ゼロとの邂逅から数日後、ナギトはクロスベル北西部、旧鉱山の入口まで来ていた。
彼との会話で己の感情を整理し、迷い悩んで出した答えを伝えるために。
この旧鉱山までの道中は警戒は手薄だった。歩哨も最低限だ。周囲は森となっていて人気もない。自治州時代は警備隊の訓練に使われていたそうだが、帝国に併合されてからは人の手は入っていないようだった。
単に手が回らないだけか、あるいはわざと放置しているのかはわからない。なんせ総督がやり手のルーファス・アルバレアだ、こんな目に見えた潜伏場所をただ放っておくわけがない──とは過大評価だろうか。
どうにせよ、ここに《アナザーフォース》の人員が配置してあったのは事実。おそらくここは本命ではなかろうが、それなりの人数が出入りしているようではあった。
洞窟の入口にはおよそ10人分の足跡があった。が、それは偽装だ。十中八九、この3倍以上の戦力が旧鉱山には詰めているだろうとナギトは見ていた。
と、そんな風に状況を検分していたナギトに近づく影があった。
「……先客がいる事はわかっていたが。まさか君だったとはな、ナギト」
「よお、ロイド。元気そうだな?」
現れたのはロイド・バニングスを含め4名。
ランドルフ・オルランド、エリィ・マクダエル、ティオ・プラトー。この面子は、すなわち。
「特務支援課初期メンバーが揃ったようでなにより」
クロスベルの英雄である特務支援課、遊撃士の真似事と呼ばれた小さな部署を市民の心の支えにまで押し上げた最初のメンバーだ。
「ありがとう。どうやら便宜を図ってくれたみたいだな?」
「いやなに、そちらの令嬢との取引の結果だよ。おかげでこちらも厄介な監視を追い払えた」
ナギトの言葉はエリィを指している。ナギトは彼女との交渉で自らに付けられている監視の排除と引き換えにティオ・プラトーのクロスベル帰還を約束していた。
ルーファスを相手にあれだけの説得で済んだのはミラクルだとナギトは思っている。
「よ、《Ω》戦以来だなナギト。あん時は世話になったぜ」
ランドルフは軽々しく手を挙げる。ナギトと特務支援課はあくまで敵同士だというのに、毒が抜かれる態度だ。
「ああ、こちらこそランディ。頼りにさせてもらったよ」
「お前が言うかぁ?」というランドルフの気の抜ける返事と共に、ロイドはおもむろに頭を下げた。
「ナギト、改めて君に感謝するよ。ありがとう、クロスベルを守ってくれて」
「よせやい、こっちは仕事だぜ。むしろ逮捕のリスクを背負ってでも出張ったお前らには脱帽する」
「ランディとダドリーさんだけ、だけどな。俺も本調子じゃなかったし……、他のメンバーも派遣できなかった」
《Ω》との決戦において特務支援課はロイドの不調やアリオスの逮捕で大幅に戦力を減じていた。総督府と協力の約束を取り付けているとは言え、あのルーファスだ。どんな手を使ってくるかはわからない。そのため《Ω》迎撃に回せる戦力はランドルフとダドリーだけになってしまっていた。
そこに加えて協力者であったクロウも追随し、さらにはナギトという破格の戦力があったおかげである意味では安心していた。
「それでも、ありがとうございます。ティオちゃんをクロスベルに連れ戻してくれた事を含めて」
今度はエリィが低頭する。ナギトが特務支援課らに何をしたか忘れたわけもあるまいに、どうやら恩人のように思われているようだ。
エリィが頭を上げたのを見て次はティオが会釈をした。「どうも」と挨拶付きだ。
「どうも、はじめましてだなティオ・プラトー。会って早々悪いが忠告。あんまり目立つような事はしない方がいい」
「それは…どういう意味でしょう?」
「お前さんはあくまでエプスタイン財団の者だろう。もしそれが帝国に弓引いたとなれば、それは財団にとって大きな負債になる」
文字通りの傀儡にはならないだろうが、帝国からの影響を無視する事はできなくなるだろう。加えてあの《鉄血宰相》の辣腕なら、ナギトがルーファスに説明したように、エプスタイン財団と昵懇の仲である遊撃士協会にまで圧力を及ばせるかもしれない。
そこまでは語らずとも、ナギトはひとまず言った内容だけでも理解してくれれば良かった。
「なるほど……、わかりました。あまり目立たないようにします。ご忠告ありがとうございます」
指名手配されているロイドたちと行動を共にしている時点でアウトなのだが、そこはわかっているはずだ。ナギトの忠告“目立つな”は何も特務支援課として動くな、という意味ではない。それが表沙汰にならないようにしろという気遣いだった。
「ま、俺がどの口でって話なんだけどな」
