願いを叶える代わりに命をちょーだい!   作:雪山崇一

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第三節 悪魔との契約、その代償は――

  むかしむかし いまからずっとむかしのはなし。

 

  あるところに わるさをする“あくま”がいました。

 

  “あくま”はにんげんたちをいじめます。

 

  おびえるこどもたちをなかせ じぶんをやっつけようとする にんげんたちに“あくま”は“まほう”をかけます。

  にげていくにんげんたちに じぶんはつよいんだと おまえたちではかなわないとさけびます。

 

  その“あくま”にこまったひとたちは あくまをやっつけるほうほうをさがすことにしました。

 

  すうねんご にんげんたちはあくまをやっつけるほうほうをみつけました。

  それは“まほう”という “あくま”がつかうものとおなじ ふしぎな ふしぎな ちから。

 

  いちねんご むらにいた“まほうつかい”は

  “ぼくがあくまをたおしてみせます” と なのりでました。

 

  “まほうつかい”は“あくま”のもとへたどりつきました。

 

  ながくきびしいたたかいのすえ “まほうつかい”は“あくま”をたおすことにせいこうしました。

 

  しかし“あくま”はあきらめませんでした。

  たおされるすんぜん “あくま”はにんげんたちに“まほう”をかけたのです。

 

  それはにんげんたちが“あくま”になってしまうという おそろしい“まほう”でした。

 

  それをおそれたにんげんたちは “まほうつかい”をたくさんふやし “あくま”のかけた“まほう”からにんげんたちをまもることにしました。

 

  “まほうつかい”たちはきょうも “あくま”からにんげんたちをまもるためにたたかっているのです。

                     』

 

          ◆

 

「……この話が本当だってことを知ってる人間、どれくらい居るんだろう?

 ……ま、それはともかくよくできた話ね、ホント」

 

 本を閉じ、元あった場所へとイリスは本を戻していく。

 図書館のバイト中、返された本の中に『“まほうつかい”と“あくま”』というタイトルの童話(どうわ)を見つけたため、つい読んでしまった。

 この作品に登場する“まほうつかい”とは“始まりの悪魔祓い(エクソシスト)”のことを差し、

“あくま”とは、イリスもよく知っている“始まりの悪魔(あくま)”のことを差している。

 この童話は、太古(たいこ)の時代に起きた実話を小さい子でも読めるように様々な点を変更して書かれたものだ。

 その点を出すと、

 ――“まほう”は“魔術(まじゅつ)

 ――“にんげんにかけたまほう”というのは“魔種(ましゅ)

 ――“にんげんがあくまになる”というのは“人間が魔霊(まれい)になる”

 ――“あくまのかけたまほうからにんげんたちをまもる”……と綺麗にかかれているが、実際には“魔霊になってしまった者たちを倒し、人間を守る”というのが正しい。

 

(“魔霊祓い(エクソシスト)”たちはきょうも、“魔霊(まれい)からにんげんたちをまもるために戦っているのです”……か)

 

 今でこそ魔霊が多いため魔霊(まれい)(ばら)いとされているが、太古の時代……つまりはイリスのような悪魔(あくま)しか存在しなかった時代では、“魔霊祓い”は“悪魔(あくま)(ばら)い”――“悪魔祓い(エクソシスト)”と呼ばれていた。

 その者たちの子孫が現代の“魔霊祓い(エクソシスト)”……まぁ、有宮(ありみや)家や琴花(ことはな)家のように、後に存在を知り、魔力を使い始めた者たちもいるにはいるが、“悪魔祓い”/“魔霊祓い”(エクソシスト)としての高い素質や才能を持っているのは太古からの家系の血統だ。

 

(……んで、今日もその“魔霊祓い(エクソシスト)”さんは頑張ってるわけね……勝てもしない戦いを)

 

 スッ――と、細めた目で外を見やる。実際にはそのずっと先……激闘が巻き起こっている数百メートル先の場所を。

 悪魔であるイリスには何の苦労もせず状況を把握できた。

 そこにいる者たちが何者なのか、その戦力に至るまで詳しく。

 

奏多(かなた)亜夢(あゆ)。戦ってるのは魔霊か……魔霊(まれい)使(つか)いが呼び出したものじゃない方の――でも……なんだろ、これ? 魔霊には違いないけど、実際のものとはズレてるっていうか……存在は毎秒消えかけてるけど、それを補強する感じで存在が保たれてるっていうか。

 ……魔霊使いの仕業じゃないんだろうけど……どっちかっていうと、霊体(れいたい)に近いような……)

 

