「魔法陣……それにこのインクは……ま、まままさか?」
「うふふ、随分鉄臭いインクだねぇ。 たぶん思ってる通りだよ」
「ぴぇや!?」
よく考えもせず手で触れてしまったそれから大きく飛び退く。
広さにして10畳ほどの部屋の中央、そこには乾き切った血で描かれた複雑な模様の魔法陣が
壁や板に書いてあるわけでもなく、そこには血文字だけが何もない空間にピッタリと張り付いているのだ。
少しばかり触れた感触は僅かな弾力、しかし押して動かしたり擦って文字を消すことはどうもできない。
「……オーキスよ、これは一体何なのだ?」
「災厄の日の元凶、そしてあなたに動かしてほしいものだよ。 シルヴァちゃん、この部屋に満ちる魔力が分かる?」
「ああ、痛いほどにな」
室内には魔法少女なら目を瞑っていても分かるほどの濃密な魔力で溢れている。
この部屋にいるだけで自身の内にある魔力も満ちるような気がするほどだ、一般人なら1秒も持たず死に至る。
「流石ぁ、魔法少女でも長時間浴びると駄目になる量だよ。 朱音ちゃんはこの部屋に入れないんだぁ」
「そ、それは我大丈夫なのか!?」
「今のところは平気だよ、頭痛とか感じたら言ってねぇ」
道理でさっきから部屋に入ってこないと思ったら、知らず炭鉱夫のカナリアにされていたとは。
しかしなぜこの部屋には異常なほどの魔力が満たされているのか、理由は考えるまでも無く目の前のコレだろう。
「これがこの施設で研究されていたものか……感じるぞ、こやつが濁流の如く吐き出している魔力の流れを」
「そう、この魔法陣は無尽蔵に魔力を生み出す。 これがある限り私達の世界から魔力は永遠に消えないんだ」
「そうか……ならば!」
壊してしまえばいいじゃないか、とペンを構えた私の後頭部を遠くから伸びたカミソリの背が叩く。
振り返ると、扉の向こうから信じられないようなものを見るような顔をしたオーキスが覗いていた。
「馬鹿なの!? 壊しちゃったら今溢れてる魔力はどうする気!?」
「そ、そういうのは元凶を断てば消えるものでは……?」
「理屈は分かるけどさぁ、リスクが高いよ! それに壊すだけならシルヴァちゃんも攫ってないって!」
「……そういえばそうか、ではなぜ我をここに」
「シルヴァちゃんはさ、『これ』の仕組みは分かる?」
魔法陣の方へと向き直る、感じるのは囂々と溢れ出す魔力の波動。
そこから更に意識を研ぎ澄ますと、複雑に流動するこの魔法陣そのものの魔力を微かに感じ取ることができた。
「――――ややこしいなこれは、解読には時間がかかる」
「……でも分かるんだ、すごいや。 私は魔力を視るのが苦手なんだぁ、切って貼ってばかりでさ」
「それでこの魔法陣が全ての元凶だというのは分かった、しかしてどうする?」
「真逆に動かしたいの、回路に流れる電流を反転させるように。 魔力を吐き出す動きをひっくり返したい」
「なるほど、吐き出す働きを吸い込む働きに、か」
分からない話ではない、これがそこまで単純な道理で動いているとは思えないが。
……道理か、散々非常識な力を見せてきた魔法を前に私はまだ道理で考えようとしているのか。
前向きに考えよう、確かにこの魔法陣の働きを逆さにできたのならばこの世界に溢れた魔力をすべて回収できるかもしれない。
だがしかし――――それは決して亡くなった命を、世界を取り戻せるものではない。
「……出来る、出来るんだ。 しっかりと逆に
扉の外では自分に言い聞かせるように、オーキスが虚ろな言葉を繰り返していた。
しっかりと逆に巻き戻す、魔力が溢れたこの世界の時間を逆に。
そんな事が出来るのであれば確かに全ては取り戻せるのかも知れない、だが……
「……無理とは言えぬか、やるとも」
命の再生、時間の逆巻。 物語であるならば絶対の禁忌とされる2つの冒涜。
だができるかどうかを判断する立場に私はいない、まずは全力を尽くして考えるのはそれからだ。
きっとみんなが笑い合える未来はあるんだ、だから私はここにいる。
頬を張って気合いを入れ直し、眩暈がするほど複雑な目の前の魔法陣へと向き直る。
「これを読み解くのには少し……いやかなり時間がかかるぞ、不可能という訳ではないがな!」
「どれぐらいかかりそう?」
「手を付けてみない事には分からないが……少なくとも小一時間以上は必要だ」
「……それって長いの? 正直1日以上かかると思ったけど」
「長いとも、手は動かすが何か気が紛れる話をしてくれ。 もし呂律がおかしかったり返答がなければすぐに我を引っ張り出してほしい」
「分かった。 えっとね、それじゃ何を話そうかな……」
詰まりながらもぽつぽつと語り始めた彼女の話を背に、時に相槌を返しながら魔法陣に羽ペンを走らせる。
より深くに触れるほど芸術とも思える緻密さに感嘆の言葉も無い、一体誰がこれを作ったのか。
気になる事は多い、いずれ会話の中で聞きたいところだ。
……今は彼女の妹自慢が終わるのを待つしかないが。
――――――――…………
――――……
――…
不思議と寒くも無いのに鳥肌が立つ、これはまたあの愚姉が余計な事を口走っているに違いない。
なんて惨い奴だ、私はそこまで自慢されるほど出来が良かった覚えはないのに。
ムシャクシャを誤魔化すように、懐のタブレットケースから取り出した錠剤を強く噛みしめた。
『……創造主よ、すでに服薬済みではないのか?』
「キヒッ、気合い入れ直してんだよぉ。 ……大丈夫、私はまだ大丈夫だ」
強い苦みを放つ錠剤を噛み潰し、嚥下すると全身に魔力が走る感覚で満たされる。
こんなものに頼らないとろくに変身も保てない私はやはり出来損ないだ、姉のようにうまくは出来ない。
だからせめて、居なくなるなら出来の悪い方に傾くように動こう。
「……ペスマスとの接続は切れた。 それだけ魔法少女の対処に切羽詰ってるかもう消えてしまったかだね、これは」
『まさかこの都内で隠れ潜んだ彼奴を見つけ出すとは、一体相手は?』
「さてね、機動力ってんなら1人心当たりあるけど……ペスマスを追い詰めるとなると当てがない」
確か車を杖としていた魔法少女が1人居たはずだ、当然都内を駆けまわるだけの馬力はあるはず。
だがそれだけでペスマスが通信を閉ざすほどの余裕をなくすとは思えない、まだ絡繰りはあるはずだ。
「……惜しい戦力だが仕方ないなぁ、まあ元から2人でやりくりしてたんだ。 何とかするしかない」
『では、自分が10人分動けば何とかなる』
「キヒ、バーカ……お前は最期まで死ぬなよ」
『無論』
こんな状況だというのに、気づけば自然と笑みをこぼしていた。
冗談が言えるように作った覚えはないが……いや、きっとこいつは本気で言っている。
自分で作っておいてなんだが、一体この忠誠心はどこから湧いてくるのだか。
「――――さて、お喋りはここまでか。 お独りかい、ブルームスタァー?」
「……さて、どうだかな」
足元の瓦礫を蹴り飛ばし、老朽化が進んだビルの屋上を見上げる。
そこには灰色の雲で覆われた空の下に映える純白のマフラーをたなびかせ、鋭い視線でこちらを見下す魔法少女が1人立っていた。