僕らはてんもんぶ   作:higgs

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先輩と後輩

 

 

—————それは厄災のように僕の身に降りかかった。

 

天井から伸びてきた糸が指に絡みつき、僕の動きの一切を封じた。

 

動かそうともがけばもがくほど糸は強く食い込んでいった。

 

そこで僕はすべてを諦めると突然糸がぷつんと切れ、それと同時に

 

僕の体からすべての力が抜け落ち、視界が白に染まった。

 

 

---------------------

 

 

 梅雨もとっくに明け夏休みが目前まで迫った7月。暑さが本格的になっているにもかかわらず、校庭からは運動部員の元気良い声が聞こえてくる。自宅から近くかつ進学校だという理由で選択したここ羽丘学園は、少子化の影響だったかで昨年より女子高から共学に変更となった。1年経ち男子生徒数はようやく2桁を超えたが、相も変わらず我ら男子の肩身は狭いままだ。

 

 そんなマイノリティである男子生徒こと僕は部活動に参加している。男女関係なさそうだという理由で、文科系の比較的珍しい部活を選択したが部員数なんと2人のみ。なぜ廃部になっていないのか入部以来の疑問ではあるが、そんな我が部もほかの部活動に負けないほど元気な部活である…目の前の先輩だけが。

 

「それで、あたしが今年で文化祭最後だからるんっ♪てくることしようかなーって思うの!」

 

 われらが部長、氷川日菜先輩が目を輝かせならそう言った。

 

「去年展示だけでつまんなそうでしたもんね。それで?何かいい案でもあるんですか?」

 

 そう返すとよく聞いてくれたとばかりに腰に手を当てながら、先輩は声を弾ませて言った。

 

「ライブしよっ!」

 

 予想だにしなかった返答に少しあっけにとられた。先輩らしいといえばらしい案だがここひとつ問題がある。

 

「日菜先輩…僕たち、天文部ですよ?」

 

 そう、僕たちは天文部。天体を観測することを主とする部活動であり、決して楽器を演奏する部活ではないのだ。

 

 

 

 

 

「そんなのわかってるよー?」

 

 キョトンとした顔でこちらを見てくる。

 

「じゃあよくそんな発想に至りましたね!?」

 

「ぶー、いいじゃん別に。天文部がライブしちゃいけないって決まりなんてないよー?」

 

 唇を尖らせながら反論らしきことを言い返してくる。まあそうと言われればそうかもしれない。というかどこの天文部員がその発想に至るだろうか。

 

「てか2人でライブなんてどうするんですか。いや日菜先輩がギターできるのは知ってますよ。そもそも僕は楽器なんて演奏できません」

 

「あれ?でもこれって俊くんでしょー?」

 

 そう言ってスマホをこちらに見せてくる。画面には有名な動画投稿サイトのとある動画が映されている。6年前らしいその動画のタイトルには『ジュニアピアノコンクール 金賞 立華 俊介』と書かれていた。

 

「この演奏るんっ♪てきたし、ピアノと一緒に演奏するなんてるんるーんっ♪て感じじゃない?」

 

「…よくそんな昔の動画見つけましたね。でも小学生以来ピアノ触ってないんでもうまともに演奏できませんよ。」

 

「そうなのー?まあ大丈夫でしょ!」

 

 有無を言わせぬ先輩の笑顔のせいで、説明しようとした言葉が詰まってしまった。

 

 

 

 

 

 結局断り切れず、日菜先輩に引っ張られ僕たちは運動部で賑わう体育館まで来ている。音楽室は現在吹奏楽部が使用中であり、校内で他に弾けるところといえば、ステージ袖に置かれてあるこのピアノぐらいしかない。勝手に使用して大丈夫なのかと確認したところ、まあ問題ないでしょ、とのこと。そんな適当でいいのか生徒会長。

 

 ともかくピアノの前まで(不本意ながら)来てしまった。ちらっと日菜先輩を見ると期待の眼差しでこちらを見てくる。いよいよ逃げ場がなくなってしまった。ふう、と息をつき椅子に座り蓋を開ける。5年もたったしもう大丈夫、そう言い聞かせ鍵盤に指を置く。深呼吸をして弾き始めようと指に力を入れると、鍵盤を押し込む直前指が痙攣してしまいボロンと不協和音を奏でてしまった。やはりだめか、そう思い天を仰いでから先輩に向き直す。

