「……『ちゃんと向き合うべき』です」
――駿川たづなは、公園のベンチの前で膝折って屈んでいた。
目の前には、目覚まし時計をぼんやりと眺めるウマ娘の姿がある。彼女に目線の高さを合わせるように、姿勢を低くしている。
ベンチに座っているウマ娘は、歩道橋の手すりを片足跳びで渡っていた。
たづなは、そんな彼女を校舎の中から偶然見かけてしまい、急ぎ駆けつけ、抱き上げてここまで連れてきた次第である。
泣きじゃくる彼女の気を逸らす為に、手元にあった備品を見せたり、それに纏わる伝承や逸話を語ってみたりもしている内に、ウマ娘の方からおどけたように話してくれるようになっていた。
『アンタ一体だれ?』
「私は、駿川たづなといいます」
『ふーん。この突飛な現象の状況理解に付き合ってくれる"お相手さん"ネ?』
「……あなたの気持ちが落ち着くのならば、いくらでも」
たづなの態度に対してウマ娘の方は「これから話すのはあくまで妄想話だ」と言わんばかりに、冗談ぶった言い方を繰り広げた。
『ま、真っ赤なタグ付けをいっぱいしてんだから『耳心地良い、行儀の良いウマ娘チャンのオハナシ』なんて聞けると思わないでネ……オカエリはアチラ。チップはソッチ。とりあえず2000マニーくらいくれればワタシは助かるかな。お星さまなんて、洒落たモンはイラナイ』
「……でも『辛かったら逃げてもいいんです』」
そして今に至る。
「言ってる事、矛盾してんジャン……」
そのウマ娘の反論に、たづなは困ったように笑った。たづなはまだ中学生にもなっていないだろうウマ娘の隣に座ってから、言葉を続ける。
「どちらも大切な事なんです。それこそ、向き合うべきか逃げるべきかなんて明確な答えが出せない事は、世の中にはたくさんあります」
たづなは遠い目で空を見上げていた。その視線の先には、日没直後から見える星々があった。
「貴女にも、辛い事はありますよね。逃げ出したくなる事だってあると思います。私はそれを"馬鹿馬鹿しい"だとか"無謀"だとか、笑ったりする気は起きません」
たづなは、隣に座っているウマ娘にゆっくりと語りかける。それはまるで、自分自身に言い聞かせるような雰囲気さえあった。
彼女はそっと目を閉じる。瞼の裏に何が映っているのかは分からないが、何かを思い返しているようだ。
「中央トレセン学園が受け入れられる生徒の数には、限りがあります。入学の夢破れた中で、貴女のように自暴自棄になってしまう子もいます」
たづなは言葉を切ると、相手の反応を一旦待った。少しして、ウマ娘――ラウディーはカラカラと笑ってかた言葉を続ける。
「トレセン学園の生徒サマになる資格はワタシにはないってこったねェ~。イヤぁ、参った参った。マ、当然かな? ワタシみたいな喧嘩っ早いのなんて、誰も好き好んでくれないよネ!」
ラウディーはおどけた口調でそう言うと、たづなは黙って相手の顔を見つめていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「この学園の理事長の理念をご存知ですか?」
たづながそう言うと、ラウディーはしばし考え込んでから答えた。
「なんとなくは聞いた事アルヨ? なんだっけ。『トレセン学園のウマ娘を全て支えたい』っていうご立派な考えの元、私財をなげうつような――」
ラウディーがそう言いかけた時、たづなは彼女の言葉を遮った。
「正確にいえば『トレセン学園に所属しているかどうか関わらず、全てのウマ娘を支えたい』という理念を持っている人です」
ラウディーはその言葉の意味を咀嚼するように、少し黙り込んでから口を開いた。
「……要するに、ウマ娘ならどんなヤツでも支えますよ、って事?」
たづなはその問いかけに対して答えず、ただ黙って相手の顔を見た。ラウディーはその視線を受けると居心地が悪そうに身をよじった。
「ハッ。ワタシみたいな、落伍者なんて支えられる資格が……」
ラウディーが自嘲するようにそう言うと、たづなはその言葉を遮るようにして口を開いた。
「貴女は、妹さんがやる気をなくしてしまわないように、受験まで頑張ってきたのですよね? ――ラウディーさん」
たづなの言葉を聞いたラウディーは、しばらく黙り込んでいた。
「確かに、貴女が話していた通り迷いがありながら進んだ道だったのかもしれません。もしかしたら、本心ではトレセン学園に行きたい気持ちはとうの昔に失せていたのかもしれません。でも、妹さんの為に頑張ってきた。そうでしょう?」
たづなの言葉にラウディーは、ばつが悪そうに顔を背けて、ぽつりぽつりと言葉を漏らした。
ワタシはさ。まぁ、こういう性格だかんネ? 妹の夢を応援する気持ちはあったんだけどさァ……でもサ、やっぱり妹と比べたらダメなワケ。
同世代と比べて脚が速くてもさ、ワタシは、お母さんに言われちゃったわけ。
「貴女は、トレセン学園にいってもたぶん目的を見いだせないと思うの。ただ、『ここまできたら妹の為に』って……学園生活の全部を注ぎ込んじゃうと思う。……私としてはね、そんな貴女達の姿は見たくないのよ……」
だから、お母さんがさ。受験をやめろって言うワケ。たぶんお父さんも同じだったんだと思うよ。
でもさ、ワタシが受験やめるとか言い出すと妹がやる気無くしちゃうジャン? ……悲しい事に、そこについては私の自意識過剰や妄想でもなく、一つの事実で……。
つまり、ワタシが『受験やめる』とか言ったらさ、絶対妹もそれにつられるからムリムリムリのカタツムリーっていうか?
