瞼の裏をチカチカと光がくすぐる。夜明けの到来を片目を開けて確認する。
窓の外を映す眼球は、同室の女の姿もとらえた。
ルカテリーナ・アルテリーヴォ。
遊撃士協会の重役、ロズワール・アルテリーヴォの娘。
共和国辺境にて《剣鬼》が現れた場合、その身を遊撃士協会本部へ連行する役目を請け負った少女。
請け負った、とは否。おそらくは請け負わざるを得なかった、のだろう。
父の立場が危うくなりでもしたのだろう、娘のルカテリーナが《剣鬼》を本部に連行する任を果たせば、協会内での父の立場を取り戻せるとでも吹き込まれたか。
不憫な娘だ、とナギトは結論を下す。
この推測が真実だった場合の話だが───、とそこでルカテリーナの目が開く。
「朝、ですか。おはようございます、ナギトさん」
「おはよう」と挨拶を返すナギトに、ルカテリーナは自分の格好を見て「ふう」と一息。
「襲わなかったんですね?」
「やれやれ」とでも言いたげな冗談口調のルカテリーナに、ナギトも笑みを含みながら付き合う。
「襲うかよ」
「《剣鬼》の子種があると言えば、いくらか私の価値も上がったでしょうに」
と、腹をさすさすと撫でながらルカテリーナは言う。
「女の子がそんな事を言っちゃいけません」と言いながら、ナギトはルカテリーナの年齢を知らなかった事を思い出す。
「そういえば、いくつ?」
「19です。再来月で20歳ですが」
ルカテリーナの答えに「ふうん」と呟く。実際はもっと若く見える。少なくとも、3、4歳くらいは。だからティーダと並んでも違和感はなかったんだが。
「本当に遊撃士?」
「はい」
「どれくらい俺を待ってたの?」
「4ヶ月くらいです」
このくらいで切り上げておかないと、質問が多いとツッコミを入れられるな、と思った所で扉がノックされる。返事をすると「もうすぐ到着します。降りる準備を」と言われた。
この飛空艇の乗組員だった。
ナギトは昨夜、この飛空艇に乗り込んだ時の事を思い出す。
ナギトは支部を出るとルカテリーナの後を追い共和国軍基地に向かった。ルカテリーナが衛兵と会話すると、飛空艇に乗せられる。共和国からレマン自治州までは、この飛空艇で行くらしい。
「遊撃士の事情で軍の飛空艇を使えるとはねえ」と言うナギトに「コネよ」とルカテリーナが短く告げる。
どんなコネだと問いただすのは、自身の精神衛生上よろしくないのでやめておこう。と思えばルカテリーナからいらぬ答え合わせが。
「まあ、あなたのおかげでできたコネなんだけどね」
「はあ」とナギトは溜息を吐く。《剣鬼》の仕事以来、共和国政府──否。ロックスミス大統領は裏の遊撃士との縁を結んだのだろう。
今後も“裏”が共和国を相手に商売するのは、帝国に友人のいる身としては面白くない。
《灰色の騎士》なんて呼ばれてる義兄弟は、いかにも抹殺対象に選ばれそうだ。
……現実味の薄い話ではあるが。
カルバード共和国の最西部と言っていいこの地からレマン自治州遊撃士協会本部までは飛空艇を飛ばして夜通し進まなければならない。ナギトとルカテリーナは疲れを癒すためにも飛空艇内で眠りについたのだった。
ナギトをレマン自治州まで送り届ける飛空艇には、炊事場や洗面台のような贅沢なものはない。濡れタオルをもらうと、それで顔を拭いてシャツを着た後にコートを羽織る。
見ると、ルカテリーナも準備が出来たようだった。
大仰な音を立てて着陸する飛空艇。「足下に注意してください」という乗組員に「どうも」と頭を下げてレマン自治州に足を踏み入れる。
「久しぶりに来たな」
と街を眺めるナギトを「本部はこっちよ」とルカテリーナが案内する。
程なくして遊撃士協会本部に到着。支部とは違い多くの依頼が舞い込む本部に相応な数の受付の一人に話を通すと、数分待たされた後に担当らしき人物が現れた。
「任務遂行ご苦労だった、ルカテリーナ・アルテリーヴォくん。君はここで下がりたまえ」
眼鏡をかけた理知的に見える男性がそう言うと、ルカテリーナは低頭して去って行く。
去り行くルカテリーナに「ああ、ルカ」とナギトが話しかける。
振り返ったルカテリーナに、ニヤつきながら訊く。
「今のお前と、支部でのお前はどっちが素だ?」
ルカテリーナはナギト同様に、ニヤリと笑って答える。
「どちらでしょうね?秘密です」
どうしてそんな事を訊くのか?というルカテリーナの疑問に先回りしてナギトが答える。
「どっちも可愛いぞ、ルカ」
ルカテリーナはそれを予期していたように、自分の腹をさすさすと撫でた。そんな事を言うのなら、襲ってくれれば良かったのに。とでも言うように。
いやー、年下とは思えない妖艶ぶりだとナギトは笑い、ルカテリーナに背を向ける。別れを告げない事に理由はなかった。
「よろしいですか?それでは参りましょう」
