「でもやっぱり、改めて考えてみると、アイドルって普通じゃないよねー」
「それはまぁ……そうでしょうが」
センセーとは時々、こんなふうに、ギリギリ踏み込みすぎない、だけどスレスレの話をした。お医者さんと患者、産婦人科医と妊婦さんとの関係に普通があるなら、たぶんそれからはほんの少しだけ、外れていたんだと思う。センセーもタイガイ、普通じゃない人だったんだと思う。
でもいいよね、普通じゃないって自覚してるなら、誰にも迷惑をかけないなら、普通じゃなくていい……っていうのが、たぶんセンセーの言いたかったことなんだろうから。
それが十代の半ばで、アイドルなのに妊娠してしまった私への、センセーなりの、ファンとしての言い分も含んだ、複雑な、でも素直な気持ちだったんだと思う。
ごめんね。でもセンセーのその気持ちには、感謝してる。
「まぁ私も普通じゃないくらいに可愛いから、丁度いいんだけどね」
「……あれ、これ俺今、CD三千枚くらい買わないとできない会話をしてないか? なんだ俺、前世ですげぇ善行でも積んだのか? 緒方洪庵は俺だった? 北里柴三郎は俺だった?」
「あはは、それもねー、普通じゃないよね~」
「業界的には普通……というかスタンダードですが……まぁ、それもそうですが、芸能界は普通じゃないことが、ある程度は認知、認められている世界ですからね。某男性アイドルグループ事務所とか、昔から黒い噂が絶えませんが、でもみんな、ああいう形態の会社だからって、噂通りのことがあったとしても、だから何? で済ませてしまっているじゃないですか。噂が本当かどうかなんて、誰も気にしない。むしろあそこは教育がしっかりしているから、所属タレントもみんな礼儀正しいんだなんて、褒めたりなんかして」
「それ、ミヤコさんも言ってたなー。ミヤコさん、美少年が好きだから」
センセーのこと、嫌いじゃなかった。
私の愛してるは全部嘘だから、愛してるとは言わないけど、好きだった。
「えっ、美少年が好きなのにあの社長……おっと、あのヒゲのダンディな方と結婚されたんですか?」
でも、そんなセンセーも、私の目の前からいなくなってしまうんだよね。
誰かさんと一緒で、さよならも言わずに。
「フォローになってないフォローは、聞かなかったことにするけど、うん。こんなやつと別れてイケメンと再婚したいって時々息巻いてるけどね」
「それを公言できるなら、むしろ夫婦仲は良さそうだなぁ……」
「ね~……そっかぁ、芸能界は普通じゃないことが許されている世界、か」
どうして私が、味方になってほしいって思う人は、私の前から姿を消してしまうんだろう。
「コンプライアンスは、どんどん厳しくなっていくとは思いますけどね。その事務所にしても、未来にはそれを叩かれてる可能性が微粒子レベルで存在しています。大きさで見るか量で見るかで大違いの表現ですが。ただ、それでもね、芸能界が普通じゃない、特別なところであってほしいって思う気持ちは俺、僕の中にもありますよ? それこそ、一般人のエゴかもしれませんが」
どうして私には、普通を共有できる誰かが、そばにいてくれないんだろう。
「あはは。私もね~、アイドルになったらさー、トイレに行かなくてよくなるんだったらね? 楽でよかったんだけどね~」
ねぇセンセー。
「まぁ、夢を売る商売ですからね。特別感がなければ成り立ちませんよね。当然、僕にとってアイさんはデフォルトで特別な存在ですが」
この頃の私は、愛してるって何か、出産予定日が近づいてさえわからなかったよ。
愛してるってどういうことか、それでもわからなかったよ。
「うん、ありがとうセンセー……ところで偽名はもういいの?」
「……はっ」
だから期待したんだ。
子供に、期待しちゃってたんだ。
愛せるって。
愛してもらえるって。
それこそが、私の罪……だったかもしれないね。
気付くべきだったんだよ。
自分の子供に、かつて「男」に、「少年」にそれを求めたように、「子供」に救いを求めることが、どれだけ非常識で、罪深いこと……だったかなんて。
妊娠後期になってまだ、自分のお腹を蹴ってくる小さな命にさえ、そんなふうにすがろうとしている自分が、どれだけ「普通じゃなかったか」なんてことには……ね。
「おめでとうございます。がんばりましたね、元気な双子の男の子と、女の子ですよ」
センセーとよく一緒にいた、いつも冷たい目をしてる(っぽい?)看護師さんの、言葉とは裏腹に後ろめたそうな、すまなそうな表情を見ながら私は……静かに絶望していた。
いつもみたいな笑顔を、作れていたかもわからない。
B小町のみんなにはそれとなく見抜かれ、ファンにもSNSで時々指摘され、カントクには言葉に出して指摘された、私の嘘の笑顔。顔に貼り付けてないと、裸でいるよりも不安な気持ちになる私のヨロイ、あるいは武器。
この時は、それをきちんと装着できていたかさえ、おぼつかない心地だった。
せめてそれを見たのが私の、裸以上のものを見た直後の医療関係者だけだったというのが救い、だったのかもしれないけど。
「あー!」「だぁ?」
