梅酒しか勝たん
この世界に、『悪魔』と呼ばれる存在が現れたのは、今から約30年前だ。
元号が改められてすぐのころの日本に現れたのが、世界で初めて出現した悪魔だという話を聞いたことがある。
今では歴史の授業でも習う程に有名な話だ。
自分が転生者であることに気付いたのは、私の住んでいた街が悪魔に襲われた現れた頃。ちょうど四歳になる誕生日の日だった。
悪魔出現の報せを受けて父に背負われるまま街を逃げていると、ふと、この街の雰囲気をどこかで見たことあるという既視感に襲われた。確かに存在した記憶が脳裏に浮かび、自分がかつて、この世界と同じような場所で生きていたことを思い出したのだ。
この世界は、私が前に暮らしていた世界と似ている。街の雰囲気や地形、歴史も、その大体が元いた世界の物と変わらない。
だが一つ、決定的に違う事がある。
それが、私が前世を思い出すきっかけにもなった悪魔の存在だ。
人を襲い喰らう、文字通り異形の見た目をした人類にとっての天敵。
日本で最初の悪魔が現れた時、初めは自衛隊が対処に当たっていた。
出現した場所は渋谷。スクランブル交差点の辺りだという話だ。
銃を持ち対処に当たるが、弾丸のほとんどが跳ね返されてしまったという。
悪魔には、銃火器などの物理武器が効かなかったのだ。
しかし、その悪魔がさらなる人を探すためにビルなどの建物群を破壊している時に、それは現れた。
フリフリのドレスに身を包み、煌びやかなおもちゃのような見た目の小銃を握り締めた少女。
ふざけたコスプレ衣装なんかに身を包んだ少女に向ける人々の目は猜疑的な物だった。
しかし、離れた位置から生放送を行っていた配信者のカメラが、彼女の姿を映していた。
そこに映っていたのは少女が怪物に無様に殺されるというスプラッタではなく、小銃から色とりどりの光を放ち、地面を駆け敵を翻弄する少女の姿だった。
少女は、圧倒的な力の差でその悪魔の屠って見せたのだ。
そんな彼女の事を、人々は畏敬を込めてこう呼んだ。
『魔法少女』と。
その事件を皮切りに、悪魔は世界中で出現するようになり、多くの主要都市が悪魔によって破壊されてしまった。
だが、その被害がこの程度で済んでいるのは、彼女たちの力があってこそだろう。
今この世界で悪魔と戦えるのは、魔法少女しかいない。
彼女たち一人一人が命を、人生をかけてこの街を守っている。
なにか一つ、絶対に譲れない思いを秘めて。
……だというのに、なぜ私は魔法少女なんかになってしまったのだろうか。
命を懸ける価値など、とうになくなっているのに。
*
東京、エリア14中心部より近郊。
東霧陵高校西側、小貫酒屋前交差点にて、一つ目の悪魔出現。
住民の皆さんに置かれましては、耐悪魔結界の内側への非難を直ちに開始するようにお願い申し上げます。
避難指示。避難指示。
東京、エリア14中心部より――。
*
都心部と比べて背の低い薄灰色の壁が無数に並ぶ、エリア14より南側に位置する都市近郊。
都心のベッドタウンの役割を果たしているためか、都心よりも人の往来は激しく、その全てはこの交差点に集中する。
いわゆる、郊外と呼ばれる人口密集地だ。
マンションが立ち並び、道路の上に建設された高架橋が人の通る道を形成している立体的な街並み。
一階部分の交通道、三階部分の高架橋都市。それらを一望できるであろう大型商業施設の高層ビル。
少し外れの方に向かえばなだらかなせせらぎの川や豊かな森が広がる空間に出る。
街路樹の緑と建造物の白亜が対照的な二つの景色を織りなし、街灯に飾られた初秋の陽光が美しくも破滅的な暑さを催す。
けたたましい蝉の声は未だ健在で、このまま雪が降っても驚かないとすら思えるっ程の異常気象を実感した。
それは、どこにでもある、週末の穏やかな日中だ。
つい先ほどまでは。
時刻は1時28分。
いつもなら若い親子連れがそこらかしこを練り歩き、子供をいかにして喜ばそうかと思考をめぐらす。笑いさざめく声と子供のはしゃぐ声が響き、カフェテリアからはゆったりとした甘いコーヒーの香りが漂ってくる。
それなのに今日は閑散としている。
見渡す限り人など見えず、車通りも一切ない。
その代わり、空白が空いたようにぽっかりと、道路の真ん中に巨大な穴が空いていた。けたけたと空気の振動が伝わってくる。地震か。あるいは、地震を起こせるナニカ別の物か。
脱力して、目をつむる。いつ何が起きてもいいように、いかなる準備も怠ってはならない。
目をつむったまま虚空に向かって手を伸ばした。
「魔力武装(クリエイト)」
呟くとすぐに、伸ばした手に何かが触れる感触がした。成功だ。
手には、ファンタジー小説でよく出てくるような魔法の杖が握られていた。先端に蒼く輝く宝石を湛えた優美な杖。