結局やるところまでやるしかないじゃん。ワタシってばさ。
……まぁ、なんだかんだで勉強も『合格の可能性がある』っていうところまではいってたさ。脚だって、ヤッパリ同世代よりは速い。だから、面接の結果次第ではワタシも受かる可能性だってあったんだと思う。
「……失礼します」
何度も練習した通りに入室して、面接官たちにお辞儀をして、席に座る。
受験番号と氏名を確認。名前を告げた後、質問された内容に対して淡々と答えていく。
まぁ、練習通りこなせてたからオトナの面接官相手には上手く誤魔化せてたと思うんだ。ワタシ、そういうの意外と使い分けは出来るカラネ?
ただ、ね。なんだっけ。あの、生徒会長。シンボリナントカさん。その人だけは、誤魔化せなかったみたいでね。
「キミはトレセン学園へ入学するにあたり、迷いがあるようだね」
その一言で、ワタシの心臓は一気にバクバクいってさ。もう、頭が真っ白になっちゃって!
「……いや、そんな事ないですよ?! 入学したいに決まってますって!」
思わず、素でそんな事言っちゃったわけさ。
「ふむ……」
シンボリナントカさんは、目を細めてワタシの事をジーッと見つめてきてネ。
「キミは、先程『もしトゥインクルシリーズにデビュー出来たとしたら、どのレースで勝ちたいか』という質問に対して『日本ダービーに勝ちたい』と答えていたね」
「……はい、クラシックの花形。私は、そのレースで一番勝ちたいです」
「皐月賞は……『最も速いウマ娘が勝つレース』」
ワタシは、その言葉を聞いてドキリとしたね。
「日本ダービーは……答えてごらん」
その質問に対してね。ワタシは即答できなかったんだ。おかしいね。たぶん、入試試験にも出てるはずなのに。
「一番……強いウマ娘が勝つ」
ワタシは、頭に思い浮かんだ事しか言えなかった。でも、シンボリナントカさんはソレに満足したみたいでね。
「……自分が本当に一番勝ちたいレースの事はね、だいたいの事は覚えているものなんだ」
そう呟いて、シンボリナントカさんはワタシに微笑んでいた。
「確かに、面接で良い印象を得たいが為に『日本ダービー』を目標に掲げるウマ娘は数多くいる。そういう子達が今の質問を間違える事もままある。だが、キミの場合は……少し事情が違いそうだ。まるで私達ではなく、自分を騙す為に嘘をついている」
「あ、あぁぁ……」
シンボリナントカさんの指摘にワタシは背筋が凍るような思いだったね……。
「……大事な岐路で自分を偽ると、きっと大きな後悔する事になる。できれば、正直に話してほしい」
……アンタ、さっき言ったよね。『ちゃんと向き合うべきです』って。でも『辛い時は逃げてもいいんです』って……。
「…………」
「その気持ちに向き合うのは辛い事だと思う。だが、私はキミの本当の気持ちを知りたい。キミの成績なら、この回答如何によっては合格する可能性は十分にあるだろう」
……私は、たぶん、その時、顔面が真っ青になってたんだと思う。
「ワタシが、ワタシは『双子のウマ娘は走らない』って憶測を払拭したくて……」
ワタシは思わずそう言ったんだけどサ……。シンボリナントカさんは顔色も変えずに続けたんだ。
「確かに、『双子のウマ娘は走らない』という俗説はある。自らが双子の生まれなら、ジンクスを破壊する事を動機にするというのも理解出来る」
……ワタシ、怖くってね。だって、面接中に『逃げたい』なんて言ったら不合格確定ジャン?
