月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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鏡の屋敷

桃乃は石塀のそばにいた。

 

ひたと足を止める。今の今まで白羽織の裏に忍ばせていた狐面を、取り出して被る。一度深く呼吸して目の前を睨め付けた。

 

 

——薄墨色の闇にぼうっと光る廃墟があった。

 

昔は栄華を極めたのかも知れぬ武家屋敷の名残であろう。ボロボロと崩れて今や見る影もないが、ぐるりと一帯を囲む石塀だけが奇妙に強固であった…

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

桃乃が鬼殺隊へ入隊し、およそ一年。

すっかり夜型の生活が身に染みついてしまった。しかし今宵は、特に目が冴える。

 

桃乃がひたと睨める屋敷。その石垣は妙だった。あからさまに変だった。そう。結界が張ってあるのだ。表面を苔にびっしり覆われ、古びた石壁。

常人には決して推し量ることのできない、その微かな異常。桃乃の“眼“ には通用しなかった。

 

 

(……“氣“ の流れがぐるんぐるん渦巻いてますね。こんなに乱れてるってことは、つまり入り口だってことだから。)

 

桃乃は一段と崩れ落ち、ポッカリと大穴が空いた場所の前にて目を凝らしていた。

———桃乃の眼には、常人とは違う世界が視えている。

 

桃乃にとって、全てのモノは()()で把握される。ヒトの視線、呼吸、木の葉の囁き、稲妻の慟哭……ありとあらゆる世界の動き。それを桃乃は、“氣“ というひとつの概念で呼ぶ。

攻撃が来る前に、“氣“が動く。桃乃はそれを避ける。

 

応用として、己の気配を断ちたい時には、天地自然の“氣“に自らを溶け込ませることを意識する。

 

また、桃乃が鬼の頸を斬る時には。彼女が考えることはひとつ。

いかに “氣“ の流れに剣を乗せることができるか。

 

絶対にぶつからない。

もしもぶつかれば、自然に反発・抵抗される。

力比べなど愚の骨頂。

女子である自分の握力はたかが知れている。

 

……堅牢な頸。鬼にとって自由自在に操れるその強度は、おそらく日輪刀が当たった瞬間爆発的に増加する。無意識のうちに、鬼は刀から身を守っている。

 

であれば、それを感じさせなければいい。

殺気も飛ばさない。刀身が触れる面積は無限に小さく。

それでいてのびのびとはやく。

 

 

———そうやって、狩ってきた。

 

 

 

「ヒュウゥ……。」

 

 

桃乃はとうとう廃墟へ踏み込む覚悟を決めた。シャラリと抜刀。夜闇に白菫色の刃が煌めいた。初任務の日から、幾度も血を吸ってきた日輪刀。

既に階級は己へ上がり、単独任務も増えてきている。

 

今夜も、実はひとつ任務を終えたばかり。

 

鬼を成敗したので帰投しようとした瞬間、一羽の鎹鴉が息を切らして飛んできたのである。その名は“羽竹“。藤襲山で知り合った竹谷青年のカラス。けたたましく、三名の隊員が行方不明になったと告げた。

桃乃は、嫌な予感を感じた。できるだけ階級の高い隊士の救援を頼むよう羽竹へ依頼。とりあえず現場の位置を聞き出し、駆けてきた。

 

 

しかし到着してみれば、戦闘の気配も何もない。どこまでも静かな月夜に、木々の葉擦れがざわめき立っていた。目の前には広い屋敷。それをぐるりと囲む、結界。桃乃は少し悩んだ。自分は、どうするべきか。突入?待機?…突入するならどうやって?

 

悩んでいても仕方がない。

大事なことは、「決断」。それが正しくても、間違いだったとしても。やるべきことは、自分で決断すること。それが先生『鱗滝さん』の教え。

 

————そして。

 

 

 

馬鹿正直にまっすぐ結界には突っ込まない。

慎重に。

狐面越しで静かに眼を光らせる。この一帯には、まず間違いなく血鬼術が発動している。

 

 

右手で日輪刀を構えながら、桃乃はまず小石を拾い上げた。そしてそっと結界内へ転がした。

向こうの正体がわからない以上、試すしかない。

 

苔むした濡れ石が、カラコロと転がって、そして———

 

「———消えましたね。」

 

 

小石はすうっと闇に溶けた。掻き消えて、影の姿も無くなった。こっくり一人頷いて、桃乃は鎹鴉の矢羽凪を手招きして呼び寄せた。囁き声で、状況を伝える。

 

