自分の両掌を見つめるサユリに、ミルクは心配そうに語りかける。
「まだ、震えが止まらなさそうな感じかにゃ?」
「うん……、そうみたい。でも、しょうがないよ、こればかりは。それに、いちいち気にしていたら何もできないしね」
そう言うや、サユリは気を取り直し、まな板に置かれたままの包丁を手に取る。暇潰しにと、キッチンアイルーの手伝いをしていた彼女は、何をしよう。二人が帰ってくるまでの間、夕飯の準備をしていたのだ。とは言え、作れそうな料理なんて、多かれ少なかれ限られてはいたが……。
それでも、無事に二人が帰ってくることを祈りつつも、病弱な自分に何ができるのかを考えたとき、これ以外に思いつくことはなかった。
「でも、さっきから気にしていたみたいだったけどにゃ。言う割には」
「そ、それは……」
確かにミルクの言うとおりであった。頭では仕方ないと分ってはいても、やはり、自分の体のこと。無意識のうちに、ちらちらと容体を確かめてしまう自分がそこにはいた。
指摘されたサユリは、何かを代替にして弁解しようにもなかった。
「だって、しょうがないじゃない。頭では分っていても」
開き直るサユリに、ミルクも彼女の事情を理解していたこともあり、それ以上は詮索しなかった。
「まあ、そのことはいいにゃ。それよりも、食材の方、揃っているのかにゃ? 確か……専属のアイルーが言うには、サツマノイモに白い卵。それに、生肉に……」
「ああ、そこは大丈夫。大体揃っているみたいだから」
「そうなのかにゃ?」
「うん。……あ、でも、そう言えば」
そこで、ある食材をまだ入手していなかったことを思い出す。専属アイルーことキッチンアイルーの依頼では、確かアプトノミルクとゼンマイ米の2種が残っていたはず。アイテム項目から食材リストを表示させたサユリは、その2種が本当にないのかどうか確認する。
「何か足りないのでもあったのかにゃ?」
「うん、ちょっとね」
そう言うや画面を閉じると、手にしていた包丁をまな板に戻す。そして、衣装ボックス前へと歩み寄ると、着替えを選択。エプロン姿から普段着へと着替えた。
「やっぱりちょっとだけ。また、買い出しに行ってくるね」
そう言い残すや、早速、部屋から出ようとした。――がそこで、ミルクから呼び止められる。
「さっきもそうだったけど、あまり外に出歩かない方が……」
サユリの身を案じてか、心配そうな表情を見せてくる。まさにミルクが言うのにも無理もない。と言うのも、ただでさえここのところ病状が悪化してきているのに、無理をしてか。2,3時間ほど買い物しに出歩いていたからである。
買い物中、もし、サユリの身に何かあれば……。
そんな嫌な予感が、ミルクの脳内を渦巻いていたのかもしれない。だがしかし、そんなミルクの心配をよそに、サユリは猫を被ったような笑みを浮かべた。
「大丈夫。大丈夫だよ、ミルクちゃん。ちょっとだけ行って、すぐ帰ってくるから。多分、時間にして5分もかからないと思うし」
しかしミルクは、サユリの説得も虚しく、表情を変えなかった。思うに、余程心配なのだろう。
「でも……」
と掌を合わせ懇願するかのように、半ば涙目を浮かべてみせる。一方、サユリはそんなミルクの困ったような表情にさすがに放っておけなくなったのか、彼女の元へと歩み寄るやその場でしゃがみ込む。
頭にそっと手を乗せ、礼を述べる。
「ありがとね、そこまで心配してくれて。でも、動けるうちにしたいの、だから」
俯き彼女の思いに何も言わなくなってしまうミルク。そんな彼女を気にしつつも、踵を返した。しかし、数歩歩いた後、後方から
「だったら、ボクもついていくにゃ!」
いきなり決意を示され、サユリは、えっ、となり振り向く。
