流星の天秤~貴族令嬢になった元従者、王子を救うために奮闘する   作:梅杉

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本編よりも3年ほど前の話になります。


挿話・8 特別ではない成長

「スピネル、ほら、早く」

 

 遠くから聞こえてきた声に、オットレは思わず足を止めた。

 エスメラルドだ。少しはしゃいでいるように聞こえる。

 いつもはあまり感情のこもらない話し方をする少年なので、こんな声を出すのは珍しい。

 

「早くしろ。リヒターが待っている」

「そんなに急がなくたって逃げやしねえって、全く」

 

 あの赤毛の従者はやれやれという口調だが、やはりどこか弾んだ声だ。

 奴も結局楽しみにしているのだろう。

 リヒター・パイロクス。ポリバス領の騎士団長を務める、剣の達人と名高い騎士。

 その男が今、王宮を訪れているのである。

 

 この国一番の剣士と言えば現在王子の剣術師範をやっている剣聖ペントランドだが、リヒターはそれに次ぐ強さだと評判だ。

 実際、5年前に行われた王宮主催の剣術大会では余裕の優勝を果たしていた。

 当時まだ8歳だったオットレも大会を観戦していたのだが、あの時のリヒターの勇姿は今でも目に焼き付いている。

 とても静かで、それでいて苛烈な剣だった。

 

 彼はあまり人前に出たがらない性格らしく、それ以来一度も大会には出ていない。

 ポリバス領で真面目に騎士団長の職務をこなしているという話だったが、今回はペントランドの招きに応じて少しの間王宮に滞在する事になったのだと言う。

 ペントランドは元傭兵で各地を武者修行して回っていた事があり、その時に知り合ったのだとか何とか。

 

 

 エスメラルドとあの赤毛の従者はやたらと剣術が好きだ。

 特にペントランドが師範となってからはメキメキと腕を伸ばしている。

 

 赤毛野郎はオットレよりも一つ年上だし、剛刃将軍とも呼ばれたブーランジェ公爵の息子だ。敵わないのはまあしょうがないと思えるが、年下のエスメラルドまでもが自分よりも強くなってしまったので、オットレはかなりショックを受けた。

 ちょっとした気まぐれで手合わせをしたのだが、あっさりと負けてしまったのである。

 

 あれ以来、エスメラルドと共に剣を振る事はしていない。

 きっと今はあの時よりももっと強くなっているだろう。

 ずるい。あの剣聖ペントランドに指導してもらっているのだ、強くなれるに決まっているじゃないか。

 王子というのは、いつだって特別待遇なのだ。

 

「本当は、あの全てが私のものだったのに」

 

 …そんな父の言葉が頭に響く。

 酔うと父はいつもそう言うのだ。何故なら父フェルグソンは元々、この国の第一王子だった。本来なら今頃、王冠を頭上に戴いているはずだったのだ。

 だが父はオットレが生まれる少し前に大きな失敗を犯し、それで王位は弟の第二王子カルセドニーが継ぐ事になった。

 

 父はその「失敗」について話そうとはしない。ただ「私は騙されたんだ」と繰り返すばかりだ。

 口さがない使用人共の噂話のせいで、オットレはとっくに知ってしまっているのだが。

 

「運が悪かったのだ」と、そう言う者もいる。

 普通ならばたった一度の失敗で王位から遠ざけられたりはしない。挽回の機会が与えられるものだ。

 だが先王はその当時、流行り病に(かか)って死期が迫っていた。すぐに後継者を定めなければいけなかった。

 

 そうして先王は、第二王子を後継者に選んだ。

 第二王子は病弱という欠点があったものの、温厚な性格だったために一部の貴族から支持が厚かった。失敗のせいであちこちから反発されている第一王子より、こちらの方が良いと判断したのだ。

 更に、後々これで争いが起こる事がないようにと、フェルグソンから王位継承権を剥奪すると宣言した。

 

 その頃には生まれていたオットレには王位継承権が残されたが、それは父や父を支持していた貴族たちへの配慮みたいなものだろう。

 例えば、母の実家であるゾモルノク公爵家。いずれ王妃になれると信じて娘を嫁がせたのにと、当時は相当に荒れたらしい。

 オットレには良くしてくれているが、母が10年前に死んだのもあって、父とは何とも微妙な関係だ。

 

 父にはその後、王家直轄領の領主という地位が与えられ、今も王族としての待遇がされている。

 オットレも同じだ。王族の、しかも高い王位継承権を持つ者として扱われている。

 でもやはり、()()()()()()()()()のだ。

 エスメラルドはいずれ王になる人間で、オットレはその他大勢。幾人もいる代替品(スペア)の一人に過ぎない。

 

 

 …エスメラルドは王子だ。王位継承権第1位だ。特別だ。

 だからペントランドに指導してもらえるし、リヒターと剣の稽古をする事もできる。

 思わず唇を噛んだ瞬間、後ろから高く澄んだ声が聞こえた。

 

「…オットレ様?」

 

 リナーリアだ。リナーリア・デクロワゾー。

 あの無口で無表情で何を考えてるんだかさっぱり分からないエスメラルドと、あっという間に仲良くなった貴族令嬢。変な女。田舎貴族。

 でも顔はすごく可愛い。それに色が白くて、髪がキラキラしていて、睫毛が長くて、ちょこんと小さくて細い。

 

「こんな所で何をなさってるんですか?」

「別に。僕は王族なんだぞ、城にいたって良いだろう」

 

