帝都ヘイムダルから湖畔の町レグラムへ。列車を使って移動したナギトは鼻唄混じりにアルゼイド子爵邸へ向かう。
残念ながら義父──ヴィクターは正規軍の調練にまだ付き合うらしく同行していない。ほとんど婚姻を認めてもらったからには一言もらいたかったが仕方ない。
「あ、クラウスさん。お久しぶりです」
邸宅の前で老執事クラウスを見かけて挨拶。
「ナギト様。お久しぶりでございます。……お嬢様がお待ちです」
クラウスはそう言って道を開ける。子爵邸はすぐそこだ。いつものクラウスならもっと丁寧な挨拶に世間話もするはずだが、挨拶も短く邸宅に案内する様にどこか不安を覚えた。
黙ってクラウスの後ろを歩いていく。少し懐かしく感じる子爵邸の玄関を抜けて居間の前まで到着した。
短期間だが、この居間で食事をしたり団欒したりしたものだ。それがなぜか今は不穏の入口のように思えた。
「お嬢様、ナギト様がお帰りになりました」
ほんのわずかな間があって、ナギトは居間に2人いる事を察知した。よもや来客中かと思ったが、
「……入ってくれ」
果たしてその答えは開かれたドアの先で判明した。
「え、アネラスじゃん」
アネラス・エルフィード。
ナギトの養父ユン・カーファイの実孫でありリベール王国の遊撃士。
思いもよらぬ珍客がラウラと共にナギトの帰還を待っていたのだ。
「なんでいんの?」と言いつつ入室。背後では一礼したクラウスがドアの向こうに消えた。
「なんでいんの、とはご挨拶だねお兄ちゃん」
「俺はお前の兄ではないが」
「アネラスは父上を訪ねてはるばるリベールから来たのだ。祖父であるユン・カーファイ殿の紹介状を持ってな」
ラウラの説明に「ほー」と言いつつラウラの隣に着席。
「武者修行か?まあ、なんにせよ久しぶりだな」
「軽いなあ、お兄ちゃん。あの時、目が覚めたらお兄ちゃんがいなくなってて私すごくびっくりしたんだからね」
アネラスが言及したのはかつて共和国でレオンハルトに負けたナギトが逃げ出した時の話だった。
「すまんかったな。アルジュナ先輩から話は聞いたよ」
「心配したんだからね、まったく」
ナギトとアネラスの会話が一段落した所でラウラは「ごほん」と咳払い。視線を己に集める。
「久闊を叙するのも良いが……それより話がある。………ナギト、そなた……アネラスと婚約しているらしいな?」
「ちっちゃい頃にさ、約束したよね!」
「まってまってまってまって」
気づけばラウラとアネラスは2人とも真剣な眼差しをしていて、ナギトは浮気の嫌疑をかけられている。
クラウスの思わせぶりな態度もさてはこれが原因だったか。ナギトは混乱した頭でどんな弁明をするか考えた。
「え、なに?俺とアネラスが婚約なんて知らんのだけど」
「ひどいよお兄ちゃん!私の事は遊びだったの!?」
そんなセリフを聞く事になると夢にも思わなかったナギトだが、脳内には過日の記憶が甦っていた。
〜回想〜
「大きくなったら結婚してね!」
「はいはい」
〜回想終了〜
幼い頃の出来事だし生返事だし、こんな冗談みたいな事態に発展するなんて思わなかった。というかこの記憶を思い出せたのすら奇跡に近い。
「そもそも付き合ってねーし。戸籍的には叔父と姪だぞ」
ナギトは婚約の記憶をなかった事にして、アネラスを諦めさせる方向に舵を切った。
「そんなの関係ないよ、血だって繋がってないし。おじいちゃんだって喜ぶんじゃない?」
「あのジジイを喜ばすために結婚なんてしたかねーぞ俺は」
アネラスを突き放す物言いに「ナギト」とラウラが声をあげた。静かな声音なのが逆に怖い。
「黙っていては欲しくなかったな、このような事実は。……確かに帝国貴族には正妻の他に妾を取る事もあるが……」
「まってまって待つんだラウラ。俺が女性として愛してるのはお前だけだ。妾も取るつもりもないし、アネラスとは幼少からの兄妹みたいなもので異性としての感情はまったくない」
これは何かの間違いなんだ、と早口で身振り手振りも交えて力説する。しかしそれが却って浮気男の言動のようになってしまうのは、ナギトの人柄のせいかもしれなかった。