「……入り口はここですね。結界のようなモノが張ってるけれど、多分夜の間だけだと思います。夜明けと同時に血鬼術は燃え尽きるので、あの屋敷自体こそが鍵……。私、今からあれを斬ってみるので、矢羽凪さんは万が一を考えて、離れていてください。」

 

矢羽凪が頷き舞い上がる。

漆黒の羽根が、夜空へ浮かんで旋回する。

 

ついに桃乃が一歩を踏み出す。

シャラリと。流線を描いて、無駄のない一閃。渦巻く“氣“の流れに沿って、桃乃は石塀に刀を通した。硬い石が崩れ、同時に結界にも刃が通る。

 

 

「よし、斬れたからこの隙間に身を———————えっ?」

 

 

結界に切れ目を入れた瞬間、景色が迫ってきた。

ぐるんぐるんと万華鏡のような世界が広がり————彼女は一瞬のうちに百人の桃乃に囲まれていた。

 

面妖な白い子狐の貌が円環をなし、一様に日輪刀を掲げもつ。

全員が、厄除の面をつけた桃乃自身。

 

 

ふらりと目が眩んだ。

 

 

「っう、まず……!」

 

 

ゴウゥンッと奥の方から吸引するかのような“氣“の流れを感知し、桃乃は咄嗟に身を翻した。その”ナニカ” を避けながら、同時に剣を地面スレスレに斬り払う。草をザッと薙ぐ音がして、桃乃は自分のいる位置が先程と同じ草むらであることを確認した。……場所さえ変わっていないなら、目を瞑っていても戦える。

 

桃乃は少し落ち着いた。

目を閉じ、()()()()()()()()()()の感触を確かめる。

 

 

 

(うん、よし。……っと、また来ますね。大丈夫避けられるのです。でも。)

 

桃乃は感じていた。

 

再び、桃乃を巻き込まんとナニカが迫り来る。

冷静に感じとってみれば、これは明らかに殺傷は目的ではないようだった。まるでさっきの屋敷の中へ、吸い込もうとしているような。

 

桃乃は静かに考えた。戦闘の最中、冬夜の海のように、思考が冷たく冴え渡っていた。

 

 

 

 

 

 

…罠に嵌るかも。

 

飛んで火に入る夏の虫とは、このことなのかな。

 

無謀な賭けだったりして。

 

 

…………本当に、いいのかな?

 

 

 

 

胸に浮かぶ迷い。そのすべては水菓子の呼吸の一呼吸が突き破った。

 

(———私は助けに行かなくちゃなのです。)

 

 

かあっと体中が熱くなる。心臓が躍動し、全身に血が駆け巡った。火照った腕で日輪刀を握り締める。桃乃は、ただ立ち止まって受け入れる。

竜巻のごとき勢いで、“ナニカ“が迫り来り、桃乃をサアッと呑み込んだ。凧揚げの凧のように、フワリと桃乃は飛ばされる。

 

 

不思議に夜風は感じない。

 

目を固く瞑り、桃乃はただ感触のみを信じていた。左手の薬指に絡めた紐。右手に握った日輪刀。何度経験しても、この心境に慣れることはできないだろう。

……恐怖。

命のやり取りをする夜の、冴え冴えとした緊張。

 

 

(……大丈夫。私には厄除の面がついてます。)

 

ひときわぎゅっと目を閉じた時、浮遊感が消えた。宙に放り出される。

桃乃は体を反転させ、猫のように着地した。

ギシリと床板が鳴る音が響いた。

 

 

 

 

 

「———あれ? あなたはもしかして、小栗林桃乃さん…?」

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

———屋敷の中。半刻前。

 

 

 

 

「ちっ。妙な場所にとばされたな」

 

瑠璃色のギョロ目を細めた青年が、忌々しそうに舌打ちをした。

 

屋敷へ派遣された隊員は三名。その隊長である彼、伊黒小芭内は、随分と特徴的な…ペットを飼っていた。ぬらぬらと白い蛇を首に巻き、ついでに口元は白布で巻いて隠している。

 

「……すいません。俺が不用意に足を踏み入れなければ……」

 

そして隣で落ち込んでいるのは、村田隊士。前髪のサラリと爽やかな青年だが、幾分か自己評価が(そして残念なことに実力の方も少々)低かった。

 

「大丈夫ですよ村田先輩。僕も気配察知が苦手ですし、これからのことだけ考えましょう。」

 

そして他の二人を安心させるように微笑む三人目、竹谷誠之介。

鴉の濡羽のような羽織を纏い、会話の内容も鴉に関することが多い。基本的に丁寧な態度と涼やかな物腰が特徴の好青年だと言える。…ただし実力に関してはお察しである。

彼は、周囲を見渡しポツリと呟いた。

 

