為した姿を見て監視は、これが3日前の密談の結果かと納得した。

 

 

「なるほど、あなたか…《銀》」

 

 

そこにいたのは《銀》。自分と同等の隠形の技術を誇る伝説の凶手。確かにこの《銀》なら自分の気配探知でも見つけられないのだろう。

 

 

「あなたがウィルさんの監視人ですね」

 

 

リーシャの射抜くような視線を軽やかに受け流し、監視の男は思考する。

 

 

眼前には《銀》…伝説の凶手である彼女を振り切る事はできないだろう。自身の隠形には自信があるが、リーシャは同等以上の技術を持つ。闇に紛れる者がどうやって逃走を図るのかは熟知しているはずだ。

加えて、黒壁のドームが厄介だ。これだけの広範囲に展開したのだから、密度は高くないはずでおそらく突破そのものは可能だ。しかし、その時点で気を練る必要があるため位置がバレてしまう。

最後に、ナギトの存在だ。ドームを作り出した事で消耗しているだろうが、それでも正面戦闘で勝てる気はしない。

 

リーシャからは逃げられず、仮に逃げられたとしてもドームを突破する際に発見される。それにナギトはエコーによっていつでも自分を見つける事ができる。これは詰みの状態ではなかろうか。

 

 

 

監視の男は戦闘態勢を解除すると、両手を頭の高さまで挙げて、

 

 

「降参します」

 

 

そう、おとなしく告げたのだった。

 

 

 

 

 

「……あなただったか」

 

 

監視の男と相対してナギトはそうこぼした。

リーシャと同等の隠形を身につけている人物なんて、そうそういないだろう。だからこそ、可能性として考えていたが……

 

監視人は、かつてナギトが遊撃士協会本部に行った際に案内役を務めた裏遊撃士の男であった。

 

 

「まさか、こんな簡単に捕まってしまうとは……さすがですね」

 

 

やれやれ、とばかりに肩をすくめる男だが拘束されているためにわずかに身じろぎしただけとなった。

 

 

 

「簡単じゃないさ。俺1人なら無理だった。……だが、あなたと同じように気配を殺す事ができるリーシャがいるなら話は別だった」

 

 

「ふむ、リーシャ・マオ………かの《月の姫》が《銀》だったとは。いやはや、驚きましたよ」

 

 

「………無駄話はもういいでしょう。本題に入りますよ」

 

 

「一応言っておきますが、依頼主については守秘義務がありますしお答えできません。…その他口外厳禁の情報についても口を噤ませてもらいましょう」

 

 

そして、尋問が始まる前に男はそう断る。ナギトとてそう簡単に情報を聞き出せると思ってはいなかったが、これはまた見事な鉄の意志というべきか。たとえ拷問されても口は割らないだろうと理解できる。

 

 

「あなたの名前は?」

 

 

「シャッテン、とお呼び下さい」

 

 

「本名…ではありませんね」

 

凶手としての経験からか、リーシャはそう断定する。それについてはナギトも同様だったが、とりあえず仮でも名前がわかればそれで良かった。

 

 

「じゃあ、シャッテン……あなたの雇い主はルーファス・アルバレアだな?」

 

 

「黙秘します」

 

 

いきなりの問いにシャッテンは顔色ひとつ変えずして答える。こんなだまし討ちじみたやり方でイエスorノーを引き出せるとは思ってはいない。

だから2つ目の問いをすぐに投げかける。

 

 

「あなたの雇い主はギリアス・オズボーンだな?」

 

 

「否定します」

 

 

答えが黙秘から否定に変わる。なるほど、とナギトは笑む。口を噤む…とはおそらくこういう意味なのだ。

違うなら「否定」、その通りなら「黙秘」とシャッテンは答える。

 

 

はあ…と息を吐き出し、シャッテンも笑う。

 

 

「私も命は惜しいですからね」

 

 

もしかしたら、これも嘘なのかもしれない。それでも今はこれで充分だ。

 

 

「シャッテン…あなたはどういった条件で雇われた?常時ナギト・カーファイの監視をすること。ナギト・カーファイのやる事に干渉しないこと。大事が起きればその後すぐに連絡すること…これ以外に条件はあったか?」

 

 

「黙秘します」との答え。これ以外にも条件があるということか……監視対象だったナギトだが、それがどんな条件の元で果たされていたのか、その全貌は知らない。

 

 

「報酬は1億ミラだな?ロイドたちがオルキスタワーに侵入する以前に、彼らを釣り出すために《赤い星座》に支払ったと思わせた金…それが今回あなたの組織に支払われた報酬だった」

 

 

 

「黙秘します」

 

 

 

どうやら当たりのようだった。あの時のミラの流れを不思議に思っていたのだが、シャッテンが現れてから疑問は氷解した。

裏遊撃士としての仕事ならそれくらいの値段が付くのだ。しかもルーファスにとってナギトは獅子身中の虫…以上の厄介な人物。そいつを監視できるとなればルーファスは1億ミラくらい払うだろう……あるいはもっと大きな流れの1つとして帝国政府から出たミラなのかもしれない。

 

 

 

「オーケー…質問を続ける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、それが最後の条件です」

 

 

 

しばらくして、ナギトは第4の条件を看破した。

それに対してずっと黙秘か否定のどちらかしか答えなかったシャッテンが初めて肯定の意を示した。

 

ルーファスがナギトを監視する上でシャッテンに課した最後の条件とは、“ナギトに発見、捕縛された場合、その時点で監視の任を終了とする”というものだった。

シャッテンはナギトに捕まった時点ですでに監視人ではなくなっていたのだ。だから黙秘という肯定を使った。これはもう依頼でもなんでもないため、それに対する守秘義務そのものは遵守するとしても依頼主に義理立てする必要はないのだ。

 

黙秘と否定はあくまで形だけの守秘義務を達成するための言葉。その実がどうだろうとシャッテンからすれば知った事ではない。

 

 

「じゃあ、もうあなたは俺の監視をしないんだな?」

 

 

「ええ、そうなりますね。………それに次はない次に私を見つけたら殺すでしょう?」

 

 

「そうだな、殺す」

 

 

 

短いやり取りに物騒な意味を持たせながら、2人の会話は終わった。

ナギトはシャッテンの拘束を解くと「じゃあまた」と別れを告げる。

 

 

「さて、では私もこれで。もう会わない事を女神に祈りましょう」

 

 

ぱんぱん、と砂埃を落とすように服を叩きながらシャッテンは立ち上がると、前と同じ言葉で別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

シャッテンの背中が見えなくなった頃、ずっと黙っていたリーシャが「逃して良かったのですか?」とナギトに尋ねる。

 

 

「まあ、別に良かったんじゃないか?…あんまり事を荒立てるのは得策じゃないしな」

 

 

もしシャッテンを殺していれば、オズボーンと遊撃士協会の縁が切れたかもしれない。

もしシャッテンを殺していれば、ナギトは遊撃士協会に追われていたかもしれない。

もしシャッテンを殺していれば、遊撃士協会は人員の確保のために、ナギトを追い詰めようとオズボーンとさらに友誼を深く結んだかもしれない。

もしシャッテンを殺していれば───

 

 

と、可能性は無数にある。

 

そんな事を説明せずとも、リーシャは依頼主であるナギトの納得に了解した。

 

 

「では、ウィルさん………今度はあなたが約束を守る番です」

 

 

3日前の取引の際に約束していた、特務支援課への援護。その1つ目。

 

 

「わかってるよ。……じゃあまずは、ティオ・プラトーをクロスベルに呼び戻そうか」

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