眼鏡の男性はナギトの首肯を確認すると、先に進んで行く。何度右へ左へと角を曲がったか数えるのが億劫になるくらい進んだ後に、到着した。
眼鏡の男性はノックの後に用件を告げる。「ウィル・カーファイ殿をお連れしました」
返事の代わりに扉が開かれ、ナギトはその先に歩を進める。眼鏡の男性は今度はナギトの後ろについて来ていた。
円形の部屋の中心にて立ち止まるナギト。周囲360度を遊撃士協会役員に囲まれ、審問を受けている気分になる。
「久しいな、ウィル・カーファイ」
老齢の男のしがわれた声。されど威厳に満ちているのは、やはり歳のせいなのだろうか。
「お久しぶりです。ここ2年は連絡を取らず、失礼致しました」
ナギトが恭しく頭を下げると、「まったくだ」、「礼は弁えとるか」などと言う声が呟かれた。
議長らしき人物の咳払いで場は再びしんと静まり、視線はナギトへ。
「噂では色々と聞いとるが……さて、この2年で何があったか、話してくれるね?」
ナギトは語る。
裏の依頼──“蛇を駆逐せよ”に失敗し、帝国に渡った所をテロリストに襲われて記憶喪失になった事。地元の貴族に拾われ、そこの息子と共に士官学院に入学した事。内戦に巻き込まれ、その最後に出現した煌魔城を仲間と共に攻略した事。
無論、ナギトの正体や仲間たちのプライバシーに関わることは伏せて。
「ふぅむ……それはそれは、さぞ大変だっただろうね……。しかし、君は帝国の危機とも言える煌魔城を攻略し、かつての我らの絆が証明された地に戻った。……これは、そういう意思表示ととって構わないのかな?」
狸ぶるのも大概にしろ、と言うのをナギトは抑えて、ニヤリと笑う。
仲間たちからいやらしい笑みと評されるそれは、協会役員たちにとって不吉なものに見えただろう。
「いいえ。俺は“裏”の仕事はもうしません」
短く告げられた言葉は、しかし絶対的な拒否の意を示している。
それだけで協会役員の面々は、次手を考える。もう“裏”を続けないのならば……
「ふむ、理由を聞かせてもらってもいいかな?」
「続ける理由がないからです。“裏”という後ろ暗い仕事……続けたいとは思いません」
「なるほど、尤もな理由だね。しかし、本当に続けるつもりはないのかね?顔の売れたエレボニア帝国では難しいにしろ、他の国では活動できるだろう。大きな声では言えないが、ミラも相応に貰える」
ナギトは「それでも」とだけ答える。
議長らしき人物は「ふむ、そうか」と予想していたように言い、次手を繰り出す。
「では、表の仕事をするということでいいのかな?」
狙い目はそこだ。もうナギトが“裏”で使えないのならば、表でこき使うまで。
「はい」と答えるナギト。役員たちの予想通り───ということはナギトにも予想通りだ。問題は、この身をどこに落ち着けるか。どこを着地点にもっていくかだ。
「ふむ、ではどの階級に定めるか…それが問題よな」
議長の呟きに似た確信的な議題に、役員たちは揃ってナギトを使える席に着かせようとする。
「S級でよかろう。カシウス・ブライトの抜けた穴が埋まっておらん」
「そうだ。クロスベルの件でアリオス・マクレインまで協会を脱退した」
「“裏”の活動でS級相当の力がある事は証明済みだしな」
「帝国内戦早期終結に尽力した実績もある」
トントン拍子とはこの事だ。役員らはナギトを“裏”の仕事のように稼げる立場に就かせたいのだ。
「待ってください。自分のような若輩がいきなりS級になったとして、誰が納得するんですか。承服しかねる判断です」
待ったをかけるのはナギト。S級という席に座ればこれまで以上に利用されるのは目に見えている。S級という称号は魅力的だが、自由を代償にするほどではない。
「どうしたものかのぅ。確かに“裏”で実力は証明されておる。しかしその実力は表で認知されているわけではない」
役員たちにとって枷になっているのはそこだった。
共和国での依頼をこなした実績は、ナギトの実力を十二分に保証している。しかし、その実績は表沙汰にしてはいけない類のものであり、秘したままではナギトはS級に相応しい人物として扱う事はできない。
……惜しい。
これだけの傑物を、正当な地位に就かせる事ができないのは。
「その目は真実を見抜き、その口は真実を語る……まったく惜しいものよな、ウィル・カーファイよ」
「まるでカシウス・ブライトだ」と言う議長にナギトは「恐縮です」と軽く低頭する。すでに議長の心中ではナギトの扱いをどうするかは決まっていた。
S級やA級のような大陸全土で見ても稀有な遊撃士としての能力は持っていても、国際的な事件を解決したという実績がないため、それらの階級に就かせる事は不可能。しかし、その能力を可能な限り利用したい。
であるならば、妥協点を見つけるしかない。
