月夜に舞えよ、蝶々   作:へびのあし

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潮の香り

 

 

「うわぁ金魚掬い!びっくりですよぅ!」

「………。」

 

桃乃がはしゃぐ。ほとんど純白の着物に、狐の面。おまけに万が一の備えで濃紺の竹刀袋を襷掛けしているものだから、目立つことこの上ない。ヒナが呆れる。そんな二人を微笑ましそうに、松之助が眺める。

さらにそれを遠くから眺めていたアカネが、歩いてきて不思議そうに桃乃に問うた。

 

「……桃乃さんって、もしかしてお祭りはじめてですか?」

「はい!魚がこんなに美しい生き物とは知らなかったです!しかもとれた数だけ持って帰ってよいなんて!早く行きましょう!」

 

ぎり。

小さく。本当にかすかに。桃乃の言葉を聞いて、奥歯を噛む者がいた。

 

「あれ、ヒナさん?」

 

ほんの僅かな気配の変容を、桃乃は敏感に捉えた。ヒナはヒヤリとした。同期の優秀さは知っていたが、ここまで察されるとさすがに心を覗かれているようで恐ろしい。必死に平常を取り繕う。

 

「もしかしてヒナさん、金魚さん嫌いなのですか?」

「……あぁ、海のもんは苦手だ」

 

苦々しく呟いた。そんなヒナに、桃乃はポンと拳を打った。

 

「あぁ〜。確かに、そうでした!焼き魚もお味噌汁のわかめも嫌がるから、しのぶさまが怒っちゃって。」

「おぃ、ありゃあ恥ずかしかったんだ、蒸し返すな」

「えぇ〜?うーん、はい、わかりましたなのですよ。それにしても意外ですねぇ……あのガラス彫刻みたいに美しい金魚さんでも、ダメなのですか……。」

 

とろけるような赤い頰で、金魚に釘付けになっている桃乃の瞳。一見至極冷静な表情であるが、内心かなり嫌がっているであろうヒナの弾き結ばれた唇。

それらを見比べていた松之助が、柔らかに提案をした。

 

「どうでしょう。一旦別れて、思い思いに過ごしてみませんか。次に寺の鐘が鳴るころに、また先程の茶屋で集合ということにして。」

「そうですね!」

「あぁ。いい案だ」

「はあぃー。しょーくん、蝶屋敷のお土産選ぶの、あとで手伝ってねー」

 

 

カナヲの手を繋いで、一目散に、金魚掬いの青い水槽へかけだす。そんな桃乃を微笑ましく眺めてから、残りの三人もまた別れた。たなびく薄い紫の雲。闇夜の月も、明るい屋台の灯りのお陰か、いつもよりもかすんで見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒナは、少し歩んで立ち止まった。空色の着物が草臥れたようにハラリと風に揺れる。

ハァとひとつため息をついて、ヒナは歩く。

 

「うちは、海のもんは嫌いだ。」

 

呟いて、どうという当てもなく、適当に暖簾をくぐった。途端にドデンと大きな一升瓶が目の前に現れ仰天した。どうやら酒売りだったようで、胡散臭そうにジロジロ見る主人から逃げるようにそこを飛び出した。

 

ぼんやりと。ただ歩く。

 

あぁ、日常だ。

町人たちの喧騒に囲まれ、ヒナは思った。同時に、その奇妙な居心地の悪さも。

腰に日輪刀の重みがないと、スースーするような、変な心地がする。自分が丸裸で人界未踏の熱帯林に置き去りにされたような、なんとも言えぬ怖さがあるのだ。万一の備えで竹刀袋に入れた日輪刀を背負っているから、無防備ではないのだが。

 

 

そうだ。

いつから、こんな私になったのだろう。

 

ヒナは自問自答する。

鬼殺隊に入隊してからか?それより前、本気で死を覚悟した、滅茶苦茶な修行時代からか?

