月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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敵討ち

 

 

狐が走る。

白い影が跳ねてゆく。

 

誰にも見えない。いや、見えるけれども認識できないのだ。闇の影にピッタリと同化して、気配もなく。物凄い速度で、駆けてゆく。

 

 

(鬼殺隊を舐めないでください。)

 

懐に仕舞っていた厄除の面。白い子狐の無邪気な面を。鬼殺の任務でいつも纏うそれを、桃乃はつけていた。

ひたすらに走る。

夜の闇を、影を友達にして。風に踊る木の葉のように、軽やかに。不思議な巫女舞のごとき足運びで。くるくると走る。

 

 

(……空気を切り裂いた弾。そんなの、跡を辿るのはお茶の子さいさいなんですよ。)

 

 

桃乃は一切慌てない。

いつ鉄砲に撃たれるかなどという恐怖は感じない。

ただいつも通りの、鬼殺し。

 

敵が人間である可能性は考えなかった。

アカネの胸を貫いた、銃弾。あれからは、禍々しい血鬼術の気配が湯気のようにたぎっていた。

常人とは違う桃乃の目は、決して誤魔化せない。

 

 

(銃を扱うならば。隠れ場所がいるはず。……いや、透明化の血鬼術を使うなら、どこからでも撃てますね。油断は禁物……っと。)

 

 

ふわりと。

ほとんど純白に近い薄桃色の浴衣が、右手に握られた日輪刀に似合わず儚く揺れた。

桃乃の走り方は異様だ。

着物が空気をはらまない。何もかもを透過しているかのように、体は動く。

 

“眼“ がぼんやりと宙を視る。

景色の中に、“氣“がゆらめいている。

 

 

(……見つけました。)

 

桃乃は長いレンガ塀の影に沿うように、ぴょん、と跳んだ。たん、と着地して再び地面を蹴る。

沈みかけの月が煌々と照る。

青い影が、にゅうっと伸びる。雑草と土の匂いに混じって、異形の存在がその腐臭を漂わせる。隠し切れない気配は、もはや桃乃の“眼“ すら必要としないほどだった。

 

……鬼の潜む廃屋は、目と鼻の先にあった。

 

 

 

 

 

トンッ。

 

地を蹴る。廃れた一軒の古民家がぐんっと迫りくる。

 

 

 

 

  水菓子の呼吸 壱の型 林檎は薄切り

 

 

 

跳ぶ。

戸を蹴破る。

一切の無駄なく。鬼の影を目指して。

頸を、斬る。

 

 

 

「うひあっ!!」

 

 

なんとも情けない声がして、闇に怯え切った鬼が浮かび上がった。

民家の畳に這いつくばって、黒光りする銃を抱えている。そう、それでまっすぐにこちらを狙っていた。

 

 

バンッ。

 

 

「……(小賢しいんですよっ)。」

 

悪虐と汚れた顔。ひゃっと腰を抜かした輩の正体。古風な羽織袴に身を包んだ髷の鬼は、神速で弾を装填し直し、再び手元の銃の引き金を引いた。パンッと乾いた音が鳴り響く。

桃乃は最小限の動きで回避して、型をつなげようとした。……が。

 

 

「……っ曲がれ、わしの魔弾!!」

 

   血鬼術 追尾弾

 

一旦避けたはずの弾が、後ろから戻ってくる気配を感じた。

桃乃は危うく体をねじる。無理に曲げた体勢で、凄まじい蹴りを放った。円弧を描く、桃乃の足。

 

まるで閃光のごとく。

なんと驚くべきことに、銀の隠し刀が、草鞋の底から飛び出した。スパンッと正確無比な蹴りが、銃弾にぶち当たって粉々に打ち砕く。

ジュウッと煙が上がる。

一瞬の後。灼けた鉄の匂いがして、ゆっくりと弾は消えさった。……当たり前だ。日輪刀で、斬ったのだから。血鬼術は燃えて無くなる。

 

しかし飛び散った弾の破片は、消える前にほんの少しだけ、凶器としての役割を果たした。細かいカケラが、どうしようもなく桃乃の足に突き刺さる。白い足袋を突き破って、それが一瞬で真っ赤な血を噴き出させた。