ナギトの気分を損ねない階級で、且つ利用できる地位。
「ウィル・カーファイを煌魔城攻略の功績をたたえD級正遊撃士に昇格とする!」
……まあこんなものか、とナギトは嘆息する。
正直な話、B級以下なら引き受けるつもりだった。それなりに忙しくはなるだろうが、A級のように大陸に30人程度しかいない有名どころと比べればまだマシだ。
そこを、あの議長は安全策をとりD級とした。ナギトの自由を侵し立腹される事を恐れての事だった。
ナギトはその沙汰を受け入れ、命じられるままに部屋を退去する。
その前に、ナギト「ああ、そうそう」と思い出したように切り出す。
「自分の今の名はナギト・ウィル・カーファイといいます。どうか、協会名簿にはそのように記載くだされば幸いです」
慇懃に言い放つと、背中を向けて退去するナギトに誰も声をかける事はなく、終わった。
一つの伝説が、《剣鬼》の伝説を創り上げた男が、剣の鬼の物語が、終わった。
これから先、ナギトは鬼とはならぬだろう。
どんな戦場も無慈悲に蹂躙する鬼の伝説は終結し。
生まれてきた理由を果たし、養父にして師たる《剣仙》の後継となった。
だから、ここからは未来に向けて歩き出そう。ナギトの──ナギト・ウィル・カーファイ自身の物語を始めよう。
☆★
「思いの外、手早く済んだ」
部屋を出て、眼鏡の案内役に愚痴るようにナギトは話しかけた。
「老獪な役員たちを相手に、見事な手腕でした」
眼鏡の男は感服したように一礼する。まるで執事のような動きは、友パトリックの従者セレスタンを思い出させる。
帰り道への案内を始める眼鏡の男だったが、機先を制するようにナギトは言う。
「ああ、帰りは最短距離でいいよ。多分、5回か6回曲がれば入口に戻れるだろ?」
行きはとんでもない遠回りをしていた事に気付いていたか、と眼鏡の男は今度は本気で感心する。
「さすが、お気づきでしたか」と笑い、言われたように最短距離で協会の入口まで案内する。
「それと」
と、ナギトは切り出す。何か付け足したい事でもあるのだろうか、と眼鏡の男は「はい」と先を促す。
「俺の手腕が見事なわけじゃない。さっきの話だけどね、単にそこまで人手不足ではない、ってだけじゃないかな」
眼鏡の男は、今回こそ感心を通り越して戦慄した。半身だけ振り返り、いつでも動けるようにしてナギトを睨む。
「いつから」
声は強張っていた。まさか、バレるとは思っていなかった。
自分が、裏の遊撃士だという事実が────
ナギトは数瞬、目を瞑りどう答えるべきか悩む。
「だって貴方、あの部屋にはいらないでしょう」
そして、要点のみを抑えた答えは眼鏡の男を納得させる。「なるほど、そこか」と。
「あーあー、そんなに構えないで。別にやりあうつもりはないしさ。別に答え合わせしたかっただけだから、お前“裏”だろーって」
眼鏡の男は静かに構えを解く。ナギトの言葉に嘘はないと見たからだ。邪気のない言葉は、ナギトに遊び心のある人物だと思わせたのだ。
騙したも同然の自分に憤っているかと思ったが、どうやら違うようだと。
再び案内を始めた眼鏡の男に、ナギトはまた話しかける。
「いやー、よかった!予想が当たって安心したよ。あれで外れてたらカッコ悪かったし」と友人と会話するように。
「まあ、俺が確信を持てないくらい、貴方の隠形は完璧でした。気配を断ち、暗器は最小限……衣擦れの音にすら違和感を抱かせない。状況証拠がなければわからなかった」
眼鏡の男は、あの会議室にナギトの後ろからついて入室した。案内役ならば部屋の外で待つなりすればいいのに、それをしなかったのが、ナギトがこの人物を怪しく思い始めたスタート地点だ。
あとはドミノ倒しのように眼鏡の男についての考察は出来上がる。
会議室に、ナギトの後ろからついてくる意味。それは、有事の際にはナギトを抑えつけるための役割だ。役員の言で腹を立てたナギトが得物を抜いた時の緊急装置。それができるだけの腕前を持つと評価され、裏の遊撃士について話されるあの場において存在を許可される立場となれば………答えは一つしかない。
やがて眼鏡の男の案内は終わる。先ほどとは驚異的なレベル違いの速さをもって協会入口に到着した。
「さて、では私はこれで。もう会わない事を女神に祈りましょう」
眼鏡の男はナギトの推理力に舌を巻き、肩を竦めながらまた恭しく礼をした。
その彼に、ナギトはいつもの表情をして返す。
「得難き経験をさせてもらった。機会があればまた是非に」
こうして、ナギトの筋を通す物語は終わる。
そして、ようやく始まる物語。
世界を巻き込む、終極の御伽噺が。その序章が。
謀略渦巻く帝国の地で、幕を開ける。
このへんになると、もうほぼオリジナルのpixiv版の原文ママです。文章の微調整はありますが。
更新頻度を上げていきたい!