「ボクもついていくにゃ。ユウトとの……、彼との約束のうちだから」
「ミルクちゃん……」
キョトンとしてしまうサユリをよそに、ミルクもまた、衣装ボックスへと歩み寄った。寝巻き姿から普段着に変えると、サユリの元へとやって来る。
「準備オッケーだにゃ」
猫の手だけに小さな親指を立て、グットサインを示した。このことにより彼女を説得しても無駄だと悟ると、どこか諦めたみたいにため息をついた。
「じゃ、そこまでするなら、サポート、お願いね」
胸に猫手を当て
「了解だにゃ」
頼り甲斐のあるオトモとして振る舞った。だが、そこである条件を提示してきた、親指を立てて。
「ただしだにゃ。一つだけ約束してくれないかにゃ?」
「約束?」
思わず首を傾げるサユリ。しかし、その約束とは、なんとなくだが、分かっていたような気がしていた。案の定、ミルクは内容を語る。
「そうにゃ、約束。少しても具合悪くなったら、買い物中でも、すぐに帰ることにゃ」
「あ、なーんだ、やっぱりそのことね」
「守ってくれるかにゃ?」
「当然、そのつもりだよ」
当たり前のような返答。それを訊いてか、暫しサユリの眼差しを見つめた後、安心してかミルクの表情は柔らかくなった。
「なら、大丈夫そうだにゃ」
しかし、安堵したのも束の間、今度はサユリが疑いの目を向ける。
「あれ、もしかして疑っていた?」
すると、やや慌てたような仕草を見せた。
「そ、そ、そんな訳ないにゃ」
「じゃ、今の間は?」
さらに問い詰めるサユリに、ミルクはさっさと話の方向性を変えようとする。
「そ、それは……。と、ともかく、それよりも行かないのかにゃ? 時間も時間だし、体調も考慮して……」
「まぁ、それもそうだね」
どの道、自分の体調のことを気にかけていることには変わらない。サユリはこれ以上、問い詰めても不毛になるだけで時間が無駄になることは分かっていたので、ミルクに促されるまま買い出しへと出ることにした。
ミナガルデ市場通り――
多種多様な雑貨屋だけでなく、武器屋や防具屋と言った狩りには欠かせない装備品が売られている店々が立ち並ぶこの通りでは、いつもとは少し雰囲気が違っていた。冬季という事。それにイベントが行われている訳ではないこともあって、行き交う人々がまばらな感じだったのだ。
やはりと言うか……。
何もないこの寒い時期は、仮想世界とは言え、リアルみたいに皆さん、外出が億劫みたいであることを物語っていた。
踏み出す度に、ザックザックと踏み締める雪の音が、閑散とした市場通りに優しく奏でる。
両手に暖かい息を吐き、体を両腕で抱きしめて身震いする。
「ゲームの中とは言え、寒いものは寒いね、やっぱり」
「なら、帰るかにゃ?」
「うんうん、その選択は取らない。行くって決めたから」
「そうか……」
サユリの意思は変わらない。ミルクはそれ以上、気遣うことはしなかった。けど、幸いなことにそんな多く雪が降っている感じでもなかったため、肌寒い以上にひもじい想いをしなくて済みそうであった。
歩いて行く中、通りの中程に来たのであろう。そう感じたサユリは、来た道を振り返る。ログハウスから一直線上に来たわけだから、そのログハウスの姿は一目で確認できた。とはいえ、やや遠くまで来てしまったことから、当然ながら小さくは見えていたけども……。
(あまりこれ以上、遠くへは出歩かない方がいいかも)
距離を考えると共に自分の体調も考慮した上で、サユリはそう思った。辺りを見渡し、めぼしい店があるかを探してみる。必要なものは食材。その一点に限っていたわけであるが、視線を巡らせていくうちに、興味を惹かれる店に目がとまってしまった。
〝憩いのカフェテリア〞
立て札に描かれたコーヒーカップのデザイン。この寒い中、まさにうってつけの店であった。
