月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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死を運ぶ壺

 

パチンッ。

 

指を鳴らす。静かな薄暗い路地で、その音はよく響いた。

瞬きほどの間も待たせず、黒い影が現れた。ソレは馳せ参じて即座に跪く。

 

「お呼びでしょうか。」

 

先程とはまた別の配下を呼び寄せた鬼舞辻無惨は、振り返りもせずに声を掛ける。

 

「祭りを見張れ。鬼狩りは発見次第撃ち殺すよう。」

「御意。」

 

短い返事。影は、パッとその場から姿を消した。

 

 

 

鬼舞辻無惨は、暗く陰を落とした顔を、ゆっくりと上げる。

その縦に割れた瞳孔は、真っ紅に妖しい光を放っていた。どこか思案するような表情で、彼は佇む。実際、考え事をしていたのだ。

 

 

……さきほどの鬼狩りの女は、可憐な浴衣で着飾っていた。そして今日は夏祭り。

人間が祭りに行く場合、大抵は仲間同士でつるむものだ。さて、鬼狩りの仲間といえば、誰になる……?もちろん鬼狩りだ。あの排他的な異常集団、属す者は友人すら限られるに違いない。

 

まあ、命じた配下の鬼はたった一体。この周辺の鬼狩りを一掃できる、などと期待するほど己は馬鹿ではないが。

まあ多少の役には立つだろう。立たぬならば死んでもらうのみ。簡単な話だ。

 

もっと複雑で、重要で、対処が急がれる問題は別にある。そのようなものは己自身が手を下す。結局のところ、他人は全て信用に値しないからだ。

 

 

 

鬼舞辻無惨は、ゆっくりと歩み出す。

青白い月光に照らされて、彼はそっと眼を閉じる。

 

ベン、べベン。

 

突然鳴り響いた琵琶の音。いきなり地面に襖が現れ、鬼舞辻は当然のように足を踏み入れた。ストン、と襖が閉じる。一瞬で影も形も消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………っ!!」

 

瞬間の衝撃。何もわからない、何が起きている。

 

骨董屋の店主は、気づけば暗い路地に尻餅をついている自分に面くらった。地面を転がって打ちつけたのだろうとは思う。身体中が痛い。視界が消えて、また現れた。目をパチパチさせた瞬間、強烈な力でぐいと襟を引っ張られた。

されるがままに、引き起こされる。目の前ににゅっと近づいた人間の影、その人相を見て、再び店主の血の気が引いた。

……冷ややかな吊り目。無造作に束ねた黒髪。そしてその右手には……

 

「わひっ!」

「騒ぐな。……逃げて、今夜はもうこの場へ近づくな。」

 

空色の着物を着た妖しげな少女が、堂々と白刃を晒して立っている。……そうだ、よくよく見れば、ここは骨董屋のすぐ目の前の路地であった。店主はただ、少女に突き飛ばされ、店の外へ放り出されただけだったのだ。

 

「……ど、どうか!命だけはおたた助け!」

「今すぐ逃げろ。これ以上の面倒は見れん。」

 

少女はパッと身を翻すと、その姿を煙のように消した。……否、骨董屋の店内へ、風の速さで突っ込んで、あっという間に影へと同化した。

 

 

店主はしばし呆然とし。その後、あたふたと立ち上がって逃げ出した。

……彼は、気づくことはなかった。ぽたりぽたりと。彼を庇って少女が受けた傷口から、血が滴って地に黒々と染みを作っていたことなど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒョヒョッ!まっこと、鬼狩りとは哀れな生き物ですねぇ。」

 

上弦の月。

今夜は、少々それが明るく輝きすぎたようだ。

 

「胸が苦しゅうなりますよ。本当に滑稽だ。ヒョッ、つまらない命を救って、つまらない場所で命を落とす。あぁ、涙が出る。」

 

「………上弦の伍。」

 

慇懃無礼に、こちらを揶揄う鬼。壺から上半身のみを出し、くねりくねりと気味の悪い踊りのような動きをしている。その行き過ぎた余裕にも関わらず、その鬼には一切の隙がなかった。左右の瞳には『上弦』『伍』の文字。日本の頂点に君臨する十二体の鬼のうちの、一体。……鬼の始祖、鬼舞辻無惨の直属の配下。