準備万端だ。
「出て来いよ。私はここだ」
10人程度の人ならすっぽりと埋まるほどの巨大な大穴に向かって叫ぶ。
『――!!』
するとすぐに地響きがして、名状しがたい唸り声が木霊し、穴から巨大な影が飛び出した。
「けほ、けほッ」
土煙と腐った牛乳のような吐き気を催す悪臭に思わずせき込んだ。
そこにいたのは、人がちょうど5人は並べるであろうワイドな顔幅に、その頭全体を埋める程大きな充血した目を携えた異形の怪物だった。
「お出ましか、悪魔」
「――?」
充血した目を半目開きにして、細い腕を上下に振っている。喜んでいるようにも見えるが、怒っているように見えなくもない。
なるほど、印象は見た目が全てとはよく言ったものだ。
「ほら、お前たちの大好きな餌だよ」
「――ウゥ、アアァァ!!!」
なかなか動こうとしないので挑発すると、瞬間、地面を蹴って走り出した。
唾液を辺りに散らしながらこちらに向かってくるが。
「……?」
相対した悪魔の数には自信があるが、こんな悪魔は初めてだ。
なんというか。頭が悪い。
まるで何も考えていないかのような行動。あるいは、なにか一つの事しか考えていないかのような行動。
……ああ、そうか。空いていた大穴、隠れているつもりだったのか。
妙に納得がいって、目の前の怪物を哀れむ気持ちさえ芽生えてきた。
「惨めな悪魔だな。まるで自分を見ているようで反吐が出る」
市街地というのは、人がたくさんいる分、たくさんの人を食べれるかというとそうではない。すぐ近くに対悪魔用の結界が張られている箇所はあるし、大規模な施設の中なら個人的な結界が張られていることも少なくない。
強い個体なら進入できなくもないのだろうが、この悪魔は弱い個体なのだろう。
それ故に、結界の張られていない道路の下でで待ち伏せすることで捕食数を増やそうとしたが、そもそもそこを通る人がほとんどいないために何も食べれなかった。
つまりこの悪魔は、腹が減って仕方がなくなって市街地に攻めてきたが、ほとんど何も食べれずに穴に隠れて、逃げた人が帰ってくるのを待つしかなくなったというわけだ。
「かわいそうなヤツだ。お前も、私も」
手にしていた杖に魔力を込めた。
一直線に走ってくる怪物。距離はあるし、足も大して速くない。
この状態なら溜められるだろう。最大出力まで。
早く楽にしてあげなきゃかわいそうだ。
自分が欲しい物が手に入らなくて頭がおかしくなるその気持ちは、私だってよく知っている。
知っているからこその同類への優しさだって持ち合わせている。
私だって伊達に、15年(と32年)生きてきたわけではないのだ。
「でも生憎だが、私はお前に食べられてあげれる程優しくもない」
何故なら、私も同類だからだ。
私もこの悪魔と同じで何か一つの事を極限まで我慢している。現在進行形で、常に。
そしてそれは、ある種の自信ですらあった。
即ち、この禿げ目玉よりもよほど、私の方が辛い状況にあるという絶対的な確信。
何故なら。
「生まれてから15年と4カ月だ。15年と4カ月の間、私は一度だって酒を口にしてねぇんだよこの禿げ頭がァァァ——!!」
極限までためた最大出力の貫通閃光弾があたりを真っ白に染め上げた。
それは、どんなものでも貫き、またどんなものであろうと数時間以上の二日酔い状態にするという私の誇る最大の嫌がらせ技。
嫌いな上司に当ててもよし、邪魔な敵に当ててもよし。込める魔力をいじればたちまち貫通弾の要領で敵を粉砕することもできる汎用性抜群な術。
通称、アルカホール。
普通は最大出力で撃つ必要なんてないし、味方に当たったらそれだけで使い物にならなくなるし、敵が強ければ当たることもためる時間さえも取れないというカスみたいな技だが、この程度なら問題ない。
「残念だ。私は、私より幸せな状況にいるのに不幸なふりをする存在を哂って許せるほど器が大きくない」
言い放ち、殺した悪魔の傍によった。
通常、悪魔が死んだ時、日に焼けるように溶けて死んでいくからだ。その速度は強さによって異なり、強ければ強い程遅くなる。
つまり、捕食された人々は、個体が弱ければ弱い程救える確立が上がるのだ。
だが、水蒸気が消えた後そこにあったのは、無惨に捕食された損傷遺体が半分以上ドロドロに溶けたものだった。
首だけがない遺体。首だけしかない遺体。グネグネにねじ曲がった遺体など。
見るに堪えない変死体が複数、無造作に地面に投げ出されている。
緑色に変色しているものもあり、中には全部溶けてしまったものもあったのか、赤黒い液体が周囲をとろとろと流れていた。
「……遅かったか」
死んだ人を見るのはもう慣れた。
慣れてはいけないのだろうが、慣れるしかなかった。
