最善を求めるか、最悪を避けるか。どちらかを選べる者は傑物である。
そういった意味でナギトは間違いなく凡人だった。
“理”の深淵に沈むナギトの精神はすでに常人の域を脱している。それなのにナギトが選べないのは、根っこが凡人だからか、あるいは人の矛盾を愛するがゆえか。
リスクを避けたいナギトは転移による《碧の大樹》への瞬間移動を試みる事はなかった。
結社《身喰らう蛇》の執行者や使徒が使用する星辰システムを利用しての転移をナギトは使った事がない。が、その本質は理解していた。
この星辰システムは“特異点”と相性が良過ぎる。下手に使えばナギトの存在が世界に溶ける可能性さえあると思われた。
そのリスクを取らざるべきと考えたナギトは崩壊していく《リベル=アーク》からクロスベルへの転移を行う事はしなかった。
この選択が正しいのか、間違っているのか。選ばなかった未来を夢想する事はない。
だが、とは考える。
ギリアス・オズボーン───《鉄血宰相》と呼ばれる彼には、ナギトのこの選択すら掌の上ではないか。リベールにおいては戦争にはじまり数々の工作を用いて、ナギトをリベール王国内に留めておく事に成功した。それから今の超常的な事態においてはナギトがそれの解決に乗り出す事は予測済みだろうに、これといった妨害はない。
それはナギトが《リベル=アーク》や《碧の大樹》を転移なんかの裏技を使わずに乗り切ろうとすると読んでいるからのようにも思える。
ギリアス・オズボーンは間違いなく傑物であった。
たったひとりで、誰にも相談せずに今のこの状況を引き起こし世界さえ相手取って何かを成そうとしている。
彼の思考が雑に思えるのは、すでに盤面のチェックメイトが見えているからだ。
そしてそれをひっくり返すおそれのある人物としてナギトはオズボーンから遠ざけられた。
本当は《リベル=アーク》も《碧の大樹》も無視して彼のいる場所に、どんな手を使ってでも最速で行くのが正解なのかもしれない。
だが、ナギトは己の義心がリベール王国とクロスベル自治州の危機を放っておけない事を知っていた。だから《リベル=アーク》を攻略したし《碧の大樹》に乗り込もうとしている。ナギトがいない帝国では出現した《煌魔城》にⅦ組やその協力者が挑もうとしているらしい。そちらは任せると決めた。少なくともナギトが帝国に戻るまでの時を稼いでくれると信じる。
こうした傲慢と信頼のアンバランスがナギトを最善と最悪に近づける。
最善が叶えばリベールもクロスベルもエレボニアも、この異常事態を脱する事ができる。
だが最悪の場合、オズボーンの願いが達成されて世界が終わるかもしれない。
「…………今は、ベストを尽くすしかない」
この選択肢を選んだ以上は。
堂々巡りする思考をナギトは止める。そろそろクロスベル自治州に入る頃合いだった。
リベールを救い、クロスベルを救い、エレボニアを救う。
その選択をしたナギトの行く末は、果たして。
☆★
「ロイドたちと連絡がつかない?」
クロスベル市に入り、とりあえずの状況確認をしたナギトらに飛び込んできたのはそんな情報だった。
すでに《碧の大樹》が出現し、特務支援課らが突入。立ち塞がったアリオスやシグムントの再現体を退けて決戦に臨むと連絡があってから2時間は経過していた。
「………考えたくないけど、負けてしまったと考えるのが妥当だろうね」
言ったのはヨシュアだった。彼はクロスベル独立事件の際に《零の至宝》の馬鹿げた力を目の当たりにしている。当時はあった神機アイオーンは再現されなかったらしいが《碧の大樹》だけでも脅威度は特級だ。
「なに言ってるのよヨシュア。ロイドくんたちが負けるなんて……」
「いや……、そう考えるのが自然だろう」
ロイドらが負けた現実を受け入れたくないエステルを遮ったのはナギトだった。そう思う根拠はある。
「かつての《碧の大樹》……そこで特務支援課の前に最後に立ち塞がったのはキーア──《零の神子》だ。正確にはそれが化生となった存在だが………、ともあれ、独立事件当時の最大の相手はロイドたちを愛してやまないキーアだったわけだ」
「………それがどうしたって言うのよ?」
「わからないか…?《零の神子》……《零の至宝》の化身たるキーアが力を振るえばロイドたちなんて吹けば飛ぶ塵みたいなもんだ。かつての勝利は相手がキーアだったから、その慈悲と慈愛があったから掴めたものに過ぎない」
なんせ世の理すら捻じ曲げる──空の女神にすら不可能と言われた願いすら叶えてしまう超常だったのだ。
「だが、現界した再現体は心を持たぬうつろ………容赦は望むべくもない」
心を持たない《零の至宝》の権能を前には世界すら平伏す。そうなっていないのは、おそらくオズボーンの目的達成のために出力を抑えられて再現されたため。それでも只人のロイドたちをどうにかするくらいは造作もないはずだ。