当然、桃乃は意に介さない。

あたりまえのようにそれで地を踏み、稲妻のごとき疾さで跳ぶ。ただまっすぐに。鬼の頸を狙う。

 

鬼が震え上がった。

後退りして、壁にぶち当たる。

 

「そんな、……ばっ化け物じゃっ!」

 

叫びながら、くるりと背を向けた。完全に逃げの体制…目指すのは窓だ。経年劣化で黄ばみ破れ、すでにボロボロの障子を突き破ろうと。駆ける。桟敷へ手を掛ける。

 

「ヒュウウウ!」

 

 

  水菓子の呼吸 壱の型 林檎は薄切り

 

 

鬼の頸が、飛んだ。

あっけなく。

ズルリと、頭が滑って転がった。

 

「失礼なのです。……化け物はそちらでしょう。」

 

 

冷たい。

突き放したような中に、一抹の悲しさが漂う声。

汚れた白い子狐の面が、薄暗い月夜に影を落とした。

 

「……どうして。命を奪わねばならないのでしょう? 」

「ヒッ!ヒイィッ!」

 

シュウウゥ。

灼けてゆく。煙となって、崩れてゆく。

鬼の顔が、歪んで涙を溜める。足掻いても、足掻いても逃れられない死を目の前に、桃乃の声は聞こえていない。

 

「おんなじ人間なのに。殺し合いなんて間違ってるのです。おかしい、……いいえ。ただただ異常なのです。」

 

ひゅうるりと。

剣舞をするかのように、桃乃は日輪刀をゆっくりと振る。闇の中でなお煌めく白菫色。

鮮やかな果実の芳香が、あたりにすうっと漂うような幻惑をつくり出す。初代水菓子の呼吸の使い手として、遺憾なき才能がここでも発揮された。

 

「………ぁ、ぁ。」

 

だんだんと灰になり、崩れ死にゆく鬼。

彼はその一瞬の間、憑き物の落ちたような顔をした。紅い眼は穏やかに。二本の牙は、奥ゆかしく口の中へ仕舞われた。歪んだ憎しみは消え、ただ皺の多く刻まれた初老の男が桃乃を見つめていた。

男は、しばらく唇を震わせていた。やっとのことで言葉を絞り出す。

 

「……わしは、なんと無駄な人生を……」

 

語った口が、ボロリと灰になる。瞳孔の開かれた男の眼は涙に濡れていた。じゅわっと湯が蒸発するような音が響き、最後の細胞が消え去った。男の髪の毛も、着物でさえも。跡形もなく煙となる。

 

 

桃乃は自然にそっと左手を鞘に添え、静かに納刀。じりじりと蹲り、そしてチャキン、と納めの音を鳴らした。

 

「……うっうっ。」

 

喉を押さえても、堪えきれない。

久方ぶりに桃乃は吐いた。

黄色い液体が撒き散らされる。溶けたりんご飴が出たのを見て、桃乃はどこか虚ろな目をした。

 

……ガクン。

糸が切れたように土間へ膝をつく。ゆっくりと横たわり、左足を抱えた。血がだくだくと流れ出し、動かすたびに激痛が走っている。それは銃弾の破片がいつくも突きささった痕だった。

呼吸で、患部をひき絞る。

これで血は止まった。ふうっと、疲れ切ったように息を吐き出す。

 

 

「……アカネさん。」

 

ぬるい風が撫でる。

桃乃の閉じられた眼は、涙に濡れていた。

 

ふっと目を開ける。

目の前の壁に。カヤツリ草の群生が、土間の片隅で寄り添うように生えていた。

そして。黒い影がそこへひっそりと。

 

まつ毛の長く美しい鴉が見つめていた。

首に結びつけられた紐には、指人形ほどの蝶飾りが垂れている。ほんのちょっと、バサバサと羽ばたいて。鎹鴉の矢羽凪が、不安げに桃乃の方を見ていた。

……近寄るのか、それとも見守るのか。

 