(帰りにここに寄ろうかな~)
自然とそう思った。一方、ミルクもまた、彼女の思いに呼応したかのように、感嘆と述べる。
「憩いのカフェテリア、帰りに立ち寄るのもいいかもしれないにゃ」
「だね、私もそう思ったよ」
二人は共感し合い、頷いてみせた。
例の店を後にして再び歩き出す。そして、しばらく歩いて行くと、野菜とこんがり肉が描かれた看板が吊らされた店に出くわす。見るからに食材が売られているであろう。そのような雰囲気を醸し出す店が目に映った。
「あった! あの店だ。いこう、ミルクちゃん」
ダ、ダ、ダ、ダ、……。
「あ、ちょっと。そんな焦って走らなくても……」
彼女の制止を訊かずして走り出してしまうサユリに、ミルクは慌てて追いかけた。
「いらっしゃいませ~。好きなものをどうぞ」
NPCの店員が、気さくに声をかけてくる。
《買い物しますか? はい/いいえ》
の選択肢が表示される中、サユリは迷わず、はい、を選ぶ。
次に表示された食材リストの後方に見える、様々な食材に目移りしてしまう中、視線を戻し――ど・れ・が・い・い・か・な~。とかなんとか決めあぐねながら、じっくり選び始めた。
そうしたなか、必要食材のことでしっかりと記憶していたミルクが、選ぶべき食材を推測した後、提示する。
「ボクの推測が正しければ、確か足りなかったのはアプトノミルクとゼンマイ米の2種だったような気がするけど」
「え!? どうしてそのことを?」
ミルクの的確な推測に驚きを見せるサユリ。ミルクは記憶を頼りに推論を話す。
「だってほら。まな板周辺に出されていたのがアレで全部なら、足りないのはその2つかにゃあって。でも、アレが全部じゃなければ、ボクの読み違いでしかないけども」
「でも、当たりだよ、ミルクちゃん。……でも、どうして分ったの? その二つが必要だって?」
「だってほら、ボクもキチンアイルーから教えてもらったから。必要食材で何がいるのかをにゃ」
確認したのは自分だけではなかった。このことにより、サユリは改めて、ミルクは頼りがいのあるお供だと認識するに至り感心した。
「さすがだよ、ミルクちゃん。私なんかすっかり忘れていたから」
褒められたことに、ミルクは素直に、へ、へ、へ……、と照れくさい表情を見せ嬉しさを滲ませた。
そして、改めてリストに目を通すと、迷わずスライドした後、2つの食材を選択。
「これください」
「毎度あり……」
ミルクに言われたとおり、サユリはその2種の食材――アプトノミルクとゼンマイ米を買った。購入リストから食材リストへと移し持ち物を整理すると、事を終えたような気分になった。
「さて、買い物も簡単に済ましたことだし」
――とそこで
「体調の方は大丈夫かにゃ?」
「うん、今のところは。でも、あまり長居は無用だね。後一件、立ち寄ったら帰ろっか」
「あと一件?」
首を傾げるミルク。サユリは店に立ち寄る前に目にとまった、例の喫茶店のことを話す。
「ほら、あそこだよ。例の店――憩いのカフェテリアとか言う」
「あー、その一件のことなのだにゃ」
「そうそう、そこ。ほかに用事ないからね。それに、これ以上、道草食うのも体調面からきついものあるし」
「そっか、じゃあ、行こうか」
「うん」
こうして、その店へと向かうべく、来た道を戻ることになった。
そして……。
店前まで来た二人は、入り口前に来たところで立ち止まった。何をしよう、中から賑わう声が聞こえたものだから、気になって一旦立ち止まったわけである。
「ん? どうしたのかにゃ? 入るんじゃ――」
「あ、ちょっとね」
