それではどうぞ。
「催眠モノって一番興奮すると思いませんか?」
「そうですか。お出口は反対側にありますので可及的速やかにお帰りやがれください。」
「初手からヒドイ!!!」
こっちのセリフだと全力で言ってやりたかった。
「それで催眠というのはかけるのもいいけどかけられる方がより興奮すると思うわけですよ。」
「よく今の流れで続けられると思いましたね。」
「くぅ、そのなじるような目線…これはこれで…!」
どうしよう、非常に面倒くさい。
昼下がりの事務所。仕事も真っただ中の現状とはいえ所属タレントに対してそう思ってしまったのは申し訳ないが、こればっかりは情状酌量の余地はあると思う。
僕の呆れたような視線に何を勘違いしてしまったのかくねくねとその小柄ながら立派なプロポーションを誇る体をくねらせて荒い息をついているこの人はホロライブ三期生の
アイドルでありながら宝鐘海賊団の船長を名乗る、海賊になって大航海を夢見る女性。まあ平たく言ってしまうと現在はただの海賊コスプレお姉さんなのだが、その海賊風の衣装はなかなか様になっており、みんなからは『船長』のあだ名で通っているほどである。
無駄に煽情的なその仕草を一瞥すると、隣の同僚兼幼馴染に手を出して一言。
「えーちゃん、ハリセン。」
「よしきた。」
「わータンマタンマ!ジョークですよジョーク!」
隣で起きていた喧騒も何のそのといった様子で仕事を続けていたえーちゃんが、いったいどこから取り出したのかと言いたくなるほど巨大なハリセンを机の中から取り出す。それを見た宝鐘さんは血相を変えて慌てて止める。
本気で叩くわけではないとは本人も分かっているだろうが流石にハリセンのサイズが規格外すぎたといったところか。
ちなみにえーちゃんが取り出したハリセンの全長は一メートルは下らないとだけ言っておく。
「もー、冗談きついですって。いくら船長がM気質とはいえそんなサイズのハリセンはご勘弁ですよぉ。」
「宝鐘さんが最初からあんなことしなければいいのでは…。」
「いやー、そこはまあ、お約束的な?悠馬さんもお年頃ですし?」
「さすがに仕事中は勘弁してくださいよ…。」
別にフリーな時間ならいいというわけではない。ここ大事。
「それで、僕に何か御用でしたか?」
「あー、分かります?」
「確信はなかったですけどね。あんな絡まれ方は初めてだったので、何かあるのかなと思っただけです。」
ついでに言うと宝鐘さんのスケジュールを把握していたからというのもある。
今日事務所に来る予定の人は殆どいないし、その人たちも時間が被っているわけではない。宝鐘さんも夜には配信があるがその間にやらなければいけないことも多く普段ならもう自宅に帰ってるはず。
加えて宝鐘さんは普段からあんなノリではあるが良識はある方だ。普段なら仕事中にあんな声のかけ方はしないのだが、それをしてきたということはまあそれなりの理由があってのことだと思っただけである。
「んー、でも今更こう言っては何ですけどやっぱり忙しいでしょう?用と言っても完全に私用ですし…。」
「…。」
多少の罪悪感はあるのか控えめにそう伝えてくる宝鐘さんを尻目にデスクに備え付けられたデジタル時計をチラ見し、視線をそのまま隣のえーちゃんに。こっちの視線に気づいたえーちゃんは仕方ないといった顔でモニターを何度か見やるとこっちに向けて左手でVサインを送った。
ちなみにVサインとは言ったが二人の間ではそのサインはそれだけの意味に留まらない。
簡潔に言うと「二時間までは許す」という意味だ。さすがに今日の残りの時間ずっとを使うわけにはいかないしえーちゃんや春先さんの負担にもなる。仮にこれが三時間だったらVサインは三本指に変わっていたことだろう。
それを見て謝罪と感謝を込めて軽く手を合わせる。
後で仕事を肩代わりしてくれた二人に飲み物を買ってこようと心に決めつつ、視線を宝鐘さんに戻して一言。
「じゃあ、その私用を聞きましょうか。場所はどうしますか?」
「…あはっ、ありがとうございます。」
僕とえーちゃんのやり取りを見てやられたとでも言うように、宝鐘さんはわずかにはにかんだ笑顔を浮かべた。
「イラストモデル…ですか。」
「いやー、今日の配信のために男性のモデルというのが欲しくてですね。頼めそうな人が悠馬さんくらいだったもので。」
