数回のコール音。なんだか妙な緊張感を覚える。ナギトが生唾を飲むのと、通信相手が応えたのは同時だった。
「……はい」
「あー、リィン?俺俺」
「ナギトか」
はあ、と通話口からため息が聞こえる。どうやらリィンも緊張していたようだ。なんせこの長距離通信は教会からもたらされたアーティファクトによるもの。呼び出してくる相手も限られるというものだ。
「どうしたんだ?…まさか、なにかあったとか?」
「いやいや。まあクロスベルじゃイベントには事欠かないけどそうじゃない」
クロスベルの轟報はリィンの耳にも入っていた。特務支援課の指名手配、アリオス・マクレインの逮捕、テロ組織《Ω》の壊滅。確かにこういったイベントはクロスベルでは事欠かなそうだし、ナギトの実力ならば生き残る事くらいは容易いだろうと思っている。一抹の不安はあるが。
そんなイベントを経てもいちいち連絡を寄越さない兄弟分にリィンは少し不満を抱えていたが置いておく。「はー」とあからさまに息を吐いてナギトが二の句を次ぐ。
「俺ってさ、超強いじゃん?」
「ふざけろ」
前振りからしてふざけていたのでちゃんとツッコミを入れたリィン。電話口でも兄弟分がふざける雰囲気を察知できるあたり、付き合いも長くなったと自覚する。
合いの手のようなツッコミにナギトは「ははは」と笑って続けた。
「いや真面目な話な?」
「そっちからふざけておいて何を……と言いたいが。そうだな、確かに超強くて超天才で超剣士のナギト様が俺に何の相談だ?」
「そこまで言ってねえし。つか馬鹿にしてない?」
とは言いつつ、ナギトが駄弁るためではなく相談のためにリィンに通信を試みた事を見抜かれていた。
「いやまあ…言った通り俺ってば超強くて超天才で超剣士じゃん?」
「自分で言ってるじゃないか」
キレキレのツッコミを無視してナギトは続ける。
「……そんな俺は、まだ強くなっていいのかなって」
本題だ。問われた意味を聞き返すほど、リィンも鈍くはない。
この問いはつまり、ナギトが強くなる事で何でもひとりでこなせる超人になっていいのか?Ⅶ組の仲間たちでさえ足元に及ばぬ超常に至っていいのか?というものだ。
それは孤独を感じさせる問いだ。世界に在りながら世界から断絶した存在に成り果てる狂気の沙汰だ。
リィンには、わかる。ナギトがナギトになってから一番長く時間を共にしたリィンだから、わかる。
極論、ナギトは自身の存在を勘定に入れていない。幻獣討伐作戦──もといⅦ組英雄化作戦を断行した時然り、自身の感情はどうあれ、Ⅶ組から排斥されてもいいと思っていたはずだ。そこまでして
自己犠牲とも違う。それはまるで自分が世界の異物であるという自覚。──思えば、ナギトの傲慢はそこに端を発したものかもしれない。
リィンは理解しかけていた。ナギトが──その本質は、この世界の外側にあるかもしれないと。
「馬鹿だな」
だが。
「そんなの───、いいに決まってるだろ」
リィンは即答した。ナギトの懊悩、そのすべてを見透かした上で、断言した。
「きみが何を悩んでいるのか……そこに踏み込むつもりはない。だから俺から言える事はひとつだ。ナギト・シュバルツァー──いやナギト・カーファイ、どうか歩みを止めないでくれ。その先に、いつか俺も追いついてみせるから」
リィンの言葉は簡潔だ。ナギトの悩みを見抜いて、それに即した答えを放っている。
その言葉が、決意が、想いが。嬉しくてナギトは涙が出た。間違っても通信相手にバレないように、代わりに笑った。
「は、はははは、は、は……」
「何かおかしいか?」と通話口のリィン。
「いいや、何も」
