「フフ…………過去を想い続けた俺が、未来へ進み続ける若者に負けるのは道理だったか……」
どう、と仰向けに倒れてオズボーンは言った。
からん、と赤黒き大剣が転がる。満足げな顔でオズボーンは微笑んだ。
「いったい……なんだったんだ、あんたは……?」
リィンにはわからない。オズボーンには命を懸けて、この世の全てを敵に回してまで果たしたい宿願があったはずだ。
それなのにどうしてこうも簡単に敗北を認められる。
「…………リィン、我が息子よ。俺はただの人間だ。《時の至宝》の伝承者……《鉄血宰相》……そんなものはただ、俺を構成するいち要素でしかない」
「……大した要素もあったもんだな。あんたにとっちゃ宰相の身分も至宝の力も、ギリアス・オズボーンとしての本懐を果たすための道具でしかなかったってわけだ」
倒れたオズボーンの周りに人が集まる。忌々しげに声をかけたのはクロウだった。
「クロウ・アームブラスト………。そうだ、すべては激動の時代を迎え、その先にある向こう側に辿り着くための道だった……」
クロウとしては堪らない。オズボーンの狙いが世界の統一であるのなら、その道の犠牲になった故郷もまだ浮かばれる。しかし、それがあくまでオズボーン個人の願いのためだけの道のりだったら救われない。結果が同じだとしても、救われないのだ。
「………ここまで来てぼかすなよ。激動のその先?向こう側だと?どういう意味だよ」
奥歯を噛んだクロウから会話権を奪ってナギトが問いただす。
「フフ………、俺が想定していた激動の時代は、もう少し先に到来するはずだった。……此度のリベールとの小競り合いではない国を挙げてのカルバード共和国との大戦争………それが激動の時代の始まりを告げる鐘となるはずだった」
「世界大戦…………」
クレアが漏らしたワード。世界中の国々を巻き込んだ大戦。それこそが激動の時代だとオズボーンは告げた。
「だが、その予定を大幅に短縮する好機が訪れた。………お前だ、ナギト・ウィル・カーファイ」
その言葉に驚きはない。おそらくナギトが“特異点”である事が関係しているのだろう。
「お前が活動を大きくするにつれ、世界は歪んだ。………最も大きかったのは内戦中に顕れた《煌魔城》での決戦の後だ」
それはナギトがクロウを死の運命から救い出したタイミングだ。
「俺は《時の至宝》の現し身………時の揺らぎを通して世界が歪むのがわかる。………おそらくは内戦で起きた、世界にとって許し難い歴史を刻んだ事実がそうなる要因となったのだ」
閃の軌跡という物語において、クロウ・アームブラストは死亡する。
それを許さずにこの世界に顕現したのがナギト──すなわち“特異点”だ。
ナギトの活躍によりクロウが死ぬという正史から、この時間軸は離れてしまった。オズボーンが言っているのはそういうことだ。
「本来なら共和国との戦争によりゼムリアの根幹を破壊するつもりだったが………そうするより早く世界が根底から揺らいだため、俺は計画を修正して実行した」
「それがエレボニア帝国、リベール王国、クロスベル自治州に渡る今回の異変………」
オズボーンの語り口はナギトには迂遠に思えた。頭の中で整理する。
ナギトがクロウを救う(歴史を変える)
↓
物語が正史から離れた事で世界の根幹が揺らぐ。
↓
オズボーンが計画を修正&前倒し。
↓
エレボニア、リベール、クロスベルでそれぞれのラストダンジョンが出現。
《鉄機隊》の戦乙女たちに支えられながらアリアンロードは理解を深めている様子。
「閣下……あなたは何故、そんなことを?」
ルーファスが問うた。
ギリアス・オズボーンの本懐。果たすべき願いの在処を。
「世界をさらに根底から揺さぶるためだ。崩界率が想定を上回っているのなら、悠長に共和国との戦争の準備をするよりそれが手っ取り早かった」
しかし、オズボーンは未だに目的を語らない。答えた言葉も表面的な種明かしの部類だった。
「──世界を根底から揺さぶる…?──崩界率?…………オズボーン宰相、あなたはまさか」
しかし、それだけで気づける聡明な者もいた。ヴィータ・クロチルダだ。結社《身喰らう蛇》の使徒にして魔女の末裔たる彼女には思い当たる節があった。
それは戦闘前の会話で形を得た輪郭が完成図に変わったようなもので。
