月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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決着

 

 

 

竹谷松之助の、走馬灯。

それは結果的に、彼の命を救った。

 

自ら跳躍したことで多少の威力が和らげられた打撃が、おもいっきり刀越しに彼を吹き飛ばした。

ギリギリで顔の前へ差し込めた剣が、瞬時に犠牲となって砕け散る。

くの字に曲げた体そのまま、天井へ放り出された。

彼はそのまま勢いよく梁へ激突し、あっという間に白目を剥いて気絶した。バキリ、と嫌な音が響いて、背中を打ち付けた彼は糸の切れた人形のように落下する。

 

彼の体は、桃乃が受け止めた。

背骨に怪我をしたことは明らか。激痛で再び目を覚ましてもおかしくないが、ぐったりと力が抜けている。

最も……鬼の攻撃で脳天に風穴が開かなかっただけ、まだ幸運だった。

 

 

「村田さん、作戦変更です!蘇生をお願いします!」

 

海面を吹きすぎる風のごとく。目にも止まらぬ速さで桃乃が瞬身移動する。

怪我人の介抱を任されたのだ、と村田が気づいた時には、もう桃乃ははるか向こうへ行ってしまっていた。

 

 

「……わ、わかった!」

 

懸命に叫んで、村田は気を切り替える。仲間の黒い羽織の下へ手を滑らせると、僅かに血が滲んでいるのを感じた。羽織の上でさえこれなら、隊服の下はどうなっているのやら。思わずギュゥ、と奥歯を食いしばる。

 

(俺に、もっと力があったら……)

 

人知れず涙がこぼれた。

足手纏いにしかなれない罪悪感は、岩に吸い付く凝りのように村田の胸の奥に残り続けて、到底拭い切れるものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(———ちょっと状況が悪い。あの二人が抜けたから、そのぶん鬼の注意散漫が期待できなくなった。)

 

桃乃が心の中で呟く。戦いは、未だ苦境から脱していなかった。

全力疾走を繰り返せば、ヒトの体は疲弊してゆく。しかし鬼の力は無尽蔵。だんだんと扱いに慣れてきたらしい血鬼術で、現場を掻き乱し己のリズムに巻き込んでゆく。

 

ついさっきも、あと一息というところで姿を晦まされた。桃乃の白菫色の刀身が表皮を薙ぎ、一瞬血が噴き出す。しかし首の皮が裂けただけ。鬼の髪がバラけただけ。肝心の頸骨に届かない。

 

この停滞した戦況、これは鬼の力量が上がってきたことのみが理由ではないのだろう。

 

竹谷と村田の戦線離脱。

二人の隊員は、ただ出鱈目に駆けずり回っていたわけではない。桃乃と伊黒の影に隠れてしまっているが、彼らも立派な歴戦の剣士。実力差があるとはいえ、それすら理解し冷静にこの場を支えようとしていたのだ。

つまり、鬼の気を散らせる。

頻繁に死角へと姿をくらまし、現れる。多対一という不利な戦況をより効果的に演出し、心理的に焦りを生み出す。

 

 

今はもはやその援助は期待できない。

足手纏いが減ったと同時に。

少しずつ、桃乃たちは鬼の盤上へと引き摺り込まれていく。

 

人数が増えても減っても状況は悪い。

 

もちろん負けることはないだろうが、それでは意味がない。鬼殺隊員は勝たねばならないのだ。とどめを刺せなければ、いずれ撤退を余儀なくされる。つまり、鬼を逃してしまう。

 

———ひっそりと唇を噛む桃乃。その耳に、突如のびやかな笛の音が届いた。

 

その場にいた者全員が、揃って固まって振り向いた。

 

 

奇妙な抑揚。

終いにピィーッと鋭く吹き鳴らし、その音の主は土笛からパッと手を離した。フワリ、と甘い香りが漂う。一瞬、鬼がピクリと鼻へ皺を寄せた。

 

「————あらまあ、かわいそうに。怪我人が二人も。」

 

優しい声。艶かしく微笑む様子が、顔を見ずとも伝わってくる……そんな声。

戸口から夜風が吹き抜ける。開け放たれた襖の向こう側に、二つの人間の影があった。

 

「それではアカネ。私は急患の面倒をみるから、あとはお願いね。」

 