ナギトとてあくまで総督府付きの臨時武官だ。心情的にロイドたちに協力してやりたいという気持ちが行動に現れていた。それも総督であるルーファスに隠せていない。アウトどころかスリーアウトチェンジだ。チェンジのきかない人材である事がルーファスにとってのネックだろうか。
「リーシャと連携して君についていた監視を排除したと聞いた。シャッテン…だったか、彼以外の監視はいないものと思っていいのか?」
「ああ、あいつほどの監視はもういないはずだ。以後も監視はついているけどシャッテンほどの手練れはいない。ここに来るまでに撒いてきたよ」
「ってか」とナギトは目を細めた。
「そのリーシャがいないな。お前ら、ここがどこかわかってんのか?」
ぶっきらぼうに、あるいは脅しつけるように。ナギトはロイドらにそう告げる。
リーシャ・マオ──伝説の凶手《銀》…その当代。アリオスが逮捕された今、彼女は特務支援課たちの中でも随一の戦力となるだろう。
そんなリーシャを欠いた状況で、今この場に立っている。その意味を問うていた。
「ああ、わかっているさ。傭兵組織《アナザーフォース》の拠点……」
「言わば敵の本丸ってわけだな。確かにリーシャや他の面子を欠いた今の戦力じゃ危ないかもしれねぇ」
ロイドとランドルフはナギトの懸念を見透かしていたようで、しかしその闘志は多少も揺らいではいない。
これまでいくつもの難事件を解決してきた自信が窺えた。あるいは初期メンバーが揃った事でテンションが上がって全能感でも得ているのだろうか。
「……それでも行く、と。決意は固いみたいだな」
ナギトは嘆息する。特務支援課のこの姿にⅦ組の姿が重なって見えたからだ。
「ああ、願わくばそこに君もいてくれたら心強い」
しかし、続くロイドの言葉は埒外のものだった。セリフと共にロイドは手を差し出した。
「どうだナギト……目的は同じのはずだ。ここは共闘しないか?」
目を剥く。信じられないとナギトは表情で告げていた。
「《アナザーフォース》……いくらあなたでも単独では厳しい相手のはずよ」
続け様にエリィが二の矢を放つ。
どうやらこいつらはナギトを説得して味方につける腹づもりらしい。
ナギト自身、その提案を面白いと思った事は確かだ。
しかし───
「寝ぼけてんのか? 俺とお前たちは敵同士……ここで今こうしてのんびりお喋りしてるのすら不似合いなんだぜ」
ゆらりと緋色の闘気がナギトから立ち上った。途端に剣呑な雰囲気となる。
ランドルフは一歩下がっていつでも戦闘体制に移れるように警戒し、ティオにいたっては魔導杖を構える始末。正しい。この段に至ってなお差し出した手を引っ込めないロイドが異常なのだ。
「あなたを縛っているのは立場だけのはず……、監視がいない今なら私たちと共闘しても問題ないはずでしょう?」
エリィの言葉はまさに正鵠。“総督府付きの臨時武官”…その立場だけがナギトをクロスベルの敵たらしめる要因だった。
「問題大アリだ。もう“あくまで”とは言わない。俺はクロスベル総督府付きの臨時武官ナギト・カーファイだ。いかな理由があっても指名手配中のテロリストと共闘する事はありえない」
しかしここ数日でナギトの心中には変化が起きていた。それはクロスベルにおける今後のナギトの身の振り方を規定するものですらあった。
ナギトが寄越した絶対的な拒絶の言葉にようやくロイドを手を引き戻し、……しかし真摯な目はそのままにナギトを見た。
「共闘するのが無理なら、せめてここは譲ってくれないか?」
「あ?」
何を馬鹿な事を、とは続けられない。その前にロイドが言ったからだ。ナギトの思考に間隙を齎す一言を。
「俺はきみにひとつ貸しがあったはずだ」
思考の空白。生じた間隙。ナギトは理解して。「はっ」と声を上げた。それは間違いなく快哉であった。
「ロイド…そりゃどういう事だ?」
ナギトの闘気が霧散したのを確認し、警戒を続けつつもランドルフはロイドの言葉の答えを探る。
ロイドは語った。ナギトがクロスベルに来た直後、疲労と空腹で倒れた彼を介抱した事を。ナギトは去り際に「この恩は必ず」、と貸しひとつである事をわざわざ言葉にした事を。
一宿一飯の恩───言ってしまえば、ただそれだけの事だ。些事とは言わないが、少なくともこういった仕事の場面で返す貸し借りではない。
「…なんだそりゃ、ありえねえだろ」
ロイドの話を聞いたランドルフはそう呟く。
ありえない──少なくともナギトを知る人物からすれば、それはありえない事実だった。
この男が疲労と空腹で倒れる様など想像できない。ならば、この事実はなんだ?