ラウラもアリオスも然り、同じような事を言っていた。意味は総じて“失望させるな”だ。どいつもこいつも、ナギトに幻想を抱き過ぎている。そんなに期待されたなら、こっちも頑張るしかないじゃないか。
「だが、言ったなリィン? そう言われたからには俺も、もう歩みを止めるつもりないぞ。──高みにて待つ。追いつけよ?」
「ああ、勿論だ」───リィンの強い決意をもって、通信は終わった。
☆★
クロスベルに雨が降っていた。
見上げれば分厚い雲が空を覆い尽くし陽光を遮っている。
一条の光が大地から空に立ち上る。
光は雲を蹴散らし、空は晴れた。
たったそれだけの事だ。
たったそれだけの、ちょっとした伝説だ。
リィンとの通話を終えた翌日、ナギトは湿地帯に来ていた。ここはかつて“零の残り香”と呼ばれた結界があった場所で、ロイドらが潜伏していたロッジがあった箇所だ。すでに“零の残り香”は消滅したが、ロッジを建てられるくらいのしっかりとした足場がここにはあった。
「雨が鬱陶しいな」
言いつつ、ナギトはさほど気にしてはいなかった。雨に濡れる事だけは厄介だが、闘気で全身を保護しているため低体温症などにはなるはずもなかった。
「さ、て……」
“強くなる”事に決心がついたナギトだったが、自分をどう伸ばしていくかは未だに決めていなかった。選択肢は3つ。ひとつは“八葉一閃”を通常攻撃まで落とし込む。二つ目は“真気統一”の完成を目指す。最後はその他だ。
昨日は久しぶりにリィンの声を聞いたなぁ。
はじめの2つは一朝一夕にはできる芸当ではない。故に実質選択肢は最後のひとつだけだった。その他──詳しく言い表せば、新たな闘気運用の仕方だ。
ラウラは元気にしてるかなぁ?
これについては腹案があった。これまでナギトは闘気を集束させる事ばかりをやってきた。理由はシンプルで、それだけ戦技の威力が上がるからだ。そうして突き詰めてやっていった結果、ナギトの戦技はほとんどすべてが殺意マシマシの殺傷力になってしまった今である。
アリオスに兄弟子の威厳を見せなければ。
だからナギトの腹案とは集束の逆──拡散だ。これをできるようになればより戦い方の幅が広がる。ナギトが全力を出しても相手を殺してしまう危険性も───
「って、全然集中できてねえな」
どうもリィンやラウラ、アリオスの顔がチラつく。ナギトがこの決意に至った要因の3人であるのだから無理もないのだが。
「ちょっと疲れるか」
疲れれば余計な思考を挟む事もないだろう、そんな安直な考えを持ったナギトはちょうど鬱陶しく思っていた雲を見上げて凶悪に笑った。
集束、集束、集束、集束、集束。
右手を空に掲げ、そこに闘気を集束させていく。その密度は超過式のものを超えていた。
超過式の“太極威刀”でさえ雲を割る威力だった。それ以上に力をこめたこれなら。
ギチギチに闘気を込めた右手は今にも破裂しそうで、集束限界である事を示している。ニヤリと笑って「発射」。
緋色の光が湿地帯から空に向かって立ち上る。それは雲を蹴散らしてクロスベルに晴天をもたらした。
「おー」
と感慨が浅いのか深いのかわからない感嘆を漏らして一息つく。
「威力はあるな。でもタメがなー」
威力だけで言えば全戦技でもピカイチだ。なんせ籠めた闘気量が段違い。対人で使うには隙が大きく殺意も高すぎる。なんなら騎神相手でも一撃必殺になり得るパワー。
「絶技……いや、曲芸だな。曲芸……極技………」
あーでもない、こーでもない、と言った様子でナギトは頭をひねる。
「戦闘中に使えるとしても一回だけだな。……一回…唯一………無双」
連想ゲームのように新しいクラフトの名前を絞り出していく。
