月夜に舞えよ、蝶々 作:へびのあし
「斬るなら斬りやがれ!両手首斬られたって足がある!足で擦ってやるよ、どのみち次は捕まらねぇぜ!!」
狛治。
齢、僅か十一にて、百叩きの刑を受けた直後に吐いた台詞がこれである。
大の大人が失神する罰をくらってこの威勢。奉行所の役人は畏怖を込め、彼を『鬼子』と評した。
少年は優しい子だった。
穏やかで、忍耐強く、爽やかな微笑みが似合う。
彼は駆けたのだ。
病気の父親のため。薬代を稼ぐため。きっと治してやるという約束を守るため。
……しかし、そうまでして救いたかった父は、ある日首を吊って死んだ。
そばに、息子への遺書が残されていた。
『真っ当に生きろ。まだやり直せる。俺は人様から金品を奪ってまで生き永らえたくはない。迷惑かけて、申し訳なかった。』
父の願いも虚しく、狛治は荒れた。
スリの入れ墨は既に、両の腕に三本線。ついに江戸でところばらいの刑をくらって、地方へ流れ出る。
自暴自棄になって喧嘩を繰り返す彼は、飢えた獣よりも手がつけられない。
火達磨となって酒樽へつっこんだ暴れ馬のような、爆発物のように危ない鬼神の強さを持つ少年。
そんな彼を、慶蔵という武道家が拾い上げた。笑顔で狛治をボコボコにした彼は、のんびり屋でよく笑う、気持ちのいい人だった。
「まずは生まれ変われ、少年!」
そうだ。
狛治は彼を信じ、生まれ変わろうと心に誓ったのだ。
病弱だった慶蔵の娘の恋雪を看病しながらの、修行の日々が始まった。
狛治はやはり優しかった。病気で伏せっていた恋雪が、彼の言葉にどれほど救われたことか。
—————遊びたいとは思わない、昔から。空いた時間にそこらで鍛錬しているのでお気になさらず。
—————目暈が治まっていたら背負って橋の手前まで行きましょうか。今日行けなくても、来年も再来年も花火は上がるから、その時行けばいいですよ。
元来我慢強く、優しく、強いこの青年は、何度も奉行所で鞭打たれてすさんだ心を、慶蔵や恋雪との生活の中で癒してゆく。
彼はあっという間に拳法『素流』を極め、恋雪と花火の下で将来を誓いあった。
……が。悲劇は起こった。
慶蔵も。恋雪も。
隣の剣術道場の者に毒殺された。
愛したものを奪われ、復讐鬼となった狛治は、剣術道場の門下生を皆殺しにする。
全てを失って空っぽになった彼を、無惨が遊戯気分で鬼へ変貌させる。
かつて鬼子と呼ばれた少年は、本物の鬼になったのだ。
そして。
……そんな彼の前に立ち塞がったのが、たまに素流の道場に会いにきていた、一人の友人だった。
慶蔵の弟の、昭蔵。彼と、そしてその息子が『浪流』という武術を作り上げていたのだ。
この世の全てを“氣”と認識し、舞のように滑らかな不思議な型を持つ。素流が剛なら浪流は柔。互いが互いを補い合う二対となる武術。
—————ハア?!スリの入れ墨が両腕に三本線?!しかも捕まらなかっただけで、本当はもっとやってるって?
—————あー、お前みたいな良い奴が、なんでこんなことになるのかねえ。
—————俺はしがない武道家だがな、お前一人を二度と闇に堕とさないくらいの覚悟はしとかねえとなぁ。常に、世の中を少しでもよくしていきたいって考える。それが男ってもんだろ。なあ、狛治!