徐に立ち去ろうとするサユリに、ミルクは不思議そうに声をかける。やっぱり止めたのだろうか。体調が優れなくなったのだろうか。なんて、憶測を並べていたミルクであったが、その予感はどうやら無意味であった。と言うのも、サユリは帰るのではなくて、ただ単にテラス側へと回っただけに過ぎなかった。
「あ、なーんだ、そういうことなのかにゃ。もしかして」
ミルクが見守る中、サユリは店内の様子を窺うようにして、窓越しからジーと、指をくわえて見つめ始めたのである。その様子に、ミルクは彼女に寄り添うような形でよちよちと歩き隣に来る。
「なーんか、中から声がたくさん聞こえてくるから、入る前に躊躇ってしまって」
「なるほどにゃ」
同じく中の様子を窺い、彼女の気持ちに共感の念を抱く。
「確かに。この様子だと、ちょっと引くかもにゃ」
「うん、だから……」
と、抵抗感を醸し出す。ところがそこで、ミルクは店内をくまなく見渡すと、前向きに提案してみる。
「でも、見るからに端っこの方だと、空いているみたいだから、案外、大丈夫かもしれないかもにゃ」
「え? どうして?」
不思議そうな顔をする。そんなサユリに、ミルクは店内の雰囲気から読み取れる安息の場について語り出す。
「だってほら。あそこなら周りに誰もいないし、それに仕切り越しで他からは見えないと思うから」
「……確かに。……」
そのあと、でも……、とか言い出そうとする彼女の表情。ミルクはそんなサユリの背中を押すような感じで話しかける。
「きっと大丈夫だにゃ。一度席に着いちゃえば」
そう言われ、さすがのサユリもどこか遠慮がちではあったものの
「そ、そうだよね」
と前向きに答えてくれた。
カランッ、カランッ、……。
入店時の鐘の音が、和みを与えるようにして店内に響き渡る。その音に気付いてか、店員がこちらに歩み寄ってきた。片掌を軽く上げて応対する。
「いらっしゃいませ。ただ今混み合っていますが、それでも良ければ空いている席へどうぞ」
特に店員に指定された訳ではないが、サユリとミルクは入店前に決めていた隅っこの席へと移動。円卓を挟んで向かい、腰を下ろした。
「やっぱり、店内は暖かくていいね」
「だにゃ」
寒さから解放されたのか、二人は笑みを浮かべた。そうしたなか、若干、落ち着かないのか、サユリは辺りを見渡す。が、しかし、周りは自分達のことで手一杯らしく、誰も二人を気にする者はいなかった。
このことにより、ようやく落ち着けたサユリは、円卓上に表示されたアイコンへと目がいく。
軽くサッとスライドさせて、メニューを表示。
「何にしようか?」
ぽつりと呟く。
眼前に表示されたメニューには、色々と書かれてあった。気になる箇所を指先でつく度、彩り取りのメニューのイラストが表示され食欲がそそられる。
一方、同じくメニュー画面を何気なく弄っていたミルクがそこにいて、サユリよりも先に決めていた。
「ボクはこれにしようかにゃ」
続いて、
「じゃあ、私はこれ、と」
互いに好みのメニューを決め注文する。画面を閉じて、向かい合い――
「ミルクちゃんは、何にしたの?」
とさり気なく訊いてみる。ミルクは少し照れながら、こう言った。やや回りくどい感じに。
「ボクは白くて温かい飲み物にしたにゃ」
「白くて温かい飲み物? んー」
抽象的な表現に、サユリはあれこれイメージを膨らませてみた。――とそこで、反対にミルクからも訊いてきた。
「サユリちゃんは何にしたのにゃ?」
「あ、えーとね、ココアかな。ホットの」
「なるほどにゃ」
「やっぱり、寒い季節には一番かな〜て」
そこで腕組みつつ、頷いて見せる。
「うんうん、分かる気がするにゃ。まさに売ってつけって感じがするにゃ」
「でしょ」
共感を得られたことに、サユリは嬉しさから身を乗り出しそうになった。
「にしも……」
「ん? どうしたの、ミルクちゃん?」