「──あり得ない事象を発生させることで、世界の存在証明を揺らがせ……別次元に干渉するつもりだったのね?」
「姉さん、それって………?」
「禁忌にさえ指定できず、人々の歴史から忘却させるしかなかった…………ヒトの業。高位次元の悪魔や女神の使いと接触するために世界そのものを壊しかねない非人間の所業ね」
「さすがは魔女の末裔と言ったところか。……だが、それでは満点はやれんな?」
くつくつと、何がおかしいのか瀕死のオズボーンが笑う。騎神も大破し至宝の力も使う余力がないはずなのに、オズボーンは諦めたかのようにネタバラシをしている。
「……………あり得ない歴史に、ありえない事象を重ねて、世界の定礎を崩そうとしたんだな、あんたは」
そして、規格外のスケールで語るオズボーンの策謀には、世界の外側からやってきたナギトだけが予想を重ねる事ができた。
“あり得ない”の重ね懸けで世界に負荷をかける事で、本来は閉じているはずの別次元にアクセスするのがオズボーンの目的だった。
それはヒト種が住まう世界と高位次元が繋がり、この世が地獄に早変わりする可能性を秘めた悪魔の所業。
オズボーンの沈黙にナギトは肯定と受け取った。
「止められて良かったよ………、あんたの野望が実現してたら─────あ」
ナギトは気づいた。点と点が線で結ばれたようだ。戦闘前から感じていた違和感の正体。どこか戦闘そのものを忌避すべきという直感の正体を。
「キーアはどこだ!?」
リィンたちは《煌魔城》を攻略していたはずだ。かつて顕れた紅蓮の魔王を撃ち倒し───、それならば《リベル=アーク》や《碧の大樹》と同じく《煌魔城》は崩壊していなければならない。
しかし、崩壊は押し留められている。そんな事をできる容疑者はキーアひとりだけ。オズボーンも戦闘に手一杯では《時の至宝》の異能で《煌魔城》の崩壊を止める事はできなかったろう。
「───もう遅い」
オズボーンの先が気になるような語り口は時間稼ぎだったのだ。宙空に手を伸ばしたオズボーンは、まるで見えない誰かに手を引かれるように体が宙に浮かび上がった。
「内戦時の運命の変化、今回顕れた《リベル=アーク》、《碧の大樹》、《煌魔城》……!もうゼムリアは限界だったんだ……七の騎神が争った事で生じたエネルギーが世界に孔を穿つほどに………ッ!」
オズボーンが手を伸ばす先には、白い闇があった。
あれこそがオズボーンが己のすべてを懸けてまで到達したかった領域。
「届かなかったかとも思ったがな。───リィン、それにナギト………お前たちの最後の一閃……実に見事であった!世界がその流麗を許さぬほどに研ぎ澄まされた一撃……おかげでゼムリアは時獄牢の次元へと繋がった……!」
「時獄牢……だと…?」
時の牢獄。リィンはつぶやくと同時に目を凝らして白い闇を見たが、中には虚無しかない。どうしてそんなものを実父は追っていたのか。
「感謝しよう、諸君。良くぞ諍ってくれた。このギリアス・オズボーンが確約しよう、次の世では君たちも幸せにしてみせると……!」
オズボーンは喜色を浮かべて、本心から感謝を述べていた。続いた頓珍漢としか思えない言葉も、きっと彼にとっては真実にして真摯なる宣誓なのだろう。
「さらばだ、者どもよ。いつかまた会えた時、君ではない君に再び感謝を告げよう」
ギリアス・オズボーンはそれだけ言うと、白い闇に吸い込まれるようにして消えていくのだった。
☆★
ギリアス・オズボーンの狙いは“あり得ない”を重ね、世界の強度を下げる事だった。と結論した。
「で、アレ……どうすんだ?」
オズボーンが消え、その目論見についての結論が出た一同。クロウが宙空に揺らめく白い闇に視線をやりつつ言った。
「そうね………私たち魔女の力でも中を観測することすらできない………。どうしたものかしら……」
《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダをもってしても白い闇の先には何があるのかわからない。
そしてそれは《鋼の聖女》アリアンロードも同様だった。
「アレからは何も感じません。高位次元──仮に悪魔が住まう煉獄にでも繋がっているとするなら、そこからは何かしらの圧力を感じるはずなのですが………」
「だが、手をこまねいているわけにはいかない」