「……なるほどな。確かにその話を持ち出されちゃ俺は引き下がるしかない」
ロイドの推測通り、ナギトは道を譲る姿勢を見せた。これにはランドルフをはじめエリィやティオも驚く。
「やはり、きみは……そういうことだったんだな?」
「まあな、見抜いたのはさすがだよロイド。こんな下策、逆に見抜かれないもんだと思ってたからな」
「きみの行動には不自然な点が多過ぎた。臨時武官としてクロスベル入りしたにも関わらず、どこか私人としての立ち振る舞いを優先するその気質……、そこから導き出したまでだよ。……正直、初めからこんな事態を予測していたのか、とすら思う」
ありえない事が起きているのなら、それは作為によるものだ。
ロイドは未だハテナマークを浮かべている他のメンバーに説明する。
「ナギトは総督府付きの臨時武官だ。だがその心情はクロスベル寄り──その理由までは計り知れないが……、公人としてより私人としての行動を優先していた。それが許されるだけの──さすがに結社の執行者の“あらゆる自由”とまではいかないだろうが──とにかくそういった立場なんだろう。だから彼はそれを利用した。俺たちにわざと助けられる事で借りをつくり、それを返すために俺たちを助ける──自分自身の心をそう納得させるために」
ロイドの解説は寸分違わずナギトの狙いを看破していた。
ナギトは本来、帝国側の人間としてクロスベルの統治をより強固にするために動くべきだ。しかしナギトのここまでの行動から、その心情はクロスベル自治州の在り方を尊んでいるように見える。
しかし宰相から命令されてクロスベル入りした以上は、帝国の人間としての振る舞いを求められるし、ナギト自身そうすべきだと思っている。
だが、そうだとしてもナギトはクロスベルは帝国から解放されてほしいとも思っていた。だから、あからさまになり過ぎないようにロイドらを見逃してきた。
その究極が、ナギトとロイドの初対面だ。ロイドの語った通り、ナギトはわざと借りをつくる事で、ロイドらに肩入れした行動を取れるようになる。……一宿一飯の恩がある、と自らの心に言い訳をするための、下策も下策だった。
「買いかぶりだな。俺はただ、機を待ってただけだ」
言うとナギトは瞑目して一息ついた。そしてロイドらの横を通り過ぎる。
「ここは譲ろう、ロイド。…だが、わかってるな?」
背中を向けたまま語るナギトのそれは最後通牒だ。今度はロイドが瞑目し、わずかによぎった逡巡を振り払う。
「……ああ」
重々しく答える。ロイドの回答を受けてナギトは静かに笑んだ。特務支援課のメンバーにはわからないように。
「ならいい。そんじゃ──あー、と」
そのまま立ち去るつもりだったナギトだが、半身だけ振り払ってロイドらに伝言を頼む。
「もしゼロに会ったら伝えて欲しい。ナギト・ウィル・カーファイは己の答えを出した…ってな」
要領を得ない、具体性のない言葉だったがロイドは「わかった」と答え、ナギトは歩き出した。
「よろしく〜」と気の抜ける声と共に手を振って、クロスベル市街へと帰還する。
☆★
「ふぅ〜」
クロスベル市街に戻ったナギトは港湾区のラーメン屋台で昼食を摂ったのち、近場のベンチに座って長く息を吐いた。
「暇になったな…」
どうしたものか、とぼんやりと空を眺めた。
今日はゼロと会って、数日前の問いかけに答えるつもりでいた。彼らの拠点に入るところで特務支援課と遭遇して道を譲る事になったのは想定外だった。
なんと言うか、ぐっと覚悟を決めたのに空振りに終わった感じだ。ナギトの心情はまさしくそんなものだった。
だからと言うべきか、精力的に何かをやろうという気が失せている。やる気スイッチOFFモードだ。