だから必死に否定したサ。でも、シンボリナントカさんってばこんな事を言い出したワケ。
「だが、私はあえてキミに聞きたい。もし仮に『双子のウマ娘が走らない』という俗説が無かったとして……それでも、キミは『日本ダービー』を走りたいか?」
「えっ」
そんな質問されるとは思ってなくてサ……。
「答えられなければ、無理に答える事はない」
シンボリナントカさんはワタシにそう言ったんだけど……でも、ワタシはこの時さ、すごく思ったワケ。『見抜かれてる』って……。
まぁ、生徒会長直々に面接に参加するだけの事はあるよね? 受験するウマ娘の気持ち、あぁいう風に分かっちゃうんだもの。
恥も外聞も、投げ捨てて――『自分の本心と向き合わないと』って……。
「私は、俗説とか、正直……もうどうでもいいんです……最初は、それを払拭する事を掲げてたけど……そんな俗説……いまどき大概の人間は心の底から信じてるわけじゃないし……それに、皆が目指してるものがどれだけ大変か知るほどに、それだけを糧に邁進出来るか……自信、なくなって……むしろ、嫌になってる……」
私は、もう完全にグロッキーだった。声が震えてるのが分かった。シンボリナントカさんはそんな私を黙ってジッと見つめてた。
「……たぶん、私も周囲の人たちも全部それが分かってたけど……でも、妹だけは……私がトレセン学園目指すなんて馬鹿馬鹿しい夢を、信じてくれてて、まるで彼女はそれだけが原動力みたいに……」
もう止まらなかった。ただ泣きじゃくる自分がそこにいた。今まで溜め込んでいた思いや感情が全て溢れてたと思う。
……『辛くて、逃げたくなった』……。
「私は、妹をガッカリさせたくない……。夢を諦めてほしくない。でも……じゃあどうすればいいのか分かんない……!」
私は、シンボリナントカさんや面接官のオトナ達に向かって思わずそう叫んだんだ。
「妹の為に頑張る……それは素晴らしい事だ。だが、もう十分ではないだろうか?」
シンボリナントカさんは私の目を見据えてそう言った。
「ここが、キミのターニングポイントだ。今この瞬間から、自分自身の生き方というものを改めて見直せるチャンスだと自覚するんだ」
そして、私を諭すようにこう続けたんだ。
「……キミの妹さんの事は、受験の合否どうあれこちら側で責任を持ってフォローする。だからキミはもう、無理に辛い思いや苦しい思いをすることはないんだ」
私はもうボロボロ泣いてて、頷くしかなかった。ここが切り時だと、信じるしか、なかった。
……ま、結局は、自分の身可愛さに、逃げたんだ。
「ナイ! ダメダッタ! ダメダッタカァア!」
それで、掲示板にさ、自分の受験番号がなくって……実は、喜んでた。これで解放されるって。乾いた笑いなんかじゃなくて、ほくそ笑んでたのかもしれない。
……でも、そんな内心、妹にゃ分かっちゃったんだろうね。合格して笑うべきなのに顔がぜんぜん笑ってなかった。
「…………ごめん、私、受かった……」
まるで信じられないモノを目の前にするような目で、そして私の顔を見つめてた。
「エナー、ごめん、ごめんなさい……ごめ、……!!」
私は、それに対して怯えるようにひたすら泣いちゃったんだ。大騒ぎだ。私の慌てようがあんまりにもヒドイから学園のヒトがやってきて慰めてくれてさ。妹から問い詰められる事なく、有耶無耶になったよ。
「……」
「……」
でもさ、泣きやめてから、いくらか結局時間が経ったら妹とは合流する事になるのは当然だよね。
お互いに口を噤んで、黙り込んで。しばらくそうやって向かい合ってたヨ。気まずいネ。……本当に。
妹は何か言いたげな顔だったけど、結局何も言わなかったし。
「帰る」
「え……」
「アンタも、ガンバってネ」
私は、結局あの子に向き合ってあげられるでもなく……また、逃げたんだ……。
「……そっからは、知ってるよね。歩道橋の手すりに登ってさ。自暴自棄になってケンケン歩きしてて……いや、違う、たぶん、オトナか誰かに構ってほしくて……」
そう言って、ラウディーは自分自身を嘲笑うかのように笑い出した。
「もうどうでもいいや! うん、たぶんアンタに話聞いてもらってスッキリしたんだと思う!」