青い蝶の髪飾りをつけた少女の影が、もう一つの影に向かって黙ってうなずいた。

少女は、さっき土笛を吹いた人物。

奇妙な夢見心地の表情で、シャラリと剣を抜いた。

 

 

 

  水の呼吸 肆の型 打ち潮

 

 

「……ッ!」

 

いきなり肉薄したその人物に、鬼が動揺した。

止まっていた時が動き出す。

血鬼術を繰り出そうにも、隙があまりにも大きすぎた。

 

 

  水菓子の呼吸 肆の型 野苺畑の舞い

 

  蛇の呼吸 壱の型 委蛇斬り

 

 

このときとばかり、残りの二人も飛び出した。三人の鬼殺隊員に追い立てられ、鬼が目を見開いた。手足が飛んで、頸が舞う。六の肉塊へとバラバラになって、あっと言う間に絶命した。

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

「笛……綺麗ですね。」

 

おずおずと語りかける。青い蝶の髪飾りの少女は、さっきからずっと、灼けて消えてゆく鬼を目の前にぼんやり立ち尽くしている。桃乃はその背中へ喋りかけてみたのだ。

 

「………。」

 

返事がない。

あれ?と首を傾げる。桃乃が本格的に思案し始めたその瞬間、突如隣から声がかけられた。

 

「こんにちは。アカネはよく眠るのですよ。」

 

ニコニコと屈託なく笑うその人物。

 

「といってもまあ、暗闇でこんなに熟睡するこの子を見たのは初めてなので、私もかなり驚いているのですが。夢見心地でぼんやりしてるのはいつものことです。」

 

包帯を鮮やかにくるくるっと巻きあげ、パチンッと薬袋の留め金をかける。

 

「危ないですからねぇ。任務先で立ったまま、ではなく布団で寝て欲しいと願っているのですが。」

 

言いながら、花のような笑みを浮かべる。しかし顔が近い。いきなり息がかかるほど至近で話しかけられ、桃乃は困惑した。ちょっとだけ不気味な心地だった。

 

「あぁ、あの子の代わりに自己紹介させて頂きますと、彼女は私の継子の山路アカネさんです。仲良くしてあげて下さいね?」

 

「継子……?ってことはもしかして……」

 

微かに藤の香が漂う。不思議な気分で見つめていると、声をかけた人物、もとい蟲柱の胡蝶しのぶは、非常に嬉しそうな顔をした。

 

「あら、バレましたか? それにしても先程はかなり気配を隠して声をかけたはずなんですが。びっくりしなかったのはあなたで三人目ですね〜。“柱“の本気を破る。誇っていいですよ?」

 

喜ぶべきなのか、そうでないのか。

桃乃はひとまず厄除の面を外した。普段通りの素顔を晒し、軽くお辞儀をする。

 

「えっと……、よろしくお願いします。」

 

「よろしくお願いします。あなたのお名前、聞いてもいいですか?」

 

「はい。階級己、小栗林桃乃です。」

 

「そうですか。それでは桃乃さん」

ニコニコと笑みを浮かべ続けるしのぶ。彼女は唇を綻ばせると、非常に重大なことをサラリと口にした。

 

「———私の継子になりませんか?」

 

「は!え……ぇえ?」

 

思わず素っ頓狂な声をあげてしまう桃乃。胡蝶しのぶがみるみる悲しそうな表情になって言った。

 

「……嫌ですか?」

 

「いや、その!こんなあっさり決めちゃっていいんですか? 継子っていったら、私はてっきり、お館様の推薦状とか柱の方々の前で審査とか必要なんだとばかり思っていたので、その!」

 

慌てて顔の前でわちゃわちゃ手を振る。

そんな桃乃を見て、しのぶの沈んだ表情が一転、桜の花のような笑顔を浮かべた。

 

「それでは決まりですね。今からあなたは蝶屋敷の一員です。」

 

妖しげにも見える魅惑的な笑み。

しのぶの明るさと、その奥から微かに漂う歪。

 

桃乃は不思議な心地に包まれて、ふっと顔の力を抜いた。

 

「……ありがとうございます」

 

小さく呟いて、頭を垂れる。

しかし次の瞬間、ハッと顔を上げた。思いついたことがあった。

桃乃は、一人の影を脳裏に描きながら、口を開く。

 