 

ヒナは、無表情に日輪刀を構える。

もはや、何の感情も感じなかった。

 

(……うちは、負ける。)

 

瞭然たる死の確信が、ストンとヒナの心に落ち着く。

初めに斬りかかってみた壺は消失し、新たに美しい花模様の壺が現れていた。鬼は瞬時に壺へ引っ込み、別の壺を瞬間移動させて別の地点に現れる。

 

そうして、ヒョヒョヒョと嗤う。

その毛虫のように無数に突き出た白いブヨブヨの手をすり合わせ、目と口の位置が逆になった顔で、こちらを見下して嗤う。

……醜い。

これほどに悍ましい生き物は、未だかつて見たことがない。

 

 

「さぁ、どうです?毒で手足がじわじわ麻痺してきたのでは?」

 

プカリと。

鬼の傍には一匹の金魚が宙に浮かんでいる。ヒナは憎らしげにそれを睨む。

血鬼術。限界まで頬を膨らませてふわふわ揺れているそれは、先ほどこの骨董屋の店主を攻撃したモノだ。弾丸のようにその口から飛び出した無数の毒針。刀で弾ききれず、店主を庇ったヒナの体にいくつか刺さった。

 

……ただの針だと思ったが。

どうやら油断をしたようだ。

 

「千本針を弾くとは、なかなか。稀血の身で今日まで生き延びている事実からして、貴女はかなりの実力者のようですがねぇ。()()()()の目に留まるとは……今宵だけは運がなかったようだ。」

 

……むやみに斬りかかれば死ぬ。しかし時間稼ぎをするのも悪手だ。

鬼の毒は着実に効いている。ヒナに残された時間はあまりない。

 

「出会い頭に殺すのは(わたくし)の本意ではないのですが。……しかしそれもまた良し!芸術鑑賞会ではなく、じっくりとこの後の作品作りの構想を練ることに専念しようではありませんか。」

 

「……作品作り?」

 

ヒナは祈る。

この骨董屋の外。夜空を舞っている鎹鴉が、なるべく多くの情報を持ち帰ってくれることを。

鴉が自分たちの会話を聞いて。そして飛んでいくだろう。鬼殺隊へ。

だから心配はいらない。たとえ自分の命がここで果てようとも。誰かがいつの日か、この鬼を斬ってくれる。

 

 

「ええ!私は芸術家なのですよ。あぁ心が躍る!貴女の身体は最高の素材だ。毒に爛れ、血を流し、苦悶の表情で息たえる乙女……しかしその正体は、無数の鬼を葬り去った闇夜の狩人。……ああ、想像だに素晴らしい!上半身を壺に生けて童磨殿に贈れば、さぞかしお褒めいただけることだろう!」

 

「っ……。」

 

「作品とは人の心を動かすもの。そうあるべきだとは思わぬか? 貴女の死体は、この玉壺が責任を持って芸術へと昇華させるのでご安心なされ!」

 

 

ぞわり。

ヒナの身体中が総毛だった。

無数の手足をもぞもぞと。動かして蛆虫のするかのような気色の悪いお辞儀をしてみせる。

怖い。

いや、単純に近づきたくない。

 

会話を続けるなどという決心は秒で崩れ去った。

もう、一秒も会話を続けていたくなかった。

 

 

「————おい。」

「ヒョ?なんでしょう?」

 

濁った鬼の紅い瞳を睨む。何百年も生きて、何百人もの人を喰らってきたに違いない、鬼。ヒナは冷ややかに言い放った。

 

「地獄に堕ちろよ。」

 

狙うのはその頸のみ。金剛石のように固そうなその筋繊維の形を瞬時に見切って、ヒナは跳んだ。

 

「……おお、素晴らしい! 自ら作品になりに飛び込んで来るとは!少々気がはやすぎるその心意気……それもまた良し!」

 

うるさい。黙れよ悪鬼。

ヒナはがむしゃらに日輪刀を振り上げる。敵わない。わかっているからこそ、退けない。この鬼を許しておけない。無様に逃げて、殺されて。それで終わりにしたくない。

 

