2学期が始まり気が付けば何度目かの土曜。いつもは見られない装飾が校舎に施され、出店もまばらに並んでいる。9月になっても気温が下がる様子がないにもかかわらず、校舎内は人で賑わっている。本日より羽丘学園では文化祭が開催されている。
クラス内の時計が2時を過ぎたころ、クラスメイトに断りを入れ出店の当番から外れ部室へ向かった。昨年は解放されていた扉も今年は立ち入り禁止の張り紙が貼り付けられている。その警告を無視して扉を開くと中からおつかれーとすでに待機していた日菜先輩から声がかかった。
「そろそろだねー、緊張してるー?」
「まあ緊張してないといえば嘘になりますね、大人数の前もステージ上に立つのも久しぶりですし。」
小刻みに震える手を弱弱しく掲げると、おもしろーいとけらけら笑ってくる。
「そういえば本当に良かったんですか、キーボードレンタルしなくても。」
「うん、学校の使わせてもらうから大丈夫!」
別に今まで使い慣れたやつでもよかったのではと思ったが、まあいいかと疑問を頭の隅に追いやる。
しばらく雑談を続けているといつの間にか出場時間の30分前になっていた。そろそろ行こっか、と先輩が立ち上がりギターケースを肩にかけたので、それに伴って立ち上がり体育館へ向かった。
体育館に到着すると今はバンド演奏をしており、会場はそこそこの盛り上がりを見せている。待機場所に到着すると先ほどの演奏が最後のようでステージ上にいたバンドグループが笑顔で退場してきた。それと入れ替わるように僕たちの前のグループが舞台袖に移動し、しばらくしてから彼女らを紹介するアナウンスが流れた。
ふう、とため息にも似た深呼吸をした。先ほど部室でおしゃべりをしていたのがウソのように緊張しており、手のひらも少し濡れてきた。これ以上心拍数を上げないよう天井を見上げると、不意に横から伸びてきた手が僕の頬をつまんだ。
「…なにふ(す)るんですか。」
舞台の邪魔にならないよう小さく非難の声をあげた。
「あはは、変な声ー。」
「日菜先輩が頬引っ張ったせいじゃないですか。というかこんなところでふざけないでください。」
「えーだって今まで見たことないくらい緊張してるからさ、おかしくってつい。」
にしたって声をかけるとかあるだろという思いを込めて恨めしそうに先輩を睨みつける。
「大丈夫だって、絶対楽しいから。」
先ほどのからかうような表情からうって変わってこちらに優しく微笑みかける。その後も先輩はひっきりなしに僕にちょっかいをかけては小さくけたけた笑うのを繰り返してきた。
気が付けば前のグループの発表も終わったのか拍手が聞こえてきた。いよいよか、そう思うと再び手が震えてきた。しかし待機場所に来た時よりは震えが小さい。数分もしないうちに僕たちの使用する機材の準備が整ったのか運営から声がかかり、2人で舞台袖へ向かった。
『続いては天文部の発表です。天文部の皆さん、どうぞ!』
マイク越しの声が聞こえステージ上に目を向けると、思わずえっという声が漏れた。ステージ中央にマイクと、その少し後ろにアンプがあるのはいい。しかし僕が今日使用する予定だったキーボードがどこにも見当たらず、代わりに1つだけ楽器が置かれていた。なんで、そう小さく呟くと先輩はその問いには答えずこちらに顔だけを向けただただ優しく微笑んでステージへ駆け出した。
————そこにはあの時と同じ黒が、ステージ上からこちらをじっと見つめてきた。
「日菜ちゃん?」
妹の誘いで羽丘学園の体育館に来た私に、後ろから声がかかった。声のほうに体を向けるとそこには私の母親と同じくらいの年代の女性が立っていた。
「いえ違います。日菜のお知り合いの方でしょうか?」
「あら、ごめんなさい。以前日菜ちゃんが家に来たことがあって。もしかして日菜ちゃんのお姉さんかしら?」
「はい、氷川紗夜と申します。」
