名前で呼んでほしいから   作:468(ヨルハ)

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息抜きで書いた日常録。

かなりの不定期更新です。


ときのそらと帰り道

 

 

 

 

 

 アイドルが偶像であるとはよく使われる常套句である。

 

 そもそも偶像とは本来神仏をかたどって作られた像のことを指し、そこから派生して信仰や崇拝、はたまた憧れの対象とされるものの比喩表現として使われている。

 アイドルと呼ばれる存在が大衆にとって憧れであることはもはや言うまでもないだろう。

 

 しかしそれと同時にアイドルと呼ばれる彼女たちもまた、今を生きる只人でもあると言える。

 

 彼女たちは様々な種族や個性を持つが、天界や魔界といった次元だけでなく獣人や魔族といった種族すらも種々雑多となったこの世界では超常は日常へと移ろいており、その中でアイドルという職業を選んだだけのうら若き少女なのだ。

 特別な存在などという自覚はないし、世間一般的な感性を持ち合わせたどこにでもいる少し変わった彼女たち。

 

 

 

 そう、故にこれは

 

 

 

 

 

「ねー!なんでまつりって呼んでくんないのー!?」

「だー、もうレッスンの時間でしょう!?早く行ってください夏色さん!」

 

 

 

 一人の少年と少女たちの、どこにでもある日常録。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「次会ったときは覚悟しといてよー!」とビシッと指差ししながら実にありがたくないセリフを残して事務所の扉を開け放って駆けていく人間の少女───夏色まつりの後姿を手を振りながら見送ると疲れを吐き出すように一つ肩で息をする。

 

 これは決して肉体的な疲れではない。要は精神的な類のもの。

 アイドル事務所という職場上どうしたって男女比率は女性側に偏っておりただでさえ普段から気を遣うのに、そこでさらに悪意ゼロとはいえアイドルご本人に詰め寄られながら話しかけられれば疲労も溜まるというもの。

 

 男としては嬉しくないとは言わないが、あくまでスタッフとアイドル。線引きはしないといけないし、うっかり平時に出てしまえば事案ものだ。

 

 そう考えながら気を取り直して同僚二人が先んじて着いているデスクに座ると、隣でひたすら鳴り響いていたキーボードを叩く音が止み声をかけられる。

 

 

 

()()、いい加減名前くらい呼んであげたら?減るもんじゃないんだし。」

「減るよ?主に僕の精神が、ゴリゴリと。」

「私のことはあだ名で呼ぶくせに?」

()()()()()は学生の時からの仲だしさすがにね。それにアイドルじゃなくて同じスタッフだし。」

「ふーん……。」

 

 怪訝そうな表情で黒縁の眼鏡の奥に映る生来のややジト目がちな瞳をこちらに向ける同僚───友人Aことえーちゃんが意味ありげに声を漏らす。

 なんとも言いたいことがありげなようだが結局は詰めようが僕が口を割らない性格だと長年の付き合いで判断したのかそれ以上は口を開くことなくその目線を眼前のモニターへ移した。

 

 そこからしばらくはお互いに無言で事務所特有の環境音だけが耳に響く。

 目指すは定時上がり。充実してはいるものの日々多忙で残業を繰り返す毎日を送っている身としては『定時』という単語は夢にも等しいのだ。そしてこの処理ペースなら今日は本当に実現可能という希望があるだけに否が応にも力が入る。

 

 画面に映るタレントたちのスケジュールとにらめっこしていると、ふと横に人影が立つのを感じた。

 

 

 

「あ、あの悠馬先輩。書類のチェック…お願いします!」

「ああ、春先さん。ん、もらうよ。」

 

 そこにいたのは僕とえーちゃんの後輩で新人スタッフの春先のどか。

 名前の通り()()()を体現したような性格にややおっちょこちょいな面はどことなく庇護欲を刺激され、先輩後輩という立場関係なくえーちゃんと二人で何かと世話を焼いてしまうことが多い。

 

 控えめに差し出された書類を受け取りパラパラとめくって中身を確認する。その間も春先さんは緊張した面持ちでこちらを見つめ続け、無意識なのだろう祈るように両手を結ぶその姿を横目で見て一つ笑みをこぼす。

