月夜に舞えよ、蝶々 作:へびのあし
「…私がやります。ヒナさんは先に行っていてくれますか?」
ヒナは頷いた。
しかし、素直に従う気にはなれなかった。
(——できるもんか。放っとくなんて)
幽鬼のように真っ青になった顔。
漆黒の瞳が極限まで見開かれ、不気味に落ち着いた桃乃の立ち姿。
驚いた。
あの、桃乃が。みずみずしい黄桃の実よりも、さらに純真に笑う桃乃が。
彼女でも、あのような表情をすることがあるのか。
ヒナは唇を噛んだ。
…だが、確かに。二人は出会って一日も経っていない。お互いの裏の顔。知り尽くしている方がおかしい。
その場を去ったと見せかけ、少し先で猿のように跳躍して、ヒナはしばし離れた木上の藪影へ見を顰めた。
気配を消してじっと目を凝らす。
———そこでヒナが見たもの。それは、生涯忘れられぬ光景として目に焼き付くことになった。
♦︎
———チャキリ。
桃乃が納刀した。…そう、抜刀ではなく。
ふらり。左足をさげ右手をのばし、世にも奇妙な格好をとった桃乃が丸腰で鬼の前へ躍り出る。独特の歩法で地を駆ける彼女と同時に、鬼も牙をむいて飛びかかった。——刹那の間、桃乃の動きはおだやかに舞を奉納する巫女のようにも錯覚させられる。しかしそれは確実に鬼を絡め取り、次の瞬間地面へ薙ぎ倒していた。
浪流 柔術その壱 逆一教
「——ただいま、おかあさん。」
その呟き。遠くのヒナには、耳を澄ませても聞こえなかった。
ただ、桃乃が鬼の耳に口を寄せて何事かつぶやいた横顔が見えただけだった。
ヒナが瞬きしたうちに、桃乃は鬼の肩関節を決めて華麗に抑えこんでいる。鬼はギシギシ骨を鳴らして抵抗しているが、もはや鉄壁の拘束から抜け出す望みはなかった。
見事にして鮮やか。しかし。
桃乃は、泣いていた。
涙に濡れた顔が白く浮き上がっていた。
「…おかあさん。思い出してよ、お正月のきな粉餅は美味しかった。妹が産まれたら、蓮華ちゃんにしようって決めた秘密の約束は覚えてる? 庭の池にはガマガエルがいて、それからそのそばの井戸端に毒キノコが生えてきたときには、私ったらこっそり食べてお腹壊したでしょ。」
下を向きながら澱みなく喋り続ける桃乃。
呻き声を上げ暴れ続ける鬼。
ヒナには聞こえない。わからない。ただ、危ない。あまりにも鬼との距離が近すぎる。丸腰とは無防備がすぎる。ヒナの冷や汗に耳鳴りが加わるくらいには緊張する光景。
ぎらり、と闇夜に何かが光って、ハラハラしながら様子を眺めていたヒナはその瞬間血相を変えた。……が。
———パンッ
ヒナの心配は杞憂に終わった。
……鬼は怪力を操るのみではない。自在に体を変形し、新たな手を生やすことや、爪、牙を伸ばす。
鬼狩りの新人はそれを忘れて間合いを読み違えることがあるのだ……が。桃乃は例外だった、ということのようだ。
「…だめですよおかあさん。もう忘れたんですか?同じ手は二度通用しないんです。」
ねじ伏せられていた鬼の右手の爪が、刃物のごとく異常に鋭利にのびて桃乃へ迫り、かと思えば一瞬で斬り飛ばされていた。
「アアァ!!ハァ、あぁ放、っせえ!!!!」
息遣いが溶けてゆく夕闇の気配。そこに響く異形の怒鳴り声。
薄汚れた着物で、耳鳴りを抑えるかのように頭を抱えうめき声をあげるのは、一匹の鬼であった。
月明かりに白く浮かび上がる顔には、醜い角が二本と、口からはみ出した鋭い牙。目の色は紅を通り越して、異常な血に染まっている。
「…っ!」
突如鬼の背中の着物を突き破るようにして生えてきた“爪“。桃乃はそれに体が貫かれそうになって、火傷したようにパッと手を離した。そのまま瞬時に跳躍して距離を取る。
「フウ、はあ、うぐあアァッ!!」
鬼は、苦しんでいた。息も絶え絶えに悶え続ける鬼。
抵抗だ。
鬼の呪いに、元々の人格が抵抗している。
本能は凶暴性を肯定し、家族や友人の記憶は失われ、侵された脳味噌は、飢餓にまかせて人を襲えと叫び続ける。
それを押さえ込もうと、欠片の理性がうなりをあげている。
人は願う。祈る。
いけるか。
いけそうだ。
どうかかみさま、ほとけさま。
もとのやさしいあのひとに、もどしてくれ!