どおりでそっくりだと思ったわ、とくすくす女性が笑う。
「私は立華俊介の母親です。日菜ちゃんはあの子の先輩だって聞いています。」
その名前を聞き、ああと納得した。
「日菜がお世話になりました。何か失礼なことをしませんでしたでか?」
「いえ、とっても礼儀正しくていい子だったわよ。」
日菜が?思わず出かけた言葉をぐっと飲みこむ。どんな人に対しても気後れせず接している反面、目上の人に敬語でしゃべっている印象が薄い。
「日菜ちゃんに誘われて来たんだけど、いったい何をするのかしら。天文部が体育館で発表なんて…紗夜ちゃんは何か聞いている?」
「私も何も聞いていません、来てくれとだけ。」
「そうなのね、えっと俊介たちの発表は…あらちょうどこの次なのね、間に合ってよかったわ。」
彼女がパンフレットに目を落としながらにこやかに言う。楽しみなのだろう彼女を見ながら、一方で私は日菜が何かとんでもないことをするのではないか、そんな一抹の不安を抱えている。
しばらく思考の海に潜っていると天文部を呼ぶアナウンスが聞こえ、ステージ天幕が開いていく。そこにはおよそ天文部が使用しないであろうアンプと、そしてひときわ存在感を放つグランドピアノがステージ左に配置されている。どうやら私の予感は当たってしまったらしい、どこの天文部が演奏をしようと考えるのだろうか。
ピアノが置かれているということは彼は弾けるようになったのだろうか、その考えは天文部の2人が入場した瞬間に否定されることになった。ステージ中央に立つ日菜とは正反対に暗い表情を隠しきれていないのがこちらからでもはっきりとわかる。無理やり連れてきてしまったのだろうか、しかしあの時の日菜の様子から彼にそんなことをするはずがない。ちらりと隣にいる彼の母親に目を向けると、私と同じように不安なのだろう緊張した面持ちでステージを見つめていた。
「彼は大丈夫なんでしょうか、もしかしたら日菜が無理やり…」
「…少し、ほんの少しだけ不安だけど日菜ちゃんが私に約束してくれたから。楽しいステージにするって。だから私は2人を信じてるわ。」
明らかに無理をして発した言葉に私は一層不安になりステージに目を戻す。
「日菜…」
一体どうするつもりなの、そんな私の気持ちにはお構いなしのように、ステージ上の日菜はマイクに向かってにこやかにMCを始めた。
『どうもー、私たちは天文部でーす。今年は何をしよっかなーって考えてたらなんとびっくりお互いに楽器演奏できるみたいで、るんっ♪て感じじゃない?ってことで今日は1,2曲くらい演奏しまーす。じゃあさっそく始めるよー。』
どこまでも楽しそうにそう話した。いよいよ始まる、会場全体の期待と私たちの不安が高まっているのを感じる。しかし日菜は、そんな観客たちを嘲るよう肩に下げているギターに手をかけず、くるりと私たちから背を向けた。
なんで、どうしよう、弾かなきゃ、いきなりピアノなんて無理、様々な思考で脳内がぐちゃぐちゃになり、手元もよく見えず、動悸が激しくなっているのを感じた。日菜先輩は何でこんなことを、心の中で先輩を責めるがMCが止まることはない。いよいよだ、演奏をしなければ、そう思えば思うほど手が全く動かなくなってしまった。ごめんなさい、やっぱりできませんでした、そう諦めきゅっと目を閉じた。
「かーえーるーのーうーたーがー」
マイク越しではない先輩の歌声がこちらに向かって聞こえてきた。ゆっくり顔を上げるとそこにはピアノのそばまで来て、後ろ手に組んで歌っている先輩がそこにはいた。その姿に僕は、初めて両親の前でピアノを弾き、一緒に歌っていた姿と重なって見えた。
「きーこーえーて…あれ、なんで弾かないの?」
「…そんな曲なんて、予定になかった…ですよ。」