 

 

 

「…こことここ、誤字だよ。」

「あうぅ…申し訳ありません…。」

 

 返された書類とともに出された指摘に春先さんが露骨に落ち込む。きっと事前チェックを入念にしたのだろう、申し訳なさが溢れる声で頭を下げる彼女に一つ待ったをかけた。

 

 

 

「ただ…。」

「…?」

「他は全体的によく出来てる。初めてなのにこれは凄いよ、自信もって」

「っあ、ありがとうございます!」

 

 落ち込んだ顔から一転わずかに顔を赤らめて弾んだ声を出したかと思うとピューッという擬音が聞こえそうな速度でダッシュして自分の席に着席した。普段はめったなことでは社内では走らないだけに少し疑問に持ちながらその様子を眺めていると、同じくそれを見ていたえーちゃんが頬杖をつきながら一言。

 

 

 

「そーゆーとこだぞー。」

「…?」

 

 言葉の意味は、よく分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「定時…だー!!!」

「ホント、久々だね。」

 

 喜色を隠さない笑顔を浮かべて事務所の廊下を歩くえーちゃんが身体の凝りをほぐすように大きく伸びをする。

 えーちゃんほど大げさには反応していないが僕も同じ気持ちである。それもこれもスタッフ一同、そしてトラブルなくスムーズに仕事を終えてくれたタレントたちのおかげだ。

 

 一人暮らし故に帰ってからやることもそれなりにあるが、それでも定時上がりとは嬉しいものでわずかに浮足が立ってしまう。

 その足のまま二人並んで事務所の外に出ると、ばったり人と出くわした。

 

 

 

「あ、えーちゃん!それに、えっと…悠馬くんも。」

「そら、おつかれ。」

「お疲れ様です、ときのさん。」

「あっ…。」

 

 そこにいたのは茶髪のロングヘアーに赤のリボンがついた星の髪飾りが特徴のわがホロライブプロダクションが誇る看板アイドル───ときのそらその人である。

 そんな彼女はえーちゃんを見ると笑顔で手を振ってくれたが、僕と視線が合うとその笑顔がややぎこちなくなる。

 

 

 

(まあ、仕方がないよね…。)

 

 心の中で自虐する。

 彼女とはえーちゃんと同じく幼馴染と言える関係だ。彼女が描いたアリーナライブという大きな夢、それを共に見て二人三脚ならぬ三人四脚でここまで歩んできた。

 別にその夢を僕が見なくなったわけじゃない。たとえ隣じゃなくても彼女がその夢を叶えるのを見られるのならそれは心から本望だ。

 

 ただ、スタッフとアイドルという関係性で自分から距離をとってしまったというだけのただの自業自得。

 彼女と話すことで生じるリスクを恐れて逃げた臆病者。

 

 勝手に距離をとったにもかかわらずこうして挨拶をしてくれるのは、彼女の優しさなのだろう。

 

 

 

「それじゃあ、僕はこれで。」

 

 万が一にでも男と一緒にいるところを見られれば問題だ。無論彼女も最低限の変装はしているがいつ何が起こるか分からない以上リスクは可能な限り取り除くべきである。

 速足で帰路につこうとするが、その前に横にいたえーちゃんに無造作に腕を掴まれた。

 

 

 

「…はー、まったくこやつらは…。」

「えっと、えーちゃん?」

「悠馬はそらを送っていって。私忘れ物しちゃったから。そらもそれでいいね?」

「あ…う、うん!」

 

 えーちゃんはそらを盗み見ると一つ不器用にウインク。「上手くやれよ。」という言葉にしない激励にそらは意を決したように握り拳を作ると強く頷く。

 

 ひらひら~と手を振って踵を返すえーちゃんを茫然と見送っていると、いつの間にか隣に来ていた幼馴染がぎこちなく、そして遠慮がちに上目遣いでこちらを見やっていた。

 

 

 

「えっと、お願いしても…いいかな?」

「……………分かり、ました。」

 

 おおよそ十秒ほどの長い葛藤。リスク諸々をかみしめて、それでもやはり最後に勝ってしまったのは、幼馴染からのお願いという昔からただの一度も勝てたことがない最強の切り札だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ、世界が茜色に染まる中で二人の足音だけが静かに鼓膜を叩く。

