厚い雲に覆われた空を見上げる、このところ日の光を浴びた覚えがない。
相変わらずこの場所は酷く息苦しくて……とても寒い。
「……お兄ちゃん、おかえり。 また魔物を倒してたんだ?」
「ああ、こっちの気も知らないで好き勝手湧いて来る……そっちも何体か片付けていたみたいだな」
真冬と錯覚するほどの極寒の中、並び立った氷像の一つに腰かけたスノーフレイクが俺を見下ろす。
氷像の中にはすでに息絶えている魔物が冷凍保存されている、もうじきすべて魔石に還る運命だ。
「大丈夫、自然発生した雑魚ばかりだよ。 もしかして心配してくれた?」
「いいや、お前の実力はここ三日で充分知ってるよ。 それよりハクは?」
スノーフレイクは不機嫌に頬を膨らまし、黙ったまま指先だけの案内を示す。
ピンと伸びた人差し指の先に見えるのは、奇跡的に未だ原型の残っている建物。
元は古本屋だったのだろう、既に商品の殆どが風化した店内に足を踏み入れると、レジ台の前で
「相も変わらずだよ、ずっと動かないし喋らない。 ただそこにいるだけでしかない」
「……よう、ハク。 腹減らないか? 食いたいものがあれば軽く作るぞ」
「…………いら、ないです」
顔を上げないまま、くぐもった声が聞こえる。 ひとまず生存確認は出来た。
これでも三日前に比べればだいぶ進歩している、何せ当初は隙あれば自殺を目論んでいたのだから。
ハクの腕にはガラス片で切りつけた痛痛しい傷跡が残っている。 ただし、その傷はどれも彼女の命を奪うには至らなかった。
「言っておくけど、餓死しようとしても無駄だよ。 人間じゃないんだから」
「おい……」
「ごめん、でも本当の事だから。 それに万が一あなたが死ぬとお兄ちゃんも困るんだ」
咎めたところでスノーフレイクは悪びれもせずに言い切る。
確かにハクはこのところ何も口にしていないが、その割に衰弱している様子は見られない。
ハクだけじゃない、俺もこのところ食事をした覚えはないがいたって健康だ。 これも賢者の石の影響なのだろう。
……もっとも、何か食べたところで味がしないガムを噛んでるようなものだが。
「お兄ちゃん、少し休んだほうがいいよ。 私が見張りをしておくから」
「大丈夫だよ、どうせ寝なくても問題ない体なんだ」
「身体は大丈夫でも心が摩耗する、本当はご飯も食べたほうがいいんだけどね」
「……大丈夫だ、俺は大丈夫だよ」
確かにこの3日間で精神は大分すり減っているかもしれないが、それでも休むわけにはいかない。
スノーフレイクは確かに俺のことを心配しているのだろう、ただし彼女の優先順位は常に俺が最上位だ。
現状目的は一致しているが、スノーフレイクは俺と他者を天秤に掛ければ迷わず前者を選ぶ相手だ。 全幅の信頼を寄せて休むような真似は出来ない。
「…………わかった、ならせめて周りの雑魚だけでも散らしてくるよ。 その子の事をお願い」
俺たちを残し、スノーフレイクの姿が消える。
存在希釈を利用した目くらましだ、移動の痕跡が残らないため追跡は難しい。
仕事を取られて後も追えないとなると何もやることがない、手持ち無沙汰なままにハクの隣に腰かける。
「あー、気にするなよハク。 こうなったのはお前のせいじゃない、俺が選んだからだ」
「でも、マスターだって後悔してます」
「……そんなことはない、賢者の石の力がなければ俺はあの場で死んでいたんだ。 むしろ感謝したいぐらいだよ」
後悔の念が全くない、といえばウソになる。 だがそれを正直に話したところでハクを余計に傷つけるだけだ。
しかし返事が詰まったのは失態だ、おそらくハクにも気づかれている。
「……賢者の石は、周囲に致死量の魔力を振り撒きます。 際限なく、どこまでも広がる魔力は世界を侵略します」
「ああ、だからこうして隔離された場所に閉じこもっている訳だな」
「私のせいです、私が
「落ち着け、ゆっくり深呼吸するんだ。 ……大丈夫、大丈夫だから」
縮こまって震えるハクの背中をさすって落ち着かせる。
酷く冷たい、死体のような体温だ。 きっと気温のせいばかりじゃない。
「ハク、無理なら無理しなくていい。 だけど話せるなら聞かせてほしい、“あの日”ってのは……」
「――――10年前」
予想と違わない言葉がハクの口から零れる。
この世界で10年前に起きた魔力に関わる事件、といえば一つしか思いつく当てがない。
「10年前、あの日、に……私は、この世界に仕組まれた……兵器だったんです……」