 

いや違うと、ヒナは答える。

……あの夜だ。

うまれ故郷の漁村が壊滅した、あの月夜の晩。

 

今でも覚えている。両親が死んだのは、まあいい。どうせ村中で恐れられていたヤクザ者で、任侠精神がどうのとか喚きながら、全くその片鱗も見せたことのない、ただの暴れ者の親父。

子供を殴っては一人めそめそ泣くだけの、迷惑なお袋。

 

私は曲がらずに生きてきたことが誇りだった。自分が親父たちの色に染まるのが恐ろしくて、九つの時に、三つ年下の弟の手を引いて家を出た。隣村へと、一晩歩き通して。そうして海女の家に転がり込んで、ようよう食いつなげると安堵した。厳しいが暖かい師匠に出会い、貝やら海藻やらを取ってくるすべを学んだ。

自分で稼いだ金で、米を買ったときは涙が出るほど嬉しかった。

 

『真っ当に生きる』

 

何度も弟とかわした言葉だ。私たちは、まっすぐに生きようと努力した。そしてそれは実を結ぶ。何度も町と漁村を行き来し、少しずつだが小遣いを稼ぎ。人々の信頼を得て。

 

だが、平穏というものはこうも簡単に崩れるものか。

 

夏至の日の夜。

私が身を置く漁村では、海女が松明を手に手に海へ入り、一年の豊穣と安全を願う風習があった。まっくらな夜の海で、ゆらめくオレンジ色の灯り。立ち上る煙に、パチパチとなる松明の音。美しく、幻想的。この行事には、海女見習いの私も当然参加する。

……が、その年の祭りは。一列に泳ぎ出した時、皆異変に気がついた。海が粘っこい。困惑し、一体なんだろうと、私の隣で最も身軽な海女が潜る。彼女に続いて、私もするりと海中へ身を滑らせた。

 

初めは何も見えなかった。チラリと遠くで、黒い影。

皆が海面をあかあかと照らす松明が、水面でじゅぅじゅぅ、焼けている。煙の匂いに混じって、変な腐乱臭のようなものが、海の水を伝って鼻にツンときた。

 

 

瞬間、鳥肌が立った。

 

私は全力で逃げ出した。一心不乱に泳いで、岩だらけの岸とたどり着いた。恐怖で心臓が泡立っていた。目をカッと見開いて。そして振り返った時、見てしまったのだ。ぬらりぬらりと、大入道のように海面に盛り上がる、巨大な化け魚の姿を。溶けた髪の毛は腐ったワカメのような、おどろおどろしさ。強烈な鼻が曲がるような匂いに、思わず息が止まった。

 

そいつは潮と血を全身に浴びて、高笑いをしていた。そばに、死体が浮かんでいた。それは私が世話になっていた家の海女だった。そして。爛々と光る柘榴のような紅い眼を。獣のような牙を。私をまっすぐに捉える狂気の笑いを、私は見てしまったのだ。

 

 

そこから先は、もう覚えていない。

我を忘れて岸へ這い上がった。裸足で駆けた。家へ帰ってはならないと。この災厄を村へ持ち込んではならないと、私は本能に導かれるままに、いつの間にか“生まれ故郷“の村へ足を向けていた。

 

どこをどう通ったのか。どれだけ駆けたのか。

 

気付けば故郷に到着しており、目の前に生まれた家が迫ってきていた。見飽きるほど見たボロ小屋。私は迷わず、あの大嫌いな親父たちの住んでいるであろうそこの戸を、ドンッと思い切り蹴破った。

 

畳で寝ていた誰かが、飛び起きる気配がした。ドタドタとまっさきに走ってくる足音に、あぁ確かに親父の足音だと安心して。私は押し入れへと忍者のように飛び込んだ。そうして布団をかぶって、耳を塞いで、膝を抱えて。

 

両親の叫び声なんか聞こえないふりをして。

 

そうして朝までじっとしていた。

 

 

そうだ。私は親を売った。それだけではない。

翌朝、恐る恐る押し入れから這い出してみれば。

 

血の跡が点々と、家の外へ続いていて。まずは母が倒れていた。そして、とにかく逃げに逃げたのであろう、親父の足跡が乱れ、どこまでも。

 

もはや、村は壊滅していた。

 

親父の逃げる道々、ありとあらゆる家の戸が、破壊されていた。親父の血の跡がそれぞれの家の中へと続き、そういう家の裏口から、また血の跡が出て続いてゆく。……つまり。親父は。逃げる道々。ただ己の身を守ろうとして。

 

……何という罪深いことを。

 

 

“戸を蹴破って鬼を招きいれる”。

 

 

