間欠泉から立ち登る、熱気を帯びた大量の湯気。それが風に乗ってこちらまで流れてくる。
スチームサウナを連想するかの様に見える印象。そうだな〜、例えるなら、天然スチームサウナと言った方が適切かも知れない。
ただでさえ肌寒いのだ。この湯気に包まれるだけでも、冷えた体がじんわりと温まってくるような気がして気持ち良い。
獣人達が使う温泉だけあって、脱衣場は建屋が備えているわけではなかった。かと言って、この時間帯は流石に誰も来ないだろう。
人目を気にするまでもなく、着衣を脱いでいく。ちなみに収納ボックスみたいなものはないみたい。
だから、適当な岩を見つけて、そこに脱いだものをまとめておいた。
そんな中――
ん?
奇妙な筆跡を目にする。
なんだろうか?
指先でそっと、半ば隠された様な筆跡をさらに炙り出してみた。すると、何かのメモ書きと図式が露わに。
途端、虫眼鏡アイコン――調査可能を示したアイコンが、眼前に現れたのである。
ふと、気になった。
興味本位から虫眼鏡アイコンに、そっと触れてみる。すると、一言メッセージが。
「設計痕? しかも、このマークって……」
やはりと言うべきか。刻まれた図式は、この温泉を作るのに用いられた設計図であったことが伺われた。
さらに、そこに刻まれたマーク。金槌と鉄板が彫刻されたようなそのマークは、確か……、鍛冶屋を意味する釣り看板と同じだったような。
となると、それらから推測するに、つまるところ温泉作りに鍛冶屋職人が携わっていたことを意味していたに違いないと踏んだ。
俺はそこで振り返ってみた。全部は回っていないので一概には言えないけれど、この隠れ里に鍛冶屋、なかったような感じもしなくもない。
もし、そうであるならば、自然に考えてポッケ村の住民が貢献したと見るのが、妥当のような気がした。
だけど……
「考えても仕方ないか」
ただでさえ寒いのだ。体が冷え切る前に、温泉に浸かるべく歩み出した。
湯気が立ち登る温泉。最初は見たまんま、熱すぎるのではないだろうか。そんな不安が過っていた。
だけど、恐る恐る実際に入浴して見れば、そうでもないことに驚かされる。
まさに、丁度いい湯加減。間欠泉近くの天然温泉だけに、熱過ぎて無理と思い込んでいたが、どうやらその認識は間違っていたようだ。
頭に寒気が吹きつけ、体は湯船に浸かった状態。いくらでも長湯できそうな。それこそ、心ゆくまで浸かってられる感じがして気持ち良かったのだ。
ふぃ〜
体の芯に向かって温まって行く感覚。本当にたまらない。近くの滑らかな岩に背中を預けて見れば、どんよりとした雲を背景に吹雪いている空を見上げた。
「ほんと、これからどうするべきか……」
離れ離れになったケイン達、一体今頃何をしているんだろうか?
ふと思えば、気になって仕方なかった。
ちゃぷん
ん? 誰かいるのか?
ふいに人の気配を感じた。でも……
「まさかな」
この時間帯に人が来るわけが。来たとしても、この里の住人だろう。なんて、憶測を巡らした。
けど、岩越しで気配を感じただけに過ぎない。少し気にはなった。振り返り、恐る恐る覗いて見れば――
っ! せ、セツナ⁉︎
慌てて頭を引っ込める。途端、ドギマギして視線を右往左往。そんな中、麗しい声まで聞こえてきた。
「なんだか、少し熱いわね〜。でも、まぁ、いっか。寒いんだし」
湯温を合わしているのであろうか。何回か、ばしゃ〜、ばしゃー、とお湯を掛ける音が聞こえてきた。
その間、正直、俺は困惑していた。
気付かなかったのだろうか? 先に誰かが入っていたことを。でも、そんなことを張り巡らしたところで、意味がないことは火を見るよりも明らか。
頭を過ぎるは、勘付かれてはまずいこと。岩を挟んでいるとは言え、混浴していることには間違いないのだ。
どうする? どうする?
そそくさと、その場から立ち去りたい。しかし、一歩でも動いたら、音を立てたらバレてしまう。
全く対処に困った事態だ。
だけど……
冷静に考えれば無意味なんだけれども、男としての本能から、覗いてみたい。もう、一度拝んでみたい。
そんな雑念、衝動が駆け巡り始めていた。一瞬だけ垣間見えていた光景――全裸姿の彼女の光景が、頭に過ぎる。
いかん、いかん!