 エスメラルド達の声は既に聞こえない。とっくにリヒターの所に行ってしまったのだろう。

 オットレはふんと顎を上げ、リナーリアを見下ろした。

 

「お前こそ、一体何の用だ」

「ポリバスの騎士団長様が殿下に稽古をつけられると聞いたものですから、見学に来たんです」

「…つまりは、エスメラルドが稽古する所が見たい訳か」

「えっと、私、支援魔術師になりたいので!別に冷やかしとかではありません!後学のためにリヒター様の剣技を見てみたいだけです!」

 

 オットレがついムッとしたのを見て、リナーリアは慌てたように付け足した。

 …面白くない。

 

「ああそうか、好きにしろよ。早く行け」

「……?」

 

 鬱陶しいからさっさと消えろと手を振ると、リナーリアは何故か首を傾げた。

 それからぐいっと近付き、オットレの顔を覗き込んでくる。

 とても大きな、吸い込まれそうに深い青の瞳。そこにオットレの顔が映っている。

 

「な、な、何だよ」

「…オットレ様。もしかして、一緒に稽古を受けたいのではないですか?」

「は!?何で僕が!!」

「だって、その服。いつもよりずっと動きやすそうな、運動着にもなる服ですよね」

「!」

「腰に下げているのも、訓練用の木剣ですよね?」

「……!!」

 

 オットレは絶句した。

 こいつ、いつもエスメラルドの事ばっかり見てる癖に、何でそんな所に気が付くんだ。

 

 

「別に一緒に受けても良いのではないですか?リヒター様が王宮に滞在する機会なんて、この先あるかどうか分かりませんし」

「で、でも。リヒター殿は…エスメラルドのために、呼ばれたんだろ」

 

 ペントランドがわざわざその伝手を使ってリヒターを呼んだのは、エスメラルドと、あとついでにあの赤毛野郎に経験を積ませたいからだろう。

 未来の王のための教育。それはオットレのためなどではない。

 

「それはそうでしょうけど、殿下以外もリヒター様の稽古を受けたって良いでしょう」

「何でだよ。エスメラルドのための特別な稽古だろ」

「殿下のためではあっても、特別なんかじゃないと思います」

 

 リナーリアは静かに首を振った。

 

「人にはそれぞれ役割があります。殿下が背負う役割はとても重いので、人よりもたくさんの経験を積まなくてはいけません。でも、それが特別なものである必要はないと思います。色んな人が少しずつ殿下と同じ経験をしていけば、その分だけ殿下の重荷は減りますから」

「…それって要するに、エスメラルドのために頑張れって事じゃないか。僕には関係ない」

 

 何だか小難しい事を言っているが、こいつが大事なのは要するにエスメラルドだ。

 そう思ったオットレに、リナーリアは「違いますよ!」と怒った。

 

「自分のためにもそうするべきなんです!だって経験が無駄になる事なんかありません。得た経験は、誰よりも一番自分のために役立ちます!オットレ様は自分自身のために、もっと頑張るべきなんですよ!」

「ぼ、僕自身の?」

「成長する機会は誰にだって平等に与えられるべきです。殿下だけが特別なんて、そんな事ありません!」

「……」

 

 つい黙り込んだオットレに、リナーリアは得意げに続ける。

 

「そう、オットレ様はもう少し色々努力をするべきなんですよ。せっかく恵まれた立場におられるのです、それを活かさなくてどうするんですか。もっと自分に厳しくするべきですね!甘ったれた根性を叩き直し、態度を改め、殿下がいかに普段努力をし我慢をしてるかを知るべきです。そうすれば、もう少し殿下の苦労が分かっ…」

 

 オットレがムスッとしているのに気が付いたのだろう、リナーリアは途中で言葉を切った。

 慌てて愛想笑いを浮かべて見せる。

 

「え、えっと、つまりですね。オットレ様が稽古に加えてくれと言っても、殿下もペントランド様も、リヒター様も、スピネル様……。…も、多分!誰も嫌がりません、だから、行ってもいいと思います!」

「…お前は?」

「はい?」

「お前は、僕が稽古に加わってもいいのか」

 

 その瞬間、リナーリアは何故か虚を突かれたような表情をした。

 しばし言葉を失い、迷うように俯き…そして、きっぱりと顔を上げる。

 

「はい。私は、貴方に成長してもらいたいです。その上で、殿下の事も知ってもらいたいと思います。それが貴方のためにもなると、信じたいです」

「……」

 

 

 …結局エスメラルドなんじゃないか。

 正直面白くない。でも、これ以上怒る気にもなれなかった。

 リナーリアの青い瞳がやけに真剣で、必死にすら見えたから。

 

「ふん。まあいい、そこまで言うなら稽古に加わってやってもいい。…言っておくが、僕はこれまで本気を出していなかっただけだからな!本当はもっと凄いんだぞ!」

「はあ、そうですか」

「もう少し感情を込めて返事をしろ!!!!」

 

 怒鳴りつけると、リナーリアは「はい、ええ、もちろん」とか何とかごまかし笑いを浮かべた。

 取り繕うのが下手くそすぎる。

 

 こいつはやっぱりエスメラルドが一番大事なんだ。そんなの誰の目にも明らかだ。

 …でも、それが特別である必要がないのなら。

 誰かが入り込む余地だって、きっとあるはずだ。

 

 

「…行くぞ。お前もせいぜい頑張って見学して、勉強しろ」

「は、はい!当然です!」

 

 ばたばたと後を追ってくる青い瞳は本当に真面目で、オットレは少しだけ笑った。

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