そのまましばらく何もする事なく空を泳ぐ雲を見ていると、ふと妙案が浮かんだ。
「うし、そうすっか」
そうと決まれば早い。ナギトは適当な酒を買うと目的地へ向かう。
守衛に「どーも」と挨拶して扉を潜る。
途端に空気がヒリついている事を察して目を細めた。
オルキスタワー魔導区画、アリオス・マクレイン用特別拘束房。
自らの弟弟子たるアリオスに会うため、ナギトは酒瓶片手にこの場にやって来ていた。
暇潰しに語らう相手としては充分以上の相手だ。牢屋の粗食でひもじい思いをしているだろうアリオスのためを思ってそこそこ良い酒を買ってきたつもりだが、どうやらそんな雰囲気ではない事を感じ取った。
廊下を歩いてアリオスを囚えている牢屋の前まで行く。鉄格子で隔てられたそこにはアリオスが座禅を組んで瞑想していた。
以前より研ぎ澄まされた剣気を感じる。
「ウィルか」
短く言うと、アリオスは目を開けてナギトを見た。覚えるはずのない緊張感に喉が鳴る。
「やあアリオスさん、牢屋生活でなまってないようで安心したよ」
軽い口調でありながら、核心を突くような発言。相手に呑まれまいとするナギトの常套手段だ。
「フッ、お前にそう言われるとは俺もまだ捨てたものじゃないようだ」
アリオスの返事に笑みを返して、酒瓶を見えるように差し出す。
「暇してるだろうと思って酒でも持ってきたんだけど、どうかな?」
「ご相伴に預かるとしよう」
案外返事は早く、その答えに満足げに笑んだナギトはどかっと座り、持ってきていたグラスに酒をなみなみと注ぐと鉄格子の向こうのアリオスに差し出した。次いで自らのグラスにも酒を注ぐ。「乾杯」とガラスをぶつけて兄弟弟子の会話は始まった。
「……それで、今日はどうした?」
酒を一口飲んで、アリオスはナギトがここを訪れた理由を探る。
ナギトも同じように酒を飲んで答えた。
「まあ暇になったからだね」
「暇だったから、ではないのだな」
言葉尻を鋭く捉える。さすがは《風の剣聖》だと内心で嘆息した。
「うん。ちょいとイベントがある日だと思ってたんだけどさ、ロイドたちに譲ったんだよねー」
アリオスは「ほう?」と言って先を促した。
「平たく言うと、敵拠点に潜入しようって時にあいつらがやってきて貸し借りの話になって…んで、俺はロイドに借りがあったからそれをチャラにする条件でその場を譲ったって感じ」
「なるほどな」
アリオスの理解は早い。ロイドからナギトとのファーストコンタクトの話は聞いていた。兄弟子たるこの男がそんな迂闊な真似をするのか?という疑問があったが、わざと借りをつくったのだろう。……おそらくはもっと致命的な場面で返すために。
「経緯はわかった。…それで暇になったから俺に会いにきたわけか」
「そういうこと」と言ってナギトは酒を嚥下する。
一息ついて、ナギトはじろりとアリオスを見やった。
「それにしても……何かあったわけでもなかろうに、どうして牢獄の中で成長してる? 一目でわかったぞ、以前より剣気が研ぎ澄まされている」
ほんの僅かに口調が変わる。老師ユンに対して弟子としての立ち振る舞いと子としての立ち振る舞いを変化させるように、ナギトはアリオスにも似たように立ち振る舞いを変える。
これまでは近所の知り合いのような気やすさだったが、今は八葉の師兄としてのものになっていた。
アリオスは口角を上げると勿体ぶるように酒を飲んでため息を吐いた。
「フッ、時間だけはあったのでな。俺なりに二の型の──“風”の神髄について模索してみた」
模索、とアリオスは言った。アリオスの二の型はもはや師兄ナギトを超え老師ユンすら超越した境地にあるだろう。
それを模索──言い換えれば思考に埋没しただけで、これほどまでに研ぎ澄まされるだろうか。太刀さえ握れない牢獄の中で。