振り払うが如く、頭を振っては雑念を追い払った。
「ともかく、距離を取らなければ。距離さえ取れば……」
そう考えて、すい〜、すい〜、とその場から離れるようにして慎重に泳ぎ始めた。不自然な波紋を極力抑えつつ、泳いでいき――ぷくぷく、と泡立つ箇所に足元が触れて――
針を刺したかのような、刺激的な熱さが。思わず
「熱っ!」
叫んでしまった。慌てて口元を押さえるが、時すでに遅し。岩の向こうから、ばしゃ〜ん、と音を立てて
「誰!」
警戒心丸出しのセツナの声が聞こえてきた。
まずい、非常にまずい。すぐさま、ごまかす手立てを考えなければ。
慌てて打つ手を高速フル回転で考えて、そして、出した結論とは。
「にゃお〜ん。にゃん、にゃん」
アイルー、或いは、メラルーの鳴き真似だった。
「な〜んだ、里の住人なのね」
ふぃ〜、助かった。
安堵のため息。誤魔化しが効いたらしいようで、俺は張り詰めていた緊張を解きほぐした。
――に見えたが
「んな訳ないでしょ!」
え?
「正体を現しなさい! 正体を!」
「ま、まずい」
解れた緊張の糸が、再び張り詰めるのを感じた。このままでは見つかってしまう。しかし、打つ手が……
戸惑う中、波紋が大きくなって来る。近づいて来る、近付いて……
――とここで、
「夜の温泉もいいよにゃ〜」
「そうだにゃ」
「あれ? 誰か来たわね」
ここの里の住人だろうか。遠ざかって行くのを実感した。
「ふ〜、助かった」
今度こそ安心できそうだな。心底安堵した。でも……。
「どの道、動けそうにないな」
混浴状態がゆえに、湯船から上がろうにも上がれなかった。鉢合わせだけは避けたい。
未だに隣でいるだろうセツナに見つかろうなら……。
ゾッとする。悪い予感しかなかった。だが、ここで、
「そろそろ上がろっかな」
ざば〜ん……
風呂から上がったのだろうか。声と共に大きな波音が聞こえてきた。このことに、難を逃れそうみたいだな。今度こそ事なきを得られそうな気がして、気が楽になった。
思いっきり遊泳ができる。そんなことを思いつつ、やや時間を置いて――
すい〜、すい〜
独り占めするかのように、優雅に泳ぎ。さらにそれは、同じく湯船に浸かる、アイルーとメラルーを眼中に入れずに泳ぎまくった。
――で、ふと、洗い場の方を見たら……、
あっ、
バスタオルで裸身を隠すセツナと目があった。瞬間、頭が真っ白。途端、
カランッ、カランッ、……
桶が地に落ちて。その音にはっと我に返った俺は、頭をフル回転して弁解に走りまくった。
「あ、いや、こ、これは、その〜。じ、事故だ。そう、事故。不可抗力で――」
不可抗力? 何言ってんだ俺。
自分で言っていることが理解できず。そして、セツナの反応と言えば――
「きゃ――‼︎ エッチ――‼︎」
腹の底からの悲鳴。
「あ、や、い、いや。ちょ、ちょっと……」
説得虚しく。地に落ちた風呂桶を拾うや、凄まじい速度で投擲。
ヒューンー……
ボカ――ン‼︎
ぐへっ!
顔面に風呂桶が直撃。撃沈して意識を失い、風呂の底へと沈んだ。
涼しい……。
冷えた微風が、素肌を撫でる。その優しい刺激に反応してか、俺の意識は深淵から浮上してきた。
う、うう……。
呻き声を上げて、ゆっくりと瞳を開けた。空が見える。それもいつものどんよりとした雲が覆う空。
ゆっくりと起き上がり、鼻っ面がヒリヒリしている感触を覚えては
「確か、セツナに桶をぶつけられたような……」
希薄な記憶を呼び覚ました。周りを見て、……そして、もう一方の長椅子に、いつの間にか着替えていたセツナが腰掛けていたのに気付く。
「セツナ……」
なんというか。雰囲気的に話し掛けづらさを醸し出している。ひんやりとした感触に、自分はスベスベの腰掛け岩に寝かされたことに気付いて。
それで、今更ながらあのアイルーとメラルーが温泉にいないことに気が付いた。
先に上がったんだな……
そんなことを思っていたら、
「早く着替えなさいよ、バカ」
「早くって……。あっ!」
バスタオル一枚だけになっているだけで全裸。それに気付いて顔が真っ赤になった。
…………
………
……
…
着替えた。と言っても、温泉に入るまでに着ていた服だが。ともかく、着替え終えたのである。
「いいぜ」
その一言。背中を見せていたセツナは、ため息を漏らすとこちらを向く。
赤らめた表情が印象的で、どっちかずの目線が右往左往していた。その気持ちを体現するかのように、話し方も歯切れが悪いもので。
「あ、あ、あんた。あんたを運ぶの、た、た、た、大変だったんだからね」
と途中で睨みも効かせた。
「あ、ありがとう」
その返事は素っ気ないような気もした。ふんっ、とそっぽを向くや否や
