月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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藤の家紋の家で

甘いお粥の香が漂ってきて、ゆっくりと意識が覚醒する。

板目の天井が見えて、そして自分が白い布団に包まれていることから、桃乃は大体の状況を把握した。

 

「……藤の花の家へ、連れ込まれたようですね。」

 

近頃は、怪我をすれば蝶屋敷へというのが定番の流れとなっていたが、昔は違った。血塗れで朦朧とした状態で担ぎ込まれる隊士たちを、文句も言わずに畳へ通してくれる。鬼殺隊士にとっては仏様のようにありがたい場所が<藤の家紋の家>だった。

 

ゆっくりと布団から這い出し、胡座をかいて瞑想を始める。

集中して全集中の呼吸を行うことで、怪我の治りを早めるのだ。

 

息を吐いて、吸って。吐いて、吸って。

巡り出した血液を感じながら、桃乃は夢のような世界へと没入していった。

 

広がる闇。薄く色の抜けた雲と、青白い月が昇っている。

『————て———か—?』

『———兄さん———わけが——』

『——そんな———が—死ぬなんて!——』

草のぼうぼうと生えた山路を、転がるように駆けて行く。茶色の屋根瓦の門を抜け、井戸のそばを通り過ぎ、そして藁のゴザに寝かされた二人分の死体……。

うっと息が詰まる。チカチカ瞬き、視界が暗転し。

……次の瞬間、自分がいるのは別の建物の中だった。

血の海が広がっている。骨と内臓と、脳味噌と、眼球と……何十人分もの人体だったものの残骸が、壁や天井に飛び散り張り付く地獄絵図。

『———どうして———が——』

『—————わからない。しかし———』

『—————————私たちの責任だ。彼は、必ず私たちが捕える。』

強い決意が、五臓六腑の底まで染み渡る。

そう、彼は。

彼だけは……彼の罪人の刺青を増やさせないと、誓ったあの日の責任を取るために……!

 

「小栗林殿!大丈夫でございますか!」

「………っ。」

 

くらりと目眩が襲って、吐き気を堪えるためにくの字に布団に倒れ込んだ。

さっと駆け寄ってきた老人が、盥を差し出し、温かい手で背中を撫で始めた。次第に震えは治り、桃乃はゆっくりと落ち着きを取り戻した。

 

今のは、なんだったのだろう……。

 

瞑想をするだけで倒れるなどということは、今までにないことだった。

桃乃の顔が青いのを、老人は心配そうに見つめていた。

 

「す、すみません……もう大丈夫です。」

「いえ。ご無理をなさらず。」

「あの、ちょっと変な夢を見ただけなので……。」

 

桃乃が言うと、老人は不思議そうにこちらを見つめた。

 

「……変な夢?」

「い、いえ。そんなに大した夢ではなくてですね、ただ…()()()()()()()()()()気分になったので……。」

 

桃乃は、ゆっくりと口を閉じ、自分の纏っている寝巻きを見下ろした。

……祭りに着て行った浴衣は、泥と血に汚れていたので替えてくれたのだろう。

そう思った途端、桃乃は前夜に何があったのかを思い出した。

 

思わず、じわりと涙が滲む。

ゆっくりと袖で涙を拭う桃乃を見て、老人は思うところがあったのだろう。

二枚の封書をすっと差し出して、退室していった。

 

「……二枚。」

 

桃乃は、掠れた声で呟いた。彼女の瞳は、絶望的な暗い色だった。

 

「えぇ、えぇ……知っていたような気がするんですよ。ヒナさん、約束は絶対に守る、義理堅い人だったのに……時間通りに待ち合わせに来ないなんて……」

 

遺書:月森ヒナ

遺書:山路アカネ

 

もう、二度と。この世で会うことはできない。

震える手で、桃乃は文を取る。ペラリと、紙を開いた。

 

羊羹が好きで、海のもんが嫌いだと言ったことを、覚えていてくれるか

もちろん忘れてくれてもいい

だが、遺書で話すことと言ったら、こういうことくれえしか思いつかなかったんだ

うちは生き方が不器用だから、いつか死ぬような気がずっとしてる

こんなこと言ったら、しのぶ様に叱られるのが目に見えてるから言わないが

 

 

—————そんなことを言っていて、本当に死んでは世話がないに決まってる。

 

 

どうか。お願いがあるんだ

桃乃の笑顔が好きだ

アンタにはずっと笑っていて欲しい

で、その笑顔でもって、うちが何が嫌いで何が好きだったか、誰かに伝え広めて欲しいんだ

ずっと秘密にしてたが、うちには真っ当に生きると約束した弟がいてな

黙って故郷に置いてきちまったんだ

今更なんだって話だが、死んだ後のことを考えると心残りなんだよな

あんまりにも、申し訳なさすぎて

だから弟が、うちの生きていた証を手に入れられるようにして欲しい

 

 

—————そんな大事なことは、生きているうちに、面と向かって言って欲しかった。

 

 

ここまでつらつら書いたが、書き終わってみるとなんだか気恥ずかしいな

まあ、なんだ。うちは月夜に舞う桃乃が好きだ

ずっと、蝶でいてほしい……結局はそれだけなのかもしれん

うちのことは気にせず、桃乃の好きに生きてくれ

同期としての、約束だぞ

 

 

「……ヒナさん……貴女って人は……。」

 