……あぁ、まったく、私自身がやったことと同じだった。

 

やはり血は争えないのか。私たちは親娘だったのだ。

ただ違ったのは、とっさに飛び込んだ家の、押し入れに潜り込む機転と、それを可能にする身体の大きさのみ。大入道みたいに大きな体を持つ奴には、身を隠せる場所などそうそうない。鬼を引き連れて人さまの家に飛び込んでは、隠れ場所が見つからずに慌てて裏口から逃げ出す。

 

親父が侵入した家は、例外なく化け物の餌食となる。

 

 

……そんな悪辣極まりない真似を繰り返して、結局は波止場で、化け物に追いつかれたのだろう。海の水に洗われる砂浜のそおばで、途絶えた血の跡。死体は見つからなかった。

 

ぼんやりと青い海を眺めた。ツンと、塩からい涙。

 

「うちは、生きてちゃあ駄目な輩なんかな。」

 

“鴉”が舞っていた。不吉な兆しであった。生まれて初めて、身が消え入るような孤独というものを感じた。じぶんは世界に害を撒き散らす存在なのではないかと。

疑問に思えば、恐ろしさが込み上げて、喉まで不快感が昇ってきた。突然私は体をくの字に曲げて、吐いた。汚物が真っ白な海岸に散らかった。

 

 

 

「———おい。どうした、生き残りか?」

 

聞き慣れぬ男の声がした。もう何もかもがどうでもいい。鬱然と下を向いたまま、座り込んで顔もあげぬ。とうとう私の顔を覗き込んだのは、黒尽くめの装束を纏った若者だった。

 

「怪我してるのか?……え、大丈夫?そりゃ何よりだ。……あー、親御さんは?……いない、と。身寄りもない。……はぁ……うーん、ひとまず藤の家で対応になるかなぁ。」

 

見ず知らずの私を、なぜか親切に助ける青年。彼はあの化け物を“鬼“ だと語り、鬼退治の組織 “鬼殺隊“ の存在を私に教えた。彼はそこに所属している事後処理部隊、“隠“ の一員であるらしい。

 

鬼殺隊へ入隊するのに、迷いはなかった。

……海の町へ置いてきた弟にも、未練はなかった。むしろ二度と会いたくなかった。会わせる顔がない。私のような人間の屑が、いつなんどき本性を現すか。大切な家族である彼に危害を及ぼすか、知れたものではない。

私が鬼を引き寄せる特別体質 “稀血“ であると判明して以来、その決意はさらに強くなった。

 

 

 

 

潮の香り。

それはいつだって、海の故郷を思い出させる。

漁師の歌。海女の笑い声。装束を着て潜り、とってきた海藻やとりどりの貝。

 

海は私の罪。

我が身かわいさに全てを売った、獣の本性。

一時の恐怖と興奮で。犯した罪は一生付き纏う。

 

 

 

——————気配。同時に、かすかに潮の香り。

 

 

物思いに沈んでいたヒナの意識が、パッと覚醒した。祭りの喧騒が、戻ってきた。ヒナは違和感の正体を探ってあたりを見回す。……肌が団扇であおがれたような、奇妙なこそばゆさ。山奥で熊に出会いはしないかと、ふと不安になるような心持ち。ヒナはある方向に目を向け……眉を顰めた。

 

「若い書生が……………壺?」

 

美男な青年であった。色白の頬に、すっきりと鋭い目鼻立ち。氷のような静けさを湛えた瞳。とても貧乏学生のようには見えない、おそらく金持ちの子息であろう。その足取りに迷いはない。ゆったりとした歩みは優美ですらあった。鼠色の着物に黒袴を合わせ、きっちりと濃紺のマントを羽織っている。……この夏に暑苦しくないのかと少し心配になる。しかし。

 

ヒナが最も違和感を感じたのは、彼の持ち物であった。

『壺』

彼が手に下げる唐草紋様の風呂敷包みからは、特徴的な形の陶器が包まれていることが見てとれた。ヒナはこっそりくんくんと匂いを嗅いだ。……もう、先ほどの潮の香りはなかった。しかしヒナには確信があった。

 

(……“海“の匂いだ。)

 

 

ヒナは惹きこまれるように、その書生の跡を尾けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今晩は。よい月夜ですね。」

 

