月夜に舞えよ、蝶々 作:へびのあし
山奥の里山。
ただでさえ閉ざされた、よそ者への警戒心の強い土地。
妖怪や神仏への信仰も根強く、鬼をおそれ崇めて生贄を捧げていた事例も少なくない。このような場合、鬼狩りの任務を妨害されることすらも、多くあるという。
「そげっから、帰れってんじゃ!こん前もあんたらみてえな怪しかもん入れたらば、ばちさ当たりよって!」
小栗林桃乃、月森ヒナ、山路アカネ。三人の隊士が、里の入り口で立ち往生を食らっていた。
「ばち、ですか?」
「たりめえよ!みんな翌日にゃばっきり折れた刀さ残して、跡形もなく消えよった!山神様ば怒らせたむくいじゃが!」
「山神様って、どんな神様なのでしょうか?」
「よそもんにゃ教えるもんか!いいから帰れ!」
口角泡を飛ばし、物凄い剣幕で怒鳴る男。
危ない農具をこちらに向け、追い払う仕草を繰り返す。いくら話そうとしても埒が開かない。
桃乃は悲しそうに息をついた。
「おじいさんとは仲良くなりたかったのに…うぅん、」
———残念です。」
「な…っ!」
「確保ー、できましたアカネさん!」
「はぁい」
懐へ隠し持っていた黒紐で、男の手足を縛り上げる。
桃乃が縛った男を、アカネがあくびをしながら軽々と運んで行った。バタバタ暴れるが、男は全く何もできず。木に犬のように繋がれて、悔しげに歯噛みした。
「そんじゃ、いつも通り」
「はい!」
アカネが戻ってくると、三人で手を重ねた。
「ヒナさんの稀血で誘き寄せて、私が感知!アカネさんの笛でびっくりさせて、仕上げに三人で……斬首っ!」
「「おー!」」
みんなで手の平を天へ突き上げる。緑ざわめく山奥の森、のんびりした女子の声が、木霊しながら響いていった。
♢
それは獣だった。
否、それはもと人間だったもの。まるで家一つ分ほどもある巨躯。
それは硬い甲羅のような毛皮に守られていて、あらゆる武具を弾き返してきた。それは鬼殺隊員の日輪刀も同様。
針のように尖った毛。何層にも重ねがけされた天然の鎧が。特に頸を守るように膨れ上がっていた。
「あぁー余裕ですね。」
真顔で。桃乃が言った。
その隣で、ヒナが大きくため息をついた。
「あんなぁ、桃乃。こんな場で虚言を吐くなよ。」
「う、うそじゃないんですよ!ちょっと大袈裟に言っただけで……大丈夫、集中したら絶対斬れるんですよ!そう!賭けてもいいです!お弁当のおにぎりの梅干しを!」
桃乃は、むうっと頬を膨らませて抗議した。
闇の森の中、小さな白い姿が浮かび上がる。
「それにしても大っきいですね……。私の感知、いらないじゃないですか。どっからどうみても鬼ですし、遠くから丸見えで。隠す気も全然なさそうなの、悲しいです……」
桃乃の呟き通り。鬼は巨大だった。
しかし。
「……ふん、関係ない。こっちはいつも通りにすりゃあ良いだろ。」
「っ!そうなんですよ!よくぞ言いましたヒナさん!」
「任せたぞ。今日の仮想隊長役。あくまで訓練だからって気ぃ抜いたら、うちらが死ぬかもしれんからな。」
「ガッテンです!……ではアカネさん、さっそく笛の撹乱よろしくお願いします!」
ふらりと。
夢遊病者のようなトロンとした足取りで。アカネが前へ進み出る。
首にかけた土笛を取る。
紐を撫で、笛を口に当てて、突如ピィーッと吹き鳴らした。
「よし……ヒナさんはあの大っきな樫の木の方へ!」
「あぁ!」