「極技・
かっこいい名前が付けられたナギトはひとまず満足し、修行に戻る事にした。
☆★
それからおよそ3時間、ナギトの特訓は行われた。
新たな闘気の運用。拡散を主体としたスタイルをナギトは確立した。闘気の拡散は、闘気を集束させるよりかなり簡単だ。技の練度を落とすのとはまた違う戦技の出し方もコツを掴んだ。
「うーん……」
このスタイルを何と名付けようか。名前をつけた方が格好もつくしイメージも固まる。
疲れた体を地面に横たえ、3時間前と同じようにネーミングセンスを発揮せんと目を瞑る。呼吸を整える。
風が心地良い。ナギトは修行終わりに感じる風が好きだった。昂っていた鼓動が落ち着いていく。汗で湿った肌が冷たくなっていく感覚。
「不殺スタイル……は、まんま過ぎか」
思い返せば、ノルドの集落で厄介になっていた時の修行ライフはなかなかに充実したものだった。
不便な点を除けば絶好のスポットだ。またいつかガイウスと一緒にあの高原を走れたら、なんて思った。
「剣鬼七式…雷の型と並べるのもちょっとなぁ」
剣鬼七式はそもそも《剣鬼》時代のナギト──ウィル・カーファイが考案した八葉一刀流を超える技の数々。今となっては思い上がりも甚だしいが、その決意だけは見上げたものだった。
と、そんな風に新スタイルの命名に悩んでいるナギトに話しかける者があった。
「なにしてるんだ、ナギト」
少し呆れたような、そんな声。ナギトが目を開けるとそこにはいるはずのない人物が立っている。
「なっ、はあ!? リィン!?」
リィン・シュバルツァー。言わずと知れた帝国の英雄でありナギトの義兄弟。今はまだトールズ士官学院に在籍しているはずの兄弟弟子だった。
驚いて立ち上がったナギトに「やあ」と軽々しく手を挙げるリィン。
「オイオイオイ……どうした突然。学院は?」
「休ませてもらってる。ヴァンダイク学院長が融通してくれてな。昨日の通話で気になったから夜行列車に飛び乗って来たってわけだ」
「それはなんとも……」
兄弟想いな事だ。しかし行動が突飛過ぎる。ナギトの予想を上回る行動力だ。帝都にいるエリゼに会いに行くのには腰が重かったくせに、今回はそんな事を微塵も感じさせないエネルギッシュな行動だ。
しかもご丁寧に足音や気配も消してドッキリを仕掛ける始末。どうやらナギトの悪い部分が真似されてしまったらしい。
「悪いなお兄様。気ぃ使わせて」
「別にいいさ。俺もナギトに会いたかったしな」
「キュンキュンしちゃうね」などとリィンのセリフを茶化しつつもナギトもまた同じ気持ちだった。
トールズを卒業して以降、リィンとはまともに話していない。
ナギトがクロスベルに来る前、トマスの匣の中で顔を合わせはしたが、あれはノーカンだろう。
「それで、どうだ…今から」
チャキ、とリィンが太刀を持ち上げる。どうやらナギトと一戦交えたいらしい。
「マジで?疲れてんだけど」
「ちょうどいいハンデだろ?」
「お前が言うのかよ……」
リィンの誘いを受け入れたナギトは立ち上がる。言葉を交わすのもいいが、やはり剣士として立ち会うのが自分たちらしいと思ったからだ。
十数アージュの距離をとって、構える。
いつも通り下段に太刀を構えたリィンに、なるほどとナギトは笑みを浮かべた。リィンは英雄になってからと言うもの、政府からのオーダーで各地の厄介事を片付けていたという。それによって磨かれたであろう実力が、その構えだけで見てとれた。
「ナギト、太刀はどうした?」
と、そこでリィンはナギトが自らの得物を帯刀していない事に気づいた。
「壊れた」