ナギトは目を細める。そんな事が可能なのかと。その視線の意図はアリオスも解したようで、再び笑って言葉を続けた。
「参考にしたのはお前の言葉だウィル。終の太刀は世界を終焉に導く一刀──俺は未だその境地には至らないが……己自身の、いや“風”の可能性、その解釈を広げたんだ」
「可能性……、解釈……」
アリオスの言葉を噛み砕くようにナギトはつぶやく。
「そうして俺はひとつの結論に至った。風は無限だ。遍く世界に存在し、創世と共に誕生した真理であると」
アリオスが語る言葉にナギトは瞑目する。
言っている事はわかる。ナギトからすれば“風”もまた世界の一部。ラウラに言い聞かせた説明から例えると、“風”もまた世界という絵画の内側にあるものだ。
だが、そこから先──その前かもしれないが──がわからない。
いや、言っている事は頭ではわかる。だが魂で理解できていない。だから想像できないのだ。その境地に降り立ったアリオスの
そうしてしばらく考え込んだナギトだったが答えは出ず、目を開けて雰囲気を変える。
「そっか。まあ成長したのは良い事だ。もうこのクロスベルで戦う事はないだろうけど……またいつかの再戦を楽しみにするよ」
アリオスは「光栄だ」とその言葉を受け取り───しかし兄弟弟子の姿勢を崩さない。
「ウィル、俺はこうしてひとつ階段を登った。ここにいては剣すら握れないが、強くなった実感がある」
「だがウィルよ」と続ける。アリオスの眼光がナギトを射抜いた。ナギトは自身の心の弱さを見透かされたようで少し怯む。
「ナギト・ウィル・カーファイよ、八葉を継ぐ者よ。お前は成長していない。俺と剣を合わせたその時から───否、おそらくはその境地に至ってから、成長していないはずだ。成長の余地のない境地に至ったと言えばそれまでだが……、違うな、お前は恐れているんだ。強くなる事を」
正鵠を射た言葉だった。アリオスは確かにナギトの弱さを見抜いていた。
ナギトはこれまで強くなるための努力を惜しんだ事はない。遊侠や悦楽を好んでいても、その本質を剣士であると自ら定めているが故だ。
しかしそれはあくまで技や力に限った話だ。“天上天下我剣同一”──そう名付けた境地に至ってからナギトはその先を目指さなくなった。単にそれ以上の境地がないと思ったのもある。だが本当はそれ以上になると、自他の差が隔絶されて世界にひとりぼっちになった感覚に襲われる──そんな観念があったからだ。
これではヴィクターに偉そうに講釈を垂れたのが嘘臭く馬鹿らしくなる。
ナギトは「確かに」とアリオスの言葉を受け取った。そして雰囲気を兄弟弟子として接するそれに戻した。
「俺には悩みがある、迷いがある。それを捨て去る事自体はそう難しくない。だがいいのか、俺はもっと…強くなっても」
それこそアリオスすら歯牙にもかけぬ存在になり得るかもしれない。世界の誰もがナギトに届かぬ矮小に堕ちるかもしれない。人間性すら脱ぎ去って怪物になるかもしれない。
「無論。兄弟子の背を追いかけ、追い抜くのが弟弟子のつとめ。願わくば俺が憧れた剣士よ、失望を抱かせないでくれ、常に強さに貪欲な剣士であってくれ」
アリオスの言葉は胸に染み入った。事もあろうにナギトを憧れとも言った。ならばその心意気に応えるのが兄弟子というもの。
「そうか。なら一考しよう。我が道、邁進すべきか否か」
とはいえ、ナギトはそれで吹っ切れるほど想いの比重をアリオスに傾けてはいなかった。しかしアリオスはナギトの返事にひとまず納得したようで鷹揚に頷いた。
こうして兄弟弟子の会話は終わりを迎え───、夜。
迷いの果てにナギトはリィンに通信を試みた。