本当に不器用で、誰よりも誠実だった。

ただ、早く死にすぎただけだった。

魚を見た時の苦々しい表情の秘密も、羊羹が好きな理由も、まだ全然教えてもらっていない。

涙で袖をびしょびしょに濡らしながら、桃乃は黙って泣いていた。

 

ゆっくりと手を伸ばして、二枚目の遺書を取る。

山路アカネのものだ。

 

 

 

桃乃ちゃんには、初めて鬼と会ったときのことを話そうかな

お母さんが笛の音で鬼の気をそらして、それから山の樹々の間を曲芸みたいに飛び回って逃げて、私を守ってくれたの

おかしなことを言うみたいだけどね、なんだか、桃乃ちゃんはお母さんみたいなの

初めて会ったときから、そうだった。桃乃ちゃんといると安心したの

しのぶ様も、そんな私の気持ちを汲んで一緒にしてくれたんじゃないかな

 

 

—————知らなかった。

—————アカネが夜眠れないことを知っていたけれど。笛が上手なことを知っていたけれど。肝心のことを何一つ知らなかった。

 

桃乃ちゃんと一緒なら、夜もいつもより眠れて

あぁ、きっと一番最初に柱になるのはこの子だなって思ってた

そういうことだから、私の笛は桃乃ちゃんにあげたいの

しょーくんとか、ヒナちゃんとか、カナヲちゃんとか、しのぶ様とか……色んな人に申し訳ないけど、それでも桃乃ちゃんがいい

 

—————こんなにも大切に想われていたことにすら、全然気づいていなかった。

 

私が死んだなら、後悔はないよ

鬼殺隊の人に救われた命、一度死んだはずの命

それで何十、何百もの他の命を助けることができたんだから

欲を言えばもっと助けたかったけど

 

—————おどけたような、夢見るような瞳をしていたくせに。

—————誰よりも強靭でしなやかで、たわめど折れない柳の強さを持つ人だった。

 

桃乃ちゃんがお婆ちゃんになるまで、ずっと幽霊として憑いてあげるからね

そのあとで、旅芸人のみんなのところ行くよ

ずっとずっと、夢みたいに幸せな人生だった

お元気で

 

「……馬鹿。」

 

ゆっくりと、布団の中へ顔を埋める。

 

「二人とも、大馬鹿野郎なのです。」

 

水色の涙が、とめどなく流れ出して止まらない。ついに嗚咽が漏れ出した。

 

「みんな、みんな、私を置いて……」

 

「—————死者が笑っていられるよう、俺は鬼を狩り、故に安堵して夜に眠ることができるのだ。」

 

哀しい目をした老人が、いつの間にか花を片手に佇んでいた。

桃乃は無言で入室を促した。

老人は、お盆に湯呑み、摘んだ花を入れてきたのだろう籠を乗せて運んできていたのだった。

 

「貴女をここへお連れした炎柱様が、おっしゃった言葉です。」

「………。」

「あの方にとっては、幽霊はこれ以上ない心強い味方だそうでございます。」

「………。」

「弔いは、手を抜いてはならぬと存じます。どうぞ、悔いのないように。」

 

黙っていてくれるほうがありがたいこともある。人を喪った悲しみにくれているときは、特に。

しかし、この老人に限ってはその例に当てはまらないようだった。

静かな声が、心の波風を鎮めてくれる。訥々とした朝焼け時の凪の穏やかさ……老人の手で海水が掬われるようだった。

 

「……おじいさん。」

 

桃乃は布団から顔を上げずに呟いた。

 

「はい、なんでございましょう。」

「死んだ人は、ずっとここに……私たちと一緒にいると思いますか?」

「………。」

 

老人は、しばし無言で考えるような素振りを見せた。そして、ゆっくりと頷いた。

 

「私は、たまに夢の中で父に叱責されます。それも、決まって紅い彼岸花の海の中で……あれは決して幻の類ではありませぬ。死者は常に私たちとともにあるのだと、私は堅く信じております。」

「……たとえ、それが鬼であっても?」

「………鬼、ですか?」

「はい。」

「……難しい問いでございますが、場合によっては『はい』と回答いたします。鬼も元は人でありましたゆえに。」

 

桃乃は、ゆっくりと布団から顔を上げた。

目は泣き腫らして真っ赤に染まっていたが、顔色は落ち着いていた。森に生きる樹木の如く、乾いた深みを持つ落ち着きだった。

 

「ヒナさんも、アカネさんも。できれば死なないで、生きていたかったと思います。……でも、それは誰でも同じで。それでも鬼殺の道を志した以上、後悔はないはずなのですよ。」

「………。」

「道なかばで果てたとして、無論私にも後悔はありません。」

 

桃乃の見上げる空には、紺碧の闇に、うっすらと茜色の夕焼け雲がたなびいていた。

 

「今ならわかる気がします。どうやって、鬼殺隊が千年もの間存続してきたのか。」

 

日輪刀を引き寄せて、僅かばかり抜刀した。白菫色の刃が、ギラリと闇に光る。じっと見つめていた桃乃が、「新しい型を思いつきました。」と呟いてふっと微笑んだ。

 

『捌の型 黄泉の栗』

 

どうしても。

命に替えてでも。

守りたいものがあった。

 

そういう仲間たち全ての想いを背負って、ともに歩むための決意。

 

「私たちは滅びません。」

 

今宵、青虫はサナギを脱し。

—————確かに蝶へと生まれ変わったのだ。

 

 

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