端的に答えたナギトに「壊れた!?」と反応する。ナギトの太刀はゼムリアストーン製で壊れる事とは無縁だと思っていたからだ。しかも“折れた”や“刃こぼれした”なんて生ぬるい表現ではなかった事から凄まじい激戦を潜り抜けた事が察せられた。
「今は帝都の鍛冶屋で打ち直してもらってる最中。…もう完成してるかもだからクロスベルが一段落したら取りに行かなきゃな」
軽々しげに言うナギトはやはり太刀を構えなかった。
それはあの太刀“宵星”がないからではない。
「……太刀は抜かないんだな? 君には“幻造”があるだろう」
幻造──闘気を物質として触れ得るほどまで凝縮する戦技。それを使えばナギトは如何様にでも武器を生み出す事ができた。
それを指摘したリィンにナギトは肩をすくめてみせる。
「俺の闘気残量は三割くらいだぞ?あんな燃費悪いの使ってられるか」
「今でも俺の倍はあるだろう。それでも、君は抜かないんだな?」
リィンによる再三の確認に、ナギトは今度は悪辣に笑んでみせた。
「抜かせてみろよ」
☆★
「抜かせてみろよ」──そんな挑発に応じるようにリィンは疾駆した。もはや風を置き去りにするほどに研ぎ澄まされた二の型疾風。
「しぃっ───!」
確かな気迫と共にナギトに迫る刃。しかしそれは振るわれる寸前で腕を掴まれた事によって中断させられた。
驚くなんて隙は見せないリィンだが、次いで迫るナギトの拳打にまるで反応できない。神速の三連打がリィンの腹筋を貫き、鳩尾を抉り、顎をかちあげた。
リィンの視界が明滅する一瞬でナギトは義兄弟の体を投げていた。
地面を何度も転がってからリィンは立ち上がる。意識ははっきりしている。ダメージも致命的なものはない。
ただ戦慄する。ナギトの技量に。リィンの知るナギトは、ただおそろしく強いだけの剣士だった。圧倒的な力。驚異的な速度。多彩な戦技。それで敵をねじ伏せる戦い方。言ってしまえば見栄えのする派手なスタイル。
しかしこれは違う。リィンとナギトの実力差云々という話ではない。もしナギトが十全のコンディションならば、先のやり取りももっと拮抗していただろう。だが今の修行で消耗したナギトは一切の油断なく、最短最小の動きで敵を仕留めるスタイルだ。
派手さはなく、見栄えも気にせず、だからこそ強く発揮されるナギトの本当の実力。技に振り切った戦闘スタイル。
ぞっとする。もしこれが実戦なら腕を掴まれた時点で終わっていた。手刀で首を刎ねるのでも、胸を貫くのでも良い。それだけでリィンは死んでいた。
──そんな戦慄を浮かべた笑みの裏に隠して、リィンは再度行われるナギトの挑発に応える。
「いまさら小手調べ、必要か?さっさと本気だせよ……リィン」
「ああ…そうだな。見せよう、今の俺の全力……受けてくれ、ナギト」
──神気合一。
解き放たれる烈気は通常時のリィンを遥かに上回る。
ナギトが──否。他の八葉の剣客たちでさえ、リィンが《剣聖》に至った未来を幻視するほどに。
「──蒼焔解放」
それだけではない。膨れ上がり、天を衝かんばかりだった闘気が蒼い炎に生まれ変わってリィンの総身を包んだ。
「はっ」
見事だ、と喝采を送るのは後にして、ナギトは快哉をあげた。素晴らしい研鑽。よくぞここまで練り上げたと、微笑みの内に伝える。
「いくぞ!」
宣言通りにリィンが吶喊する。ナギトの“迅雷”と見紛う速度。鬼の力で底上げされる膂力もまた以前より跳ね上がっていた。
蒼焔を纏って迫る刃をナギトは柔らかく受け流す。リィンが再び剣を振り上げるより速く、ナギトの掌がリィンの眼前で止まった。遅れてやってくる轟風がリィンの蒼焔の鎧を吹き消した。後ろ回し蹴りがリィンの胴体に突き刺さる。