今まで何度も、何度も、何度も、鬼が生まれるたびに人々の血を吐くような祈りは繰り返され。そして———
——————そのどれもが、裏切られた。
鬼の瞳の紅が、ゆっくりと顔を侵食していく。突然、くるりと白目にひっくり返った。全身を掻きむしっていた両手が、だらりと垂れる。刹那、鬼が発狂したようにギャーッと物凄い叫び声を上げた。
桃乃は地面に手をついて立ち上がり、ゆっくり刀を持ち上げた。涙が光る。水色の刀身がゆらりと夜の闇に揺らぎ、月光に煌めいた。
「…ええ、ええ。そうなんですよ。絶対こうなるって、本当は、最初から…」
———分かってました。
桃乃の口が完全に動き終わる前に、鬼が突発的に飛び出した。衝動に駆られたとも見えるその攻撃は、桃乃にとっては脅威にならない。
「…さようなら」
小さく、小さく呟いた決別の言葉。
桃乃の神剣が炸裂した。
水菓子の呼吸 伍の型 桃源の雫斬り
食い入るように一部始終に魅入っていたヒナ。彼女は木上の枝から身を乗り出した格好のまま、ふと幻を見たような気がした。
「……薄紅色の花園…と、微雨?」
思わず天空を見上げる———も、空は綺麗な星月夜であった。瞬きなどしなくとも、これは確かなことだ。灰色の雲が薄くたなびき、月明かりが煌々と照らす。雨など、降るはずもない。
そうか、とヒナは一人納得した。
これは全集中の呼吸に付随して見られるイメージで、実体はない。…水の呼吸。さっき桃乃に聞いたことによれば、桃乃は水の呼吸から派生させたのであった。確かに似ている。…どの型を借用したのか、少し考えてみれば一目瞭然。
『干天の慈雨』
この技名はヒナも知っている。というのも、これは他流派においても特に有名な型の一つだからだ。
どういう奇術か、鬼に痛みを感じさせずに葬る——などという水の呼吸固有の慈悲の剣戟だそうだ。
それを、きっと桃乃は自身に合わせて改変したのだ。
確かに、“あっている“。
ヒナには解った。
あの剣は、先の巫女舞のごとき柔術の動きだ。
小柄な体。元より女である桃乃やヒナには、剛腕による誤魔化しは期待できない。
桃乃の剣は、すべてを受け流し、相手の呼吸を呑み込み、ピッタリと影のように纏わりつく。決してぶつからない。
ヒナの扱う花の呼吸とはまた違う。
水の呼吸とも違う。
何故なら、これらの呼吸は時に柔く、時に激しく敵にぶつかり潮をふく。花弁を散らす。
しかし水菓子の呼吸に剛はない。踊るような動きは、僅かなる空気の揺れさえも相手に合わせているのだ。渦巻く闘気の波に身を任せる。
面白い。
桃乃が編み出した、彼女だけの技。
目を見張って惚けていたヒナは、重篤な事態に気がつき慌てて枝を跳び下りた。
「……っ桃乃」
呟き、走り出す。
桃乃の白い影が、地面に鬱屈した月影を伸ばしていた。刀を仕舞いもせず、ただ立っていた。ピクリとも動かない。…いや、よく見れば。小刻みに肩が震えていた。
湿った葉土を草鞋で踏みしめながら、できるだけ静かに歩み寄る。
とうとうヒナは小さな肩へ手を伸ばして、そうっと触れた。
ビクリ、と桃乃の体の跳ねた。一瞬、その姿が怯えた兎のように見えた。…もう我慢できなかった。ヒナは覆い包むように抱きすくめた。途端にぎゅっと押し当てられた桃乃の血の鼓動が、食い縛った歯から漏れる呼吸が、ヒナの体に激流のように流れ込んできた。
「アァ…あった、かい。」
桃乃の囁き声が沁み渡る。
どこまでも冷たい闇月夜へ、次第に鎮まるすすり泣きが静かに広がった。
♢
ヒナさん。
私、嘘ついたんです。
厄除の面を置いてきたのは大事だったからじゃありません。
…”災厄” が私を避けたら困るから。
鬼になったおかあさんが、会いにきてくれないと困るから。抱き締めて息がかかるくらい近くで語りかけてみて、それでもやっぱりその眼が獣だったら。そうしたら、私自身の手で引導を渡すため。それだから大好きな鱗滝さんの気持ちを蹴ってまで——
………あぁ。だから桃乃は、鬼を憐れんだりするんだな。
♦︎
紆余曲折あり、桃乃とヒナは今や寝食をともにする仲。いやそれ以上に強い友人関係となった。川魚を追いかけ、鬼を斬り、手持ちの握り飯を分け合い、鬼を斬り、昼寝をして、鬼を斬った。