「ひどい!やっぱり私は遊びだったんだ…」
「女性として?……よもや男性としてならリィンやクロウと…………」
「まってぇーーー!」
情けない声も出るというものだ。誤解が誤解を呼ぶ悪循環。もはや何を言おうと裏目にしか出ない気がした。
アネラスは泣くフリをしている。それがただのフリと断じるのは容易いが、ナギトが言及すると立場的にも最悪である。
「……………………」
どう言葉を紡げばいいかわからないナギトは喉の奥から言葉にならぬ声を出している。
そんなナギトを見てか、ラウラとアネラスはアイコンタクトをした。
「ならもう責任とってもらうしかないよね」
「うん、ナギトには責任をとってもらおう」
2人は息ぴったりに言い放ち、ナギトを連れて邸宅を出て練武場に向かった。事前に人払いしてあったようで、いつも切磋琢磨している門弟の姿はどこにもない。
「で、これどんな茶番?」
練武場の中心で剣を抜いたラウラとアネラスに向かい合ったナギトは問うた。
「茶番とは言いがかりだねお兄ちゃん。……これは幼い私の乙女心を弄んだ責任だよ」
「そうだぞナギト。観念してそなたも抜くが良い」
2人はノリノリだ。種明かしはまだ先らしく、促されるままナギトは太刀“明星村正”を抜き放った。
「うわぁ……」
「なんと見事な……」
ナギトの新たな愛刀は2人のお眼鏡にも適ったらしく、妖しく光を反射する鋼は余人を魅了するだけの力があった。
「はいはい、本題から逸れるでしょ。……どんな意図かはわからんが、やりてぇんならさっさとかかって来い」
ナギトは刃に魅せられた2人を現実に引き戻すと、気を引き締めさせた。
そして、その挑発に乗るようにしてアネラスが太刀を振るう。
戦闘───もとい浮気の罰を清算するバトルが始まった。
「洸波斬───!」
光の斬撃が十字となってナギトに迫る。アネラスのSクラフトだ。いきなりフルスロットルだ。
「──!」
ナギトが驚いたのは、アネラスが自らの奥義にアルゼイド流のエッセンスを取り込んでいたからだ。元の“光波斬”より洗練された“洸波斬”は攻撃力も範囲も段違いだ。
「神威残月」
神速、一閃。居合抜きで放たれた斬撃は“洸波斬”を切り裂いて、アネラスの横を通り過ぎると練武場の壁の前で見計らったように消えた。
「だからなにって感じだけどな。……どうしたアネラス……またハンデがいるならそうしてやるが?」
「上等!」
「私もいくぞナギト!」
売り言葉に買い言葉。ナギトの挑発に心を燃やしたアネラスにラウラが続く。
2人とも剣に光を宿していて、アネラスの武者修行も伊達ではないと見えた。加えてラウラが呼び捨てにしている事からそれなりに親しい間柄になったことも。
「やあ!はっ!」
振るわれるアネラスの太刀。それはかつて《剣聖》カシウス・ブライトの得物だった太刀だ。ナギトの“明星村正”にも劣らぬ名刀。
「はあっ!」
振るわれるラウラの大剣。蒼いそれはヴィクターが娘に持たせたもので、家伝の宝剣にこそ劣るが間違いなく名剣の部類に属する剣だ。
「ま、当たらなきゃ意味ないんだけどね」
2人の剣を捌きつつナギトは言った。
ラウラとアネラスは戦術リンクを結んではいるが、まだ連携は拙い。Ⅶ組や特務支援課とは比べるべくもない。
焦れた2人はいったん距離を置くと視線を合わせて頷いた。
「蒼裂斬!」
地面を抉る“地裂斬”の上位クラフト。ラウラが放ったそれはナギトの体勢を崩すためのものだろう。
跳躍して躱したナギト。当たらなきゃ意味がないと言った直後、まともに受けては格好がつかないが───それこそが2人の狙いだった。
跳んだナギトがアネラスに引き寄せられる。“独楽舞踊”だ。
「おっ」
対する手段はいくらでもあるナギトだったが、ここは2人の策に乗ってやる事にした。
ナギトを引き寄せたアネラスは怒涛の連撃を叩き込む。
「八葉滅殺!」
何度聞いても殺意の高いクラフト名だ。防御こそしたものの、押し切られたナギトに次いで迫るのは飛び上がったラウラの大剣。