 会話はなく、僕はつけている人がいないか周囲を見回し、彼女の方は伏し目がちにチラチラとこちらを盗み見る。

 

 えーちゃんがなんであんな()をついたのかは想像はできても確信までには至らない。まあ踵を返す直前に彼女と目配らせしていたようだから何かしらそこに関係しているのだろうけど。

 

 一先ず僕たち以外に人がいないのを確認して視線を前に戻すと、見計らっていたかのように彼女が口を開いた。

 

 

 

「なんか、随分久しぶりだね。こうして肩を並べて帰るのって。それこそ学生の時以来かな。」

「そうだ…ですね。」

「…むう…。」

 

 たしかに彼女の言う通り本当に久しぶりだ。僕は残業の日々だし彼女もまた大人気アイドル、仕事量は常人の比じゃないしこうして帰る時間が噛み合うことはめったにない。まあ噛み合うことがあったとしてもえーちゃんが計らっていなければこうして一緒に帰ることなどしなかったのだろうが。

 

 それだけ久しぶりなこともあって一瞬学生時代のノリで敬語が抜けかけたのを慌てて修正する。

 

 

 

「…ねえ、どうして敬語なの?それに名前も。」

「え、いや…僕はスタッフでときのさんは…。」

「今の私はただのときのそらだよ。アイドルじゃない、悠馬くんの幼馴染のそら。」

「………。」

 

 言葉が詰まる。

 先程までの窺うような顔じゃない。まっすぐ、こちらの目を見つめるその瞳に、自身の張り付けた仮面が剝がされていく。

 

 彼女から距離をとったのは本当に僕が望んだことなのか。

 もしそう問いかけられたら僕は間違いなく首を横に振るのだろう。

 

 当然だ。もうかれこれ十年以上の付き合い、苦楽を共にし、同じ夢を夢見てここまで一緒に歩みを進めてきた。

 辛くないわけがない。それでも、彼女のためだと己を律してきたつもりだった。それが一番合理的で、そうするべきだと思ったから。

 

 

 

「悠馬くんが距離をとった理由は分かるよ。キミは真面目で、優しいから。そしてそれが、キミが本心で望んだことじゃないってことも。」

「…それは…。」

「でもね。」

 

 彼女はそこで一度言葉を切ると、一歩詰め寄って僕の右手を己の両手で包み込んだ。

 

 あたたかさが、じんわりと伝わってくる。わずかに冷え込んだ空気が、そのあたたかさをより際立たせる。

 

 

 

「私の大事な人が我慢して叶えられる夢なんて、私はいらない!」

「…!」

「私の夢はあくまで、私と、えーちゃんと、悠馬くん…ゆーくんと三人で描いた夢!三人で横に並んで、三人で叶えたい夢なの!」

 

 こちらを見つめる彼女の瞳が、さながら星のように強く光り輝く。

 

 

 

 ───ああ、僕が魅せられたのは、この光だった。

 

 

 

 幼少期、親に連れられて参加したアリーナライブ。当時はその良さというのがよく分からなかったけど、そのライブを見た後の彼女の瞳がひどく印象的で、それと同時にどうしようもなく惹かれてしまった。

 「わたしもライブやる!」とその翌日に言いだして幼馴染である僕たちを巻き込んで小さな公園でアリーナで聞いた歌を見よう見まねで歌い出したのは今でも記憶に強く残っている。

 

 それこそが原点(オリジン)。それこそが三人で最初に見た、そして今でも続く『アリーナライブ』という果てしなく大きな夢。

 

 

 

 

 

「──あはははは!」

「ふえ、ゆ、ゆーくん?」

 

 顔を抑え、堪えきれない笑いがこみ上げる。突然の豹変具合にさすがのそらもポカンとした表情で目の前の幼馴染を見やる。

 そんな彼女のこともお構いなしに笑い続けた彼は、ひとしきり満足したのか一つ大きな息を吐くと幾分か幼くなったと錯覚しそうなほどの笑顔を浮かべていた。

 

 

 