「べ、べ、別に礼を言われる筋合いは……」
照れ隠しのつもりなのだろうか。俺からの礼を突っぱねてしまった。
なんと返せばいいのだろうか。俺自身も、次なる言葉を探す羽目になった。
そして、暫しの沈黙が両者を包み込む。あるのは風音のみ。何か言い出さなければと焦るが言葉に表せない。
そんな中、口火を切ったのはセツナからだった。
「ねぇ?」
「え?」
「え? って、え、じゃないわよ。何か言いなさいよ。気まずいじゃない」
「気まずいって。んなこと言われても」
「は〜、ったく、仕方ないわね」
一拍置いてこちらを向き、
「じゃ、あたしから。……前々から、その〜、思っていたんだけど、ユウトって、他人と関わるの後ろ向きなの、何故なの?」
「な、なぜって。と、唐突だな」
「じゃあ、他に何を言えばいいのよ?」
「そ、それは……」
逆に言われて言葉に詰まってしまう。このしんみりとした雰囲気の中、頭をフル回転してもなぜか言葉が湧き上がらない。
仕方ない。そう思って
「べ、別にいいよ。それで」
「何よそれ。まるで、あたしの質問が悪かったかのように聞こえるじゃない」
「べ、別に悪いとは言ってないよ。……ただ、想定外だっただけに驚いたんだよ」
「へぇ〜、想定外ね」
ジト目で注視されてしまう。その表情に狼狽え
「な、なんだよ。まるで腫れ物扱いするような目をしてさ」
しかし、
「別に、なんでも……」
目線を逸らしてしまった。難しい表情をして、戸惑ってしまう。訳なのだが、やや間を置いた後、
「それより、先の話。いいよね?」
「先の話?」
「もう、忘れたの? 言ったじゃない。なんで他人と関わることに後ろ向きなのかって」
「そ、それは……。か、勘違いだよ。実際、よそのアイルー達とか平然と喋るじゃんか」
「それ、嘘ね」
え?
「実際には、半分嘘だと思う」
「半分って……」
どう言う意味なんだよ?
全くもって理解に苦しんだ。
「だってそうじゃない。NPCを相手には気がさねなく話せるけど、人間相手には。……なんと言うか、消極的に見えるもの」
「う、うう……」
鋭い指摘に狼狽えた。
「その様子だと図星ね」
「……」
目を泳がせるだけで具の字もでない。その通り、全くその通りだけにだ。やや警戒心を持ちながら、慎重に訊き返す。
「で、なにが言いたいんだよ?」
「簡単なことよ」
「簡単なこと?」
「そ、簡単なこと。どうしてなのかな〜? て。未だに記憶にはないのかも知れないけど、小学生の頃はそうでもなかったんだよ」
「そ、それは……」
デリカシーないよな〜。と思う反面、自分でも何故なのかは具体的には言えない節もあった。
「で?」
「で? って……」
「だ・か・ら〜。そこんとこ、どうなのよ?」
「んな事言われても……」
どうしても訊きたいらしい。仕方ない。
そっと瞳を閉じ、自分の胸中に耳を傾けた。傾けて目を開けてみれば、曇天の空へと思い馳せる。
「そうだな〜」
と前置きして、それから目線を落として
「(小学生の頃の)記憶がない影響かどうかは分からないんだけどさ。なんて言うか……、その〜、周りと違うような感じがするんだよね」
「周りと違う?」
「うん……。う〜ん……、表現が難しいな。でも、簡単に言うと、〝異物″、自分がそう思える時があるんよ」
「な、なにそれ? つまり、自分を卑下しているの?」
流石のセツナも、思わぬ本音を訊いてドン引きしてしまったらしい。眉間に皺が寄ったのを視界に捉える。
しかし、
「卑下とは酷いな、卑下とは。これでも、一応本心なんだぜ」
「あ、い、いや〜、ごめん。あまりにも、意外だったから」
は〜
ため息と共に、思わず落胆。
「本心を訊きたいから話したって言うのにさ」
「だから、ごめん。ごめんってば」
この通ーり。
まるでその様は、土下座せんとばかりの謝罪振りだった。実際、土下座でもされたら立つ瀬がない。
「ったくも〜」
妥協することに。ここは一旦、気を取り直した。一息つき、それで――
「で、何処からだっけ?」
「え〜と、確か異物がどうとか」
「……そ、そうだな。……そ、異物。……ん〜、なんか響きが悪いな。じゃ、こう例えようかな。つまりは、違和感。そ、違和感だ。俺だけ周りと違うんじゃないのか、って言う違和感。それだけに、他人との乖離があって抵抗感があるんだよね」
「それって、あたしも含めて?」
「ま、まさか……」
思わずはぐらかしてしまった。でも、本心としては、彼女も、当初は例外ではなかった。今はそこまでではないが。
「でな、なんつ〜か。そのせいもあって、特に初対面の相手には抵抗感が先橋って、あまり関わりたくないと言う気持ちにな」
「でもさ、ユウト」
ん?