リィンが決意を秘めた瞳で白い闇を見上げる。
「彼はアレを“時獄牢”と言った。おそらく《時の至宝》に関連する何かだと思う。時の因子を持つ俺なら───」
「危険過ぎるわ!」
中に何が待っているのかわからない“時獄牢”にたったひとりでも突入しかねないリィンのセリフ。制止するように声を荒げたのはアリサだった。
「アリサ───だが」
「まあまあリィン……落ち着けよ。アレが《時の至宝》に関係してるってのは俺も同意だ。その上で希望的観測をするなら、アレは俺たちのいる通常の時間軸とは切り離されたものと考える事はできないか?」
「ナギトさん……それは少々楽観が過ぎるかと」
「いえ、エマ……案外そうじゃないかもしれないわよ。オズボーン宰相があの白い闇に突入してすでに20分は経過している………、まだ何も起きていないのは彼が中で苦戦しているか、ナギトの言う通り時間の進み方が違うのかもしれないわよ?」
「だが、サラ教官。あの白い闇に入る前にオズボーン宰相は妙な事を言っていたぞ」
「次の世では君たちも幸せにしてみせる……だったな、ユーシス?」
議論は深まり、残された手がかりから推測は形を結んでいく。マキアスの言ったオズボーンのセリフは核心を突いているようだった。
「次の世……」
フィーがつぶやく。集った者たちもそれぞれその言葉の意味を考えた。
「オズボーン宰相の言葉を信じるなら、その次の世ってやつに俺たちはいるって事だな」
トヴァルが議論を前に進める。
「………オッサンは今回の件で世界中から恨みを買ったと言っていい。そのオッサンがもたらす幸せってのに、いったい世界の誰がついていくって話だが…………」
レクターもまた推測を深化させる。
「オジサンは嘘は言ってなかった。……だとするなら、《鉄血宰相》が世界中に幸せを振り撒いて、世界中の人がそれを受け入れるって事になるよねー」
「………ええ、ミリアムちゃんの言う通り……、オズボーン宰相の確信したような物言いには決意すら感じました。………いえ、あるいは贖罪でしょうか……」
「それは同じ意味かもしれないね。…………私は常々、オズボーン宰相のやり方は性急だと考えていた。彼ほどの傑物であれば大戦など起こさなくても、いずれはエレボニア帝国が世界の覇権を獲れると思えるほどに」
《鉄血宰相》から離反した《鉄血の子供達》の言葉は、だからこそ真実のように思える。ルーファスが超えたいと願った偉大なる男は、ゆるやかにゼムリアの国々を併呑できたのでは、というのはかつてナギトも抱いた感想だった。
「………何か話の方向性が違ってきていませんか?」
ズレかけた話題を矯正すべくデュバリィが指摘したが、それは遠い意味で的外れだ。
「いいや、《神速》殿。………これは仮説に至るための前段階だよ」
ルーファスは続けて語る。《鉄血の子供達》の筆頭として彼はギリアス・オズボーンの傑物ぶりを間近で見てきた。いずれ超えたいと思う父親の辣腕を。
「………眉唾どころか夢想の類だが…………、もしかしたら閣下は世界規模な時間のリセットをするつもりなのかもしれない」
結論に辿り着く。全くもって想像の埒外の夢物語のようなそれを。
「………………確かにそれなら、さっきのセリフとも符号するか」
まず最初に納得を示したのはクロウだった。宿敵たる彼のもたらす幸せなどというものに浸されるなど忸怩たる思いだが、フラットに考えるとルーファスの推測は正鵠を射ているようにも思えた。
「どういうことだ?」とラウラが問う。この場にいる大半が同じ疑問を持っている。それほどルーファスの推測はぶっ飛んでいた。
「閣下は次の世で我々を幸せにすると言った。この事から次の世では万民に幸福が享受されるものと思われる。………しかし、今回の異変──リベールへの侵攻を含めて閣下は世界中から恨みを買った。そんな閣下から下賜される幸せを誰もが受け入れるとするなら、今回の異変や──これまでの強引な併呑すら“なかった事”にする………、つまり時間を遡ってやり直すつもりなのかもしれない──そう思ってね」
時間遡行─────“時獄牢”へアクセスしたオズボーンの真の目的が判明したかに思えた。
騒然とする場でルーファスの碧眼がナギトを捉えていた。
「君はどう思うかね、ナギトくん。“特異点”としての意見を聞かせてくれ」
