流星の天秤~貴族令嬢になった元従者、王子を救うために奮闘する 作:梅杉
「…明日土曜は祝日なので2連休となる。遊ぶのも良いが、宿題をやるのを忘れないように。では皆、良い週末を」
「はい。先生も、良い週末を」
ホームルームを終えノルベルグ先生が退室すると、教室内はあっという間に賑やかになった。
「明日だけどさ、乗馬に行くのはどうだ?」
「良いぞ。天気も良さそうだしな」
「ねえ、これから城下町に行かない?素敵なカフェを見つけたのよ」
連休とあって皆はしゃぎ気味だ。友人同士で声を掛け合っている。
私もエスメラルド殿下の方へと歩み寄った。
「殿下は週末、どう過ごされるんですか?」
「明日はランメルスベルク家主催の音楽会と晩餐会に招待されている。明後日はまる一日、領地に帰る前に挨拶をしたいという者たちへの応対をする事になりそうだ。…冬になる前に、君と庭を散歩したかったんだが…なかなか時間が取れないな」
「殿下はお忙しいので、仕方ありませんよ」
冬になる前にというのは、庭の池にいるカエルが皆冬眠しないうちにという意味だろう。
入学して以来、殿下と城で会う機会はすっかり減ってしまった。
代わりに平日は学院で会えるのだが、一緒にのんびり散歩したり、趣味のカエルの話をする時間が少なくなったのはちょっと残念だ。
「もうすぐ視察に出発するし、その前に一度ゆっくりとお茶でもしたいところだ。なあ?」
殿下に視線を投げかけられ、横にいたスピネルは「おう」と何だか微妙な表情でうなずいた。
さっきから手に二人分の鞄を持ったまま所在なさげに立っているが、でかいので正直邪魔くさい。
「それより殿下、そろそろ生徒会の時間だろ。行かないと」
「ああ、そうだったな。ではな、リナーリア。また来週」
「はい、また来週。生徒会、頑張ってくださいね」
教室を出て、ぼんやりと考え込みながら学院の廊下を歩く。
頭に浮かぶのはスフェン様の事だ。ミニウムは「後は自分で何とかする」と言っていたが、やはり気になってしまう。
「うぅ~ん…」
「わっ!」
腕組みをして唸りながら角を曲がった所で、すぐ近くから素っ頓狂な声が聞こえた。
どうやら誰かにぶつかりかけてしまったらしい。
「すみません、大丈夫でしたか?」
「ひえっ、リナーリアちゃ…リナーリアさん!…ダイジョブ、デス」
「?」
謎の悲鳴を上げ片言で答えたのは、クラスメイトのクリードだった。
いつも陽気と言うか能天気で、気さくと言うよりむしろ馴れ馴れしい調子で「リナーリアちゃん!」とか呼びかけてくる男なのだが、何やら態度がおかしい。しかもサッと額のあたりを両手で隠している。
…真新しい痣?今日の剣術の授業で誰かにやられたのだろうか。
「そ、それじゃ、俺はこれで!またね~!」
「はい、ごきげんよう」
一体どうしたんだろうと訝しく思いながらその後ろ姿を見送っていると、ふと一人の男子生徒と目が合った。しかし、一瞬の後に全力で目を逸らされる。
…どいつもこいつも何なんだ!?
まるで人を幽霊か怪物みたいに…、あれ、待てよ。あの黄緑色の髪は、確か。
ヘルビン・ゲータイト。
隣のクラスの騎士課程の生徒で、あのスフェン様の一歳違いの弟だ。
「…ヘルビン様!」
「!?」
声をかけながら歩み寄ると、彼はぎょっとして私を見た。
「お、俺?」
「はい、そうです、こんにちは」
「こ…こんにちは…」
だから何で「うげっ」って顔をするんだよ。
内心ちょっと腹が立つが、とりあえずにっこりと笑って挨拶をする。彼からなら何か話を聞けるかもしれない。
「少々お時間よろしいでしょうか。スフェン様についてお尋ねしたい事があるのですが」
「はあ?姉さんの?…あんたもか?」
「も?」
思わず聞き返した時、奥から「おーい」と誰かが近付いてきた。あれは…。
「いたいた、ヘルビン!…あれっ、リナーリア?」
「ミニウム様!?」
廊下で立ち話も何だしと、私達は食堂へと移動した。
片隅にある目立たない席でティーカップを傾けつつ、ミニウムが言う。
「…それじゃあ、ヘルビンに僕とスフェンの事を訊こうとしていたんだね。気にかけてくれてありがとう、リナーリア」
「いえ…」
どうやらミニウムも、スフェン様の事を尋ねたくてヘルビンと約束をしていたらしい。
考えてみれば両家は家族ぐるみの付き合いをしているのだ、ミニウムとヘルビンもまた幼馴染として親しいはずである。
むしろ、何故今まで尋ねようとしなかったんだろう。
…そして、私は何故ここに同席しているんだろう?