「ケインとか、晃、だったけかな。三人でつるんでいたじゃない。普通、そんな抵抗感あるなら、そこまで親しく連まないと思うけどな〜、あたしは」
「ああ、あいつらは……」
2人と出会ったこと。間伸びたような話し方の中で、思い出していく。そのなかで、ふっ、と鼻で軽く笑ってみせた。
「特にケインは、あの性格だ。出会って早々、半ば強引にフレンドになったようなものさ。最初は、かなり引いていたけどな。で、晃の方は……。晃は……」
話している側から、彼に関する思い出が次から次へと込み上げてくる。
ネットで知り合ってから、AE社への見学。そして、3人で交わした誓いなども含めて……。
そうした中、話を訊いていたセツナが驚いたように慌てて
「ああ、ご、ごめん。辛い話をさせちゃって」
「え? なんでだ?」
「だ、だって。ユウト、目から涙が……」
「んなバカな――」
そっと目元に指先を当ててみた。湿ったような感触が伝わり、自分自身、無意識のうちに泣いていたことを気付かされた。
「ほ、ほんとだ。俺としたことが、いつの間にか感傷に浸っていたなんて」
腕で目元を擦って涙を拭う。想像以上に晃の損失は計り知れなかったことを、改めて認識させられる場面だった。
「と、ともかく、晃に関してはまた今度でいいか? なんか、心の整理がつかないから」
「うん、いいよ」
その返答に、俺自身、少なからずホッとしたような気がした。
「でさ、それでな……」
だいぶ端折った気もするが、ここから先はデスゲーム宣言以降、サユリとの思い出話へと流れを移した。
「でな、サユリとの出会いはな」
印象に残っていることが沢山ある。最初に出会った時のこと、彼女と共にリオレイアを討伐したこと。そして、ハロウィンでのことなどだ。
特に1番印象に残っていたのは、リオレイアを討伐したこと。サユリの猟団を壊滅に追いやったリオレイアとの戦いは、彼女自身を大きく成長させるに至った。
「よく、対峙できたわね。ほぼほぼ初期装備なんでしょ?」
「まぁな」
普通なら刃も通らず歯が立たないのは、予想するまでもない。攻撃が通用しないことは、すなわち命の危険性をさらに助長することにも繋がるから。
「そりゃあ、だいぶ苦戦したさ。だけど、幸いなことに刃が通らなかったわけではなかったんだよね」
「どう言うこと?」
流石のセツナも食らいついた。意外だったのかも知れない。
「簡単さ。そのリオレイア、幼体だったからな」
つまり、こう言うことである。成体の場合、その全身を覆う鱗は、並大抵の武器では歯が立たない。
それこそ、攻撃力があったところで、切れ味がそれなりになければ弾かれるのは容易に想像できたから。
しかし、今回対峙したリオレイアは幼体。即ち、鱗の強度がそこまで高くないと言うこと。そこまで苦戦しないように思えた。
実際、サユリの猟団・肉球カフェの面々を全滅に追いやった宿敵であるが故、超えるべき壁として、当初、敢えて討伐戦はサユリ任せにしていた。
「そんなの危ないじゃないの! 相手は幼体とは言え飛竜なのよ」
鬼気迫るセツナの形相。両掌を見せ、狼狽えつつ
「ちょ、ちょ、ちょっと待てって。話はまだ終わってないぞ」
懸命に説得した。一息つき、少し冷静になったとこで
「で? 続きの話って?」
再び、聞き返した。俺もまた、一旦落ち着き、気を取り直すや、ことの顛末を話し始めた。
「様子見ていたんだがな……」
それは、やはりほっとけなかったと言うこと。元々、当初はハンター経験が浅かったのだ、サユリは。
その事を試練と言う名目でやらす事にしていた俺だったのだから、レイアと討伐戦開始してから、2分足らず。事態のヤバさに気付いて、結局、加勢することにしたわけだ。
「そう言う訳だ。ほんと、あの時は、幼体のレイアをみくびり過ぎていて、今では本当に反省しているつもり。ま〜、そのサユリも、今はいないがな」
は、は、は、……と笑みを浮かべたつもりであったが、逆にセツナには悲しい表情を見せてしまうこととなってしまった。
「色々、あったんだね」