狛治と同年齢ほどの息子は、明るい青年だった。名を、梅之助といった。
狛治と梅之助が拳を交えると、普段穏やかな狛治は苛烈な燃えるような闘いを、竹を割ったような性格の梅之助が山路を流れる水のような動きをするのだから、面白かった。
狛治が鬼に堕ちた後、もっとも懸命に彼を追ったのが彼ら父子だった。
やっとのことで『猗窩座』を探し当てた梅之助が試合を申し込み……そして不死身の鬼を前に一方的な蹂躙の憂き目にあった。昭蔵が身代わりとなって梅之助を逃さなければ、彼は間違いなく死んでいただろう。
昔の友人に、殺されるという結末で。
……梅之助はついぞ狛治を再発見することは叶わなかったが、そのまま死んだ父の代わりに浪流の道場の師範となり。そのまた息子が継いで。次は娘が、そして………。
細々と曲がりくねりながら、それでも大正の時代へ『浪流』は伝わった。
桃乃が最後。
彼女が死ねば、後がない。
……彼女が。責任を果たさなければならない。
桃乃はすっきりした表情で息を吸った。
あぁ、父が言っていたことはこれだったのかと。ようやく全てに納得がいった。
父は秘伝の日記を読んだわけでも、口伝の儀式を経て昔の物語を知ったわけでもなかった。
父は『記憶の遺伝』を受け継いで。
その中身を見たことがあったのだ。
「私が、純白の衣を纏う理由!それは、道着の美しさを守るため!」
声を限りに、桃乃は叫ぶ。
血を吐くカナリヤの如く、命を懸けて澄んだ声を夜へ響かせる。
桃乃は忘れない。
父は交番のいない山奥の村で、警官の代わりとして頼りにされていた。
学校の帰り道、道場の子であることを種に、よく囃子歌で男の子に揶揄われたものの、みんな父を尊敬しているのが嬉しかった。
鬼ごっこや縄跳びでは誰にも負けず「ふっふっふ!悔しかったらみさなんも道場に来てみるんですよ!」と白い着物で舞を舞ってみせた。
……ある晩。
全部が壊れた。
赤ん坊を産んだばかりの母が鬼になって。
小さな妹と、油断した父とを貪り食った。
私は浪流の柔術で母の関節を決め組み敷いて、伸びた爪に対応できずに腕を貫かれ、あまりの痛みと恐怖に気絶しそうになりながら助けを呼ぼうとし。
……そういえば、誰も助けられないと気づいてしまった。
だって村一番強かった父は死んで、二番目に強い私が窮地に陥っているのだから。
絶望しそうになったとき、鬼殺隊が助けてくれた。
「父はよく言っていたのです!『先祖との約束』があるのだと!絶対に浪流を、道場を……白く美しい道着を、穢してはならないのだと!」
桃乃の刀が閃き、ついに猗窩座に届く。
水菓子の呼吸 壱の型・改 鬼友林檎は薄切り
右耳から血飛沫をあげた猗窩座は、それを認めて心底嬉しそうに笑った。
「さっきから、まるで意味がわからないぞ桃乃!気狂いか!それもまた、酔った相手とやりあっているようで面白いが、な!」
「………っ!」
血鬼術 破壊殺・鬼芯八重芯
左右四発ずつ、合計八発の乱打。桃乃の避け方を熟知したような軌道を描いて迫り来るそれを、桃乃は柔軟に技を変化させながら掻い潜り……
「ぐっ!」
どうしても避けきれなかった一撃で耳が千切れ飛んだ。
「お前の技はなぜだか非常に読みやすい!俺の拳をすり抜けるために構成されているかのような型が勘に触るが、もう慣れてきたぞ!」
「慣れてきたのは、こちらも同じです!」
天井へ跳んで、鞠玉のように跳ね回る。そこから攻撃に転じようとするも、ニヤリと笑った猗窩座が石壁へ衝撃波を放った。ただ虚空を拳で打つだけで、そのあまりの速さに、洞窟を崩落させかねないほどの威力の空気の波が飛んでくる。
ぎゃっと叫んで墜落した桃乃を、猗窩座は追わなかった。
桃乃はすぐに跳ねるように立ち上がり……しかし何もしてこない猗窩座を不審な顔で見つめる。猗窩座は穏やかな表情で、こちらへ手を差し伸べてみせた。
「……お前も。」
桃乃は眉を顰めた。
「鬼にならないか?」
「なぜ、私が頷くと思ったのですか。」
「ふむ。やはりこうなるか。」
残念そうな、心底落胆したような表情だった。
「なんど誘ってもこうだ。」
まつ毛の内側で金色の瞳が哀しみを帯び、そして一切の無が生まれる。
「もう、終わりにしよう。桃乃。」
「生憎ですね。私の中の、私の先祖が……地獄の果てまでお付き合いするつもりだとわめいていて聞かないのですよ。終わりではなく、これが始まり……とかなんとか喉を枯らして叫んでるみたいですね。」
「呪いか……?お祓いとか、適当な神社に頼んだ方がいいと思うぞ、桃乃。」
「それを許してくださる先祖じゃなさそうです。」
「おい、お前本当に大丈夫なのか?」
「もちろんですとも。」
呼吸が深まる。
どこまでも、どこまでも沈んでゆく。
人間の体が鉄を熱したように燃え上がり、血液は沸騰する。
—————アザが、浮かび上がる。
鬼の紋様のように。
文字通り、桃乃の死力を尽くした一撃の予兆。
ぐるぐると血が駆け巡る。
アザが蝋燭の炎のように肌の上を踊り、揺らぎ、そしてみずみずしい果実の形を取った。頬に焼き付けられた、肉体の限界を引き出すしるし。