あれよあれよの間に七日目の夜明けである。
「あんなぁ、選別受けたからには日付くれえ数えとけよ。」
「いやだって、毎日いっぱいいっぱいじゃないですか? 生き延びることばっかりで、何日目か〜なんてことまで頭回るわけないんですよ。」
「…理解できん。うちはいつ藤襲山を出られるんか、そんばっかりで頭が埋まっとった。」
泥跳ねを避けるため、袴をたくし上げて山を下っていた。雪の積もった獣道には、名も知れぬ雑草が葉を伸ばしている。
のんびりと。二人は足を進める。
というのも、すでに鬼に出会う心配はないからだ。
先刻から、独特の甘い香りがその場をふうわり揺蕩うていた。
咲溢れる藤の匂いに守られながら、二人は赤い鳥居を潜る。桃乃はすでに厄除の面を木の枝から取り返してきて貌を隠している。初日と同様の白い狐と空袴の少女の姿が、広場へ続けて降り立った。
「———おめでとうございます。」
案内役が出迎えた。
絹のように白い肌に、感情の読めない紫紺の瞳。どこか作り物めいた美貌の女性が、完璧な着物姿で腰を折る。その声は穏やかで、母が子を想うがごとくの響きが感じられた。
シャラリと銀髪がそよぐ。
こちらへ、と示された場所へ従って歩いた。息をついて周囲を見渡せば、選別者の数は初日と比べて明らかに減っている。…自身の限界を悟って山を降りた者もいるだろうが、運のなかった者の末路も容易に想像がつく。
「ヒナさん。今年は女の子のお祭りですねっ。」
「…はぁ?」
お祭りとは程遠い空気の中、何故か桃乃がはしゃいだ。
ヒナは訝しげに眉を顰める。
「だって二人も合格したんですよ? 奇跡じゃないですか。男の子でさえ死んじゃう過酷な試験なのに。遺書はビリビリに焼き捨てて、手を繋いで輪になって喜びましょうよ!」
「いや、……」
むしろこれからが踏ん張りどころだろう、とお決まりの台詞を口にしようとして、ヒナはふと桃乃の顔を見た。
……桃乃は、疲れで少々ハイになっていた。
「ね、招待しますよ。山菜鍋作りが超得意な、狭霧山の元水柱、鱗滝左近次さんから鴉を飛ばします!よければ私がお呼ばれしてみてもいいですね。ヒナさんの師匠、ご挨拶に伺えたら幸せだなあ。」
なんだか狐の面の焦点もあっていないような。…嬉しそうなのはまあいいが酔っ払いに見えてしまうのは如何なものだろう。
ヒナは深々と溜め息をつき、一言だけ伝えた。
「………今夜は早く寝ろ。」
「えぇ〜?」
♦︎
初耳だったが、鬼殺隊には “隠“ なる部隊が存在するらしい。
事後処理、事前調査、隊服の縫製…等々の雑務が主な仕事である。つまり、一般隊士の任務に比べ、かなり安全性が高い。
桃乃たちは右から左にその情報を聞き流したが、心揺れる者も数名いたようだ。最終的に入隊の意思を曲げずに残ったのは、たったの三人だった。
「———あのぅ、ヒナさん? 鴉さんとお友達になるにはどうすればいいですか?」
「……知らん。」
説明があってから半刻ほど後。桃乃は暇を持て余してヒナに尋ねた。陽は暖かく照り、藤蔓から雪解けの雫が滴り始めている。桃乃はつい先刻支給された“鎹鴉“の濡羽をちょいちょい撫でながら聞いたが、ヒナ自身、“藤花彫り“で手の甲に刻まれた階級を観察することに夢中だ。真剣に取りあってくれない。
むぅ〜、と白い子狐の面が不満げに唸る。
それに応えたのは、意外な者だった。
「友だと思って声をかけてみてください。鴉は世界一賢い鳥ですから、察してくれますよ。」
いつの間にか隣に青年が立っていた。
…それとなく離れて佇んでいたはずの、三人目の合格者だった。
「…あ、どうもありがとうございます。」
桃乃が頭を傾げると、青年は穏やかに微笑んだ。彼の纏う着物は、真っ黒な地へ溶け込むように青千鳥の紋様が染め出されていた。風が吹くと、翻って黒鳥の羽根を広げたかのように見えた。
「いえ、僕の母が鎹鴉の調教をしているものですから。」
そう言って微笑む。おもむろに青年は軽く指笛を吹いた。その瞬間、空を旋回していた鴉が一羽だけ舞い降りてきて青年の腕へとまった。指を嘴に甘噛みさせて戯れながら、くすぐったそうな笑顔で話し始めた。