でも、こんなにも無惨な死体を見るのは初めてで、慣れない。
しかし、助けられない事には変わりないのだ。
両手を合わせ、心の中で謝った後、小貫酒屋に立ち寄った。
店内の酒は、大半が地響きによって転げ落ち割れて、中身が噴出していた。
すぐに片づけないという事は、店主は逃げたのか、あるいは捕食されてしまったか。
どちらにせよ、あのドロドロの死体の中にここの店主がいるかどうかを判別するのは、いくら顔見知りの私といえども不可能だろう。
私ではあの人達をどうすることもできないし、事後処理班が来るのを待つしかないか……。
店を出てしばらくベンチに座り込んでいると、中学生くらいの少女が息を切らして走ってくるのが見えた。
あれは、フィールか。
「すいません、遅くなりました」
「……ううん、大丈夫。別に一人でも問題なかったよ」
魔法少女といえばこれ、というような青を基調としたフリフリのドレスを着て、さぞ走りずらかったろう。
別に能力が上がるとかでもないのだから適当なジャージでも来ておけばいいというのに。
いや、友達たちに見つかってもわからないように衣装を着替えてから来たのか。
徹底してるの間違いか。
流石、序列入りしている魔法少女は違うな。
「まあそうですよね。さすがは私の先輩です!」
「……ありがと。あーでも、遅れたバツとして一つお願い聞いてもらえる?」
いうと、フィールは爛々と顔を輝かせた。
「ほんとですか!? はい! 私にできることであればなんでも致しますので何なりと——」
「それは良かった。じゃあ、そこにある死体の処理なんだけど、それも頼めるよね」
「……はい?」
魔法少女の仕事は主に三つある。
一つは悪魔の駆逐。
これは言わずもがな、民衆を危険から守るために命を懸けて行う仕事で、魔法少女の仕事の中での一番有名な仕事だ。
二つ目は避難誘導。
結界内の人達はめったに悪魔と遭遇することはないが、数年に一度くらいのペースで強力な個体が都心に現れることがある。
その際に混乱した民衆の避難を誘導する仕事も、立派な魔法少女の仕事である。
最後は、被害者の遺体の処理。
これは、全ての魔法少女から忌み嫌われる仕事で、担当になった魔法少女は数日他の魔法少女から距離を置かれる。
それはなぜか。
単純に、自分たちが守れなかった人々の処理なんて縁起の悪い仕事、呪われてもおかしくないからだ。悪魔が存在する世界だし、そういう事を信じる人も少なくない。
まあ、魔法少女が距離を置くのはそういう習わしみたいなものだが。
あと臭いし汚いし、物によっては今回みたいに処理のしようがないケースもあるのも理由の一つか。
「燃やして証拠隠滅してもいいし、本部が来るまでそのままの形を保つように凍らせてもいい。得意でしょ? そういうの」
「ま、まあ魔法を使えば何とかはなりますが……」
「あとで新しくオープンした噂のカフェ連れてってあげるからさ、お願い」
「……それほんとですか!? コホン。先輩がそこまで言うのなら? やってあげなくもないですよ!!」
面白いくらい単純なヤツだった。
「あのカフェ、パンケーキが絶品らしくて、あ、キャラメルラテもおいしいって聞きました!!」
「アサが言ってたねそんなこと」
「そうなんですよ! あの人食通で、ああそうだ。せっかく行くならみんなで行きましょ! みんなで! その方が絶対楽しいですって!!」
「えーやだよ。人とは関わらないって決めてるの」
「そんなこと言わずに。先輩は人と関わらな過ぎなんです! もしいかないなら私もこれやらないで帰りますよ?」
「――あーわかったわかったいくよ! 私はこの仕事できないんだからやってくれなきゃ困るって!」
「へへっ、決まりですね! 明日の放課後、楽しみにしてますね?」
「わかったから黙って仕事して!」
「へへへぇ。定例会議にもでない先輩がお茶会なんてぇ」
完全に逝かなければならない雰囲気に、思わずため息をついた。
なにも私だって、「子供と戯れるのはごめんだね!」みたいな暴論で行くのを拒否ってるわけではないのだ。
ただなんというか、ちょっと居心地が悪いだけで。
「……まあ、いいよ。明日の放課後ね」
「はい! みんな先輩に会いたがってましたし、喜びますよ!」
「そっか」
それは良かった。
多分、喜んでくれるのは私と話したことがない人達くらいだと思うが。
これでも、中高は友達の一人すらいたことがないのだ。
もしいたら酒カスになんてなってないだろ。
トラウマを思い出す強制交流イベント。明日が憂鬱で仕方がなかった。
アルコールは血液等と言うと嘲笑される世の中だが、血湧き肉躍る人生という物にはアルコールが必要だと私は思う。
ウォッケル・ツマァーミィ 1964〜2008