何かを言い出そうな彼女に、サユリは問い掛ける。窓辺を眺めてぼんやりする中、心中を語り出す。
「いや〜、何というか。あれから月日が経つの、早いなと思ってにゃ」
「あれから?」
「そうにゃ、アレから。ボクと出会ってからにゃ」
「ミルクと出会ってからって……」
あれは確か、ハロウィンイベントの
そんなことを思いつつも
「そんなに経っていたかな? 今は1月だとしても、11月頭からそんなに経っていないような気もするけど」
「そうかにゃ? でも、小さいボクとしては、それなりに経ったような気がするにゃ」
そこでサユリは思う。それを言われると、確かに人それぞれなのかもしれないなあと。と言うよりも、人と言うか、それ以前に相手は人ではないが……と。
話の歩調を合わせるように、今までのことを省みてみる。
「まぁ、どの道、今に至るまで色々あったからね。クリスマスとか正月とか……」
時間の流れは、その時その時と楽しければ、自然と早く感じるものかもしれない。サユリは改めて思った。
「そんなとこだにゃ。……あ、来たみたいだにゃ」
ミルクがサユリの後方に視線を向けるのを見て、サユリも振り向いた。黒地を基調に白い色柄が混ざった、まさにゴシック調のエプロン姿の店員――ウェイトレスが、お盆に2つのカップを乗せて歩いてきたのである。
「ただ今お持ち致しました」
礼儀正しく言うなり、サユリにはホットココアを。ミルクには……あったかくて白い飲み物が、二人の目の前に置かれた。ミルクの方は、多分、見るからにミルクに見えるが……。
店員が立ち去って行くのをよそに、カップを手にしたサユリが、ふー、ふー、と2、3回冷ました後、一口飲む。
「ミルクちゃん、それは……?」
気になったサユリは、再度、尋ねてみる。対するミルクは、わずかばかり頬を赤らめ、小さく答えた。
「ミルク、だにゃ」
(やっぱりか)
あの遠回し的な言葉に合点がいった。互いに好きなものを飲む中、サユリは視線をミルクへ。彼女の飲む姿にどことなく愛嬌を抱く。
「なんだか、かわいいね」
「えっ?」
意表を突かれたかのように、その手を止める。続けて
「なんだか、おいしそうに飲んでいるところがね」
「そ、そんなこと……」
思わずに、といった感じで俯いた。きっと、返す言葉が見つからないのだろう。照れくさいからか。
サユリはそんなミルクをよそに、彼女の嗜好品について記憶の糸をたぐり寄せる。
「確か、好物はミルクって。やっぱり、付けられた名前の意味、なんだか本当に分った気がするよ」
「う、うるさいにゃ。ボクは別に……」
照れ臭すぎてなのか。今度は面と向かい合うことができなくなってしまい、店内の方へと向いてしまった。
あらあら……。
からかいの度合いが過ぎたのか。ちょっとやり過ぎたなあと、自覚するに至った。案の定、ミルクは手にしたコップを円卓に置き、席から飛び降りると
「ちょっと、気を取り直してくるにゃ」
そう言うや否や、どこかへと行ってしまった。直後、鐘の鳴る音が聞こえたことから、多分、店外へと出て、外の空気を吸いに行ったのかもしれないが。
「あーあ……」
一人取り残されるサユリ。ミルクの様子を見て、自分のやったことに少しだけ反省するに至った。
ぼーとする中、ふと視線を落とし、手元にあるココアの水面を見つめる。ココアだけに透き通った水面までとはいかないまでも、自分の顔が今、どんな表情を浮かべているのか、ぼんやりとだがそこに写っていた。
一口、また、一口。口元に運ぶ度に、味わい深い香りが鼻腔を突いては、食欲をさらに助長する。
そして……。
はあ~。
ため息が零れる中、とうとう全部飲み干してしまった。一呼吸入れて、ミルクの帰りを待つ。
「遅いな~」
どこ行ってしまったのだろう?