「……っとまあ、こちらは僕の親友の“羽竹“。名前に“竹“の入っている鴉は基本的に、僕の母が育てた鎹鴉ですね。理由は僕らの家名が『竹谷』であるからという至極単純なものですが。」
青年が少しばかり照れながら説明をする。その間に“羽竹“はなぜか終始桃乃を見下す態度を取り続け、途中確かに鼻を鳴らす音が聞こえた。
人生で初めてみた情味豊かなカラスに、桃乃は唖然とする。その鴉、逆に青年への忠誠は凄まじいもので、肩へ頭をしなだれかかる艶かしさは見事の一言であった。
「す、すごいですね〜。…じゃあ、もしかして…私の鴉さんにも名前がついてたりするんでしょうかね?」
「もちろんですよ。僕が聞いてみましょうか?」
「え…?!っと、はい!ありがとうございます。」
ほんの興味で尋ねただけだったが、竹谷と名乗った青年は『名前はある』と即答してみせた。さすがに鎹鴉調教師の息子である。名前を知るコネでもあるのかなぁ、などと桃乃がのんびり考えている間に、青年は突然腰を低く屈めた。あれ?と戸惑う桃乃の顔の、幾分か下の方へ視線を合わせる。
「——きみ、聞いていたよね? 自己紹介お願いできるかな?」
「矢羽凪!カアーッ」
「ふうんヤウナギ…ってええぇえ喋った?!お、おーいヒナさぁん奇跡ですよ!」
「……いや普通だろ。」
人生で初めて遭遇した喋る鴉。かなり不吉だし、それ以前に怖い。…ヒナさんが呆れたようにため息ついているが、伝書鴉が喋るなど聞いたことがない。…もしや知らなかっただけで、鱗滝先生のところの鴉も喋ったりするのかな?
目を白黒させる桃乃へ、竹谷青年が苦笑いを浮かべながら問うた。
「あのう。逆に、僕が誰に名前を聞くと思っていたのですか?」
「そりゃあ、調教師のツテを使って家で聞いてくるのかと!」
「あぁ…なるほど。まあ、それでも判りますけどね。ちなみに矢羽凪さんは赤鼻の爺のとこのこどもだと思います。 あ、“こども“って言うのは鴉の意で、比喩ですが。…とにかく“凪“とか“汐”とか海に関連する名前がついてる鴉は安心です。おおらかな飲兵衛のおじいさんが指文字読解技能まで叩き込んでますよ多分。」
「…へえ」
「それから先程の質問への回答ですが、名前は勝手に変えても大丈夫ですね。怒り狂う調教師さんもいますが、赤鼻の爺は比較的寛大ですので。あとは矢羽凪しだい…まあ、ほとんどの場合了承してくれますよ。」
「な、なるほど。」
桃乃は随分迷ったが、特によい名が思いつかず。さんざん唸った後に、結局矢羽凪とそのまま呼ぶことにした。
「…じゃあ、よろしくお願いします。矢羽凪さん。」
「カアーッ。ヨロシクデス!」
あたたかに陽の漏れる藤浪の群れ。
新たな鬼狩りの隊士が、朗らかに笑いあった。
鱗滝さんのところで修行したのになぜ『水』を使わないのか?という問いへの答え合わせ的な回でもありました。
桃乃は元々道場の娘。母親が鬼化した中、素手で時間稼ぎに成功するくらい強かったのです。
『浪流』という柔術を水の呼吸と混ぜて独自の型を開発しました。
……それとお気づきかもしれませんが、最終選別の設定をいくつかいじくっています。
最終選別が終了した時点で、隠の勧誘が行われています。
原作のお館様による衝撃のセリフ「五人も生き残ったのかい、優秀だね」を「五人も実力者がそろったのかい、優秀だね」という自己都合解釈にした結果です。
原作で隠への勧誘描写がなかった理由も、「善逸以外の四人にとっては覚えている価値もない誘いだったから。臆病な善逸に関しては、慈悟郎さんが一筆お館様に書いたおかげで知らない間に道が閉ざされていた。」……というこれまた自己都合裏設定にしています。
〜プロフィール〜
<竹谷松之助>
誕生日:一月一日
容姿:黒地に青千鳥の羽織を纏った青年。
性格:穏やかな好青年で、鴉が好き。
弱点:……選別である程度は篩にかけられたとはいえ、僕は単純に剣技が弱いので……。ただの雑魚相手に、おそらく弱点もなにもないのでは?
使用呼吸:水の呼吸(+鳥の呼吸?)
趣味:鴉の世話をすること、影絵遊びをすること
好きなもの:調教師の界隈で大流行中の、鴉と一緒に食べられる『カラス麦煎餅〜雲の絵入りversion』