流星の天秤~貴族令嬢になった元従者、王子を救うために奮闘する 作:梅杉
午後からは、予定通りに火竜山の麓近くにある温泉に向かった。
明らかに人の手によって作られたこの温泉は、2千年以上前…古代神話王国時代のものだという説が有力だ。
皮膚病や火傷、切り傷、関節や腰の痛みなどに効能があるらしい。
だがここに来るためには、魔獣の棲み着く森を越える必要がある。
温泉が作られた当時には遠く川向こうにあっただろう森が、長い時を経て温泉の周辺まで覆ってしまったのだ。
危険な森を越えてまでわざわざ温泉に足を運ぶ者はおらず、長い間ほぼ伝説のような存在になっていたが、この地に着任したフェナカイトはその話を聞き大変惜しいと思ったらしい。屋敷の庭の件といい、なかなか変わった人物だったようだ。
魔獣を倒しながら少しずつこつこつと森を切り開き、鉱山に向かう道も兼ねて道路を作り、当代になってようやく温泉の周囲まで整える事ができた。
足湯は底につるつるとした白い石が敷き詰められていて、腰掛けるのに丁度良い大きさの岩が縁を囲っている。周りの板壁と屋根は今年建てられたばかりのものだ。
すぐそばにはちゃんと全身が浸かれそうな温泉もあるのだが、そちらはまだ壁も屋根もない。
近々ちゃんとした施設を作り、数年後には立派な温泉として開業する予定だ。
今日殿下ご一行を案内したのも、その前宣伝という意味がちょっとある。
王子殿下も浸かった湯!とか言えば確実に話題になるだろうし。デクロワゾー侯爵家は商魂たくましいのだ。
「なるほど…。これはとても良いな」
「疲れが取れる感じだな」
ズボンの裾をまくり上げ足湯に素足を浸けながら、殿下とスピネルが感心し合う。
「気持ち良いでしょう?体の中の血や魔力のめぐりが良くなると言われてます」
そう答える私もまた素足だ。
少々はしたないかも知れないが、あくまで膝下だけなのでまあいいだろう。
「浸かっていると元気が出る気がする。足だけなのに不思議だ」
「この湯の成分によるものかもしれません。どうやらただの水とも違うようなので。少し変わった匂いがするでしょう?」
「確かに」
説明してくれたのはお兄様だ。
足湯はそれほど広くはないのもあり、今入っているのは私達4人だけである。
殿下の提案で、このあと護衛の騎士たちにも交代で足湯を味わってもらう予定だ。
「…ん?近くに川があるのか」
濡れた足を拭き、ブーツを履いていた殿下が言った。
その視線の先、ここから数百メートルほど離れた場所には小川がある。
温泉の周辺はいずれ建物を立てる予定で広く開けているため、ここからでも川原の様子がよく見える。
「ええ。少し見てみますか?すぐそこですし、川なら魔獣は近付いてこないので大丈夫でしょう」
騎士たちが足湯に浸かっている間は手持ち無沙汰なので、私はそう提案した。
川から森までは離れているし、もし鳥型の魔獣などが出てきて川を越えようとしてもすぐ逃げ出せる。
私たちだけではなく、既に一級魔術師の認可を受けているラズライトお兄様もいるし。
「どうでしょう、川を見に行ってもよろしいですか?」
ラズライトお兄様が護衛の騎士達に確認する。
すでにブーツを脱いでいた護衛の騎士は、川への距離を確認するとうなずいた。
「騎士を一人お連れ下さい。必ず目の届く所にいて、川の中には入らないようにお願いします」
「おわっ。なんだこの魚。すごい模様だ」
スピネルが川の中を覗きこみ、たくさんの斑点を持つ魚を見て声を上げる。
「アカマダラプレコ、ナマズの仲間です。温泉のせいか水温が高いので、少し変わった魚が棲んでいるんですね。個体によって模様や色合いが違うんですが、それはすごく真っ赤ですねえ。スピネル様の頭みたいですよ」
今度は私が説明した。この手の話はやはり兄より私の方が詳しい。
しかし髪の色をナマズに例えられたスピネルは憮然とした顔だ。
「褒めてるんですよ?綺麗な色じゃないですか」
「嬉しくねえよ!じゃあお前、今日のそのスカートをカエルみたいな色って言われたら喜ぶのか?」
指をさされ、今穿いているロングスカートを見下ろす。
落ち着いたディープグリーンで、確かにこんな色のカエルもいる。
「貴方が言ったならアホな
「あからさまな扱いの差!!」
「だって、殿下にとって『カエルみたいな色』は褒め言葉です。でも貴方は違うでしょう絶対に」
「当たり前だろうが。…殿下、これで喜ぶのはこいつだけだぞ。他の女には絶対にこんな事言うんじゃねえぞ」
「む、う、うむ…」
「…まさか、もう言った事あるのか…?」
「…あまり喜んでいないようだとは思ったんだが…」
殿下はちょっぴり落ち込んでいた。
こんなに素晴らしい方である殿下が、どうしてご令嬢達と仲良くなれないのだろうとずっと不思議だったのだが…もしかしてこんな所に原因が…!?
「だ、大丈夫です殿下!!いつかはきっと殿下の真心が伝わるはずです!!」
「いや、まず別の喩え方を覚えるべきだろ」
「努力する…」
それからもあれこれ言いながら川を眺めていたのだが、ふと殿下がある大岩を見上げて言った。
「この岩だけ、やけに大きいな」
確かに、この川の岸はせいぜい数十センチほどの大きさの岩や石で埋まっているのに、この一つだけやたらと大きい。高さ2メートルを軽く超えている。
「……?」
私は首を傾げて大岩を見つめた。
見た所大きさ以外は何の変哲もないただの岩だが、妙に気になる。
何かの気配を感じるような…?
試しに探知魔術をかけてみようと、手を触れて魔力を流し込んだ瞬間。
いきなり岩の一部がぼうっと光った。
同時に、足元に複雑な円と線が絡み合った不思議な模様が浮かび上がる。
「え!?」
慌てる暇もなく、全身が浮遊感に包まれる。淡い光と共に、私とすぐ横にいた殿下の身体が宙に浮いた。
覚えのある感覚だ。この現象が何を指すのかをすぐに理解し、愕然とする。
魔法陣による転移魔術だ。
「殿下!!リナーリア嬢!!」
スピネルが叫んでこちらに駆け寄ってくる。
身体強化を使って踏み出した彼は、こちらへと大きく手を伸ばした。
「…スピネル!!」
殿下もまたスピネルへと手を伸ばす。
その手が大きく引かれるのと同時に、私の視界は光に飲まれた。