帰りが少しだけ遅いような感じがしてきて、サユリはどこか心配になってきた。だが――
「ま、そのうち帰ってくるかな」
気楽に待つことにした。――とそうしたなか、いつの間にか仕切りを挟んで、隣から
このことにより、皮肉ながら自分一人だけだったこともあり、意識せずともそのプレイヤーたちの声に耳を傾けてしまう。
「え!? 本当なの! それ」
一人は女性プレイヤーなのだろうか。声を高らかにして、驚いた反応をした。つづけて、もう片方――
「そうなんだよ、そう。これがマジなんだって!」
と捲し立てる声の主は、ドスが若干利いていることから間違いなく男プレイヤーであった。噂話はさらに続く。徐々にエスカレートしていくかのような兆しを見せて。
「で、その噂の真相は?」
「情報に精通している飲み仲間から聞いたんだよね、それ。クルプティオス湿地帯にて、怪鳥が出たって」
「クルプティオス湿地帯って……。」
そこで聞き覚えのあるキーワードに関して、ユウトとケインが向かった先を思い出してみる。
すると、そう言えば、朝、二人が言っていた目的地も……。と、思い出した。確かHR上げるクエストに、その湿地帯に赴くとかなんとかで。
このことにより、ただの噂だけに対岸の火事だとは思えなくなったサユリは固唾を飲んで聞き入ってしまうことに。
「で、怪鳥の名は?」
「んー、なんて言ったかな。酔っ払いながら聞いていたから、あんまし……」
そこで白けてしまったのか、呆れた口調で女プレイヤーは言った。
「そこ肝心でしょ! ったく、信憑性が薄らいだじゃない」
「わ、悪かったよ。でも、情報屋のデニスが言ったことなんだ。間違い無いと思うぜ。それに、こうも言っていたのを覚えてたよ。その怪鳥が現れてからと言うもの、生態系がめちゃくちゃになってしまったとかなんとか」
「生態系がめちゃくちゃ?」
「あー、そうだ。めちゃくちゃにな。なにせ今まで澄んでいた空気が一変して瘴気で満ち溢れるくらいにとか」
「げげ、何ソレ」
この話を訊いてからと言うもの、サユリの心中は次第に穏やかじゃなくなっていた。不安が胸を締め付けるようになって行く中、容赦なく二人の噂話は続く。
「ま、そんな感じなんだってよ」
「でも、解毒剤沢山持って行けば、いざそのクエストに挑むことになっても大丈夫なんでしょ?」
何処必死になって希望に縋り付くように訊き返す彼女に、彼氏は声のトーンを一段と落として非常な現実を突き付ける。
「どうも、そう簡単にはいかないみたいなんだよな、これが」
「え!? てことは……」
「大方、お前の予想通りだぜ。その瘴気が発する毒は、そんのそこら辺の毒と違って猛毒でよ、一度喰らっちまったら、解毒剤じゃ効かないみたいなんだよ。まぁ、案の定と言うか。そのことを知らずに来たプレイヤーの大半は、大概お陀仏になってるってな。ほんと哀れ――」
もはやこれ以上、聞くに堪えなかった。クエストに向かったユウトとケインの身の安全のことが凄く心配になってきたサユリは、いても立ってもいられなかったのである。
手早く画面を表示したサユリは、すぐさまメールをユウト宛に書き始める。
本当のことを言えば、無事を確かめるべく一刻も早く声が聞きたかったのだが、残念ながら相手がクエスト中だとそれが不可能。そんなもどかしさを抱きながらの執筆であった。
そんなこんなで、書き始めて行く中――
カランッ! カランッ!
