流星の天秤~貴族令嬢になった元従者、王子を救うために奮闘する 作:梅杉
ヘルビンは二杯目の紅茶に口をつけると、話を続けた。
「…素直にこっちから縁談を持ち込めば良いんだろうけど、うちの家は体面とかそういうの、結構気にするからさ。できればあんたの方から婚約を申し込んで欲しいみたいなんだ。てか、申し込んでくるもんだと勝手に思ってたっぽい」
これは形として男性側の方から申し込んで欲しいというのは勿論、家格の問題もあるだろう。
両家は同じ伯爵位だが、ゲータイト家は貴族の中でも特に歴史が古く、また塩の産地としての豊かな財力も持つ。シュンガ家よりもずっと家格が上なのだ。
プライドの高いゲータイト伯爵としては、頭を下げるような真似はしたくないのだろう。
「でも、年頃になってからもあんたからは全くそういう話が来ない。ちょっと焦りだした父さんは、姉さんを呼びつけてずいぶん叱ったんだ。お前がそんなだからミニウムから相手にされないんだって。で、もっと普通の令嬢らしくしろとか、あんな部はやめろとか、ちゃんと責任を取ってもらえとか言って…」
「責任?」
尋ね返した私に、ヘルビンはしまったという顔をしてミニウムを見た。
ミニウムがちょっと苦笑しながら言う。
「…あの時の話だろう?木剣で遊んでた時の」
「ああ」
ヘルビンがうなずき、ミニウムは私に向かって説明した。
「まだ僕らが5、6歳頃の話さ。僕とスフェンとヘルビンとで木剣を振り回して遊んでて、僕の剣がうっかり、スフェンの額に当たっちゃってね。すごく血が出て、僕たちは3人で大泣きした」
「そんな深い傷じゃなかったらしいんだけどな」
額の骨は分厚く丈夫なので滅多なことでは重傷にはならない。だが、頭部の傷は浅くても出血が多くなりやすいのだ。
「もしかして、傷が残ったとか?それで責任を…」
「生え際の辺りだし普段は髪に隠れて見えないけど、うっすらとな。でも姉さんは『責任を取るべきなのはむしろボクの方だ』って怒ってたよ。なんかもう治ったらしいから言うけどさ、ミニウムが人に向かって剣を振れなくなったのって、このトラウマのせいだろ?」
「え!?そうだったんですか!?」
「ご、ごめん、黙ってて…」
大きく流血するような怪我を大事な幼馴染に負わせてしまったのは、子供にはかなりショックが大きかったろう。引きずってしまっても仕方ない。
それならそうと言ってくれれば…とも思うが、聞いた所で私はやっぱり同じ作戦を立てていた気がする。
まあいいか、治ったんだし。
「分かりました、話を戻しましょう。それで、ゲータイト伯爵に叱られたスフェン様はどうしたんですか?」
「当然めちゃくちゃに反発したよ。父さんと大喧嘩して、今も冷戦中。…姉さんがあんたを避けてるのは、父さんがいざとなったら額の傷の件を盾にして強引に縁談を進めかねないからだと思う。『ミニウムとはもう疎遠なんだから、そんな昔話を持ち出しても無駄だ』って牽制な訳だ。ミニウムに迷惑かけたくないんだろうな」
普段見えないとは言え、よりによって顔の傷だもんなぁ…。ゴリ押しするには格好の材料だ。
しかしこれは、なかなかに面倒な問題だ。ご両親の気持ちも分かるが、縁談となると本人たちの気持ちだって大事だし。
真実を聞かされたミニウムは、「そっか…」と小さく肩を落としている。
「あー、あと姉さんのスフェン部に関しては、男子の扱いに困ってるってのもあるな。あそこ女子ばっかだから。今までも入部希望の男は何人かいたらしいんだけど、どいつもこいつも下心丸出しだったから警戒してるっぽい。姉さんはミニウムがそんな奴じゃないってよく知ってるけど、他の部員の子たちはさ」
「な、なるほど…」
女子の輪の中に乱入しようとする男子は、大抵の場合嫌われるものである。スフェン様は良くても他の部員は良い顔をしないだろう。下手に庇えばそれはそれで嫉妬されそうだし。
ついでに言えば、学院の男子からの評判も下がりそうだ。絶対「女に囲まれて軽薄な奴」とか陰口を言う奴が出て来る。要するに羨ましいってだけなんだが。
それからヘルビンは居住まいを正すと、正面からミニウムを見据えた。
「…なあ、ミニウム。あんたは姉さんの事、どう思ってるんだ?」
「それは…」
ミニウムは言葉を詰まらせた。
私もそこの所はちょっと気になっていたのだ。お互いに大事な相手なのは分かるが、それが恋愛感情を含むものなのかどうか。
私はその手の機微には少々疎いので、今まで全く読み取れなかったのである。
「本音を言えば、俺も両親には賛成なんだ。あんたが義兄になってくれたら嬉しいと思ってる。姉さんだって本当は、相手があんたならってちょっとは思ってるんじゃないかな。…多分…」
ヘルビンは自信無さげに言った。