「幻造」
吹き飛ぶリィンにナギトは追撃を仕掛ける。普段より薄く固めた闘気の壁──半透明のそれを中空に作り出すと手掌と共に振り下ろす。
空中で体勢を整えたリィンは上から迫る壁を太刀の一刀で焼失させると着地した。
その着地点に肉薄していたのはナギトの手刀により放たれた真空の刃。それが時間差でいくつも迫ってきていたが、リィンは纏う蒼焔を爆発させると、そのすべてを凌いだ。
今度はリィンが太刀を振るう。蒼焔を孤影斬に乗せて放つ。ナギトがその対処をしている間に距離を詰めた。
一合、二合、三合と打ち付けあった太刀と手刀。握る手の感触でそのすべてが巧みに受け流されている事にリィンは気づいた。リィンの斬撃も焔撃も、すべて螺旋の技術で受け流されている。たったひとつの裂傷も受けず、たったひとつの火傷も負わず。手刀を包む闘気の鎧が頑丈な事もあるが、それだけならすでにナギトは腕を失っている。だからこれは紛れもなくナギトの技巧の成せる技なのだ。
それをたった三合で気づいたリィンもまた卓越した観察眼を得ていた。ならばと思考を入れ替える。コンパクトな連撃が通じないのなら、大雑把にいくしかない。
「──蒼焔剣嵐」
リィンの纏っていた蒼焔が4つに分たれると、それぞれが渦巻く嵐と化した。それらはナギトを四方から取り囲むように展開される。
「こりゃまた」
リィンの意図を読み取ったナギトは軽口を叩きつつも、これが今のリィンの全力である事を理解し、十全の心で迎え撃つことを決める。
一拍の後、蒼焔の嵐は火球や斬撃を飛ばしながらナギトへの距離を詰め始めた。放たれる火球を受け流し、斬撃を躱し──、やがて蒼焔嵐が視界を埋め尽くした時、リィンが動いたのを悟った。
4つの蒼焔嵐がナギトを包むと一体化して巨大化する。その熱で敵を焼き尽くし逃がさない炎の牢獄。並の相手ならそれだけで灰も残らない火力。
しかしナギトは並ではない事をリィンはよく知っていた。
ナギトが虚空をこねる。その動作の精緻さはわからない。だが結果だけは予測できる。ナギトは一瞬の後に蒼焔の嵐を消し飛ばすだろう。暴力的な闘気に任せてではなく、ただの技術で。
それがわかっている。わかっているから、先手を打つ。
蒼焔嵐はめくらましだ。ナギトが嵐を掻き消すより早くリィンは蒼焔を太刀に集めた。
ナギトの視界が晴れると同時に飛び込んできたのは太刀を構えたリィン。圧倒的な蒼焔を太刀に凝縮して振り下ろす。
「──剣嵐怒涛・蒼焔逢瀬」
受けてはいけない。本能が忠告する。受けなければいけない。心が叫ぶ。声が大きい方に従ったナギトは、その一太刀を受け止めた。
真剣白刃取り。両手で挟み込むようにしてリィンの太刀を受け止めていた。およそ実戦ではお目にかかれないリスクを孕んだ超技を前にしかし、リィンに驚きはない。
「──爆焔散華!」
だから淀みなく、太刀に集束した蒼焔を自爆覚悟で解き放った。
一瞬の後。
「──無茶苦茶しやがる」
とても“無茶”では足りない暴挙にナギトは嘆息している。その両手は火傷を負っていてリィンの奥義がナギトに通じた証であった。
「それだけで……」
それだけの被害で、済ませていた。リィンのつぶやきも無理からぬ事である。自身の最大最強の技を自爆覚悟で放ち、たったそれだけのダメージで抑えられてしまうとは。
しかもリィンを守るおまけつきだ。
あの一瞬。両手を白刃取りで使ったナギトに反撃は難しかった。しかしリィンの意識が“爆焔散華”発動の刹那、わずかに緩んだ。その隙をついてナギトは太刀を返すとリィンを蹴って放し、解放された爆炎を螺旋の力でほどいた。蒼焔の熱は空に逃がされ──結果、ナギトは両手を火傷。リィンは無傷で事は終わった。