 

「すみません、やっぱり無理でした。」

 

「えー、ちょっと失敗しただけじゃん。大丈夫大丈夫もう一回―――」

 

「違うんです」

 

 先輩の言葉を遮り言葉を続けた。

 

「イップスなんです。おそらくもう二度とピアノは弾けません。」

 

 

 

 

 

『イップスとはジストニアとも呼ばれ、精神面や心理的原因などでこれまでできていた思い通りの動作ができなくなる障害。スポーツのみならず楽器演奏や、うまく箸が持てないなど人間の普遍的な動作に発現する。』

 

 適当に閲覧したネットサイトにはそのような記述があった。あの後あたしはどこか暗い後輩の背を見送り、自室でスマホを触っていた。記事を読んでさらに気持ちがもやもやしたところで、最近お気に入りの動画を開いた。

 

 やっぱり何度聴いても飽きない。演奏の上手さもそうだが、この動画は特にほかの彼の動画よりどこか魅かれるものがある。だから目の前で弾いてもらいたかっただけなのに、あんな顔してほしかったわけじゃないのに。動画で気を紛らわそうとしたがもやもやは続いたままだ。その後も気分が優れないでいると、おねーちゃんに声をかけられた。

 

「日菜?どうしたの、さっきからため息ばかりついて。」

 

「あれ、そんなにた出てたかなー?あはは…」

 

「ええ、これ見よがしに何度も。それで何かあったの?」

 

「…うん、あのね」

 

 あたしは後輩がイップスでピアノを弾けなくなったこと、そのことを知らずに無理やりピアノを弾いてもらおうとしたこと、すべてを話した。

 

「でね、それでもやっぱりあたしは一緒に演奏したいなーって…」

 

「イップスのことはよくわからないけど、そんな一朝一夕で解決する問題じゃないでしょ?」

 

「だから治してあげられないかな…」

 

 そういうとおねーちゃんは小さくため息をついて、こちらを戒めるように見つめた。

 

「専門家でもない私たちにできることなんてないわ。何より既に専門の医者に診てもらっているはずよ。治してあげたいなんて考えは傲慢だわ。」

 

「でも…」

 

「無理に治そうとしてより悪化したらどうするの。もしかしたら彼が本当に二度とピアノを弾けなくなる可能性だってある。その時日菜は責任が取れるの?同情なんかで踏み込んでいいことではないわ。」

 

「同情じゃだめなの!?」

 

 自分でも驚くほど大声が出てしまった。そこから堰を切ったように思いのたけをおねーちゃんにぶつけた。

 

「俊くんは大切な、天文部のたった一人の後輩なの。出会った時から今までなんとなく心の底から笑ってくれないなーって思ってて、たまたま見つけた動画では本当に楽しそうに演奏してる俊くんがいて、でも…もうピアノが弾けないなんて…そんなの…そんなの嫌だ…」

 

 しばらくの沈黙の後、おもむろにおねーちゃんが口を開いた。

 

「あなたの気持ちはわからなくはないけど、それでも私の意見は変わらないわ。」

 

「…」

 

「ただ、私が否定してもあなたが行動するのはわかっているわ。だったらまずはイップスの原因を理解することが必要じゃないかしら。彼本人かもしくは彼のことを詳しく知っている人にね。」

 

 おねーちゃんがどこか呆れたように目を伏せてそう言った。たしかに色々するつもりだったことを見抜かれてギクッとしたが、それと同時に後押ししてくれたことに嬉しくなった。

 

「うん、ありがとう。おねーちゃん!」

 

 そう言ってあたしはおやすみのあいさつをして自室に戻り、俊くんにメッセージアプリで明日の部活に遅れる旨を伝えた。彼からの了承のメッセージを確認した後ベッドに入った。明日はちょうど土曜日、会うべき人もいるはずだ。

 

 

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