僕らはてんもんぶ   作:higgs

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あたしと後輩

 翌日、あたしは一度来た記憶を頼りに目的地へ向かっている。なんとなく見覚えのある景色を横目にしばらく歩くと、お目当ての一軒家が見えてきた。駐車場に車があることからおそらく目的の人物はいるであろう。表札の『立華』という文字を確認し、意を決してインターフォンを鳴らした。1分もしないうちに、はいどちら様ですか、と女性の声が聞こえてきた。

 

「あの、あたし氷川日菜って言います。俊くん、息子さんの部活の先輩です。」

 

『あら?あの子は今日も部活だって先に行きましたよ?』

 

「今日はお母さんにお話があって来た…んです。」

 

『私に?ちょっと待っててね。』

 

 玄関が開き一人の女性が現れた。彼に似たつややかな黒髪とどこか俊くんの面影のある目元から、彼の母親だということがわかる。

 

「初めまして俊介の母親です。外は暑いでしょう、どうぞ中へ」

 

 

 

 

 

 あたしは彼女に招き入れられ客間へ向かった。氷が入れてあるお茶をあたしに渡した後、彼女は私の向かいに座った。

 

「それで、わざわざ家に来てまでお話って何かしら。」

 

 優しそうな眼差しでこちらを見つめてきた。ほんの少し緊張していた気持ちがほぐれ、アタシは口を開いた。

 

「ごめんなさい!昨日俊くんに無理やりピアノを弾かせようとして、それで辛い思いをさせてしまって。あたしイップスだって知らなくて、本当にごめんなさい!」

 

 がばっと頭を下げ、しばらくの静寂が続いた。顔を上げてちょうだいと声が聞こえ、恐る恐る顔を上げると、そこには相も変わらず優しい目でこちらを見ている彼女がいた。

 

「正直に話してくれてありがとう。今までこんなことなかったからびっくりしちゃったわ。昨日俊介が暗かったのはそういうことだったのね。」

 

 彼女はお茶を一口飲むと話を続けた。

 

「俊介は小学6年生のちょうど今頃の時期にイップスになってね、それ以降ピアノが弾けてないの。でもそのことを知らないクラスメイトに弾いてくれって言われたって暗い表情で帰ってくることが何度もあったわ。だからあまり気にしてないといえば噓になるけど、そこまで深刻に落ち込まなくてもいいわよ。でも謝罪は受け取っておきます、謝ってくれてありがとう。」

 

「ありがとう…ございます。」

 

「うん、それでお話はもう終わり?それともまだ何かあるの?」

 

 いたずらな笑みをこちらに向けてきた。どこか見透かされているようでこそばゆい気持ちになりながらここに来た本題を投げかけた。

 

「その、なんで俊くんがイップスになったかを知りたくて。問題がなければ教えて…いただいてもいいですか?」

 

「実をいうと私にもそれがわかっていないのよ。」

 

 少しだけ悲しそうな顔をしながらそう答えた。やっぱり直接聞かないとダメかなと憂鬱になった。

 

「でもせっかく家まで来てもらったんだし、俊介の昔話くらいならできるわよ。少し長話になっちゃうけどそれでもいいなら…」

 

「おねがい…します!」

 

 食い気味に返事をすると、にこりと笑って話を始めた。

 

 

 

 

 

 そうしてあたしは彼の昔話を聞くことになった。

 

 何にも興味がなかった彼が幼稚園で鍵盤ハーモニカにはまり、それからピアノを習い始めたこと。

 

 ピアノの才能があり、コンクールで何度も受賞しテレビにも出演したことがあること。

 

 小学6年生になったころ、急に家でピアノの練習をしなくなったこと。

 

 そして…6年生夏のコンクールのステージ上で突如倒れたこと。

 

 そのあとにイップスと診断され、一切ピアノを弾けなくなったこと。

 

 

 

 

 

 話が終わると彼女はふうと息を吐いてお茶を一口飲んだ。

 

「こんなところかしら。どうかしら、少しは何かの役立ちそう?」

 

「えっと、知りたいことのヒントにすごくなった…と思います。」

 

 それならよかったと返答があると、彼女はちらりとスマホを確認した。

 

「そういえば時間は大丈夫?部活の開始時間からしばらく経ったと思うけど。」

 

 あっと声が出た。そういえば彼を放置したままここに来たんだ。もらったお茶を飲み干し荷物を持って玄関へ一緒に向かった。靴を履いている途中、日菜ちゃんありがとうねっという声が聞こえてきた。えっ、と空気が抜けたような声を出し顔を上げると、先ほどよりもいっそう笑顔の彼女がいた。

 

「あの時からずっと暗いままだったあの子が、高校の天文部に入ってから毎日楽しそうなのよ。きっと日菜ちゃんのおかげだわ。本当にありがとうね。」

 

 その言葉を聞き、嬉しくも少し恥ずかしい気持ちになった。

 

「お邪魔しました。あの、よければ夏休み明けの文化祭に来て…もらえますか?天文部で出し物する予定なので、見に来てもらえると嬉しいです。絶対に楽しいものにするから…」

 

 彼女は少し驚いた表情をすると、再び笑顔になった。

 

「ええ、ぜひ行かせてもらうわ。それと今度から無理して敬語で話さなくてもいいわよ。」

 

 はい、と返事をし家を出るとすぐに彼の待つ部室へ向けて走った。…決して赤くなった顔をごまかしたいとかではない。

 

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