そしてひとしきり笑った後、吹っ切れたように顔を上げてそう言ったのだった。
「……ラウディーさん」
「ん?」
「これから、どうするんです?」
たづなの問いかけに対して……ラウディーは自嘲気味に笑いながらこう言った。
「ハハ、どうしようかな? 女子校でキラキラした女子中学生でも目指そうと思ってたけど、もうやめだ。そういうガラじゃないし」
そして、ラウディーは顔を伏せて、言葉を繋いだ。
「……妹に合わす顔がない……消えてなくなりたい……」
その姿を眺めていて、たづなは何か思うところがあるように口を開いた。
「ラウディーさん。私、面接のお手伝いをする時があって、その時に受験者の会話内容を耳にする事があるんです」
「……へぇ」
ラウディーは静かに、たづなの言葉に耳を傾ける。
「貴女の妹さんがトレセン学園を目指す動機について、伝えておかなければなりません」
「……うん、ティアラ路線のどれかに勝ちたい、ってヤツでしょ……」
たづなはそこで一度話を切ると、ラウディーの顔をジッと見つめた。
「いいえ、彼女はどのレースで勝ちたいかよりも、面接官に語ってくれました。『自分達と同じ双子のウマ娘にも、自分達はちゃんと走れる存在だと証明してあげたい』と」
ラウディーは、何も反応を返さなかった。ただ黙ってたづなの言葉を聞いている。
「……そして、『私が皆にも、姉にもキラキラな夢を届けたい』と……」
その言葉を聞いてからと、ラウディーは深くため息を吐いた。
「……ハハ……参ったね……あの子には敵わないや……」
ラウディーはそう言って、力なく笑った。
「……私ね、実は昔っから妹に劣等感を抱いてた……あの子は頭良くて、明るくて、人付き合いもよくって……友達いっぱいいてさ」
ラウディーは、そう呟き始めた。
「昔っから『私はお姉ちゃんだから』って思い込んでてさ、妹に頼られるのが嬉しくて……でも、いつからかその思いが裏返ってたンだ」
ラウディーはもう涙を流さず、たづなに語るというよりも自分自身に確認するかのように話した。
「……妹の為なら何でもできるって思ってた。それがたとえ自分の将来を犠牲にしても……ってさ。でも、自分の中に妹を恨んでる自分もいて……」
そして、ラウディーはたづなに改めて向き直る。
「ハハ……なぁ、私さ……どうすればいいと思う? これから何をすればいいと思う?」
その問いかけに、たづなは静かに返した。
「今までの話からして、まずはご両親と妹さんに話し合う事です。特に両親は自分達の理解者なのだと、貴女も本心では理解している」
「……そっか……」
ラウディーはそれを聞いて……どこか吹っ切れた風に笑った。その笑みは先ほどまでの自嘲めいたものではなく、何かを決意したかのような晴れやかなものに見えた。
「そして、妹さんも。抱え込んでしまっていた自らの本心を伝え。どうか、貴女から歩み寄ってあげてください……シンボリルドルフさんが彼女を気にかけてくださるでしょうし、それと併せれば、妹さんはきっと……」
たづなの言葉を聞いた後……ラウディーは深呼吸を一つした後、立ち上がった。
「アンタには与太話を投げかけて迷惑かけたネ。でも、やるべき事は決まった」
「いえ、これも……"すべてのウマ娘を支えたい"という事を理念としている理事長の、秘書としての務めです」
ラウディーはそんなたづなに背を向けたかと思うと、一度振り返ってこう告げた。
「……偶然出会っただけの"私"に向き合ってくれて、本当にありがとう。ただ、一つだけ後悔があるとすれば」
そして彼女はこう言ったのだった。
「アンタと受験前に出会いたかった。……そのアンタや、理事長さんを喜ばせるって目的なら、私も学園に入ってもガンバレたんじゃないかなー……なんてサ? 冗談、ジョウダン」
ラウディーはそう言ってたづなに笑いかけてから、目覚まし時計を返却する。
「……この目覚ましが、本当に時間を巻き戻せるんだったら、本当によかったんだけどね。でもそうじゃない。だから、私は前を向くよ。前を向いて、妹と向き合ってくる。他の皆とも。……小学生ん時に殴った子やその両親とか、先生に対しても、手紙かなんかで謝るつもり」
今度こそ振り返らずに歩き出すのだ。