躊躇う。

しかし覚悟を決めたようだった。大きくバッと羽根を開き、飛んできて、桃乃の肩のあたりへ舞い降りた。

ゆっくりとすり寄り、くっと首を傾げる。

 

これは『撫でてよ』の合図。

 

「……いやです。」

 

矢羽凪が、悲しそうに目を瞬かせる。カアァ、と嘴から小さな鳴き声を漏らした。

なぜ、とでも問いたげな調子だった。

 

「……辛いんです。」

 

だから、今は撫でるような気分ではないと、拒絶する。

花よりも団子よりもペットを大事にする彼女が。愛情と友情にあふれる少女が、今宵初めて矢羽凪を突き放した。

矢羽凪が寂しそうに瞬きした。

 

“……辛そうなあなたを見ると、わたしも辛いです。“

 

 

「………え?」

 

桃乃は突如ポカンと目を瞬いた。

はっきりと。矢羽凪の心の声が聞こえたような気がしたのだ。

 

怪我の痛みも忘れて目を見開いた、ちょうどそのとき。目の前で、ゆらんと何かが揺れた。

鴉が鉤爪に吊るして差し出した、それは。

 

「……アカネさんの土笛。まさか、持ってきてくれたのですか?」

 

桃乃が信じられないといったように呟く。

アカネの首に掛けられていたもの。彼女の一番の形見。

それを、矢羽凪が運んできたのだ。

 

矢羽凪は、ポトリと土笛を桃乃の手に落とす。桃乃はそおっと握りしめた。

 

“放っといたら、笛がかわいそうだと思ったから。“

 

「……ありがとう。私の代わりに守っててくれたんですね。」

 

桃乃は微笑む。

いつしか、矢羽凪との会話が自然になっていた。

ゆっくり黒い鴉の頭に手を伸ばす。汗をかいた青白い手が、赤子を愛でるように、撫でる。そおっと何度もくりかえす。

少女は、ゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、きみは。」

「カァ」

 

空が白み始めた頃。

報告を聞いて駆けつけた炎柱が、古民家にて。土間の真ん中ですやすや眠る少女を見つけた。

 

バサバサッと、少女に寄り添っていた鎹鴉の矢羽凪が飛んでくる。

何事か炎柱へ耳打ちした。それを聞いて、彼は感服したように頷く。焔のごとき熱い男、煉獄杏寿郎は、穏やかに眉を下げて笑みを浮かべた。

 

「鬼は滅したか。俺が来るまでもなかったようだな。」

 

杏寿郎は、軽々と桃乃を抱え上げる。

矢羽凪の案内に従い、馴染みの藤の家に向かって風のように駆け出した。

 

 

 

 

到着は早朝であった。

 

「御主人!急な訪問申し訳ない、お邪魔する!」

 

微かに藤の花のお香の焚かれる匂いが、漂い出てくる。

 

堂々とそびえ建つ門。錆びて朽ちたかんぬき。黒々とノミで彫りつけられた紋様は、藤の家紋であった。

 

“藤の花の家紋の家“。

それは鬼狩りに命を救われた一族である。先祖の恩を胸に、彼らは代々鬼殺隊に無償で尽くしてくれるのだという。

もちろん援助には金がかかる。

経済的に自立した一族が多いため。立派な門構えの屋敷が出迎えることは珍しくなかった。

 

それは今回も例外ではない。

 

桃乃を抱え、煉獄杏寿郎が門をガラリと開ける。するりとくぐり抜けた。

と、途端に大きな池。亀が泳ぐ。チラリチラリと。錦鯉までが悠然とその美しい模様を晒す。樹木も多い。大きな杉の木。柿、桜。ぐるりと囲む、松、竹、梅。その他名も知れぬ緑の植物群が青々と。

 

杏寿郎は臆さずに進んでゆく。馴染みの家なのだ。主人とは、幼少の頃よりの知り合い。

いくら飲んでも酒に酔わず、白髪の似合う顔にニコニコ微笑を絶やさぬ奇妙な爺さんだ。

 

