月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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白い少女

 

 

「緊急招集!鬼ニ変貌シタ息子ガ父親ヲ襲ッテマス!北へ走ッテ!カアー!」

「ガッテンです!」

 

薄っすら青みがかった月の昇る夜、鴉が口を開いて人語を語っている。しかし。世にも奇妙なその光景を、咎めるものはここには誰もいなかった。

 

馬よりも速く。

風よりも速く。

白い狐面の少女が、くるりと身を翻して駆けてゆく。

 

闇夜に眩しい純白の羽織がぼんやりと浮かび上がり、音もなく砂利道を通り過ぎたかと思えば、二間五尺の川を跳んだ。タンッと着地しても、音がならないばかりか風も巻き上がらない。幽霊のような存在が実態を持ち、鴉とともに移動していた。

 

木が鬱蒼と茂る田舎道だった。雑木林の中に目的の家が建っているのか、あたりはだんだんと植物の密度を増してゆく。

 

ついに生垣に囲まれた黒い塀、そしてその向こう側に渦巻く鬼の気配を察した時、少女—————桃乃はさらに加速した。

間に合え、という祈りを。口にする代わりに足をさらに速く回転させる原動力にする。

 

勢いそのまま、跳び上がって塀に片手をつき、乗り越えざまに抜刀。桃乃が向こう側を見た瞬間に感じたのは、やけに冷静な自分だった。

 

 

—————蹲る男と、広がる血の海……そして闇夜に爛々と光る紅い眼が二つ……

 

 

(あぁ。)

 

影に沈んだ夜闇で。こちらを見たのは。

鬼へ変貌した少年。父親を喰い殺す間際。

……ギリギリで、間に合った。今から治療をすれば、父親の方は助かる。

 

(これは。)

 

闇夜に広がる地獄絵図を目の前に、桃乃は静かに全集中の呼吸を行う。

そんな桃乃の目には哀れみがあった。なぜ鬼を斬るかと聞かれれば、それは鬼殺隊の義務だからと答えるだろう、そんな哀れみの色。しかし桃乃の目には、『義務』や『哀れみ』とは一線を画すような、そんな感情も浮かんでいるのだった。

それは—————

 

(……懐かしいですね。)

 

 

   水菓子の呼吸 伍の型・改 桃源の雫達磨

 

—————悪鬼め…………おい、そこのお前。目え閉じてろよ。

—————鳥の呼吸、壱の型……燕落とし!

 

(えぇ。あの隊士の方には、随分お世話になりましたとも。)

 

桃乃が思い出すのは、在りし日々の思い出。

 

 

「……悪鬼滅殺……いえ、この場合は悪鬼捕獲?どちらにせよ、悪く思わないでくださいね。」

 

 

 

 

 

 

山奥の村では、子供達による山菜集めが行われている。

しかしどうやら、そこで小さな騒ぎが起こっているようで。

 

「「一族代々『浪流』は♪閑古鳥のなく武術♪ボロの道場年中お留守、お前の父ちゃん素浪人♪」」

 

声を合わせて囃し立てる、泥だらけの少年たち。

それに囲まれ、真っ向から対峙しているのは、純白の着物を纏った少女だった。頬を林檎のごとく真っ赤に染めているのは、いじめられて困っているから……というのとは微妙に違うようだった。

 

「ちょっとお!あなたがたは何を言ってるんですか!第一に、お父さんは道場をピカピカにお掃除しているのです!ボロじゃありません!第二に、お父さんは道場をお留守にしていません!むしろ年中無休なのですよ!そして第三、浪人だったのは私のお父さんじゃなくて、ご先祖さまなのです!」

 

罵倒するなら正しく罵倒してくださいなのです!

と堂々腕を組む少女。

どうやら単純に、わんぱく坊主たちの囃し歌……その歌詞の情報の信頼性が気になっていただけらしい。

 

「情報源はどこなのですか?勘違いを解いて差し上げます!」

「いや、知らねーし。」

「いいえダメです!浪流を広く知ってもらえるのは大変ありがたいですが、それによってあやふやな理解が増え、誤りを真実とした虚言までが広がるのは許せないのです!」

「あやふやな理解も何も、俺たち揶揄ってるだけだし。」

 

若干引いているわんぱく坊主たちを前に、少女は唐突に悲しそうな表情を浮かべてため息をついた。

 

「……はあ。やっぱりそういう悲しいことを。初めっから、なんとなく結果は予想ついてたのですよ。」

 

 

「—————あーぁ。何をやってるんだ、お前ら。それから桃乃もだ。わかってたんなら、そういうゴチャゴチャ面倒くさいこと言うなよな。」

 