「ほんと、昔から変わらないな、そらは。」

「…!」

「子どもの時からこっちの都合なんてお構いなしで、バカみたいに自分の夢にどこまでも一直線。」

「ちょっとお!今バカって言った!?」

「言ったよおバカそら。」

 

 でも、そんな愚直なまでに突き進むその姿が、心の底から眩しくて。

 だから、そんな彼女が…そらが夢を叶える姿を、僕たちも見たくなったんだ。

 それがこじれてあんなことしてしまうんだから、僕も相当なバカってことなんだろうな。

 

 

 

「そんなこと言われたら、まあ接し方も戻すしかないかぁ。」

「…へへ。」

「…笑い方変。」

「なんでそんなこと言うかなあ!?」

 

 ワーワーキャーキャーと、まるで子どもの頃に戻ったかのようにじゃれ合いながら帰路につく。

 そんな二人の顔は、穢れなき無邪気な笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございまーす!」

「あ、そら先輩おはようございます!」

「そらちゃんおはよー。ご機嫌だけどなんかあったー?」

 

 翌日、意気揚々と事務所のドアを開けて中に入ると同期や後輩たちが元気よく声をかけてくれる。その中の一人のロボ子ちゃんがソファで寝そべりながらそう問いかけてくる。

 

 いけないいけない。

 さすがに露骨すぎたかなと頬を軽く叩いて気を引き締めようとするけど、気を抜くと昨日のことを思い出して顔がにやけてしまう。

 

 

 

「えへへ、ちょっとね…って…。」

 

 ふと騒がしいなと思ってえーちゃんと悠馬く…ゆーくんがいるデスクの方を見てみると、もはや恒例ともいうべきな光景が映っていた。

 

 

 

「もういい加減諦めてまつりって呼びなよー!楽になるよ?」

「なんで尋問する側みたいな言い方を…。」

 

 そのにいたのはゆーくんにホロライブ1期生の夏色まつりちゃん。

 まつりちゃんがゆーくんの椅子を揺さぶり、ゆーくんは迷惑とは思ってないだろうが仕事に手がつかずに困ってそう。

 体が自然と向かってしまったのは、昨日のことがあったからなのか否か。少なくとも、もう私に遠慮する必要はないのはたしかだった。

 

 

 

「こーらまつりちゃん。さすがにお仕事の邪魔しちゃだめだよ。」

「むー、はーいそら先輩。」

 

 元より遊び半分のつもりだったのか思いの外あっさりとまつりちゃんはゆーくんから離れて他のメンバーの輪に入っていった。

 それをゆーくんと二人で見送ると、意図せず視線が交差する。

 さすがに昨日の今日で対応が違うとバレるのは恥ずかしいので、他のみんなにバレない程度に顔を寄せて小声で話しかけた。

 

 

 

「おはようそら。」

「おはよ、ゆーくん。えーちゃんには言った?」

「朝一でね。やっとかって背中叩かれたよ。迷惑かけたみたいだね。」

「あはは、私も後で言っとこ。それと…他のメンバーはまだ?」

「あー、うん。恥ずかしいというか。そらみたいに戻すってわけじゃないから心の準備が…ね。」

 

 そう言って申し訳さなそうにゆーくんは視線を逸らす。

 仔細は話さなかったが要は他のメンバーにはまだ敬語で苗字呼びみたい。

 

 まあ仕方ないと言えば仕方ないと言える。

 元よりゆーくんは距離を詰めるのが得意なタイプではない。というより基本は待ちの姿勢なのだ。

 来る者は拒まないが逆に言えば自分から積極的に話にいったりはしない。まあそれでも基本勉強も運動も人より出来てたからいろいろ頼られて学生時代は友達も多かった。

 

 私としてはいつかはみんなとも仲良くしてほしいが、今だけはちょっと違う。

 

 先程よりもゆーくんに顔を近づけ、恥ずかしい気持ちを抑えつつ耳元で囁く。

 

 

 

「…じゃあ、今は私だけ特別だね。」

「!?」

 

 瞬間、ゆーくんが耳を抑えて顔を離す。その顔は僅かに赤く染まっていて、それがどうしようもなく嬉しくて。

 

 ゆーくんに背を向けて駆けだす。

 ゆーくんより赤くなってるであろうこの顔は、とても見せられそうにないから。

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