「蟲柱さま。実は、私と一緒に継子にして頂きたい人が———」

 

 

 

 

 

 

 

「……月森、ヒナさん?」

 

「はい。その方も一緒に継子にしていただけないでしょうか?」

 

桃乃の神剣な瞳。そこに身内贔屓のような色が見られないことを確認し、しのぶはふわりと笑ってみせた。

 

「鴉経由で上に連絡しておきますね。もちろん決めるのは直接会ってからですが、おそらく大丈夫でしょう。……彼女の名前は、確かに聞いたことがあります。『稀血の隊士』であってます?」

 

「はい。」

 

しのぶは満足そうに頷いた。

同時に、黎明の空へしのぶの鴉が舞い上がる。

桃乃は隣に立つ蟲柱を見ながら、どこか感慨を覚えていた。小柄な体は、春の風に攫われてしまいそうな儚さ。桃乃と大差ない細い上腕。

 

しかし、『柱』なのだ。

鬼殺隊の頂点に君臨する九人の剣士。

彼らの一睨みに、あらゆる獣は震えながら地へ頭を伏せると言う。

 

(……私も、いつか。)

 

桃乃は胸の内でひっそりと思った。継子になって努力を重ね、いつの日か。自分も。

 

(柱に。)

 

———そうして、珠のように儚いこの世の幸せを、守っていきたい。

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

蝶屋敷では、つめたい雨が降っていた。

庭に出れば、つぼみが芽吹きだした桜も、しっとりと濡れている。縁側に腰掛け、その黒々とした木の幹を、ぼんやり眺める人影があった。

 

「………。」

 

「あれ、カナヲちゃん。なにかいいもの発見!ですか?」

 

黙って振り向いたカナヲに、通りすがりの桃乃が笑いかける。首にさげた白狐の面も、一緒に笑っていた。

隊服の上に割烹着。

普段の白い羽織姿とあまり見た目に変わり映えがしないが、珍しい格好だった。

 

「ああわかりました! 椿の花でしょう、赤と白がとっても綺麗ですからね!」

 

カナヲは首を振った。

 

「んな!ええと、それでは……水仙? いいえ違うと。じゃあ、あのかわゆい形の葉っぱ?でも……ない。むむぅ難しいです」

 

わからない、と困り果てた桃乃。

目を瞑って唸りながらふと目を上げると、カナヲが手を持ち上げていた。おずおずと、しかし真っ直ぐに。桜の樹を指している。

 

「———おぉ。カナヲはあの桜が気になるんか。」

 

突然、背後から声がかかった。

ヒナさん!と桃乃が嬉しそうに振り返る。

 

月森ヒナが、桃乃と同じく割烹着姿でそこへ立っていた。すたんと二人の隣へ腰を下ろす。

 

「ありゃあ、“必勝“って名があるらしい。初代花の呼吸の使い手が植えたって。……しのぶ様に聞いた。」

 

「へえ〜」

 

深く皺の刻まれた幹は、くねりながら天へと昇っている。つぼみは黄緑色。もうすぐに桃色の花盛りを迎えるであろうその樹は、不思議に魅力的だった。

 

と、庭を眺める三人の背後。音もなく一つの影が忍び寄った。

 

「あら?カナヲも揃って三人で。仲が良さそうで何よりです。」

 

桃乃とヒナが勢いよく振り向く。そこでは、鬼殺隊の蟲柱にして、二人の師範。胡蝶しのぶがにっこり微笑んでいた。穏やかな笑いの影で膨らんでゆく、禍々しい般若の気配。二人は弾けるように飛び上がった。

 

「しまった!しのぶ様から薬膳料理を習ってたん、すっかり忘れてた!」

「そうでした!庭に生えている菜の花と、紫蘇の葉っぱ!頼まれてここへ来たんでした!あわわ!」

 

転げるように雨の中へ飛び出していく二人。その様子を見守りながら、胡蝶しのぶはくすくす笑った。

 

「そうですよー。多忙な柱に時間とらせて、炊事場へ置き去りはひどいですねー?」

 

遠くで、二人がわちゃわちゃと草花を収穫している。もうすっかり馴染んだその様子は、しのぶの心を和ませた。

しのぶは、二月前に彼女たちを継ぐ子に迎えた時を思い出す。

彼女たちは、厳しい訓練によくついてきてくれた。

 