「くっ……そぉぉォォオオ!」
リィンが空に吼えた。らしくない慟哭、絶叫。
それを見守ったナギトは立ち上がり太刀を構えたリィンを見て目を丸くする。
「…まだだな?」
余裕綽々に─見た目ほど余裕はないかもしれないが─問いかけるナギトに「もちろん」と即答する。
悔しかった。悔しかった。自分の奥義が通用しなかった事が?ナギトが未だ太刀を抜かない事が?──わからない。ただ悔しい。
そして、悔しいと思える事が何より嬉しかった。
これだけの力の差を見せつけられてなお、自身の心は諦めていないのだと確信できた。
その確信は勇気となり、覚悟に変貌し、覚悟はリィンに秘められた因子を解放する。
「────
太刀の鋒が空に向けられる。リィンの全身から迸った黒き炎が中天で球体を成した。
それはかつてブリオニア島で対峙した際にマクバーンが見せた暗黒の太陽を想起させる。
リィンの焔とマクバーンの焔は似ている───否。同じだ。万物貫燃炎……あらゆる守りを貫いて対象を焼き尽くす焔。
遥かな昔、焔の神マクバーンが宿した権能。時の神クロノギアとの激突の後、空の女神エイドスによって《焔の至宝》として封印された力。
時の神曰く、《焔の至宝》は適性のある者に宿るそうな。それが今代では結社の執行者《却炎》のマクバーンだった。
……おそらくリィンは《却炎》のマクバーンに次ぐ《焔の至宝》の適性の持ち主だ。だから僅かながらでも異能の焔の力を振るえる。
球体から黒き火球が放たれる。
ナギトは無手で対応するのを諦めた。先程までの蒼焔ならばまだしも今の黒き焔は《焔の至宝》の性質を色濃く反映していると思ったからだ。
“幻造”で太刀をつくり出すと、迫る黒焔を切り払った。いかな万物貫燃炎と言えど、焼き尽くす暇もなく消し去れば権能を発揮する事もできない。
「──なに?」
そう思っていたのだが。
ナギトの“幻造”製の太刀は瞬く間に灰になって霧散した。
もはやリィンの焔は至宝の力を十全に引き出しているのか──?
そんな考察の邪魔をするように、再び黒焔球体から火球が放たれる。
ナギトも再び“幻造”の太刀を握ると、それを切り払った。灰になる。
切り払う。灰になる。切り払う。灰になる。切り払う。灰になる。
繰り返す最中にも黒焔球体はリィンからの供給を受けて巨大化していっている。放たれる火球もナギトを近づかせないための足止めに過ぎない。
やがてその球体が、かつてのマクバーンの暗黒太陽の規模に迫った時にリィンからの焔の補充は終わった。
「──終の焔技」
黒き焔は煌々と燃え盛り、余波だけで湿地帯を干上がらせるほどだ。リィンはあまりに熱が入り過ぎて周辺被害を気にする余裕がない。
「────黄昏」
黒焔が墜ちる。大小様々な火球を撃ち出してナギトの逃げ道を塞ぎながら、太陽の如き黒き焔の球体が墜ちる。
圧倒的な破壊規模の戦技を前に、ナギトも力を振り絞る。
「剣鬼七式 X 剣鬼七式」
ナギトが“緋技”と分別する剣技は、異なる流派の技を組み合わせたものだ。
剣鬼七式はかつて《剣鬼》が八葉一刀流を超えるために生み出した戦技。それぞれが独立した全く別の目的の元に編み出された──あるいは模倣された技。
ならばそれらの合技もまだ“緋技”に数えるのが道理。なによりそう唱えた方がテンションも上がるというもの。今のリィンに負けない熱量を発揮できるというもの。
「幻造剣、破空装填。────緋技!」
ナギトの背後の中空がゆらぐと無数の刀剣が生み出される。“幻造”によるものだ。さらに、その刀剣の一本一本に“破空”を込める。