「俺も概ねルーファスさんの意見に同意ですよ。……でも、妙に噛み合わない部分があるのも確かだ」
「──時獄牢」
ナギトが抱いた違和感に気づいていたのはリィンだ。
「それだ。……“時獄牢”───時の牢獄。便宜上の呼び方としても、そんなネーミングの場所にオズボーンが行く目的がわからない。時間遡行をするために行く必要があるのか?……というか、そもそもアレを時獄牢と名付けたのは、名付けられるとするなら《時の至宝》に連なるオズボーンだけだろう。……そんな彼がわざわざ牢獄と呼ぶ場所に行ってまでしたい事はなんだ?」
再び生じた疑問に一同は黙りこくった。答えの出ない問題だ。
だが、ナギトは皆が議論を深める中で、ひとつの回答を出していた。
もしかするとギリアス・オズボーンは俺と同じなのではないか。
いつか、ブリオニア島の巨像──時の神クロノギアに見せられた、ハーメルの悲劇の記録。オズボーンが《時の至宝》の権能を用い、なかった事にされた世界の記憶。
そのなかでオズボーンは──────
───────だとしたら。
「俺が行く」
言ったのはナギトだった。
行かなければならない。ナギトだけがオズボーンを責められないから。ナギトだけがオズボーンをわかってやれるから。
例え実子だとしてもリィンではダメだ。過去を想い続けたオズボーンと、未来に歩み続けるリィンでは、その意味に見出す価値が違い過ぎるから。
「ここで話し合ってても何も解決しない。あの白い闇の中でオズボーンがリセットする前に何とかしなきゃならんだろ」
「俺も行くぞ、ナギト」
「ダメです」
にべもなくリィンの同行を拒否するナギト。
「だけど」と食い下がるリィンに現実的な脅威を告げる。
「あの白い闇の中は全くの未知数だ。例えお前が《時の至宝》の因子を受け継いでいるとしても、当代じゃないお前では危険極まる」
「それならナギトだって─────いや、まさか君は」
「“特異点”としての力───私に時間停止を無視する加護を与えたその権能を使うつもりだね?」
ナギトの言葉にはいつも何かしらの根拠があった。その根拠に思い至ったリィンは黙したが、ルーファスが引き継ぎ言った。
「──ダメだ!わかっているのかナギト!君はその力を使ったら………!」
リィンは察している。ナギトが“特異点”の力を使うたびに己の肉体が無に帰っている事を。
「俺のがお前よりリスクが少ねーって話よ。さっきの時間停止もそうだったけど、俺の──“特異点”の力は世界のあらゆる能力の上──いや、外にある。だから完全に無効化できた。お前はあの時間停止中じゃワンアクションするのが関の山だったろうが」
「いや……でも…………!」
「いいんだよ、リィン。お前はギリアス・オズボーンに勝った。あの親子喧嘩はお前の勝ちだ。……こっから先は俺の領分ってだけだよ」
「────………………っ」
リィンは俯いた。握った拳は血が滴り落ちるほどで、自らの力不足を嘆いている。
「ナギト……信じるぞ」
言ったのはラウラだった。ラウラ・S・アルゼイド。ナギトの愛する少女。その琥珀色の瞳に貫かれ、ナギトは決意を深める。
「任せろよ。……帰ってくる」
ああそうだ。まだ満足にラウラを抱いていない。
リィンの剣の行く末を見届けていない。アリオスやカシウスと酒を酌み交わしていない。Ⅶ組の連中の成人祝いもしてやりたい。
まだまだ、やりたい事はたくさんある。
だから絶対に、帰ってくる。
ナギトは、白い闇に飛び込んだ。
☆★
白い闇の中は時間が荒れ狂っていた。
過去と現在と未来が入り混じり、それらが乱気流のように渦巻いて五体を千々に砕き別々の時空に跳ばそうと躍起になっている。
ナギトの身を守るべく施された魔女と聖女の加護が容易く砕け散った。出発前になけなしで預かった恩恵だ、あまり期待はなかった。やはりリィンを同行させなかったのは英断だったろう。
現状、ナギトを時空嵐から守っているのは“特異点”としての能力のみ。先の戦闘と併せて左半身のほとんどが虚無に飲まれてしまっているが、この時獄牢の中ではそれで済んでいるだけでも御の字だろう。
「さて…………」
白い闇の中を、様々な時間の光景が流れていく。古いものは古代のゼムリア文明のものから、新しいものは騎神大戦のものまで、走馬灯のように流れては消えていく。