 

  花の呼吸 伍の型 徒の芍薬

 

泣いて懺悔しろ。このたおやかな桃色の花の恐ろしさ、全ての鬼を葬るための、不可避の九連撃。花の呼吸最強と謳われるこの技を、受けられるものなら受けてみろよ。

 

「……はぁ、見飽きた。」

 

「っ?!」

 

ドンッと背中に衝撃が走った。

激痛が走る。

うっと息を詰めた瞬間、ぱっくりと傷が開いたのを感じた。生温かい血が大量に流れていく……切られた。まずい、これは呼吸で押し止められる量ではない。

 

鬼の姿がない。あの高速移動で壺に逃げられた。

どこだ。その声がどこからか……いや、ヒナの背後から響いてくる。

 

息も絶え絶え。致命傷を受け、一歩も動けずに脂汗を流すヒナの背に、うねうねと禍々しい鬼の気配が近づいてくる。

 

 

「———失望しましたよ。貴女は違うかも知れないと、少々期待したのですがねぇ。鬼殺隊士の猿どもには、まるで新たなものを創り上げるという芸術家精神が存在しないようだ。花の呼吸か、水の呼吸。いつでも女隊士は同じような技を放ってくるのは一体なぜなのか?」

 

呼吸ができない。

毒で身体が痺れている。それに、多くの血を流しすぎた。

 

 

 

「しかしそれもまた良し!手早く仕上げに移りましょう!」

 

      血鬼術 水獄鉢

 

 

ドッパアン!!トプン!

 

「………ゴボッ」

 

 

 

あぁ、息が止まった。

泡。水色と白。潮の香。そして……ここは海なのか。

故郷の。

海女の訓練で散々溺れそうになった。

 

 

————いや、私は何を考えている?

まずい。一瞬、意識が飛んで。朦朧として、そして。

 

 

「鬼狩りの最大の武器である呼吸を止めた。もう足掻いても助からない。」

 

 

体に纏わりつく水の牢獄。

ヒナがカッと目を見開けば、天地がひっくり返って奇妙にゆらめいていた。自分が浮いている。水の中に閉じ込められたのだ。

 

鬼の言う通りだ。

呼吸ができない。息が続かない。

水面の向こうに、あの鬼が座してニヤニヤこちらを見ているのが見えた。……刹那、ヒナの心に憎悪が燃え上がった。

 

 

(……こんな、水の鉢、肺に残った空気の一撃で……!)

 

 

   花の呼吸 陸の型 渦桃

 

花の呼吸は、水の呼吸から派生した呼吸。水中で最大の効果を発揮する技で、水の牢獄を破る。

———が、刀が水を突き破ることはなかった。弾力のある表面が、あろうことかグニューンと伸びてヒナの攻撃を無効化してしまった。

 

 

「あーぁ、無駄なことを。ヒョヒョッ。この玉壺さまの血鬼術が、そんな陳腐な攻撃で斬れるわけがなかろうが。」

 

そうだ。毒に痺れ、血を流し、まともに手足に力が入らないのだから。この結果は道理だった。

 

力が尽きた。

空気も残っていない。

……あぁ、終わった。

 

「良いですねえ。その絶望に歪む顔が見たかったのですよ。鬼殺隊士は本当に豊かな表情を見せてくれる。」

 

鬼が嗤う。

人間を餌としか見ない生き物が。

赤子が玩具を弄るような無邪気さで。残虐な遊びを実行する。

 

ヒナの表情が消えてゆく。

彼女は全てを諦め。

 

命の灯火が、ゆっくりと消えてゆく。

 

 

 

死の淵で彼女が何を思ったのか。

何を見て、何を感じたのか。

 

それは誰にもわからない。

 

 

 

 

ただ彼女は目を瞑り。一条の涙を流して、つぶやいた。

 

「………約束だぞ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空色の振袖。

ボロぎれとなったその破片が、道路に落ちていた。風に吹かれて、舞いあがる。

……さて、海へゆくのか。月まで昇るのか。

 

もう、この世にはいない少女の思い出。

 

 

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