「獅子連爪!」
体勢を崩されつつも、ナギトはガードする。しかし吹き飛ばされて練武場の壁に背中を強かにぶつけてしまった。
「うっはー、意外とやる」
軽口混じりに独りごちて、仁王立ちするラウラとアネラスを見た。2人は怒気を纏っているように思えた。
「そろそろ本気を出す気になったか、ナギト?」
「そうだよ。……もうハンデはいらない。全力でかかってきて!」
2人はナギトの手抜きを見抜いていた。導入こそ茶番であったが、この立ち合いにかける想いは本物という事なのだろう。
「オーケーオーケー、わかったよ。………後で文句は受け付けねえからな?」
地を蹴る。反発も利用して最短で駆ける雷鳴の斬撃。
「ア───」
アネラス、とラウラが警戒を促す間も無く、薙ぎ払う“迅雷”。
「くっ…!」
不殺のために峰打ちしたナギトだったが、アネラスはすんでの所でそれを防いでいた。
「やるな」
しかし威力は殺し切れず、呻いたアネラスに掌底で追撃。吹き飛ぶ姿に追い縋っておまけの蹴りで壁に叩きつける。それでアネラスはK.O.だ。
「さあて、と。……2人きりだなラウラ」
いやらしく笑むナギト。本気を出せばこんなもんだと言わんばかりの電光石火にラウラは何も出来ずにいた。
「……やはり、そなたは規格外だな。まるで勝てる気がしない……が、だからこそ挑む価値がある!」
しかし、だからこそラウラの心は湧き立つ。
噴出した闘気は碧く澄んだ泉のようで。
「はっ。いい啖呵、その意気だ」
だからナギトも応えるために剣を振るおう。
決意と同時に緋い闘気が解き放たれる。圧縮されぬそれは練武場全体を包んで余りある規模だ。
「我が全霊の奥義……受けてくれるか?」
「喜んで」
そんな短いやり取りがあって。ラウラは光の斬撃を放った。X字の斬撃は、かつてのそれより大規模で。ナギトの思い出をくすぐる戦技だ。
跳躍したラウラは獅子の幻影を伴ってナギトに突き進んでいる。
「──獅子洸翔乱舞!」
「業炎撃」
相殺する。炎を纏った太刀が光も獅子をも薙ぎ払う。
「絶技───」
終わり、ではない。ナギトは目を見開いた。業炎に砕かれて消えるかと思われた光と獅子の幻影は闘気へと還りラウラの大剣に集束した。
それはまるでナギトの“摩天洸葉・一振重”───
「────洸凰剣!!」
負けられない。負けるわけにはいかない。
ラウラの後押しもあってナギトは強くなる事を決心した。繰り出す技に魅せられて醜態を晒すなんて、そんな無様は。
このラウラの“洸凰剣”は粗い。ぶっつけ本番だったか、修練不足か、いずれにせよ万全ではなかった。
下から掬い上げる。それだけで流せる威力ではない。
奇しくもナギトが放った“業炎撃”の残り火が太刀にはあった。燻る火種に再点火し、業炎を鬼炎とする。
「お、おおおぉおっ…らァッ!」
数歩分押されたが“洸凰剣”は相殺─────、光と炎で眩む視界でラウラは肉薄して来ていた。
「はっ!」
抜け目のない追撃だ。あれほどのSクラフト、身体への負担もあるだろうに。
だからこそナギトは快哉を挙げて、そして隙だらけの一撃を受け流した。
「甘い追撃だな。いったん立て直すのもありだぞ?」
受け流されたラウラの大剣は床を打ちつけ、ナギトの太刀はラウラの首元に添えられていた。勝負ありだ。
「そなたに体勢を立て直させては勝ち目がないと思ったゆえな」
ナギトの提案に答えて、ラウラは息を吐く。緊張を解きほぐすルーティンだ。それを合図としてナギトも太刀を引いて鞘に納めた。
「いやまあ、あの“洸凰剣”は見事だったぜ。予想外だった」
「一応感謝しておこう。それでも対処されるのだからこちらは参るぞ?」
「はっはー、多少不意を突かれたくらいで負けてやらねーよ」
軽快に言葉を交わす。しかしあの展開に危ないと思ったのは事実だ。もしアネラスが残っていたら、もし技の練度が高ければ、もし追撃が完璧であれば。そのどれかが叶っていれば負けていた可能性もあった。
「んで、あの茶番はこの模擬戦をやるためだったって事でいい?」