そのすべてから目を逸らし、オズボーンの行方を探る。
気が遠くなるほど長い時間。もはやそんな概念を忘れそうなほど白い闇の中を漂って、彼を見つけた。
「そんな……どこだ……どこにいるんだ………カーシャ…………………」
ギリアス・オズボーンは蹲っている。超世の傑のように思えた彼の、信じられないほど憔悴した姿だった。
「────ギリアス・オズボーン」
声をかける。虚ろだった瞳がナギトの姿を捉える。
「ナギト・ウィル・カーファイ?どうしてここに?」
「俺は“特異点”だぜ。ズルしたに決まってんだろ」
己というリソースを使い、世界そのものをハッキングする最悪のバグ技。このゼムリア世界において最低最悪最上最高の異能。それを使う事でようやくナギトはオズボーンと並び立てるのだ。
「そう、か……、ズル……か…………」
“特異点”という存在はどこまでも破格だ。
オズボーンはここまで至るのに多くを仕掛け、多く道筋を用意し、大きく勝負に出た。
その上で賭けに勝ってようやく時獄牢にアクセスできたのだ。
それなのにナギトは“特異点”だから。という理由でこの場での存在を許されている。
もはやその事について何かを思う事すらもオズボーンにはなかった。
「カーシャ───と言ってたな。それはお前の妻の名か?」
「───カーシャを知っているのか!?」
俯いていたオズボーンはナギトに掴みかかる。
「知らないよ。俺は、知らない」
それは一縷の希望でもあったようで、それをすげなく否定されたオズボーンは力なく頽れた。
そのオズボーンの様子を見てナギトは確信に至る。
ギリアス・オズボーンは“
「オズボーン宰相………あなたがここまでやってきた全ては、その手に愛する妻を取り戻すためだったんですね?」
「…………そうだ」
長い沈黙の後、オズボーンは答えた。
ギリアス・オズボーンの願いは喪った妻──カーシャ・オズボーンの奪還だった。
そのために軍人だった男は《鉄血宰相》と成り、世界を敵に回したのだ。
「………誰もカーシャを知らないんだ。探せば記録は見つかった。カーシャが生きていた記録……だが、誰も彼女と会った事がないと言う」
オズボーンにとってカーシャは世界から抹消された女だった。
「ハーメルの悲劇──13年前、軍部の貴族派がリベールと戦争を始めるために仕組んだ自作自演…………その悲劇の場に、俺たちはいた」
オズボーンはぽつりぽつりと話し始める。ナギトは口を挟まずに話を聞いていた。
「襲撃は俺を狙ったわけではなかった。ただ巻き込まれただけだった。………村には火が放たれ、数十人の兵士たちが村人たちを惨殺していく…………俺は家族と逸れ───次にカーシャを見つけた時には彼女は瀕死の重傷で、僅かばかりの遺言を残して亡くなった」
それは懺悔のようでもあった。
「妻の遺言に従って俺は息子を──リィンを探した。………死んでいた。…………絶望という言葉以外になにがあっただろう……」
夫と息子の幸せを願い、息を引き取ったカーシャの想いは果たされる事はなかった。
「だが、その時に不思議な事が起こった。───時間が巻き戻ったのだ。……俺の《時の至宝》としての能力が覚醒したのはその瞬間だった」
妻と息子を喪った絶望がトリガーとなり、その血脈に受け継がれていた《時の至宝》の力が目覚めたのだ。
「奇跡だと思ったよ。悪い夢だったとも。………だが、新たに始まった時間にカーシャの姿はなかった…………」
オズボーンは自らの手を見つめている。その手からこぼれ落ちたものを。
「俺は方々に確認した。妻の行方を知らないか…と。しかし返ってきた答えは、お前に妻なんかいない…というものだった。………どこからが夢でどこからが現実かわからなくなったが………遡った時間にも生きていてくれたリィンの存在がカーシャがいた事を証明していた」
無情な話である。世界から裏切られた気分になった事だろう。だが、オズボーンには
「それから俺は時間遡行の正体がオズボーン家に代々伝わる《時の至宝》の能力である事を理解し、ハーメルの悲劇の際に初めて発動された事で暴発したのだと確信した」
おそらくオズボーン家が《時の至宝》を受け継ぐ家系である事実は歴史の流れに飲まれて見えなくなっていたのだ。人の身には余る力で、それを発動する機会が与えられたオズボーンは不幸だった。