庭に埋め込まれた、飛石を無視し。雑草の生い茂る中を、突っ切ってゆく。

野あざみを踏み潰して、おじぎ草をさんざんお辞儀させた後、彼は素早く縁側へ上がり込んだ。

案の定、主人はすぐに杏寿郎を出迎え、怪我人である桃乃へも適切な処置を行ってくれた。

 

「軽傷ですね。右足裏がズタズタですが、止血が完璧にできております。単に疲労困憊しているだけでございましょう。」

「やはり貴方に任せてよかった。急な邪魔にもかかわらず診察していただき、まことにありがたい!」

「杏寿郎さまは、決して邪魔などではありませんよ。」

「そうであったか!ハッハッハ!」

 

快活に笑いながら、杏寿郎は白い布団に眠る隊士へ今一度目を向けた。橙赤の炎の宿った瞳で、ギョロリと凝視。

それは興味の籠った視線だった。

 

(これが、胡蝶が今……柱に最も近い継子だと考える少女なのか。)

 

小栗林桃乃。

階級:乙

使用する呼吸:水菓子の呼吸

戦法:並外れた感知力・舞のように柔軟な剣技を利用した、変則的な撹乱と制圧。同呼吸の使い手がいないため連携が多少困難である一方、集団に溶け込み、統率する能力にすぐれる。

 

強いことは確か。しかし剛力による面制圧攻撃の対処など苦手も多く、腕だけならば他の継子に劣ることもあるだろう。

よって、胡蝶しのぶが、彼女を『最も柱に近い』と評した理由。それは、『集団に溶け込み、統率する能力にすぐれる』の一文にあるということだ。

 

柱とは、鬼殺隊の要だ。

彼らは文字通りに希望であり、旗印。

誰かを率いる時に、見せる背中が不安定でぐらぐら揺れているようでは話にならない。柱は、いつでも守る側。もっと強い誰かが助けてくれるのを拝んで待つような、甘えの気持ちがあってはならない。

 

その点、この少女は二本の足で野に立っている。それが胡蝶の言葉だ。

 

残りの二人はどうなのだろうか。

<月森ヒナ>

<山路アカネ>

彼女らも十分に未来の柱たる素質を持っている。持っているのだが……。

胡蝶の憂いを帯びた表情は、育てることの難しさを語っていた。

 

—————ヒナは強いです。鬼を誘う稀血に加え、あの子の全集中の呼吸の精度は素晴らしい。いまだ発達段階であることが怖いくらいです。

—————ただ……ヒナはまるで、心の深いところで自分を諦めているかのように感じるんです。死の予感、とでもいうのでしょうか。私ならば、絶体絶命の危機の際、ヒナに全てを預ける選択肢は取れません。

 

凛と立つ少女は、どこかに危うさを抱えていて。

 

—————アカネは、よい意味で夢見心地ですね。誰もを安堵させる独特の空気と、必殺の剣技。ええ、柱になるにふさわしい器だと言えます。

—————それでも敢えて欠点を言うなら、ちょっとむらがあるんです。夢と現をふらふらしているうちに、ぼんやりして大切なものを踏み外す。今のままでは、お館様に柱の打診を受けることはないでしょう。

 

夢見心地の少女は、あまりに地に足がついていなくて。

 

それでも。

鬼殺隊の未来のために。

懸命に継子を育てる。

 

そんな胡蝶に、杏寿郎は呵呵と笑って言ったのだ。

誰しも欠点はあると。

炎の如き力強く全てを薙ぎ払いながら突破していく自分にも、できないことは多くある。たとえば情報収集とか。鬼を斬るためにはまず突破しなければならない第一関門、のハズなのだが……あれは苦手だ。

いかんせん、目立つ。

紅と金の混じり合ったような髪の色と、生来生まれ持った目力や声の大きさ。

堂々と人に聞いて回ることはできても、隠密ができない。つまり、賢い鬼が相手ではだいぶ不利な状況にも陥る可能性があるということだ。

胡蝶しのぶはたおやかな笑みと人の良さでするりと人の輪へ溶け込み、極々自然に鬼の情報を集める。そういえば以前音柱の宇髄天元にも『お前の戦いはド派手でいいよなぁ!気合いと根性で富士山噴火させたって言われても驚かねえぜ!』などと羨望の眼差しで言われた覚えがあるが、そういう彼自身、元忍として持っている隠密・諜報技術には目を見張るものがある。うらやましいのはこちらだと声を大にして言いたい。