「うん、その通りだ」
ナギトの浮気認定事件はこの模擬戦を成立させるための茶番であった。そうであろうとは思っていたが、本当にラウラに浮気を疑われている可能性を考えた瞬間にナギトの冷静は吹き飛んでいた。
「はあ〜……まったく。寿命縮むわ」
ボヤきつつアネラスの傍で座り込み、その頬をぺちぺちと叩く。
「ほらー、起きろアネラスー」
返事がない。手加減ならぬ足加減はしたつもりだが、よほど当たり所が悪かったらしい。
「しゃあない」と言ってナギトはアネラスを担ぎ上げた。
「客間でいいか?」
「うん、しばらくはアネラスが使っているからな」
ラウラの了解ももらって、ナギトは元来た道を辿る事にした。子爵邸に戻り、客間のベッドにアネラスを寝かせる。
それからラウラと暫しブレイクタイムを楽しむと、今度は遊撃士協会に帰還の挨拶に行く事にした。
「じゃ、行ってくるけど……悪いな、アネラスを任せて」
「構わない。サラ教官やフィーにもよろしく頼む。私もしょっちゅう会っているがな」
苦笑を交換しつつ手を振って子爵邸を出る。ばったり会ったクラウスに愚痴をこぼしてから遊撃士協会レグラム支部へと向かった。
☆★
「お疲れ様でーす」
言いながら遊撃士協会の扉を開ける。
「いらっしゃい……ってああ、ナギトだったか」
協会のカウンターには書類仕事をしているトヴァルの姿があった。
トヴァル・ランドナー。B級遊撃士。《零駆動》の異名を持つアーツの使い手だ。
「お久しぶりです、トヴァルさん」
「久しぶりだな。さっき姿を見かけた気がしたが、やっぱり帰って来てたか」
トヴァルはどうやら列車を降りて子爵邸に向かうナギトを見かけていたらしい。「ええ」と返事をして周囲を確認する。
「サラとフィーならもうすぐ帰ってくるはずだ。さっき依頼完了の報告があったからな」
遊撃士らしい目ざとさでトヴァルはナギトの意思を見抜いていた。その発言の内容にナギトは疑問を抱き、そしてすぐに思い出した。
「そういや通信網拡大のための中継機が設置されていくって話でしたが、もうレグラムまで圏内ですか」
それはいつかレクターから聞いた話だ。帝都を中心に通信用の導力波だったかを増幅させる中継機を設置していくという内容だった。
「そうだな。とはいってもレグラムは特別さ。……なんせアルゼイド子爵の本拠だからな」
「あー、なるほど」
色んなしがらみがあるのだ。人脈とも言うが。
カレイジャスの艦長にして正規軍の剣術指南役でもあるヴィクターとはいつでも連絡を取れる体制をとっておいた方がいいのは間違いない。
「基本はセントアークやバリアハート……いわゆる五大都市に繋がるよう中継機を建てていくって話みたいだな。クロスベルへの中継機も…って話もあったようだが、あそこは独立しちまうからなあ……後回しにされる、なんて小耳に挟んだぜ」
「道理ですね」と相槌を打つ。
便利な世の中になって来ている。いずれはどこにいても通信できるようになるだろうし、導力ネットなんてものも普及しつつある。
「だが……お前さんの話はここにも聞こえてたぜ。噂の臨時武官殿?」
「かっ!やめてくださいよ、それって半分以上悪名でしょ」
どうやらトヴァルはナギトのクロスベルでの活動を多少は把握しているらしい。
遊撃士協会クロスベル支部所属の遊撃士ヴェンツェルは帝国出身で、ほとんどナギトと入れ替わりで帝国に帰り、先の事件の最後にはクロスベルに戻ったという。ついぞ出会う事はなかったが、彼を通しての情報であろうとナギトは当たりをつけた。
「アリオスさんにも会ったらしいな?」
「そうですね、いくらか話をしました」
「兄弟子……なんだよな?」
「俺が兄弟子ですね」
「そうなのか。俺はてっきり…」
「年齢的にはその考え方が自然ですよ。ただ俺は老師の養子なので」
「なるほどな」とトヴァルは納得した。それから喉に刺さっていた小骨を取り除くような、確認に移った。