まずは全集中の呼吸“常中“の習得。走り込み。反射訓練。

鬼狩りの任務へも、できる限り共に向かった。

いつ自分が命を落としても問題ないように。

 

しのぶ自身も手探りで稽古をつけるうちにみるみる実力を伸ばし、古参の山路アカネにあっという間に追いついて見せた。

ちなみにそのアカネは今、炊事場で寝ている。

アカネは通常、闇の中で布団に包まれると覚醒状態になってしまう。夜眠っている間に鬼に襲われた体験……それ以外に理由は思いつかない。トラウマというものか。

そのため、彼女は昼間に寝だめをしなければ身が持たないのだ。……とはいってもぐうぐう寝ているわけではない。常に眠りが異常に浅い。今頃はコンロ前の椅子に座って目を閉じたまま、鍋が焦げ付かないようゆっくり攪拌してくれている。

それは夜の任務の時も同じ。彼女は刀を振りながら、常にどこかぼんやりしている。

 

起きている時も。

寝ている時も。

……いつも中途半端。

 

夜の方が昼間より醒めているという傾向はあるが、それもだいぶ不安定な状態だ。それを彼女は理解しているのだろうか。いや、おそらく彼女は自分の状態すらきちんと把握していない。興味がないのだから。

 

医術の知識をもつしのぶとしては、アカネが心配だった。

明らかな精神の異常。

ただし、本人は『鬼殺隊では夜行性が便利ですよ……?』などと笑って気にする風もない。夜間に刀を振るなど稽古も充実しているよう。ただ、異常というものは周りの人間が見た方がよくわかるものだ。

 

ため息をつきたくなってくる。

どうして、みんなこうなのだろう。

しのぶの胸の奥底に、ぐつぐつと鬱屈した怒りが湧いてくる。

 

 

両親も。姉さんも。優しい人から死んでゆく。

アカネ、桃乃、ヒナ。こんな良い子達が、悲壮な覚悟で生きる理由なんてどこにもなかった。

鬼さえ、いなければ。

憎い。

鬼という鬼が憎い。

 

その存在を哀れだと泣いた、姉さんが理解できない。

 

「……薬膳料理の授業。お楽しみで庭へ出してみましたが……もう桜の季節ですか。」

 

隣のカナヲの頭を撫でながら、しのぶはふうわり微笑む。

目線の先には、菜の花と紫蘇を両手に握って駆け戻ってくる二人の継ぐ子。薄く紅をさしたしのぶの唇は、綺麗に月型の弧を描いた。華やかな笑顔で、立ち上がる。

 

しかし歪だった。

しのぶの完璧な笑顔は、逆に怖かった。

 

(……しのぶ様、隠されてますけど、炊事場へ置き去りにされて実はかなり怒ってたり…?)

(わからんが……うちはミイラ取りがミイラになった状態だったしなあ…)

 

「————うふふ、二人で内緒話ですか?」

「「いいえなんでもありません!」」

 

 

 

 

 

ひと騒動あったものの、無事に採集は終了。

ふと桃乃が振り返ると、縁側でカナヲがまだ桜を眺めていた。

雨の中、粒へ打たれる樹の葉。つぼみ。ひたすらに見つめ続けている。

 

カナヲちゃん。

無口で不思議な女の子。

しのぶさまが、人買いに売られていた彼女を養子にしたという。

 

(少しは仲良く、なれたでしょうか?)

 

桃乃は歩みを進めながら、先ほどのやりとりを思い返した。

今度も喋ってはくれなかったけれども、一瞬、心を通わせることができたような気がする。

 

(ええ。きっとできたのですよ。)

 

桃乃は笑顔を浮かべる。

背後の庭では、紋白蝶が一匹、ひらりと舞っていた。

 





〜プロフィール〜

<山路アカネ>
誕生日:二月二十八日
容姿:青色の蝶の髪飾りをつけた少女。髪の毛をいじるのはけっこう得意なので、髪型は色々試す。
性格:sleep walker(夢遊病者)……
弱点:動物の赤ちゃん……特に鴉はやめてほしいなぁ…
使用呼吸:水の呼吸
趣味:笛の練習、化粧、髪型いじりなど
好きなもの:味噌煮込み

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