「俺の力が暴発した事で、カーシャは世界の時間から切り離されてしまった──そう考えた。……ならばもう一度力を使って、カーシャの存在を取り戻そうとしたが……不可能だった」
オズボーンは拳を握りしめる。忸怩たる想いがナギトにも伝わってくる。
「我がオズボーン家は代々《時の至宝》を受け継いで来たが、世代を経るごとに原初の血は薄くなり、先祖返りしたと思われる当代の俺でも、精々時間を数秒間止める程度……時間を巻き戻すなんて事はとてもできなかった」
固く握った拳から血が滴る。当時の悔恨がオズボーンに去来していた。
「そんな有様ではカーシャを捕らえた時間の牢獄に行く事は不可能だった………」
「───だから、こんな事をした」
話の最終盤で、ナギトはオズボーンの論理を言い当てた。
「世界の根底を揺るがし、その果てにゼムリア世界そのものを、この時獄牢次元に概念的に近づけた」
「………いくら近いとは言え、未だに俺の能力ではこの次元にアクセスできなかった。どうして最初の時だけ数日間もの時間遡行が許されたのか……今でもわからない。……だが、近くなったのなら、あとは物理的に繋げてやればいい」
「───騎神大戦」
《身喰らう蛇》の目的とは違う、オズボーンが進行させた《幻焔計画》。
「七の騎神が一堂に集い、争う事によって生じる膨大なエネルギー………それによって空に孔を穿ち──ようやく、この次元は時獄牢に繋がった」
オズボーンの語り口には絶望が渦巻いていた。世界を敵に回してまで果たしたかった彼の願いは─────。
「だが……カーシャはいなかった。どの時間にも、この時の牢獄にさえも」
「……………………」
かける言葉が見つからなかった。
ナギトもオズボーンも根っこは同じだ。ナギトはクロウを死の運命から救うためにこの世に生を受け、オズボーンは妻を喪った日から、幸せだった家庭を取り戻すために生きた。
結果としてナギトは成功し、オズボーンは失敗した。こうして蹲るオズボーンはあらゆる可能性に手を伸ばしたのだろうが、それこそ《零の神子》の力でも妻を取り戻す事はできなかったのだ。
今のリィンと幸せに生きる道すら放棄して、家族を取り戻す選択と覚悟には敬意さえ覚える。同時に過去に縋って未来を見なかった事には、ナギトは何も言う事はできない。
オズボーンが妻カーシャを救い出せなかった理由について、ナギトには推測があった。
おそらく、カーシャ・オズボーンという人物は存在していなかったのだ。
世界の歴史は連綿と紡がれてきたもの───ではない。このゼムリアの歴史は、“
そして、“俺たち”はカーシャ・オズボーンを知らない。
少なくともこの“特異点”が発生するに至った“閃の軌跡Ⅱ”までにおいて、そのような人物は観測されていなかった。
オズボーンが《時の至宝》の現し身である事実も、余白に生じたものなのかもしれない。ナギトが生まれ、クロウの運命が変わった事で史実から乖離した派生の歴史。その歴史では過去に遡ってもカーシャは存在しなかった。
オズボーンが至宝としての力を暴走させてカーシャは歴史から切除された。同じ境遇のはずのリィンがこの世に残っているのは、“俺たち”が観測したか否かの違いだ。
もちろんリィンの実母はいるのだろうが、それが誰なのか“俺たち”が観測していない以上はカーシャ・オズボーンは存在し得ないのだろう。
だから、ギリアス・オズボーンは失敗した。己の記憶にしかいない妻を取り戻す事を望み、すべてを懸けて───、ないものを追いかけて、追い求め、追い縋り、見つけた宝箱には何も入っていなかったという最悪のオチだ。
「…………俺はどうすればいい……?どうすればよかったんだ……………?」
悲痛過ぎる問い。
未来を犠牲にしてまで手を伸ばした星に、手が届かなかった人間の絶望に、しかしナギトは答えてやらなければならない。
「未来のために生きればいい。……このまま《鉄血宰相》として辣腕を振るうのでもいい。リィンを引き取って家族で暮らすのでもいい。───過去ではなく未来のために、残りの生を使う。……それでいいんじゃないですか?」
「…過去ではなく未来のため、か………。確かに、それも良いのかもしれんな…………。そういった未来もあったかもしれん。…………だが、もはや不可能だ」