彼女が何を考えているのか推し量るのは、弟でも難しいらしい。
「でも、別に無理してそうなって欲しい訳じゃない。あんたにだって選ぶ権利はあるし。姉さんの事、そういう風に思えないんだとしても仕方ないって思うし…何しろ、あの姉さんだからな。今日だって廊下で歌って踊ってて、俺まで先生に怒られたんだぞ…『すまないね、ちょっと気分が盛り上がってしまって!』じゃねえよ何で俺が…」
ちょっぴり疲れた表情で、最後は愚痴混じりになった。
彼自身はごく普通のどこにでもいる貴族令息だ。ああいう変わった姉がいるというのは、色々と苦労するものなんだろうな。少しばかり同情する。
「…で、どうなんだ?俺は正直に話したんだ、あんたも正直に言ってくれ」
「ぼ、僕は」
ミニウムは顔色を赤くしたり口を開けたり閉じたり、しばらく百面相をしていたが、やがて何とか表情を落ち着けた。
「僕は、ずっと昔からスフェンが好きだ。彼女が僕の妻になってくれたらどんなに嬉しいだろうと思う。…でも、彼女に『シュンガ伯爵夫人』になって欲しい訳じゃないんだ」
「…どういう意味だ?」
「シュンガ家はゲータイト家ほど厳格じゃないけど、それなりにしがらみはある。世間体だとか、付き合いだとか…。社交界は厳しい世界だ、伯爵夫人になればスフェンは今みたいに自由ではいられなくなる。夢だって諦める事になるだろう。それは嫌なんだ。…だから僕は、彼女に結婚を申し込む気はない」
彼の言うことは理解できた。
伯爵夫人にふさわしく、優雅に、慎ましやかに。位の高い者には媚びへつらい、人の噂話に花を咲かせ、夫の後をついて歩く。
そんなスフェン様は、確かに全く想像ができない。ちっとも彼女らしくない。
何より、彼女の「老若男女も身分の上下もなく楽しめる新しい舞台芸術」という夢。
自ら舞台に立ち、踊ったり芝居をする伯爵夫人など聞いた事がない。特に老貴族などは眉をひそめるだろう。平民も招いての舞台となれば尚更だ。
それで悪評が広まったりすれば、夫の立場まで悪くなってしまう。誰もが彼女に「そんな事はやめろ」と言うだろう。
「スフェンもきっと同じ考えだよ。自分はそんな風には生きられないって思ってる。伯爵夫人になんて、とてもなれないって」
淋しげな顔で、ミニウムは笑った。
「…そうだな。姉さんには、伯爵夫人なんか似合わない」
空気が重たく沈む中、ポツリとヘルビンが呟く。
ミニウムは苦笑しながら「うん」と答えた。
「色々教えてくれてありがとう。…今の話は全部、聞かなかった事にするよ。入部の件も諦める。残念だけど、これ以上彼女を困らせたくないし…」
「…ちょ、ちょっと待って下さい!」
「リナーリア?」
急に声を上げた私に、ミニウムとヘルビンは驚いた顔をした。
「このまま諦めていいんですか?子供の頃の約束も、スフェン様への想いも!…ミニウム様の言う事は分かります。貴方には伯爵家の跡継ぎとしての立場があり、スフェン様の夢や自由を尊重したいとも思っている。それは優しさでしょう。でも、本当にそれで良いんですか?貴方は、それで後悔しないのですか!?」
一度死んだ身だからこそ、思う。人生とはたった一度きりのものだ。
例えばまた私が死んだとして、もう一度過去に戻れるかと言うと、きっとそうはならない。そんな奇跡が何度も起こるはずがない。そう、強く思うのだ。
だから私は二度とないだろうこの人生を、悔いのないように生きる。
必ず、何としても殿下の命を救ってみせる。
…だから。もしかしたら余計なお世話なのかも知れないけれど。
ミニウムにだって、誰にだって、いつか後悔するような選択はしてほしくないのだ。
「ミニウム様が剣を振れなくなった原因。それを頑なに言おうとしなかったのは、スフェン様が未だに気にしている事を知っていたからでしょう?克服しようと長い間努力してきたのも、もう気に病む必要はないと、自分は強くなったのだと、そう彼女に胸を張りたかったからでしょう?」
「弱い」とバカにされ陰口を叩かれ、いくら頑張っても結果が出ない中で何年も鍛錬を続けるのは、きっと凄く辛かったはずだ。
…その努力が、やっと報われたのに。
彼女の側にいる事も、夢を手伝う事も諦め、後はただ卒業まで、お互いに少し気まずい距離を取り続けるだけ。そんな結末で、本当に良いと言うのか?
「でも、僕が近くにいるとスフェンに迷惑が」
「誰にも迷惑をかけず、何の代償もなく夢を叶えるなんて、そんな都合の良い話がある訳ないでしょう!」
「!」
「迷惑をかけたくないからと引き下がって、それで本当に悔いのない選択をしたと言えるのですか?これこそが一番良い道だったと、心から言えるんですか?…言えるのなら、私もこれ以上は何も申しません。…でも、そうでないのなら…どうか、後悔のない道を選んで欲しいんです」