誰かが入店してきたのであろう。入店を告げる鐘が聞こえてきた。間を置かずして、
「すっかり、冷えちゃったにゃ」
肌寒い風に当たり過ぎてしまい、それで全身震えていたミルクが戻ってきた。席によじ登り再びメニューを選択、注文しようとする。――とそこで、サユリの異変に気付いたミルクが声を掛ける。
「どうしたにゃ? そんな青ざめて」
しかし、サユリは画面に釘付けなのか。見向きもしない。ミルクは再び声を掛ける。
「サユリちゃん?」
「ん? あ、み、ミルクちゃん。いつの間にかいたのね」
余程の何かあったのだろう。彼女は今の今までミルクが帰ってきたことに気付かなかったみたいだ。
「そうだけど。……なんだか、顔色悪そうみたいだけど、なにかあったのかにゃ?」
すると、サユリは心配をはぐらかすように答えた。
「う、うんうん。大丈夫、大丈夫だよ」
「でも……」
ミルクはサユリが何かを抱えているようには見えていたのかもしれなかったが、大丈夫、大丈夫と平気そうに答えるところを見て、それ以上、奈にも言い返せなかった。
そんな心境を抱いていそうなミルクをよそに、サユリは画面を閉じ、サッと席を立つ。
「そろそろ戻ろうか? これ以上、無理してここにいても仕方ないからね」
「そ、そうだにゃ。その方がいいかもにゃ」
サユリの流れに身を任すかのように、二人は店を出た。
そして、外へと出た二人……。
再び雪がシンシンと降り出していた中、ログハウスへと向かう。視界は全然良好ではあったが、今は降り始め時。そのうち、大雪になるかもしれないとして、矢継ぎ早に少し早歩きになる。
「ちょっと、ペースが早いにゃ」
小柄な体格だけに、急ぎ足歩調になっていたサユリについて行くミルクは、大変そうだった。一旦そこで立ち止まり振り向く。
いつの間にか、ミルクとの距離が離れてしまったのだろうか。小柄の体形にだけに、さらに小さくなって見えていた。自分のところへと来るのを待っている間、サユリは再び画面を開く。
メールアイコンを気にする中、新着メッセージが来ないことに、ユウト達の身に何かあったのではないのかと心配でいたたまれなくなってしまう。
(きっと、大丈夫。きっと……)
自分に言い聞かせて、胸騒ぎしている心を落ち着かせようと必死になる。
「は、は、は、……やっと追いついたにゃ」
そして――
「そ、そんなに……、はあ、はあ、急がなくても……」
やっとの思いで、言葉を絞り出す。しかし、そんなミルクをよそに、背中を見せて俯くサユリは、心中から不安を口にした。やっぱり彼女としては、これ以上、不安を隠せなかったらしい。
「ねぇ、ミルクちゃん。ユウト達大丈夫だよね?」
「え? 急にどうしたのにゃ? そんなに改まって」
真剣な口調になるサユリに、ミルクは少し驚く。続けて――
「なんだか。不安になってきてね」
「不安? あの二人なら、今までも見てきたことから大丈夫だと思うけど」
「そうなんだけど。やっぱり、不安になってきて。なんか、こーう、胸騒ぎがするというか」
胸に手をぎゅっと当て、まるで必死に気持ちを抑える様を見せる。
「まあ、今回のクエストは、新しい狩り場と言うこともあって、それで何かトラブルが起きる可能性もなくはないけども……。それでも、あの二人なら――」
とそこで、今日に捲し立てるかのようにやや強い口調で発する。
「そうじゃないの! そうじゃ……」
向き直って、ミルクと相対すると、彼女はその経緯を話し出す。今までの体験談を交えて。
「私、ミルクちゃんが不在にしている間、あの店で訊いちゃったの」
「訊いた? 何を」
「……噂を。そう噂、今回のクエストはいつもとは違うくらいに、かなり危険であることを。それで、それでね。そのクエストには多くの犠牲者が出ているって訊いちゃったものだから」