ナギトの推理を聞き受けて一行は戦慄した。
アルセイユでクロスベルに訪れたリベール組だが、その彼らもクロスベル独立事件の顛末と《零の至宝》については聞き及んでいた。
そんなものが慈悲も容赦もないのなら、どうしようもないではないか。
「だが……、お前さんなら何とかできるんだろう、特異点?」
ナギトの口ぶりで察したか、あるいは《リベル=アーク》で同行していたヴァルターから聞いたのか、ジンはナギトに水を向けた。
「………《リベル=アーク》、《碧の大樹》、《煌魔城》…………昨今、このゼムリアで起きた大事件。厄介さで言えば《リベル=アーク》の導力停止現象が。悪辣さで言えば《煌魔城》に現れた紅蓮の魔王が上回る。しかし、《碧の大樹》の零の化生が一番馬鹿げてる。独立事件当時はキーアが核だったから良かったものの、今の再現体は情け容赦がない。俺はここが最難関かも…と思ってますよ」
《リベル=アーク》はその3つの中では最も難易度が低かった。脅威になるとすれば《空の至宝》の絶対領域のみ。それも《外の理》の武具があれば突破できる公算はあり、事実それを用いたケビンにより状況は打開された。
《碧の大樹》は3つの中で一番読めない。《零の至宝》の完璧な再現はオズボーンの悲願の妨げになるため出力が抑えられている可能性もあったが、それでもかつてキーアが変生した化け物はこの上ない脅威だった。ロイドらで攻略できていないとなると、本当に打つ手はひとつしか残らない。
《煌魔城》は再現されたダンジョンで最も未知数。おそらく内部にはオズボーンがいて、かつての展開の再現とはならないだろう。
「質問に答えます、ジンさん。YES、です。俺なら零の化生を斬れる。特異点の俺なら……おそらく《零の至宝》の影響を受けない」
これはかつて、トールズ在籍時にクロチルダから聞いた話だが、“特異点”たるナギトには超常の力が効き難いらしい。エマの暗示なんかはレジストできるくらいの性能がナギトにはあった。
それが《零の至宝》の権能にどこまで通じるのかはわからないが、この場においてはそうハッタリをかますしかない。
下手に同行者がいては無用な犠牲になるかもしれないからだ。
「俺ひとりで行きます。……あ、《碧の大樹》直上くらいまでは送ってくださいね?」
その行動の重さと発言の気安さに轟々と非難されたが、現状はそれしか打つ手がないという事でナギト単独による《碧の大樹》攻略が行われる運びとなった。
☆★
「為せば成る、為せば成る」
「おい、本当に大丈夫かよ?」
アルセイユ甲板。《碧の大樹》を直下に見定めて、あとは飛び降りて碧のデミウルゴスをぶった斬るだけ。
やってやりますよ!的なテンションで語っておいて、飛び降りる前のナギトは自身に言い聞かせるように呪文を唱えていた。
見かねたレクターが不安げに問いかけるもナギトは「へへへ」と笑うのみ。
「な、なんだか不安になってきたわね……」
「まあまあエステル……ここは彼に頼むしかないから」
そんなナギトを見てエステルを筆頭に不安げな視線がナギトに向けられる。
「かっ、そんなに心配されなくても。こんなとこで死んでらんねーですから」
今度はからっと笑ってさっきの言が冗談だったかのように振る舞う。
「もういきますね。ロイドたちが無事だったら一緒に出てくるつもりなんで様子見といてください。さすがに合図を出す余裕はないと思いますから」
シンプルに考えるとロイドらはすでに碧のデミウルゴスに消去された。だが穿って考えるのならロイドらはまだ生きている公算はある。
「では」
それだけ言ってアルセイユの甲板から飛び降りるナギト。
碧のデミウルゴス───《零の神子》キーアが変生した形態。現実を書き換える異能は無敵だ。しかも再現体には魂がない事から一片の慈悲もないと思われる。しかし、だ。今回の碧のデミウルゴスはキーアが再現したものだ。そこにオズボーンの意図があったとは言え、キーアがつくりだしたもの。《碧の大樹》ごと再現すれば、そこにロイドら特務支援課を中心としたメンバーが突入するのは明白。キーアがロイドらを慮って碧のデミウルゴスに何らかのセーフティをかけた可能性は充分にあった。
「枯れろ、《碧の大樹》」
八葉刀神流、閃の型。
「生死流転・剣全一如────!」
その一閃は、世の理を歪ませる。
“八葉一閃”をベースにしたこの剣技はナギトの特異点性も手伝って人の身には叶わぬ事をやり遂げる。
これから対峙しようとする《零の神子》──碧のデミウルゴスの権能と比べると可愛いものではあるが、格はこちらが上だ。
刃が《碧の大樹》に突き立った後、その上半分が枯れ果てたかと思うと、クロスベル湿地帯に花が咲き乱れた。