 亜夢が『ある意味じゃ、あたしと同じだ』と言った理由はそこにある。

 今回のような特殊な例を除いて、

 成長しきった魔霊は基本的に宿主の“命”を喰らい“実体”を持って顕現する……“霊体”を持った魔霊というのは、基本的には魔霊使いが代償(だいしょう)を支払って顕現させるモノでしかあり得ない。

 魔力(まりょく)を以て霊体を形成し顕現した魔霊というのはこの長い歴史の中でも例がない。如何に悪魔のイリスであっても前例がないものには首を傾げてしまう。

 

(ま、別にいいか。行けばわかるんだし)

 

 ベランダに出る。上から羽織っていた従業員としてのエプロンを脱ぎ捨てる。

 

「ん~っ! はぁ……っ。大昔の呪いに引き釣り回されて、人間も大変だなぁ……それに、」

 

 両手を合わせて背筋と共に上に伸ばす。

 それだけ見れば中学生くらいの少女の可愛らしい伸びだが、それが今から戦場へ向かう為の準備運動だと言って、一体どれくらいの人が信じるだろうか。

 

(相変わらずね、奏多(アンタ)。……わたしには及ばないけど、そんな莫大な魔力保有してる魔霊にはアンタじゃ勝てないって……)

 

 どんな時だって一番に考えるのは奏多(契約者)の事――タンッ、とその場から軽い感じでジャンプすると、イリスの体は重力に逆らいそのまま空を駆け抜けていく。

 

(……死なせない)

 

 脳裏を過るは一〇年前の記憶――

 

 ……人里離れた山奥の木に繋がれた少年。

 ……日を跨ぐごとに悪魔は返り血を浴びた笑顔を張り付ける。

 ……そこに残るのは命を失った少年の亡骸。

 

 今では懐かしさを覚える少年との出会いの日を脳内で流しながら、ただひたすらに空を駆けていく。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――)

 

          ◆

 

 激突が揺らいでいた大気を殺す。

 衝突が死の感覚をこの場の生きとし生きる者に刻む。

 放たれる魔術が、自分たちでは到底超えることのできない存在だという事を魔霊祓い(エクソシスト)に知らしめていく。

 

「これでッ――どうだッ!!」

 

 ブラッドの左腕(しょくしゅ)が変形し、目にも止まらぬ速度で伸び、エンドアルターの体を拘束する。

 動けなくなったエンドアルターの背に、何度目かの稲妻の奔流を投げつけるように放つ。

 轟音と衝撃が周囲を震え上がらせる。

 並みの魔霊であるのならば、一撃で(ちり)と化す威力を誇る稲妻。

 重力に従い跳び上がった亜夢の体は落ちていく……それでも亜夢は煙に包まれたエンドアルターから目を離すことはせず、

 

「――チッ!」

 

 全てを振り払うように放射線状(ほうしゃせんじょう)に放出された魔術を目撃した。

 拘束していた触手が散り散りとなり弾けていく。

 未来に衝撃波を残し飛び去っていくエンドアルター。

 残された飛び去った際の衝撃波を受ける前に稲妻と化し、近くのビルの屋上に一秒もかけずに着地する亜夢。

 

「ブラッド、追え!」

 

 稲妻となる前に発した言葉に従い、ブラッドの姿は一瞬で掻き消える。

 人間を置き去りにした超常の生命体の戦場は上空一〇〇〇メートルへ。

 咆哮(とどろ)く空の世界。

 ブラッドの触手は再び形を変える……先端が尖り、平たく伸ばされた触手はまるで剣のような存在感を放つ。

 実際の話、ブラッドの触手は千変万化(せんぺんばんか)

 先ほどのように、先端がいくつにも分かれどこまでも伸びる拘束用の触手にもなれば――今のように殺傷力を持つ、武器のように貫き、両断する触手へと変化させる事もできる。

 グウォンッ!! と、大気を悲鳴を上げる。

 並大抵の武器ならばそのまま両断し、対象を殺すことのできる一撃をエンドアルターは両刃剣を振るい迎え撃つ。

 片や、二〇メートルの放浪騎士。

 片や、五〇メートルの死神。

 これほどの身長差があり、力量にも押されているエンドアルターが互角にやりあえるのは、胸の中心に居座らせている少年からの魔力供給あってのものだ。

 

 触手(けん)の乱舞は止まらない。

 刺突。斬撃。両断。

 次々に放たれる連撃……常人ならば追うこともできない動きをエンドアルターは両刃剣を自在に操り、迫る死を受け流していく。

 状況が大きく動いたのは次の一手から――

 