「……クロスベルでのお前さんの活躍はある程度聞いてる。だが、やはりわからないんだよな……どうしてお前さんが総督府───引いては政府代表ギリアス・オズボーンに従っているのか」
「ふむ………」
トヴァルは何も知らないのか。数ヶ月前にルーレでアリサと会った際にナギトが《鉄血の子供達》の一員である事は仲間内に明かして良いと言ったはずだが。
「サラにも聞いたんだがはぐらかされてなぁ……何か訳アリなのは間違いないんだろうが」
その発言でナギトがオズボーンの軍門に降った事はⅦ組には共有されている事はわかった。
数瞬、思考。結論としてはトヴァルになら明かしても問題ないと判断した。変わらず口外禁止を明示されていないから、と自身の心に言い訳しておく。
「それは、俺が《鉄血宰相》の子飼いだからですよ」
「そいつは……まさか─────」
「───その話、私たちにも詳しく教えてもらおうかしら?」
協会の入口を開け放って現れたのはサラ・バレスタインだった。なんともベストタイミングで帰って来てくれたものだ。
そのサラの後ろからフィーが顔を出して「やっほー」と手を振った。
「フィー、久しぶりだな。サラさんも」
「ん、久しぶり」
「久しぶり…って誤魔化そうとしてない?」
「してませんよ。髪、伸ばしたんですね。似合ってますよ、お綺麗です」
「そう……ありがと…………って騙されないんだからね!」
サラとの即席コントをかましてナギトは「かっかっか」と笑った。
「依頼お疲れ様です。とりあえず一息いれたらどうですか?落ち着いてからでも話はできますし」
「まあ……そうさせてもらうわ」
サラは若干不満げに、しかし受け入れて給仕室に向かっていった。フィーもその後を追いかけていき。
彼女たちが一服するのを待って、やがて4人はテーブルについた。
「で、さっきの話だけど」
切り出したのはやはりサラだ。紡ぐ言葉より早くナギトが続きを奪った。
「アリサから話は聞いてるんでしょう。だいたいその通りで、それ以上の事はあんまりないんですけど」
前にルーレでアリサに会った時に、ナギトが《鉄血の子供達》に加入した件については話していた。本命はラインフォルトグループ会長であるイリーナだったが、Ⅶ組の仲間として報せておくのも悪くないと思ったのだ。
「経緯は聞いた。……アリサも話すか悩んだみたいだけど。一応、もうⅦ組のみんなには共有されてる」
ナギトの確認に答えたのはフィーだ。おおよそ思った通りの返答だったが。
「ちょっと待ってくれ。俺にもわかるように説明してくれよ」
トヴァルはおいてけぼりだ。発覚する新事実のオンパレードに目眩を覚える気分になる。
「単純ですよ。俺と《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンは取引をした。その結果、俺は《鉄血の子供達》の一員となった」
「その取引について、私たちが納得してるとでも思ってるの?」
簡潔に説明したナギトに不満を抱いたのか、サラが怖い顔で睨んできた。
サラは優秀な女だ。きっとナギトとオズボーンの取引の内容にも検討がついているのだろう。煌魔城でのやり取りから推測するのは容易だ。
Ⅶ組の安寧と引き換えにナギトがオズボーンの駒に成り果てた事を、わかっている。
そしてその“Ⅶ組”の枠に自分も入っていて、守られているだけで歯噛みするしかない現状に腹を立てているのだ。
「納得、ですか………。なんか懐かしい気がしますよ」
“Ⅶ組英雄化作戦”───内戦下でナギトが決行した愚策。Ⅶ組のメンバーを巻き込んだヤラセは、故にこそ彼らの納得が必要だった。事後にはなったものの、Ⅶ組総員はナギトの行動を認めた。
だが、今回のそれは違う。自分たちを守るためにクラスメイトがオズボーンの従僕になった事を納得しているやつなんていないだろう。
だが。だからこそ。
「………超シンプルに言うとですね、あなたたちの納得なんてものはいらないんですよ」
言うのに勇気が必要だった。突き放す言動。
「あんたね!」
サラはテーブルを叩いて立ち上がる。続くセリフの予想は簡単だ。“仲間なんだからもっと頼れ”というものだろう。