唐突に割り込んできたのは、緑色の着物の少年だった。黒塗りの下駄を履いている。

所詮、餓鬼大将と呼ばれる少年だった。

囃し立てていた少年たちは気まずそうに黙る。囃子歌などという安っぽいことばかりしていては、彼に後でバカにされると知っているからだ。

そして桃乃は、至極真面目な顔で一歩前に出た。

 

「面倒くさく追求してこそ人間は分かり合うものなのです。」

「……そうかもしれねえが、そうじゃないかもしれねえだろが。」

「それではあなたがたは、虹が空を彩る理由を知っていますか?」

「んなわかるわけがねえだろ。ってか『それでは』ってなんだよ、あまりにも唐突がすぎるじゃねえか。」

 

緑色の着物の少年と、いつの間にか漫才のようなやり取りをしていた桃乃。

最後に根負け……というか呆れ負けしたのは少年だった。

あーはいはい、わかったよと天を仰ぐように言う。それから懐から取り出した熟れた柿をむしゃむしゃ齧りながら、緑の少年は落ち葉の上へ胡座をかいた。続いて残りの少年たちも一斉に胡座をかく。

それに釣られるように、桃乃もその場へ正座した。

 

「なあ、小栗林。」

「なんですか、山本のまーくん。」

「お前、俺らの団の仲間にならねえか?」

「嫌ですね。」

 

考える間もなく堂々と言ってのけた桃乃に、思わず“山本のまーくん”は「返事早えーなおい。」と突っ込んだ。

 

「嫌なものは嫌なので……あ、鬼ごっこの助っ人とかはやりますよ。あと隠れん坊とか。」

「……くっそぉ。」

 

舐めやがって、と目を険しくするまーくんに、桃乃はふっふっふ!と不敵に笑ってみせる。

 

「だって、私はこの村で二番目に強いのですからね。お父さん以外の誰も私を捕まえることができませんし、やろうと思えば犯罪者の取り締まりだってできちゃいます。私が鬼ごっこで無敵なのは道理なのです!」

「悔しいが言い返せねえ……なんだってお前みたいなふざけたバカが俺の父ちゃんより強いんだよ……!」

「ふっふっふ!悔しかったらみさなんも道場に来てみるんですよ!そしてともに浪流を極めましょう!」

 

パッと立ち上がり、桃乃はくるっと回ってみせる。

そして構え。

体の全ての余分な力を完全に抜いた状態で、二本の脚はまっすぐに自然体、両手をそれぞれ軽く体の前に置いた基本の姿勢。

白い着物を纏った桃乃は、立ち姿だけで美しい。ゆっくりと始まる型はまるで巫女舞のようで。まるで戦闘に使うものだと思えない。風に紛れ、紅の落ち葉のひらりと舞う動きに合わせ、土を踏みしめても綿を撫でたような、浪流の動き。

 

わんぱく坊主一団は、思わずその動きに見惚れてしまった。

 

「きれい……」

「……おい、静かにしろよばかやろう…」

「…すみません……」

 

叱る方も叱られる方も声に覇気がない。というか、大将であるまーくんがすでに桃乃の舞の虜となっている。握りしめた拳とうっすら開いた口がその証だった。

 

—————齢十にして浪流を極めた、現小栗林家当主の娘、桃乃。

まだまだ幼い体で、大の大人を手玉にとるように畳に転がす彼女はいわゆる『神童』であった。

 

「まあ、浪流は特別女子供に優しい武術なのですがね」というのが桃乃の談である。

 

「だって力がいらないんです。天地の“氣“の動きに完全に溶け込む素質で十分。非力な私たちにとっても素晴らしい教えなのですよ。」

「そういうお前は生まれつき脚力が馬鹿げてるじゃねえか。」

「あはは……そうでしたかね。」

 

ただの跳躍で木に登り、大縄跳びはどんな離れたところからの疾走でも引っかからずに輪の一周に間に合わせ、塀の上を全力疾走して猫を捕まえたことのある桃乃。どう考えても非力な子供ではなかった。

 

「とはいえ、お父さんがいれば私はいらないくらいですがね。」

「お前の父ちゃん、警察代わりだもんな。」

「えぇ、交番までおまわりさん呼びに行くとなると、馬を駆っても三時間くらいかかっちゃいますからね。」

「……つーかお前んち、つくづく化け物の巣穴かよ。お前より強いお前の父ちゃんってなんなんだよ。」

「むむっ、失礼な言い方ですね。」

「事実だと思ったこと言ってんだよ。実はお前ら、人間じゃねえだろ。」

「人間ですとも!歴とした人間なのです!」

「あーはいはい、悪かったよ。さっきのは撤回するったら。」

 