慰めのつもりなのか。その表情は何処、哀れんでいるようでもあった。想いを受け止めてくれたことに安堵してしまったのか。俺はつい、本音の一端を漏らしてしまった。
「ふんっ、にしてもな〜」
と前置きして
「友を2人も失うなんて、正直、きついよ。晃は運悪く、
まさに俺を中心として、不幸を撒き散らしている。そんな感じをしなくもなかった。
ふと、横目で彼女を見た。
「ん? どうしたんだ? そんな顔をして」
意外な表情を見せていた。なんと言うか、訝しむような顔? 俺の言葉に違和感を抱いたような、そんな難しい表情を浮かべていた。
「え? うんうん。なんでも……」
「なんでも、って。逆に気になるじゃないか」
「だって……。ま、いいわ」
そして――
「一つ、違和感を抱いたのよ」
「違和感? ま〜、そんな顔をしているから、なんかあるとは思っていたけどな」
「なによ、それ」
「別に。……で、違和感って?」
「あ、そうそう違和感。ユウト、知らないみたいだなぁとね」
「は? 知らないこと? 俺が」
「うん。やはり、ニュースには出てなかったんだな〜て。電車事故に関する真実を」
「真実? どう言うことだよ、それ」
ニュースに載らなかった事実。いわゆる裏話という事だろうか? ますます気になった。
「う〜ん、なんて言うの。簡単に言えば、あたしらの話では、事故を引き起こした要因はテロによるものとか」
「テロ? ま、まさか〜。日本でか?」
「あたしもそこまで詳しくないよ。ただ、社内の噂話でね。で、そのテロの主犯格が、ディオンと言う人物だとか。そのくらいしか分からないけどね」
「ん〜」
噂話、か〜
正直、不確かな要素があり過ぎる。第一、日本で電車事故と言った。それも、衝突事故を招くほどの大規模なテロ行為。それがなされたこと自体、信じきれなかった。
頭の隅に置いておくか〜
程度にしかなかったのが、本音だ。ただ、気になることが。
「ちなみに、ディオンと言うのは?」
「と言うのは? と言われても、あたしも名前くらいしか知らないわよ」
「じゃ、じゃあ〜。頭文字だけでも」
「じゃあ、頭文字だけね」
「あ〜、頼む」
すると、セツナは宙を切って画面表示。からの、メモ帳を取り出すと、そこに指先で簡単に準えた。
「こんな文字、だったかな」
「DION、なるほどね。……て、まさかな〜」
そこで、ふいに脳裏に過った。そいつ、まさか、あの公開祭時の焼肉大会で上位に入っていたDIONじゃないのかと。
なぜ、そんなことが、脳裏に過ったのかは分からないが、ともかくそう感じずにはいられなかった。
「まさか〜、て?」
「あ、いや、なんでもないさ」
気にはなっていたが、そのことは敢えてセツナには話さないでおいた。
DION、DION、か〜。
思い返せは、脳裏にミルクが言った言葉が出てくる。そう言えば、ミルクも言っていたな。
『そこで一人のハンターに雇われたにゃ。名前は……確か
とかなんとか。昨年のハロウィン当日、ログハウスにて、ミルクとデコレーションの合間を縫って話していたことをふと思い出したのだ。
だけど、今考えたところで埒があかない。それよりも、もう一つ。話は変わるが、前から気にはなっていたことがあった。
「それよりも……」
俺は訊いてみた。セツナの……、それも、どう言う風にして猟団を築き上げていったのかを。
まだ、詳しくは聞いていない。でも、あのデスゲーム事件での出来事。直接は事件に関与していないとは言え、相当なバッシングを浴びて心にトラウマとして残っているに違いない。
きっと厳しいかもな〜。
無理に思い出すことなんてしなくてもいいんだぜ。的な事を捕捉して言い残した。
ところが、少し驚いたものの
「え? ん〜、いいよ。……そうだね〜」
とやや躊躇ったように見えた。がそうではなく、案外、素直に応じてくれた。
これには意外だと思った。しかしその一方で、ただそれは、まさに彼女にとっての第二の人生の出発点。
或いは、
〝絶望からの再出発″
と言うべき始まりの物語としてもあったのかも知れない。曇天の空を見上げて、過去を語り始めた。