わかっているのだから、それを先んじて受け入れる言葉を吐く。
「だからあなたたちは、勝手に俺を助けてください」
「は……?」
困ったように笑顔を浮かべるナギトにサラは呆然とした。次の瞬間にはトヴァルとフィーが吹き出した。
「ふふ……ナギトらしいね」
「はは、こりゃあ筋金入りだな。サラ……お前さんの負けだ」
ナギトはとっくにⅦ組を頼るつもりでいたのだ。今更言われるまでもなく、彼らが自発的に動くのを待っていた。
サラは「はあ」と呼気と共に緊張感を抜いて力無く座り込んだ。
「ナギト、あんた……最初からこのつもりだったわけ?」
「まー、そうですね。とは言ってもなーんも打つ手が思い浮かばないからⅦ組の連中を動かすのも気が引けてたんですけど。あいつらも忙しいでしょうし」
ナギトはそこで言葉を一旦区切る。その難易度の程を実感してもらうために。
「ギリアス・オズボーンを暗殺するだけでいいならとっくにやってるんですけどね。彼が急死すれば帝国が荒れる。それはⅦ組のやつらにも悪い影響を与えるし、なにより共和国がつけ込む隙になる。……そうしたら今なんて比にならないくらい俺の願いは叶わない」
ナギトの願い──Ⅶ組の安寧。それを守りつつオズボーンを排斥するのは至難の業だ。それこそ正当な手段で宰相の地位から引きずり下ろせればいいが、彼のカリスマは絶対的。帝都民からの支持も圧倒的で、その手法でやっていては何年かかるかわからない。それ以前に彼の提唱する“激動の時代”が来てしまってはそんな段ではなくなるだろう。
「ナギト……傲慢でてるよ」
さりげなく、しかし刺すようにフィーが言った。それはⅦ組のやつらに、特にマキアスとユーシスに言われていた言葉だ。
「傲慢で何が悪い。この世は結局エゴの押し付け合いだ。俺は俺の
だからと言って改めるほどナギトは殊勝ではない。ナギトの傲慢は本人たちの意志に関係なく“Ⅶ組の安寧”を守ると決めた事だ。
「勝手に……ね。いいじゃない、やってやるわよ」
挑戦に乗ってやるとサラは言った。
「俺とオズボーンの契約を切るんなら向こうから……その方が俺も気兼ねなく剣を振るえる」
「それだと向こうに先手を打たれるんじゃない?」
「それなんですよね…」
オズボーンが先に裏切ればナギトとしても大手を振って離反できる。しかしそれはオズボーンに先手を打たせる事にもなる。というかもう先手を打たれていてもおかしくない。
「でも、こっちが先んじて動こうものならオズボーンもきっと容赦がなくなる。国の内外問わず忙しいだろうが、それでも俺たちに対処するくらいの余裕はつくるはず。……それにこの件で俺は仲間と連携できない。立場の話として」
ナギトは曲がりなりにも《鉄血の子供達》だ。その立場上、仲間たちと共に《鉄血宰相》を潰す算段をつけるのは命取り。
「立場か……難しいもんだな。少なくともオズボーンが裏切るまでは彼に従ってなくちゃならない………しかし彼が裏切るまで待つと必然後手に回る……」
「もうすでに後手かもなんですけどね」
トヴァルのまとめにナギトは嘆息する。何せ相手はあのギリアス・オズボーンだ。どこまで手を回しているかわかったものじゃない。
「正直もう俺だけじゃ打つ手なしです。なので────」
☆★
「ごめーん、ラウラちゃん。私やられちゃったんだね」
アルゼイド子爵邸で目覚めたアネラスは客間から出るとラウラと合流するなり謝った。
「あのあとどうなったの?」
「……負けたよ。全力を出したが、上回られてしまった。アネラスも大事はないようで何よりだ」
「うん、あの人……なんだかんだで手加減は上手だから」
「ふ、そうかもな」
2人は少しだけ笑い合って。ラウラはメイドに命じて2人分の茶を用意させた。
居間に移動してテーブルを挟んで向き合う。
「いやー、久々に会って一本とれるかなーって思ったけど全然ダメだったね。お兄ちゃん強くなり過ぎ。そりゃあ軽く噂くらいは聞いてたけどさ……」