「なるほど…そういうことなら構いませんよ。」
場所は機材の関係上特に変わらず僕のデスク前。僕は正中に姿勢を正して、宝鐘さんは椅子に腰かけて持参していた液晶タブレットを臨時的に僕のパソコンにつないでペンを走らせている。どうやら夜の配信は絵描き配信のようで、そのための下地が欲しかったらしい。
液タブと僕を交互に見る表情は真剣そのもので思わず声をかけるのを躊躇ってしまうほど。しばらくは宝鐘さんがペンを走らせる音だけが静かに鼓膜に響くが、その寂静は次の瞬間に崩れ去った。
「そういえば悠馬さんってフブちゃんのこと名前で呼んでるってホントですか?」
「っんん!?」
心臓が跳ねた。
「あ、動かないでくださいよー。」
「ご、ごめんなさい…っていうかなんで…?」
突然の質問に未だに心臓の鼓動が収まっていないが、どうにか深呼吸で気持ちを落ち着けると宝鐘さんを見やる。頬杖をつきながらこちらを見る彼女はいたって真剣のようで、どこかからかうような色を浮かべていた。
「『すこだワ』のラジオ収録の休憩中に聞いたんですよー。あと名前は流石に伏せてましたけどそら先輩やあやめ先輩も言ってました。」
「あー…。」
小さくそう零すと空を仰ぎ見る。
まあ思いっきり屋内なので見えるのは空ではなく白い天井なのだがそこはお愛嬌。
別にそらと話した時点で隠せるものではなかったし隠すつもりもなかったが、いざこうして面と向かって詰められると何とも言えない気持ちになる。まあ直接聞かれたのが初めてというものあるのだろうが。
「そう…ですね。本当ですよ。そらにフブキさんに、あやめさん。あとは最近だとおかゆさんも。呼ぶようになった過程は様々ですけど、みなさん快く受け入れてくれて。」
「へぇー。そんな急に…。じゃあ逆に今まで頑なに苗字で呼んでた理由ってあるんですか?」
「あーっと…。んー…。」
開いていた口が閉じる。
理由が自分でもわかっていないわけではない。むしろ分かりきっているからこそ言葉に詰まるというべきか。正直に今更考えてしょうもない理由だなと自分でも思うからこそなんとなく口に出すのに抵抗がある。
しかし、ここまで聞かれて何も言わないというのも不誠実だろう。
「女性アイドルと男性スタッフが親しげにしてると問題になりかねないからこそのリスク管理…っていう建前の元、距離を縮めようとしてくれていたみなさんから必要以上に逃げていた臆病者っていうだけの話ですよ。」
「………。」
自虐を含んだ乾いた笑いに、しかし宝鐘さんは何も言わない。
責めるでも憂うでもなく、静かに顎に手を当てながらなにやら思案顔を浮かべている。
「あの、宝鐘さ…。」
「マリン。」
「うぇ…。」
「もしくは船長でもいいですよ?」
急に発した言葉に驚いて彼女を見ればニヤニヤとしたり顔。
彼女───マリンは彼の性格をよく知っている。それはこれまでの付き合いで、そして他のメンバーから出てくる話の中で。
人が良くて、お堅くて、そして…意外と押しには弱い。
「それを話してくれたってことは、治そうと頑張ってるんですよね?じゃあもうサクッと言っちゃいましょう?」
「………。」
「あ、もしあれならオリジナルのあだ名とかで呼んじゃいます?」
気軽に、どこかおちゃらけた様子で、それでもどこかそうしてほしいと願うように。
それがなんとなく伝わってくるからこそ、そんな彼女の言葉を聞いて一つ小さな笑いとともに息が零れた。
本当に、少し歩み寄れば、見える世界はこんなにも変わるんだと、そう思えたから。
「…じゃあ、ナリリシャ。」
「おい。」
「あ、ゴメンナサイ。」
ちょっとした冗談のつもりだったがさすがに地雷だったようだ。
「…マリンさん。」
「ん、許しましょう!…っと、はい。出来ましたよ!」
そう言って宝鐘さん…マリンさんは快活に笑うと同時に手元の液晶タブレットをひっくり返してこちらに見せてくる。
見ればそこに映っていたのは一枚のイラスト。それは紛れもなく姿勢を正した状態で少しカッコよさげにポーズをとっているデフォルメ調に描かれた僕の姿だった。
「うっま…。」
「ホント、相変わらず凄いですねマリンさん。」
「ふわぁ、カッコいいですねー。」
「…え!?」