「必要なことは、全て思い出しました。ゆえに、これが私の最初で最後の全力です!」
「ならば俺も礼儀を尽くそう!桃乃!」
水菓子の呼吸 捌の型 黄泉の栗
血鬼術 破壊殺・滅式
大砲と大砲のぶつかり合いではない。
浮世にあらずの夢幻と、全てを破壊する核爆弾の闘い。
あぁ、これは世にも奇妙な果し合い。
猗窩座の滅式は、その名の通り全てを滅する拳の乱打。小細工は一切ない。ゆえに厄介。
桃乃の黄泉の栗は、彼女に攻撃を撃つものの氣を誘導する。当てるつもりでいるのに、いつの間にか攻撃は外れ、彼女が歩くための道を作っている。そんな技。
その結末は、果たして……
「ゲホッ……」
「……人間にしては、よくやった方だ。褒めてやる。」
首に一筋の傷をつけられた猗窩座と、右腕が丸ごと千切れとんだ桃乃。
勝負は明らかだった。
純粋な、力量の差で負けてしまったのだ。
「……いいえ、まだです。」
「死ぬぞ。これ以上は。…………グウッ?!」
「私が誰の継子か……あなたはまだ知りませんでしたね。」
左腕に刀を持ち替え、瞬時に身を返す。風に翻る蝶のような、空中ブランコに乗ったバレリーナのような、美しい軌道で神速の回転斬りが放たれる。
—————鬼の弱点である、藤の花の毒。
上弦が相手では死に至らずとも、麻痺させる程度の効果は発揮する。最後の切り札。師である胡蝶しのぶの十八番。それが刀に、仕込まれていた。
一瞬の隙が作れれば、それで十分。左腕一本でも首を狙い、技量のみで鋼鉄の上弦の首も落とせる。
まさに千載一遇のチャンス。
「……これで、終わりで………んな!」
「今のは少し焦った……見事だ桃乃……!」
桃乃の目が、信じられないものを見たように見開かれる。
強さの代わりに全てを捨てた……修羅がそこにいた。腕にのみ……否、腕を動かす最低限の筋繊維を選んで毒の分解を集中させ、文字通りの最短効率で毒を分解。
「まさか!もう、毒を分解して……グハッ!」
刀が粉砕。続いて右腕が根こそぎ消える。
「さあ、俺は有言実行したぞ……お前の両手をもぎとって再起不能にするとな。」
「……っ……。」
全身にびっしょりと嫌な汗が噴き出している。
視界がチカチカと白く点滅し、耳に響く音から、幻のようにおかしな星の色が見える。
どんなに血管を絞っても血が止まらない。
「俺は帰る。仕事は終わったからな。」
「……鬼殺隊を……野放しにして……良いんですか………」
「ああ。俺は女は殺さない。」
—————俺は誰よりも強くなって、一生恋雪さんを守る。
一筋の涙が、桃乃の目からこぼれた。
「……貴方は……そんなになっても、まだ……」
青白い雪の積もった洞窟の中。
猗窩座の姿は消えていた。
全てが終わった。
……しかし。
(矢羽凪……助けられなかった。)
涙が溢れる。
今は誰かに、助けを呼ばなければならない。
しかし連絡係の鴉はもう、死んでしまったのだ。
か細い呼吸を繰り返す桃乃は、ふと一陣の風を感じて目を上げる。心なしか、洞窟の温度が下がったような気がした。
「—————おやおや、かわいそうに。なんて残酷なんだろうね、猗窩座殿は。」
滲んだ視界が、蘇った危機感にはっきり像を結び出した。
「女の子をこんな状態にして放っておくなんて。きちんと食べてあげないと。あのお方にいつも後処理を任される俺の身にもなってほしいなぁ。」
虹色の、ピカピカ光る美しい瞳が見つめていた。
白橡色の髪に小さな冠を被っている。
紅い舌がペロリと出され、蓮の花が描かれた金色の扇をおどけたように舐めてみせる。
「あれ?その蝶々の髪飾りには身覚えがあるぞ?」
ゆっくりと、桃乃は身を起こす。目眩と吐き気が止まらない。しかし今はそんなことに構っている場合ではなかった。
「俺ってさ、記憶力抜群なんだよね。当ててみせようか……きみ、蝶の羽織を纏った花柱の知り合いでしょ!」
瞳に刻まれた文字が見えた。—————『上弦』『弐』
絶望的だ。
上弦の参にすら負けた桃乃が、勝てる相手ではない。
「あーぁ、もう耳も聞こえてないのかな?それとも怖くて脳味噌が壊れちゃった?……猗窩座殿ったら、こんなことするから上弦のみんなに嫌われちゃうんだよなぁ。全く、命は尊いものなのだから。大切に。丁寧に扱わなければ。」
凪を映したようなぼんやりとした目で、桃乃は鬼を見つめていた。
闇が、近づいてくる。
—————さあ、俺に喰われて共に永遠を生きようじゃないか。
桃乃は、最後まで鬼を見つめ続けていた。
運命を覆せるのは、桃乃ではなかった。
あと一年……遅く生まれていたならば。奇跡が手繰り寄せた最終決戦へ、万全の準備と最強の仲間たちに肩を並べて参加することができたなら。結果は異なったかもしれない。
……だが。
それも。
一千年の歴史に繰り返されてきた……
……ありふれた血塗れの物語。
<答え合わせ>
「素」流
「浪」流
……合わせて「素浪」人(詳しくは第三話『白い少女』を閲覧してください)