二人が走る間も、笛の調べは鳴り続ける。奇妙に物悲しく上がって、下がって。リズムだけは愉快な祭囃子。
魔笛。
それは人の脳みそに深く沁み入り、その音に慣れていないものの思考を一瞬停止させる。アカネだけの特別な技術。
鬼は笛の音に気を取られ。しかし先程から強く匂う、稀血の人間にも心を惹かれ。血眼になって、苛々とあたりを見回した。
「こちらだ!悪鬼!」
突然ヒナが飛び出した。あっと思う間もなく、素早い身のこなし。枝から枝へ軽やかに舞い、最後に幹を蹴ってこちらへ接近する。鬼はその動きを全て目で追っていく。不意に毛むくじゃらの巨大な手を持ち上げる。……と、意外な速さでそれを打ち振った。
花の呼吸 伍の型 仇の芍薬
ヒナは迫り来る剛腕を、たった一撃で受け流した。ひょいっと猿のように体を宙へ投げ出す。あろうことか着地先は鬼の腕。先程の技が連撃なのを良いことに、ガキンッと上手に角度をつけて刀を当てていく。不安定な鬼の体。硬い毛皮は滅多なことでは斬れないのだが、それすら利用し、自身の体勢を調整しながらどんどん鬼の頸へと跳ね近づいてゆく。
「これで終わりだ!」
鬼は、ようやくヒナが意外な強さを持つことを理解した。闇雲に腕を振り回しても、捉えることはできない。……ならば。
飢餓状態で頭が回らないわけでもなかった鬼は、この状況で最も適切な反応をした。
すなわち。
全力で頸を守るっ!
腕を頸に巻き付け、ドデンと仁王立ちに構える。これで安泰。どんな剣士でも、この守りは破れない。刀が折れれば、あとはこちらのもの。いかようにも料理ができる。
「あれ……」
鬼は、やけに冷静なヒナの表情を見た。
ぞわり。
背中に恐怖が走る。
「っ!まさか———」
「……ふん!」
ギャア——ッ!!
それは、鬼自身の咆哮だった。喉が切れて血が滲むほどに、鬼は叫んでいた。
信じられぬ。
生まれて初めて感じる、痛みと恐怖の絶頂。
鬼の目玉は両方とも、潰れていた。……刀が一閃。一拍遅れて、血が噴き出す。一瞬で、視界が真っ黒に塗りつぶされた。
耐え切れずに、鬼は両手を頸から離す。顔を覆う。前のめりに倒れそうになり、危うくたたらを踏む。
その鬼の背後に。
白い影が這い寄っていた。
「よくやりました、ヒナさん。」
音もなく。しかし雷のような素早さで。木々の遥か奥から、流れくるように突貫してくる。うさぎのように枝から枝へと跳び、舞いながら、風に乗って速度を増していく。物凄いスピードを出しているのにも関わらず、桃乃の通り過ぎた後の木々の葉は、まるで小川のほとりの柳のようにゆらりと微かに揺れるのみ。
これこそが、水菓子の呼吸の最強の技。
身を任せるのは、自然の“氣“の流れ。
鬼の毛皮の強度のムラは、桃乃の眼にはっきりと波打つように視えている。
水菓子の呼吸 漆の型 弾けた金柑泳ぎ
「さようなら。鬼さん」
「ッ……?!」
鬼の最後。
突然ジュッと首が熱くなる。……と思ったら、奇妙な浮遊感。生まれてこの方味わったことのない、……いや、味わってはならない感覚。
日輪刀で斬られた。ならば当然、
「体がっ!?崩れ………ギャアッ———!!」
長年、山里の村人たちから神と畏れられ。
討伐に来た者共を返り討ちにし。
盤石の守りを誇っていた毛皮の鎧の塊は。
たったまま気持ちよく寝息を立てる少女と、ガッツポーズをする少女と、心底鬼を侮蔑した表情を浮かべる少女に。
……あっさりと討ち取られた。