墜ちてくる黒焔球。それに伴い放たれる火球を撃ち落とすこれは、ナギト考案の対軍絶技。その名はシンプルに。
「────破軍!」
ナギトの“破軍”とリィンの“黄昏”が激突する。
黒焔球を取り巻く余波を射出された刀剣が爆ぜて相殺する。黒焔球本体にも多数の刀剣が差し向けられ、爆ぜて威力を減衰させたがそんな事はお構いなしに墜ちるばかり。
「サービスだリィン。見せてやる」
ならば闘気の残量の少ないナギトに打てる手はひとつしかなかった。
「始の太刀」
大上段に“幻造”の太刀を構える。黒焔の熱を一身に浴びながら。
「──八葉一閃」
振り下ろす。
太刀は一切の拮抗なく“黄昏”を切り裂き、黒焔のすべてに終焉をもたらした。
「八葉一刀──────」
切り裂かれた黒焔球“黄昏”の背後から飛び出してきたのはリィン。
どうやらリィンはナギトが“黄昏”を打ち破ることを前提に動いていたようで、それを悟ったナギトの口角も自然と上がる。
「はっ─────!」
迎え撃つ。万全のコンディションではない。疲れている。闘気も底を突きかけだ。
だからこそであった。良い具合に力が抜け、“八葉一閃”によって集中状態のナギトが迎撃に振るった一刀は意図せずして“八葉一閃”となる。
世界という概念と一体化した一太刀──それが“八葉一閃”である。言わば世界という根源から分たれたあらゆる事象は細波。原初の海たる世界には敵わないのが摂理。
だから“八葉一閃”はあらゆるものを斬れる。肉も鉄も同じように。紙も神も同じように。斬れる。
悲劇が生まれる。“八葉一閃”はリィンを太刀ごと真っ二つにして死に至らしめる。
──────そのはずだった。
☆★
その感情が歓喜であったかは定かではない。
だが、楽しいのだけはわかる。その楽しい時間がもうすぐ終わりそうなのもわかる。それはひとえに自分の力量不足のせいだ。
嘆くより早く、覚悟がリィンに秘められた因子を解き放ち。その因子はリィンの意気に応じて限界を踏み越えさせる。
「八葉一刀────」
それはきっとリィン・シュバルツァーの到達点。
未来の自分の、その奥義。いつか辿り着く高み。
今はそれを───前借りする。
「はっ─────!」
ナギトが笑った。
振られる太刀。互いに技の冴えは最高で。刃が交わる刹那、リィンは未来の自分から借り受けた剣技の名を紡いだ。
「────無仭剣」
鋼がぶつかりあった。火花が散る。ナギトは僅かな驚愕のあと、呵々大笑した。
「はっ……はは、ははははははは! 最っ高だぜリィン!!」
数合、打ち合う。打ち合うたびに樹木は倒れ地面は割れる。すでにナギトもリィンに魅せられて周りの事など気にしていなかった。
無数の斬撃が応酬される。互いにすでに無我の境地───ではない。どちらもこの剣戦を楽しみながら、また勝ちを譲る気もなかった。
鍔迫り合う。至近距離で視線が交錯する。
「刻焔展開っ──!」
リィンの身体から黒き焔が周囲を囲むように展開されるとそれは急速に円を縮めてきた。
「おおおおお──」
それに対応するためにナギトは力づくでリィンを弾き飛ばそうとする。リィンはそうされまいと鍔迫り合う手に力を込めた。
「はぁあああ!」
「──つってな」
ふっ、とナギトの姿が消える。否、沈んだ。膝抜きと呼ばれる技術で身体を滑り込ませると力の行き場を失い体勢を崩したリィンの顎先を蹴りが掠めていく。
脳が揺れたリィンはそれであえなくノックアウト。同時に円形に縮まっていた黒焔も消失した。
こうして義兄弟による物騒な模擬戦はナギトの勝利に終わった。
長くなるので2話に分けます。