その真面目な話を聞かされ、さすがのミルクも表情が引きつり、動揺を隠せない様子になる。だがしかし、その一方で、その噂の信憑性に疑問を抱いていたこともあり――
「それって、ただの大げさな噂だよにゃ? 第一に、もしそれが本当だとしても、やばくなったら、きっとあの二人、すぐに帰ってくるかもしれないにゃ。それに、ユウトならそのこと――」
とそこで、皆まで言わせなかった。第一に彼女には堪えがたい過去もあり、そのこともあって、言わずにはいられなかったのである。
「それでも! ……それでも不安なの、私」
「サユリちゃん……」
思わずと言った形で叫んでしまったことに、周囲を気にして後悔してしまう。キョトンとしてしまうミルクに、サユリは落ち着き払って続きを語る。
「私、私ね。前にも言ったかもしれないけど、昔の親友、自殺されちゃったことを話したよね?」
「……」
いきなり過去のことを持ち出されビックリしたのか、僅かばかり間が空いてしまう。けれど、ミルクもまた落ち着いて思い出す。
「確か、自分の病気を話した時かにゃ?」
「うん、それ」
「で、でも、あれは今とは状況が違うと言うか、何というか……」
「それでも同じなの、私にとって。結果として大切な人を失ったことには変わりないから。それに、リオレイア討伐の時もそう。あの時は運良く助かったけど、一歩遅かったらと思うと……」
「サユリちゃん……」
同情してしまったのか、ミルクはしんみりとしてしまう。思うに、サユリが何を言いたいのか、分かった気がしたんだと思う。案の定、彼女はその想いを打ち明ける。
「だから私、これ以上、大切な人を失うの見たくないの! だから――」
そこで何を思ったのか、ある方向を見つ出す。何処決意地味た眼差しを向けるその方向。そこには気球が。……いや、実際には、気球が今にも飛び立とうとしていた発着所があった。
何かを勘ぐったミルクは
「まさかにゃ⁉︎」
と嫌な予感を抱く。一方、サユリは再び画面を表示するや先程送ったメールの行方を確認。まだ、来ていないことにため息を漏らした。
「ごめんね、ミルクちゃん。やっぱり私……」
「それはダメだにゃ。いくらなんでも――」
「分かっている! 分かっているよ。無理してユウト達の元へと行ったとしても、何もできないことを。そして、命の保証くらいないことも」
「だったら!」
説得に必死になるミルク。しかし、サユリの決意は揺るがない。
「でも、それ以上に大切な人たちが消えて行くことには、もう堪えられなの。だから……」
そこまで自分の意見を強く主張したのは、恐らく初めてかもしれない。自分の身の命よりも、他人のことを心配する自分がいることに。だが、ミルクはそんなサユリの決意は、到底受け入れがたいものがあった。
立ちはだかるミルク。その心中には、やはりユウトとの約束があった。
「どいてくれない、ミルクちゃん。私、行かなきゃ行けないの」
しかし、ミルクは
「それはダメにゃん。サユリちゃんの身に何かあったら、ボク……」
「気持ちは嬉しいよ。でも、……それでもいても立ってもいられないの。だから……」
「それでもにゃ。そんなことをすれば、心配するのは――――」
「ユウトが言ったのね」
「え?」
核心を突かれてしまったのか。思わずキョトンとしてしまう。サユリはそんな彼女をよそに、主張し続ける。
「彼との約束がある。それが言いたいのね?」
「そ、それは……。あっ⁉︎」
まさに一瞬だった。一瞬の戸惑いが、サユリを行かせる結果を生んでしまったのである。慌てふためくミルク。慌てて追いかけて来る彼女をよそに、サユリは発着所へと全力疾走で向かった。
もはや脇目も振らない。そんなサユリは、もはや覚悟が定まっていた。
〝もう、ここには戻って来られそうにない″
と、追いかけて来るミルクを振り切ることに、後ろ髪引かれながら……。