「……ここって、さっきのお屋敷の内部ですよね。」

 

「そうだその通り。今すぐここから離脱し、鬼の位置を炙り出す。」

 

間髪入れずに伊黒が答えた。彼はさらに、薮の影から噛み付く蛇のように陰湿な睨みを効かせる。ギョロリと目を向けた先は、村田隊士。ただただ不安そうに、そして申し訳なさそうにへたり込んでいる彼に、伊黒は言った。

 

「……おい村田、まさか鬼殺隊士ともあろう者が、戦意が萎えたなどと恨み言を吐くまい?実力がないと嘆く前に、少しは貢献することを考えたらどうだ。まあ、お前のような癪に触る態度でも、低能な輩がでしゃばるよりマシだがな」

 

「ぐっ!もしかして励まされているのかもしれないけど、なんか心にグサッとくる!!」

 

「うるさい」

 

なんだかんだ立ち直った村田の言葉を適当に受け流しながら、伊黒は周囲を見回す。

 

 

 

 

真四角の和部屋にて、三人は板壁に囲まれていた。

まるで繋ぎ目のない箱。

刀も満足に振れぬ窮屈な密室。

 

 

どこからも僅かに鬼の気配が漂う。

 

 

 

 

「「……斬るしかあるまい(ないかなぁ)」」

 

村田と伊黒のつぶやき声が重なって、二人は互いの顔を振り向いた。

 

 

「——ならばお前が斬ってみろ」

 

一瞬のち。伊黒が村田へむけて、ぐいと顎をしゃくった。自身の日輪刀には手を掛け、既に援護の姿勢をとっている。

 

「は、はえ……!俺でいいんですか?」

 

「いちいちうるさい。何か勘違いしてるようだが、お前が弱い大したことない奴だからこそだ。いいか、先頭行く奴が最も危険を背負っている。そういう役目は雑魚にやらせるのが常套というもの。」

 

「お、おれって雑魚……!?」

 

「悔しければせいぜい貢献するんだな。まあ期待はしていないが。」

 

「ぐぬぬっやってやろうじゃ「ちなみに言い忘れたが、熱くなるなよ。水の呼吸の剣士が燃えて剣の精度が鈍るなど、水中を泳ぎ遊ぶ魚でも犯さぬ愚行がここで披露されるとは思えぬがな。」っ〜〜!!」

 

 

いつの間にやら、肩の力がすっと抜けていた。自分自身でも気付かぬままに、村田はゆったりと刀を構えた。

 

「ヒュウウウ……」

 

  水の呼吸、壱の型…

 

村田が滑らかに腕を引く。

横一閃の薙ぎ払いが、目の前の壁を破壊しようとする……その刹那。

緑色の熱波が立ち昇るかのかのように、ゆらりと村田の付近の空気が揺らいだ。そして村田の姿がかききえる。

 

「ッ屈め!竹谷ッ」

 

キーン!

 

とっさに身を伏せた竹谷の頭上の空気を、伊黒が斜めに斬り上げた。甲高い金属音が響くと同時に、宙にパッキリ折れた日輪刀の破片が舞った。

 

くるくると回転して床へ落下するまで、その瞬きほどの間に、伊黒が神速で“相手“を追い詰めた。喉元へぴたりと日輪刀を突きつける。

相手は、青ざめて引き攣るような声を出した。

 

「うぇ!?ちょ、待っいや俺は何も……」

 

その“相手“は、村田だった。

先程壁に向かって刀を振ったはずの彼は、途中で身を反転させて竹谷へ斬りつけていた。とっさに割りこみ反撃した伊黒にあっけなく刀を斬られて、今は綺麗に半分になった日輪刀を右手に握っている。

伊黒が、鼻と鼻をつきあわせんばかりに恐ろしい形相で村田に迫った。

 

「答えろ。……お前の階級と好きな食べ物はなんだ?」

 

「かっ階級は“辛“!それとっ好き…好きな食べ物?…は、うどん?じゃなくて、やっぱり親子丼にする!…っとそれでなくて違くて天ぷらのどんぶりのええっと三つ葉?あわわっ——」

 

「もういい。お前がお前なのはわかったから黙れ」

 

伊黒が苛立たしげに村田を解放した。射抜くような瑠璃色の左目が、いっそう険しく細められている。

よろよろと部屋の中央へ戻ってきた村田は、喉をさすりながら心底恐ろしそうに伊黒を見た。仲間を見てびくびくしている時点で、せっかく和んだ空気が元の木阿弥だった。

 