路地の骨董屋にて。一人の書生がするりと店内へ身を滑らせた。ちり〜ん、と入店を知らせる鐘が鳴る。奥の作業台から、店主が紺染の暖簾をめくって顔を出した。

 

「よぅ、にいちゃん。今夜の用件も壺かい?」

 

気の良さそうな店主が、赤い顔を綻ばせて笑いかけた。呼ばれた書生も、「ええ」と返事をした後に、礼儀正しく軽いお辞儀をする。そして早々に風呂敷包みを解き出した。

店主は書生の手元を眺める。蕩けるような笑顔であった。常連のこの青年が、いかに見事な陶磁器を持ち込むことか。

 

「いやぁ、毎度見事なもんだけどよ、ちいっとばかし心配になるよな。実家の宝物とか盗んでないよなぁ、なんて。ま、冗談だけどよ。あんまりにも質が良いもんばかりだから。」

 

店主はとっくに気づいていた。書生が不定期に持ち込む壺は、同じ作者の作品であることに。まさに完成された職人芸。何十年、いや何百年修行すれば身につけられるのか、検討もつかないほどの美しさ。稀代の天才の作に違いない。

……ただデザインに関しては、時折常人の美的センスとは相容れぬものを感じるのだが。作者の機嫌が悪い時に作った作品なのだろうか。奇妙なおどろおどろしさが練り込まれている、とでもいうようなことがある。

しかしそれを抜きにしても、店主には不思議であった。なぜ世に名が知られていないのか。なぜ新品の作品を、毎度この若い書生に持たせて、目立たぬ路地の骨董屋などに、売りにくるのか。工房のそばで、直接売ればよいものを。

 

……まあ、いずれにせよ。

 

「こちらとしてもありがたいよ。にいちゃんの壺は高く売れるんだ。……それにしてもこの流線と風合いが美しいんだよなぁ。俺の観賞用にしてしまいたいくらいだ。」

 

「ありがとうございます。」

 

書生はにこやかに一礼すると、代金を受け取ってそそくさと帰り支度をする。

あっという間にドアを開けて、路地の向こうに姿を消してしまった。

 

ちり〜ん。ちりりん。

 

涼しい鐘の音。ドアにぶら下げた合図が重なる。

 

奥へ引っ込もうとしていた店主が、ふいと目を上げる。

書生と入れ違いで、竹刀袋を背負った少女が入店した。空色の着物。艶やかな黒髪を無造作にひとつ纏めに縛っている。後ろ手にドアを閉めた彼女は、大きく目を見開いていた。

 

「あぁ、いらっしゃい。」

 

声をかけても、少女は無言で佇んでいる。初めての客だ。勝手が分からないのか、はなから骨董を買う気がないのか。怪訝そうに店主が眉を顰めた時、少女が呟いた。

 

「———壺。おかしい。」

 

ぎらりと刀が光った。

濃紺の竹刀袋が、くしゃりと地に落ちる。

店主が状況を認識した時には、少女はすぐ目の前に迫っていた。

 

「っひ!」

 

美しい直線。

僅かな反り、無駄のない白刃。

さりげない装飾。

骨董屋の生涯を数えても見たことのない程の業物が、抜き放たれて煌めいていた。

 

「……邪魔だ、店主。」

 

少女の冷たい眼が、店内の灯りに黒々と浮かび上がる。それは一心に、壺を見ていた。少女は苦々しげに口を開く。

 

「ソレからは鬼の気配がする。潮水を扱う血鬼術は、そういう臭いがするもんだ。」

 

店内に殺気が膨れ上がる。

むらむらと。禍々しい鬼気がその鎌首をもたげ、溢れ出し。目に見えない恐怖と災禍が蠢く。

骨董屋の店主は、金縛りにあったかのように動けなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

骨董の店を一歩出た路地。

月灯りを浴びながら。若い書生が立ち止まる。

夜闇に浮かび上がったのは、紅く裂けた瞳孔に、病的なほどに青白い顔。鬼の王たる彼は、機嫌が悪い。何の前触れもなく、配下の脳へ直接命を叩き込んだ。

 

『——そいつは鬼狩りだ。殺せ、玉壺。』

『ヒョッ?!ッ御意。』

 

 

 

 

 

———さあ、今宵も血濡れの物語が始まる。

 

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