わんぱく坊主集団は、たまに桃乃を揶揄いにくる。山本のまーくんも、こうして桃乃を挑発するような言葉選びをすることもある。

しかしそれは、憧れや尊敬といった感情の裏返しであることを、桃乃は知っていた。

 

 

浪流。

……武術。強く、かっこいい技の数々。何よりも、礼儀正しく人柄の優れた歴代当主たちの逸話に惹かれるのか、人が自然に集まってくる。

しかしその道場へ足を踏み入れると、『素浪人』とデカデカ書かれた掛け軸が目に入るだろう。

 

 

「ご先祖様は、浪人だったんだよ。」

 

それも、無一文の素寒貧のね。と桃乃の父親—————柑太郎は言った。

素浪人、とは。浪人を貶めて呼ぶ言葉だ。

 

「江戸時代。流れるように暮らす極貧の中で、この美しい武術は少しずつ形作られていったんだ。もちろん、途中でそれを脱したからこそ私たちの代にまで続いているわけなのだけど。」

 

柑太郎は、どこか遠くの海でも見つめているかのような、懐かしげな表情でそれを語る。

 

「初めて道場を持った時。そして新品純白の道着を買うお金が手に入った時。彼らはさぞかし嬉しかっただろうね。」

「……“彼ら“、なのですか?」

「うん。父と息子の二人組。……あぁ、そういえば忘れてたけれど、その父の方には年の近い弟が一人いてね。途中までは兄弟で流浪していたのを、山を隔てて二つ分の道場がいっぺんに手に入ったところで別れたらしい。……そうだ、これも忘れてたけど、その時だったか。ずっと行方不明だった息子くんが父親と涙の再会をしたのも。」

「待ってくださいなのです、お父さん。だんだん意味不明になってきたのです!」

「あはは。ごめんごめん。」

 

わかりにくかったね、と謝った父は、まあ、つまりはこういうことだと桃乃に語った。

 

—————ご先祖様との約束。

 

彼らが並々ならぬ想いで作り上げたもの。それが浪流であり、道場、道着を使用した稽古である。

 

—————何があっても、絶対に浪流を、道場を、白く美しい道着を、穢してはならない。

 

「もしもそれを穢した者がいたならば。彼らを禊ぐ責任は、私たちにある。」

 

ふうん。そうなのですね。

それが桃乃の感想だった。

 

柑太郎の言葉はよくわからず、しかし真剣さだけは伝わってきた。

やけに感情豊かに江戸時代を語る父を不思議にも思ったが、どこかに秘伝の日記でもあるのか、口伝の儀式なんかで一字一句過たずに浪流の歴史を後世に伝える約束でもあるのか、とちょっと想像してみただけだった。

 

よくわからない。

わからないなりに、桃乃は誠実だった。

 

「約束、ずっとずっと覚えておいてくれるかい?」

 

そう尋ねた柑太郎に、ニッコリ笑って答えた。

 

「えぇ。もちろんなのですよ。何があっても忘れないよう、身につける服は道着の色……すなわち純白に統一するのです!」

「え?!そ、そこまでしなくても……」

「……?大丈夫ですよ。結婚する時は白無垢ですし。相手方に迷惑もかけません。」

「もうそんな一生分の計算を?!」

 

黄色地に大輪の椿が咲いた振袖が……だの、薄水色に白い雲の紋様の流れる浴衣が……だのとぶつぶつ高速で呟き出した柑太郎の姿にこくんと首を傾げ。

桃乃は「どうせ一日のほとんどは道場に入り浸ってるわけですから、特に問題はありませんよね?」とぶっ放して柑太郎を沈めてしまった。

 

桃乃のハテナはさらに深まるばかりであった。

 

ちなみに後々。自分は果たしてあんなに直情的に『一生着るものは純白にする』などと決めてしまうような性格だっただろうかと、桃乃は大いに首を傾げることになるのだが。

決めてしまったことを撤回する気にもなれず、今に至る。

 

 

「……と、こういうわけだから。色々と謎も多い道場なのですよね。私の身体能力的に、人間じゃないとか言われても微妙に否定しにくい部分もありますし……」

 

そんなことを考えることもあった桃乃。

しかし彼女は、思い知ることとなる。

 

ある月の冴えた夜—————自分が本物の化け物を目の当たりにする運命にあったということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—————私は歴とした人間だったのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

産まれたばかりの妹が、喰われていた。

うずくまって血の海に倒れ臥す母を、父があわてて介抱しようと駆け寄り……そして頭を失くした。

 

母が、化け物に変貌していた。

 

命が大事。油断するな。警察がわりになるとはそういうことだ。あれほど口を酸っぱくして説いていた父は、化け物を相手に完全に気を許してしまったのだ。

 