「……言い訳っていうか、あのお、俺があの壁に触れた瞬間なんですけど。なんかふわって光った感じになって、気づいたら体の向きが前後逆になって。」

 

「ふん。そういうことか。ここへとばされた時と原理は同じ、転移系。ものの見事な血鬼術だな。」

 

伊黒は隊長。

隊員に弱腰をみせてはならない立場。

自ら自信を与えて、導かなくてはならない。

 

しかし苦々しげだった。

隠しきれない苛立ちが漏れ出していた。

 

……隊はもろとも密室へ閉じ込められ、肝心の鬼はなりを潜めて出てこない。このような状況で何をすべきか。正直に言って、伊黒にはこれを脱する術が思いつかなかい。

 

 

彼女が現れたのは、そんな時だった。

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

現れた少女に、三人は唖然として目が釘付けになる。

彼女は落ちてきた。

文字通り宙から現れて、一瞬空を飛び、着地した。

 

全身純白の衣を纏い、顔には狐面。

どこかの神社で働く童と勘違いされそうな童女だが、しかし常人と全く非なる部分がいくつもあった。

 

白菫色の刀。

言わずもがな鬼殺隊士である。色変わりの日輪刀を持つ。鮮やかな白菫色は、闇の中でも輝かんばかりに目立っていた。刀の鮮やかさは、そのまま隊士の才能に比例することが多い。つまりは、彼女は剣技において強者だということ。

 

引き締まった脚。

筋肉の異常発達は、その幼い少女には不釣り合いであった。しかし鬼殺隊士においては、それがむしろ普通。かえって、通常の太さである腕のほうが目立っているかもしれなかった。

 

そして彼女はこの状況で、余裕があった。度胸があるというか、どこかのんびりとさえしているように見えた。

 

 

……年齢は下だが、漂う風格から鑑みてもまず実力は上。となるとコイツは増援か?と伊黒が想像を巡らせていたところ、隣で竹谷が驚いたように口を開けた。

 

「あれ? あなたはもしかして、小栗林桃乃さん……?」

「……え?あぁっ竹谷さん?うわあ、本当にお久しぶりですね!」

 

選別ぶりですかね、などと彼女たちは挨拶を交わしている。

 

(……知り合いか。)

 

眺めていると、ふと伊黒は彼女の左手へ目が吸い寄せられた。

思わずため息が漏れる。さすがだ、と思った。風格に劣らぬ戦果を出す類の隊士だ。

 

「……小栗林とか言ったか、少しは頭が回るようだな。……感謝する。」

 

「あっはい。」

 

声をかければ、狐面がくるりとこちらを振り向いた。面にあいた漆黒の眼と、まっすぐに目があった。……女の眼。伊黒は一瞬、たじろいだが、それは裏表のない素直な目であった。

 

 

伊黒が感心した内容。それは、少女のちょっとした細工。

彼女の左手薬指には、黒い紐がしっかりと結ばれていた。それは床を這い、壁の向こう側へ消えている。その意図は明らか。少女は外界との繋がりを保ったままここへ侵入してきた。つまりは。入口と出口の正確な位置がわかるということ。

 

 

伊黒は、他人に頼るのは苦手だ。好きではないとも言える。

それが女であれば尚更。

しかし今はただただ有難かった。

 

機知に富んだ少女。

己より小柄で、幼い。しかし安心感があった。

何より、その白さが眩しかった。そう、闇に穢れきった自分の目には、眩しすぎるほどに。

 

 

「(ありゃぁ……へ、へび!?……なるほど、古来よりの守り神……尊んで然るべきだけど、襟巻き代わりはさすがに心を許しすぎでは……?)」

 

鬼の巣にいるというのに、どこか余裕。そんな彼女を眺めながら、伊黒は己の不安や緊張が氷菓子のように溶けていくのを感じていた。首元の鏑丸が、彼女へ挨拶のようにチロリと紅い舌をちらつかせた。

 

伊黒は、ギョロリと眼を突き出して言う。

 

「おい小栗林、それより作戦だ。迅速に済ませるが、もしや鬼側へ作戦が筒抜けになれば全て水の泡。……まさか指文字ができないなどとは言うまい? こっちの情報を全てやるから協力しろ。」

 

「はい!」

 

小栗林桃乃は、右腕を上げると、握り拳をぎゅっとこちらへ突き出して笑った。

 






ちなみに伊黒小芭内はこの時、村田さんへ全力で殺気を浴びせました。
原作の「柱、怖えよぉ〜」発言の伏線っぽいかんじです。
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