ハイレベルなイラストに見入っていると突如として聞こえてきたまったく予期せぬ声に慌てて後ろを見てみれば僕の肩越しにマリンさんがこちらに向けていた液晶タブレットを眺めるえーちゃんと春先さんの姿。
えーちゃんはフムフムと頷きながら満足げに、春先さんは目をキラキラと輝かせながらイラストを食い入るように見つめている。イラストが凄いのは全くもって同感なのだがわざわざ僕の後ろから覗く必要はあったのだろうかと若干の疑問。
「えっと、二人とも…?」
「気付いてなかったかもしれないけどもう休憩時間。別に不思議じゃないでしょ。」
聞きたかったのはそれではないのだがまあ今更かと口をつぐむ。
「いや、配信で一味のみんなに褒められることはあってもこうして面と向かって声に出して言われるのは久しぶりだから照れちゃいますね。まあでも、この反応なら配信も問題なさそうで一安心っと。」
満足気にイラストのデータを保存するマリンさん。
そういえばとデジタル時計を見てみれば経過していた時間は約一時間ほど。えーちゃんからもらった時間的にはまだ余裕があるしということで、距離を縮められた記念というわけではないが何の気なしに聞いてみる。
「マリンさん、まだ時間はありますし、何かしてほしいことありますか?何でもしますよ。」
「ん?今なんでもって?」
「?ええ、何でもいいですよ。」
「…おお?」
「あ、マリンさんコイツこういう奴ですよ。」
「あー、なるほど…。そりゃフブちゃんも手籠めにされるわけだわ。」
えーちゃんの言葉に納得がいったという様子でマリンさんがうんうんと頷く。
こちらは全くもって意味が分かっていないのだが、おそらくは聞いても無駄なのだろう。過去の経験則がそう言ってる。
「あ、じゃあ悠馬さんもマリンのイラスト描いてみてくださいよ!はい液タブどうぞ。」
「…へ?」
マリンさんがナイスアイデアと言わんばかりに躊躇いなく液タブとペンを渡すと椅子に座って早速ポーズをとる。セクシーなものをはじめ可愛いものやまさにアイドルといったようなものまでその引き出しの多さは流石だが僕としては現状を呑み込めていないというのが正直なところ。
液タブとペンを渡された状態のまま硬直していると、後ろにいたえーちゃんから肩をポンと叩かれる。
「え、えーちゃん?イラストとかほとんど描いたことないんだけど…。」
「なんでもって言った悠馬の落ち度。描いたら教えてね。大丈夫、笑ったりしないから。」
じゃあその既に上がりきった口角はなんなんだ。
ご丁寧に春先さんにも
正直に言ってかなり難しい。描き始めて五分で挫折しそうである。
一本線を引くだけでブレるし、全体の造形がさっきのマリンさんの神イラストと比べたらまさに雲泥の差である。
しかし半ば強制だったとはいえマリンさんがこうして協力してくれている以上たとえ下手でも描き切りたいという思いはあるわけで。
苦節することきっかり一時間、完成したイラストを見て大きく息を吐き出す。そこに籠った感情はひとまず完成させられたことによる安堵とコレを今から見られるのかという不安。
「えっと、一応描き終わりました…。」
「お、いいですねえ!見せてくださいよー。」
「お、描き終わった?」
嗅ぎつけるの早すぎだろ。まあ席は隣なのだから当然と言えば当然なのだが。
ニュッと背後から現れるえーちゃんとそれを見てあははと苦笑いを浮かべる春先さん。
まあ今更見せないという選択肢など存在しないので諦めて借りていた液タブをマリンさんとえーちゃんに渡す。
二人はまじまじとそれを見て一言。
「え、なんか普通。」
「ここはめちゃくちゃ画伯で下手オチでしょなにやってんの?」
「なんで唐突にディスられた?」
誠に遺憾である。
ちなみにこれは決して腹いせでもなんでもないのだが。
「ところで悠馬さん。なんでもって言ってたので、今ここに催眠スイッチがあるんですけど帰る前にマリンにちょこっと催眠を…。」
「えーちゃん、ハリセン。」
「よしきた。」
「わーちょ待ってください!そんなので叩かれたらマリン、お尻が三つに割れちゃいますぅ!」
抵抗むなしくスパァン!!!という快音がホロライブ事務所に響き渡った。
というわけで船長回&ややギャグ回でしたー。
ラストちょっと駆け足になってしまった感が否めない…。
あと団長回とどっちにするか三週間くらい悩んだのはここだけの話。