ナギトがオズボーンの言葉に疑念を抱くより早く、空間が軋み始めた。
「これは……っ!?」
「時空が崩壊しようとしている。止めようがない」
「はあ!?……いやいやいや、ふざけんなよ今更。……お前はどうにかする算段があってこの時獄牢次元に飛び込んだんじゃなかったのか!?」
ひしめいていた時空の嵐が視界の果てに生じた黒い穴に飲み込まれていく。まるで天体を吸い込むブラックホールだ。
「この次元は俺──《時の至宝》にさえ中が観測できなかった。できる限りの備えは時空の嵐に引き裂かれて消えてしまった。……先の決戦での能力を使い過ぎた………ゼムリア時空から繋がる次元の方向性を時獄牢に限定した事で至宝としての力はもうガス欠だ」
「嘘だろ………。いや、そもそもこの現象はなんだ?」
「おそらくは世界が根底から崩れ去っている。あり得ない事象が重なり、かかった負荷が世界の許容上限を超えたのだ」
お前のせいじゃねーか!と言いたかった。だが、もはやそんな事をしている時間すら惜しい。
「この時獄牢───時空の狭間へアクセスできた事が最大の要因だろう。……時間とは本来不可逆のもの……過去、現在、未来からの圧力がかかっては、脆くなった柱も崩れようというもの」
ナギトが暮らしていたゼムリアの時空が崩壊しようとしている。共に過ごした仲間も、高めあった宿敵も、一切合切が残らず世界の心中に付き合わされてしまう。
「……打つ手は?本当にないのか?」
世界の崩壊。それを止めなければ、何もかもが無に帰ってしまう。オズボーンは長く瞑目し、そのまま言った。
「………俺を殺せ」
「は?」
「俺が死ねば《時の至宝》の権能はリィンに受け継がれる。もはやガス欠の俺より息子の方が世界を支えられる可能性はあるはずだ」
オズボーンは死ぬ気であった。いや────、きっと最初から死ぬ気でここまでやってきたのだ。愛する妻を取り戻すために、全力で。
それが叶わなかったから、世界を救うという大義名分があるから、ギリアス・オズボーンは命を捨てようとしている。
ナギトは太刀の柄に手をかけた。
たったの1%でも可能性があるのなら、それに賭けるべきだ。リィンならきっと、道を切り拓いてくれる。
「いや────、やめだ」
成功したとして、どうなる。オズボーンは死に、リィンには多大な負担がかかるだろう。
しかも、すでに世界は崩壊が始まっているはずだ。オズボーンが提唱していた“激動の時代”よりさらに酷い激動の時代がゼムリアを待っている事だろう。
それならばいっそ。
「……なにを……………?」
太刀から手を離したナギトを、オズボーンは蹲ったまま見上げる。
「…………俺は“特異点”だぜ。ズルするに決まってるだろ」
それに、愛のために生きたギリアス・オズボーンを死なせたくなかった。
言ったナギトは“特異点”としての力を全解放する。歴史を歪め、世界を歪め、運命を歪めるその力を。
“特異点”の力は、在るものに対して発動する。無いものに対しては力を発動できない。
だが、今の時空の崩壊は在るものだ。だからそれをなかった事に、こうなる未来がなくなるように。この世界線が発生しないように。時間を手折る。
世界の時間を巻き戻す。ナギトの存在で派生した物語を正史に直す。
────特異点の肉体を使って。
ナギトにはわかっていた。世界が決定的に歪み始めた1204年4月まで遡れば、自身の肉体──特異点としての力を使い過ぎて己の存在が消失してしまう事を。これまでナギトがいた事で起こったすべての事象がなかった事になる事実も。
それでもナギトは力を解放する。
リィンやクロウ、ラウラにⅦ組のやつら。それだけじゃない。これまで縁を、絆を紡いできた者たちが消えてしまうより、こっちの方が遥かにマシだ。
「すまねえ、みんな」
戻るという約束を果たせない。
「悪いな……クロウ」
お前を救えなくなる。
「……ごめんなぁ───────」
そしてナギトは、愛する少女の名を紡ぐ事もできず。
崩壊し始めていた時空は、“特異点”の異能によって時空回帰する。
彼の犠牲によって世界は崩壊を免れ、物語ははじまりへと戻る。
彼の存在を無に取り残して“閃の軌跡”が、再び始まるのだ。
The End
I miss you
I'll remember you