いつも鬼に先手を越されてばかりの自分は、薄氷のようなギリギリを突破しているというのに。

 

白い少女。

今はいまだ眠る青虫か、さなぎか。

しかし彼女の才能が花開いた時には、胡蝶にも、杏寿郎自身にも、はたまた他のどの柱にもできない何かを持つ仲間が一人増えることになるのだろう。

それはとても、喜ばしいことだった。

そのためにも……

 

「うむ、まずはゆっくり休んで回復してもらわねばな!」

「そうでございますね。」

 

杏寿郎に同意した後。少し、藤の家の主人は哀しげに言い淀んだ。

 

「しかし。浮世とはままならないものでございますね。小栗林隊士殿が目覚めた暁には……」

 

杏寿郎は、少女を眺める主人の目、その奥へ浮かんだ何かを見て悟ることがあった。

—————彼女の友人が死んだ。

 

鬼殺隊の宿命。

仲間の戦死を、目の前にすること。

そして。

何があっても、その意志を繋ぎ続けること。

 

きっと、少し前に鴉が運んできた文はそういうことだったのだ。

主人は、少女に遺書を渡さねばならない。

 

……その場に、俺の姿は不要であろう。

 

杏寿郎は、紅の日輪刀を引き寄せると、すっくと立ち上がった。一礼して、主人にいとまを告げる。

 

「おや。もう行ってしまわれるのでございますか?」

「うむ、少々任務が立て込んでいてな!」

「やはり、柱ともなるとご多忙ですね。お身体を大切に……いえ、命さえ残っていてくだされば、どのような怪我も治してみせましょう。いつ何時(なんどき)ここへ転がり込んできても結構でございます、杏寿郎さま。」

「ハッハッハ、ありがたい言葉だな!」

 

心を燃やせ。

強く生まれたからには、弱きを助けよ。

煉獄の家の者として、決して恥ずかしくない生き様を。

 

燃え盛る炎のような男として、鬼殺隊でも随一の信頼を寄せられる杏寿郎。

しかし。いつ折れてもおかしくない刃を、信念と志で叱咤して生きている。そんな自覚が杏寿郎にもある。

 

畳敷の部屋を出る間際。もう一度、杏寿郎は白い少女の方を振り返った。

 

「主人、一つだけ言葉を残していってもよろしいか?」

「もちろんでございます。」

「様子を窺い、不要のようであれば忘れてくれ。本来ならば、彼女らのみの問題であるからな。」

 

杏寿郎が思い出していたのは、かつて、今の白い少女と同じように布団に臥せっていた母の面影だった。病に倒れ、青白い死の燐光をゆらめかせながら。最後まで己の人生を全うした尊敬する人。

 

「『死者が笑っていられるよう、俺は鬼を狩り、故に安堵して夜に眠ることができるのだ』」

 

—————なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか?

 

水色の風鈴のような、透明な声の人だった。

 

—————弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。

 

凛と崩れぬ佇まいは、病に倒れてからも紅を欠かさないような、彼女の磨き抜かれた心がけを表していたのだろう。……それでも。

 

—————強く優しい子の母になれて、幸せでした。

 

凪のような母が、溢れさせた涙。

死を悟った彼女が、唯一泣き崩れた。

抱きとめた息子に見せた弱さ。

 

……あの涙のために、杏寿郎は鬼を斬り続ける。

 

「……折を見て、伝えておきましょう。」

「うむ、感謝するぞ!」

 

藤の家の主人がお辞儀をする。快活に笑って、杏寿郎は今度こそ屋敷を後にした。

一陣の風が、吹きすぎてゆく。

 

金色の太陽が地平の暗がりへと沈んでいく頃、桃乃は目を覚ました。

 

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