なんで先輩はこんなことを。問いかけに答えず少しぼんやりとしていたが、面白くなってくすりと笑ってしまった。観客の9割以上がアイドル氷川日菜の歌とギターを期待してここにいるのに、わざわざこんな舞台を作ってまでそれを裏切るようなことをしている。どんだけ僕にピアノ弾かせたいんだ、もう一度ふっと笑って手元を見る。先ほどまで歪んでいた鍵盤ははっきりと見えていた。
「もー、じゃあもう一回行くよ?」
3、2、1という掛け声とともに歌が始まった。
「いいねーるんっ♪てきたー!」
ざわついている会場をよそに喜んでいる先輩をみてまた笑ってしまった。もう2曲くらいしよっかなーと顎に手を当て考えている先輩に声をかける。
「日菜先輩。」
もう大丈夫です、その意思を込めて先輩を見つめると一層笑顔になってマイクの前に戻っていった。好きに弾こう、今までの鬱憤を晴らすように、練習よりも自由に。
————両手を縛っていた糸はとっくにほどけていた。
瞬間、音が体育館内に響き渡った。ざわめき、誰も演奏に集中していなかった観客が一斉にステージ上に目を向けた。ギターとピアノ、たった2つの楽器だけなのに、5人バンドのそれに負けないほどのユニゾンに誰もが心を奪われた。
『過ぎ去った流星群を胸に抱いて 僕はエールを送る』
『どんな深い森に迷ったって 笑顔がすぐそばにあった』
『毎日にひそんだサプライズが 君を大きく変える』
『輝くダイヤモンド 心にひとつ 忘れないように』
そつなくギターボーカルをこなす日菜もそうだが、今までろくに弾けていなかったであろう彼のピアノも歌うように旋律を奏でている。悔しいがお互い天才なのだろう、デュエットなことを気にもせず好き勝手弾いているのにとても楽しそうで、惹きつけられる演奏だ。彼の母親が口元に両手を当て、涙を流しながら2人の演奏に聞き入っている。5年以上も聞けなかった息子の演奏を再び聞くことができた、それはどれほど嬉しいことなのだろう。
瞬きする間もなく演奏は終わってしまった。どこかまだ続きそうにも思えたが日菜の言葉通りこれで終わりらしい。2人は惜しみない拍手を受け、こちらに礼をすると退場した。
「ありがとう、日菜ちゃん。」
ハンカチで涙を拭きながら彼女はそう呟いた。文化祭を私物化したり、彼のトラウマを引っ掻き回すようなことをした(目論見は成功したようだが)ので、帰ってお小言を言おうと考えていたが、今回のところは彼の母親に免じて許してあげよう。私も拍手で2人を見送った。
発表を終え、その足で僕たちは部室へ戻った。
「最っ高~!あたしがギュイーンってしたら俊くんもたららーんって応えてくれて、もうるるるるるんっ♪て感じだっよー!」
興奮さめやらぬ様子で日菜先輩が叫んだ。擬音のせいでいまいちわかりづらいが、今まで見たことないほど喜んでいるのが伝わってくる。
「日菜先輩、ありがとうございました。…ピアノがあって少し驚いたんですけど、でも日菜先輩がいてくれたから、ずっと僕と向かい合ってくれたから。正直、おじいちゃんになっても弾けないんじゃないかって思ってたんです。でも今日奇跡が起きたのは、まぎれもなく日菜先輩のおかげです。本当になんてお礼を言ったらいいか…」
「俊くんは、るんっ♪てした?」
「…はい、すごく、るんってしました。」
先輩は僕の言葉を聞くと花が咲いたように笑った。
「これからもさ、ピアノ続けてね。あたし俊くんのピアノずっと、ずーっと聞いていたいから。来年の文化祭も期待してるからね、あたしぜーったい聴きに来るから!」
頬を紅潮させたままの先輩の言葉に笑みをこぼした。
「日菜先輩、ひとつだけ言いたいことがあるんです。」
僕は真剣な顔で先輩を見つめると、先輩は潤ませた目でこちらを見つめ返してきた。その様子に動揺したが、気を持ち直し言葉を続けた。
「何回も言いますけど、僕たち天文部なんで。来年はこんなことしません。」
「……あれ?」
僕たちはてんもんぶ おわり