私は、自分で産んだ子供の顔が、覚えられなかった。
どっちがお兄ちゃんで、どっちが妹ちゃんか、わからなかった。
ふたりの顔が、男女だから二卵性で、違ってるはずなのに、その差がわからなかった。
それは、ほんの少しだけ恐れていながら、そんなこと、あるはずがないってずっと押さえ込んでいた不安が、現実になった瞬間だった。
私は、自分の顔でさえも、キチンと覚えているとは言いがたい。
自分に似てしまったら、覚えられないかもって不安だった。
だからカミキヒカルに似てくれるのを願ってた。
生まれてきた子供達は、ふたりともその中間くらいの顔つきに思えた。
だけど私は、その顔すら覚えられなかった。
覚えられなかったよ。
覚え、られなかったんだぁ。
私が、私であることに、久しぶりに絶望した瞬間だった。
そうして……もしかしたら、私のお母さんも、私の顔を覚えられなかったのかなって思った。
だから私を、迎えに来てくれなかったのかなって思った。
「あー?」「いー?」
「あ……」
でも……でもそれは、産んだ子供達には、なんの関係も無いことだと思った。
私は十年以上、お母さんのことを忘れて、生きてきた。
だからいまさら、あの人を引っ張り出してきて、自分がしでかしたことの言い訳にするのは、違う気もした。
「あぅあ!」「だぁ!」
だから思ったんだ。
絶望してても、しょうがないって。
的中した不安に足を止めていても、しかたないって。
うん……私はやっぱり普通じゃなかった。
それを、認めようって。
私は普通じゃない。普通に溶け込もうとしたことが、間違いだ。
普通の母親が、子供の顔を覚えられないなんてこと、あるはずがない。
でも、それでも、普通じゃなくていい。
いいよね?
誰にも迷惑かけないなら、普通じゃなくても、いいんだよね? センセー。
うんって、言ってほしい。お母さんと一緒で、いなくなってしまったけど、ねぇ。
「お子さんのお名前は、まだ?」
「……はい、すみません」
「いえ、いいですよ。ただ、名前が決まるまで、病院内ではお兄ちゃんを斉藤ブラザー、斉藤シスター、といった呼び名で呼ばせていただくことになるのですが、かまいませんか?」
「あははっ……ジャ●アン、ジャ●子よりはマシかな?」
「それなら、妹さんはせめてスミレ、ですね」
「なにそれ?」
「……パー●ンは履修されていませんでしたか」
「?」
結局、私は、誰も愛せない人間なのかもしれない。
自分の子供の顔すら覚えられない人間に、普通の愛が、理解できるはずが無い。
でも。
愛したいとは思っている。
みんなを、幸せにしたいとは、思っているんだよ。
だから、みんなを幸せにするから……それが嘘でも、私の愛を認めてよ。
「幸せにする……幸せにするからね……ふたりとも」
ねぇ、みんなを幸せにしてあげるから……お願いだから、私を認めてよ。
普通みたいに誰かを愛し、子供を愛して、愛されてもいい人間なんだって、言ってよ。
「ええ、人生には色々ありますが、頑張りましょう、お母さん」
複雑な顔をしたまま、看護師さんは、私に母親という新しい立場が、立ち位置が生まれたことを教えてくれた。
その顔はもう、やっぱり覚えてはいないんだけど。
「うぇぁあああぁぁんっ」
「どうしたのー、アクア~」
「そっちはルビーだろう。それでも母親か」
普通じゃなくていい。
社長が、センセーが言ってくれた言葉通りに、私は自分の子供達に特別な名前を送った。
ふたりには、私の特別であってほしかった。
「人の顔と名前覚えるの苦手なんだから~、しかたないでしょ。イヤでちゅね~、日本の男は、母親を幻想視しすぎて」
それはたぶん私のエゴだから、ふたりが改名を望むなら反対はしない。そっかーって言いながら、申請? 届け出? には全面的に協力するよ。
「パスポートも持ってないヤツがグローバルなことを言うな。第一、海外ロケNG入れただろ、お前」
でもそれはアイという、普通の名前をくれたお母さんとは、違う人生を歩むんだという、私なりの決意の証でもあった。
お母さんは、私と同じだったかもしれない。
でも、同じでも、違う道には行けるでしょ?
それが嘘でも、普通なら選ばない道であっても、子はやっぱり親に似てしまうんだとしても、普通じゃなくても、私はお母さんとは違う道に行きたい。
「でも私、才能あるなーって思った人の名前は覚えられるよ、佐藤社長」
絶対に、この手でアクアを、ルビーを幸せにしたい。
「おしい、俺の名前は斉藤だクソアイドル……って何回このやりとりするつもりだお前」
その気持ちがあるのは、それだけは嘘じゃなかった。
「さー、B小町がドームに立てたら努力してみるよ」
「それは今まで努力すらしていなかったという事実の方に戦慄する発言だな」
だからアイドルに復帰して、短い賞味期限の中で稼いで、ふたりに何不自由ない生活をさせてあげるというのは、それが嘘を嘘で固めた道でしかなくても、マストに思えたんだよ。
私はやっぱり、ちょっと普通じゃないくらいに、欲張りだった。
でも、そんな私のことが好き……だったんだよね? センセー。