だから死んだ。

もう父が笑うことは二度とない。

 

助けて、と叫ぼうとして。そして気づいてしまった。誰も自分を助けられない、ということに。

 

……だって村一番強かった父は死んで。

 

………二番目に強い私が窮地に陥っている。

 

…………ここで私が死ねば、この村は終わる。

 

 

迷わず浪流の技を出した。母を組み敷いて、完璧な関節技を決める。

 

しかし母は鬼だった。

ぎしぎしと、軋む骨。ずれる筋肉と、麻痺させた痛覚。無理やりに拘束を脱しようとする姿に、桃乃は初めて心底恐怖した。

 

桃乃は死力を尽くして頑張った。完璧な関節技を、流れるように変化させ、その時々の完璧を更新してゆく。

しかし足りない。

母の爪が伸びた。

ありえないほどに長く伸び、曲がりくねり、桃乃の肩を貫いた。

絶望した桃乃を、助けあげたのは黒い影。

 

すなわち、鬼殺隊。

 

「悪鬼が…………おい、そこのお前。目え閉じてろよ。」

 

漏れ出る殺気を隠そうともしない大柄な黒法師が、塀を乗り越えざまに抜刀。月夜に身を踊らせた彼は、天空からの一撃を放つ。

 

   鳥の呼吸 壱の型 燕落とし

 

桃乃は黒法師の言いつけを破って、それを最後までまじまじと見つめていた。

美しい剣技。無駄のない一閃。

そして天涯孤独の身となった桃乃は、事後処理部隊の隠に保護されたのち、迷わず鬼殺の道へと身を投じたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……藤襲山へ。可哀想ですが、仕方ありません。」

 

手足を斬って達磨にしたのち、桃乃は鬼に麻痺毒を打ち込んだ。弱いなりたて鬼に遭遇した隊士には、鴉が巾着袋に入れてそれを届けてくれることになっている。

藤襲山まで、運ぶためである。

 

桃乃が鬼をぶら下げて踵を返そうとした時。

背後でガサリと音がした。

 

桃乃は振り返らずに、ただ、言った。

 

「生きてください。」

 

「……あ、あの」

 

縁側の戸の陰から、顔が三つ。そして今帰ってきたという風情で、大荷物を背負って門扉に立ち尽くしている影が一つ。

合計四人の生き残りへ、桃乃は語りかけた。

 

「全員を救えず、申し訳ありませんでした。あとは黒い衣の人たちに従って、全部が終わったら……これからの人生を生きてください。」

 

言い終わると、地面を蹴る。

残された家族は、何がなんだか全くわからなかっただろう。

 

白い羽織を纏った狐面の少女。確かにそこにいたはずの彼女は、ゆらりと幻のごとくにその場から忽然と消えていた。

 

「……あれ……」

「あの子は……いったい……」

 

疾走。それだけで人の視界から外れる。

呼吸をしながら駆ける桃乃は、人外の力を秘めていて……。

 

 

 

「……でも。」

 

怪我をすれば簡単には治らない。失った手足が戻ることもない。眠らなければ死んでしまう。

一方で、金色の朝陽を浴びて笑うことができる。仲間と協力し、高め合っていくことができる。限られた生を目一杯に生きる喜びがある。

 

「私は。」

 

腰の刀の重みを感じる。

責任と、想いの強さを、再確認する。

 

桃乃は微笑む。

 

「生き抜いてみせます。」

 

鬼の元凶を倒すことができるなど、桃乃は考えていない。それは千年実現しなかった夢物語。

だからきっと、桃乃は鬼を斬って人々を助け、引退後には浪流を存続させるささやかな未来をこそ見据えている。

……なぜ、殉職率が異常に高い鬼殺隊を選んだのか。

 

桃乃自身にもよくわかっていない。

燃えたぎるような鬼への憎悪も、使命感も、ないはずだった。母も、母を鬼に変えた奴ですら憎いとは思わない。そういう純粋で決して波立たぬ凪のような心を、桃乃は生まれ持っているから。

それでも選んでしまったものは、仕方ない。

 

何があっても引き返すことができないほどに固い決意が魂の底から湧いてきて、桃乃に勇気を与えるのだ。

 

「大丈夫。私は強いんです。」

 

誰も彼も守ってみせます、と決意する桃乃は本当にとても強く……そして儚い生き物だった。

 

 





次回、入隊後一年先くらいにまで時を飛ばす予定です。
あまりにも唐突になりそうだったので、急遽小さな任務&過去の話を挿入。

ちなみに『鳥の呼吸』の使い手は、竹谷松之助の父親です。本編にほぼ何も関係ないですが、一応今も現役の設定です。
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