茶で喉を潤したアネラスは言った。記憶に残るウィル・カーファイも達人ではあったが、今のナギトはそれ以上だ。かつてのウィルであれば様々な経験を得たアネラスが上回る可能性もあったが、それは棄却された。当然、彼も成長している。
「ふふ……アネラスから見て今のナギト──ウィルはどうだ?」
「“ナギト”でいいよ、通じるし。……うーん、正直見違えたかな。昔はちょっと危なっかしかったんだけど、今はなんて言うか……穏やか?」
「ふむ、穏やか…か」
「ちょっとニュアンス違うかもだけどね。どこかおじいちゃんやカシウスさんに雰囲気が似てるかも!」
「ほう、かの《剣仙》や《剣聖》と。………確かに、あの芯の所で落ち着いた感じは父上にも通じるものがあるな」
「あ、やっぱり?……達人ともなるとそこらへんが重要になってくるのかな?」
「さて、な。……我らは己の道を信じて進むしかあるまい。私にとってナギトは目標ではあるが手本というわけではないしな。……同じ八葉一刀流であるアネラスは違うかもしれないが」
「どうだろう。私は正式におじいちゃんの弟子ってわけじゃないし……お兄ちゃんはちょっと……いやかなりおかしいからあんまり参考にならないんだよね」
「うん、確かにナギトはかなりおかしいな。才能、努力、経験……それらの要素を超越した場所に至っているような気さえする」
2人の会話はいつの間にか剣談義になっていた。およそ年頃の乙女の話題ではないが、2人とも剣の道を歩む者。話題の変遷は自然なものであり、それはナギトが変態であるという結論で落着した。
茶を啜る。わずかな沈黙。変わった雰囲気の中でラウラが問うた。
「アネラス……良かったのか?」
その意味を、アネラスは履き違えない。ラウラの慧眼を勘違いに堕とさず、自らの心情を吐露する。
「うん。もう…いいんだ」
先程とは打って変わって、それは乙女の顔であった。
「わかってた事だけどさ。お兄ちゃんの──ウィルの中に女の子のアネラス・エルフィードは存在しないんだって」
失恋した、乙女の顔であった。
ナギトにとってアネラスはいつまでも妹分だ。
「しかし……」
「いいんだよ、ラウラちゃん。ありがとうね」
あの茶番ではっきりとわかった。ナギトはラウラにぞっこんなのだと。彼の弁明はずっとラウラにだけ向かっていて、アネラスを気遣う様子はまるでなかった。
そもそも天秤にすらかけられない関係なのだと理解できた。
であるなら、沈んだ女の顔はもうおしまいだ。
「そんなに好きってわけでもなかったし?ちょっといいかなーって思ってただけだし!」
空元気でも、声を張れるくらいの力は出る。そうだ、なにも本気だったわけじゃない。ナギトの事はせいぜい売れ残った時の保険みたいなものだったのだ。
「だからラウラちゃんは何も気にしなくていいからね。そもそも私はフラれてもいないんだから!」
アネラスの淡い恋心はラウラが勝手に見抜いたものだ。その想いは他の誰も知らない。当然ナギトも。
だからきっと、別れも笑顔でできる。
「承知した。………ふふ、女の争いに発展しなくて何よりだ。私も譲るつもりはないのでな」
微笑むラウラにアネラスはため息が出そうになる。どうやらラウラもナギトにぞっこんらしい。まったくお似合いのカップルだ。
と、そんな時、居間の外が騒がしくなった。ナギトが帰ってきたようだった。
2人の会話など知らないナギトはいつも通りの滑稽洒脱さで振る舞い、3人は和やかに食卓を囲んだ。
翌日、アネラスはレグラムを去る事にした。目当てのヴィクターにこそ会えず仕舞いだったが、遊撃士としての仕事も一段落したし、色々と得るものもあった。
予定していた滞在期間を超えそうな事もあって帰国する事にしたのだ。
「それじゃあまたね、お兄ちゃん、ラウラちゃん」
「おう、またなアネラス。今度は俺がそっち行くわ」
「それではな、アネラス。また会う日まで健やかなれ」
3人は笑顔を交わして別れる。
こうして束の間の三角関係は解消され、ナギトは平穏を得ると共に、ヴィクターに再び婚姻を認められた事をラウラに報告するのであった。