エネルギーの分配。それがこの剣技の真価である。
切開された《碧の大樹》内部に飛び込む。
中ではロイドたちが碧のデミウルゴスと対峙していた。
「お、生きてたな」
着地。どうやらロイドらは協力していたマリアベルの力で身を守っていたらしい。
「さすがは結社の第三柱……《根源の錬金術師》か」
特務支援課やマリアベルといった協力者たちはナギトを想定外の闖入者として驚いている。
「ナギト!?いったいどうして……?」
「うん、まあ………後で話すわ」
と、短い会話をしている間に碧のデミウルゴスはモーションを取っていた。
「まずい……!ナギト、その光は────!」
ロイドの忠告も用を果たさず、放たれた光。ナギトは──俺たちは知っている。“時空大崩壊”──発動すればパーティ全滅の即死技。ゲームオーバー必至のそれだ。
ロイドたちはマリアベルによってこの殲滅光から身を守っていたようだが、その加護もナギトには届かない。
「
殲滅光がナギトの総身を包んだ。
ロイドは息を飲む。救援にきてくれたはずのナギトが、あの出鱈目に強かった男でさえもが、太刀打ちできずに消えてしまう。
「───八葉刀神・特異剣」
だが、そうはならなかった。あの殲滅光を浴びてもナギトは無傷だった。
ヴァレリア湖畔でのオーレリアとの激戦を経てナギトも成長していた。オーレリアの“界理剣”とは伸ばす方向性を違えてはいたが、それは碧のデミウルゴスのような超常の相手にこそ特効となる。
「………ぷうっ!肝が冷えるな」
大仰に息を吐き出したナギト。一瞬だけ希薄になった気配はいつものそれに戻っている。
「肝が冷えたって……こちらのセリフなんだが。……ナギト、気をつけてくれ!その怪物は……」
「わかってるよ。………俺たちがどんだけプレイしてきたと思ってる」
最後の文は口の中だけでつぶやいて、ナギトは碧のデミウルゴスに向けて突貫した。
殲滅光が放たれる。“特異剣”は使わない。あれは全身を“八葉一閃”と同じ状態にする戦技だが、ナギトは発動している最中に動けるほど習熟してはいなかった。
「八葉一閃」
だから、その光を斬る。
「──八葉一閃」
出し惜しみはしない。相手が魂のないうつろであろうと。
「───八葉一閃!」
連続して放たれる殲滅光を斬って進む。光を斬る、それも世界を書き換える碧のデミウルゴスによる殲滅の光を斬る。
そんなありえない事象に、碧のデミウルゴスは魂のない身で危機感を抱いた。
だが────
「───遅ぇよ!」
八葉一刀流、始の太刀・八葉一閃。
碧のデミウルゴスに肉薄したナギトはその一閃をもって怪物を両断した。
物理的な防御も概念的な防御も一切合切すべてまとめて、あらゆる能力も権能も干渉を否定して。一刀両断したのだった。
☆★
「じゃあ……キーアはオズボーン宰相の元にいるんだな?」
「たぶんそう」
《碧の大樹》の消滅を確認してから30分が過ぎた。アルセイユの補給を済ませて飛び立つ直前にロイドらへの説明は終わりつつあった。
ナギトが断言できなかった理由は大まかに2つある。ひとつはオズボーンの動きが読めない事と、もうひとつはロイドたちを慮っての事だ。
《零の神子》キーア。その存在は一言で言うなら規格外。《空の至宝》、《時の至宝》、《幻の至宝》の力を自在に操り現実を改変する権能をもつ少女によって今、世界は混乱に陥っている。
これはオズボーンの手によるものだが、そんな危険な存在を彼がそのままにしておくのか?という問題もある。端的に言えば用済みだとして始末されている可能性があった。
しかし同時に《碧の大樹》という増幅器なしでこれだけの規模の異変を起こした《零の神子》を排除したとして、この異変を維持できるのか?という疑問もある。
本来、《零の神子》の権能は小規模なもののはずだ。それを大規模なものに変じさせるためには《碧の大樹》が必要──というのが俺たちのプレイヤーとしての知識。しかし今回、キーアは《碧の大樹》なしでこれだけの規模の現実改変を起こしている。オズボーンの《時の至宝》の異能がそれを支えているのかもしれないが、かなりの無茶をしていると思われる。
「だったら俺たちも連れて行ってくれ。……あの子を、キーアをもうひとりにはしないと約束したんだ…!」
ロイドはナギトの煮え切らない答えを聞いて決断した。特務支援課やリーシャといった協力者たちもそれに追従している。
「……ま、いいだろ。オズボーンにとっちゃおそらく次の《煌魔城》が本命……戦力は多い方が良い」
その後、ナギトはアルセイユの面々に特務支援課らの合流を許してもらい、次はエレボニア帝国帝都ヘイムダルへと向かう事になる。
《リベル=アーク》は崩壊し、《碧の大樹》は消滅した。
オズボーンの仕掛けた激動の時代たる異変もあとは《煌魔城》を残すのみ。
終わりは、近い。