流れで何となく付いて来てしまったが、本来私はこの話に無関係な立場だ。
ミニウム本人が話を聞くなら私はもう必要ないし、遠慮するべきだっただろうか。しかし今更席を立つのもな…。
思い悩む私の横で、「さて」とミニウムが口を開く。
「ヘルビン、君に尋ねたいんだ。スフェンはどうして僕を避けているんだろう?」
「……」
場に沈黙が落ち、ヘルビンは困った顔になった。
困惑ではなく、悩んでいる顔。…彼は、事情を知っている。
「…最初はね、ジンワルド家とゲータイト家の関係が悪くなってるせいかなとも思ったんだ。うちのシュンガ家とあそこは親しいし」
「ジンワルドと言うと…ああ、演劇部の部長の」
「そう。彼はスフェンが演劇部を辞める時、女性部員を何人か一緒に連れて行った事をちょっと根に持ってるみたいなんだ。スフェンの方は気にしてないんだけど…」
子供の喧嘩に親が出てくるというのは褒められたものではないが、貴族の世界では往々にしてそういう事例が発生する。
甘やかされて育ったお坊ちゃまだとかは特にそうだ。何かあると親の権力に頼ろうとする。
それに巻き込まないためにミニウムと距離を取ったというのは、確かにありそうな話だが…。
ヘルビンが迷うように目を伏せて言う。
「それもまあ、理由の一つではある…かな」
「では、本当の理由は他にあると?」
「えっ、あっ、ハイ」
思わず身を乗り出した私に、ヘルビンはこくこくとうなずいた。
それから気まずそうな表情になってミニウムの方を見る。よほど言いにくい事のようだ。
ミニウムは、真剣な目でヘルビンを見つめ返した。
「僕には話したくない事なんだろう、分かってるよ。だから僕も今までは尋ねなかった。…でも、これ以上はダメだと思うんだ。スフェンは僕に何か隠し事をしてるって、この前話してはっきりと感じた。だから…」
一旦言葉を切り、拳を握る。
「教えてくれないかな。僕はこれ以上、スフェンを苦しませたくない」
「……。分かった」
ヘルビンはカップに残った紅茶を飲み干すと、思い切ったように口を開いた。
「…実はさ。うちの両親は、シュンガ家に…あんたに、スフェン姉さんを嫁がせたがってるんだ」
「えっっっ?」
ミニウムは思い切り間抜けな声を上げた。それから、みるみる赤くなる。
…なるほど。スフェン様がああいう人なのでつい忘れがちだが、家ぐるみで親しく年も近い男女と来れば、まあ当然持ち上がるだろう話だ。
「姉さんはほら、あの調子だから、普通の家からはまず縁談が来ない。だから昔から仲の良いミニウムがもらってくれれば有り難いって、そう思ってるんだよ」
「そ、そう…なんだ…」
常に男装してるというのは、貴族の常識においておよそ有り得ない振る舞いだ。
男は男らしく強く逞しく、女は女らしく清楚で美しく。それが貴族における男女の理想像なのである。
少々古臭い考えではあるが、歴史ある貴族家であればあるほどそういう固定概念を大切にしたがる傾向が強い。
何しろ女騎士がズボンを履いているのすら、未だに眉をひそめる者がいるのだ。
スフェン様の父ゲータイト伯爵もそういうタイプの人物で、そのため彼女は父親とあまり仲が良くないのだと言う。
かくいう私も、前世ではスフェン様の事をあまり良くは思っていなかった。男装するなんて奇矯な人物だと考えていた。
しかし、私自身が女の身に生まれ変わってみてよく分かったのだ。
本当にやりたい事、叶えたい願いの前には、性別など関係ない。男らしくだとか女らしくだとか、そんなのは不要な足枷でしかないと。
もっと自由に生きたがっている女性はきっと多い。だが普通は人目が気になってそう自由には振る舞えないものだ。だから私だってこうして頑張って貴族令嬢を演じている。
それを物怖じせずに全身で表現しているスフェン様はとても勇敢だと、私は思う。
ファンクラブが作られるほどの彼女の魅力は、男女に囚われないあの姿勢によるものも大きいのではないのだろうか。