 ――翼のようにブラッドの背から生えていた六本の骨の手の指先から、黒紫の光線が放たれてからだ。

 

『!?』

 

 大きく動揺する。

 骨の手、その指の数は五本。

 それが六本同時――計三〇本の光線が指先より(またた)いた。

 

 光線は一直線ではない、

 指先がクネクネと動けば、放たれている光線も同じ動きをとる。

 

『ズッ!? グオ、ガ……ッ!?』

 

 両刃剣で弾けたのは最初の数発……一瞬後、エンドアルターは三〇の光線の餌食(えじき)となった。

 三〇の光線はエンドアルターを――焼いていく、裂いていく、貫いていく。

 ――首を裂かれ、全身を刻まれ、左腕がぶっ飛び、右肩を貫かれ、両刃剣(えもの)を落としてしまう……離れていった武器はザザザザザッ!! と五指(ごし)の光線が粉々に分解する。

 膨大な魔力を以てしても回復が追いつかない。追いつかせる筈がない――目の先の光景から目を反らしたブラッドは(こくう)をゆっくりと見上げる……。

 

 骸骨(がいこつ)の視線の先は……歪み、歪み、歪み、

 ……虚空(そら)が、

 ……開く。

 

 ――何もない虚空より、滅びが降り注ぐ。

 いくつも/()(かみ)である事を象徴するように。

 無数に/世界を蹂躙(じゅうりん)するように。

 死神の意思により発現した“流星を雨のように降らせる”魔術(まじゅつ)は、悪魔に振るうためでも、世界を滅ぼすためでもなく――たった一体の魔霊を滅するがために軌跡を描く。

 

 

       “……オチロ……”

 

 

 ……死神の(おと)がねっとりと脳内に付着する。

 それを振り払う事も、消し去る事もできず、ボロボロとなったエンドアルターは虚空より降り注いだ無数の流星に拐われ

 

          ◆

 

 一撃目はエンドアルターの胸元へと吸い込まれるように飛来した。

 

 二撃目は激突した流星によって急降下するエンドアルターに追い討ちをかけるようにあり得ない軌道を描き側面より奴を貫く。

 

 エンドアルターの頭が崩壊したのは三撃目。

 度重なる流星によって体が空中で暴れ回るエンドアルターの頭へと、流星が一条する。

 

 放浪騎士の左足を腰に詰めるように潰したのは四撃目。

 

 墨色の鎧は砕け散り、異形の皮膚は溶け、中身が見えるほどの傷口へと差し込まれるように、五撃目の流星は突き刺さる。

 

 ……流星は不意に鳴りを潜める。

 魔力切れ……ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()

 バチュンバチュンバチュンバチュンバチュン!! と。

 自らを稲妻へと変え、跳ぶ先々で魔力の足場を生み出し……天へ昇るようにジグザグの稲妻を空に描きながら、急降下してくるエンドアルターへと迫っていく。

 

「ふ――ッ!!」

 

 ――()ける、()ける、切り裂く(かける)ッ!!

 稲妻がエンドアルターの体を通り過ぎ……エンドアルターの体は切り裂かれて跳ね上がる。

 稲妻の(つるぎ)はエンドアルターを逃がしはしない。

 二秒の時を以て、稲妻は(じゅう)()エンドアルターの体を全方向から貫いた。

 袈裟懸けに胸は開き、残っていた右足は千切れかけ、背には刺し傷、正面には木っ端微塵に切り刻もうと刻まれた刃の跡、

 そして――、

 

「くた――ばれッ!!」

 

 正面へと移動した稲妻は亜夢(ひと)の姿を形作っていく。

 右手には地上からでも見えるであろうスパークが巻き起こっている稲妻(かたてけん)

 ぐるんぐるん! とその場で回転し、勢いをつけた一振はなんの躊躇いもなく無防備のエンドアルターへと叩き込まれる――。

 

 直後、

 空の世界を黙らせる轟音(ごうおん)(とどろ)いた。

 

 

 ……エンドアルターの体はレンガの上にクレーターを作っている。

 何も抵抗できないまま上空から切り落とされた結果だ。

 静かな公園で、一人ボロボロの体を沈めている。

 

『グ、エ……、ア――』

 

 鼓膜を震わせる鈍い呻き声。

 魔力による超回復を以てしても治るには時間がかかる。

 握れば折れてしまいそうな右腕に力を込め、体を起き上がらせる。

 潰れかけの瞳が見据える先は上空。“魔霊使い”と“魔霊”がまだいるであろう場所。

 注意が向くのは当然だった。

 警戒するのは当然だった。

 回復を待ちつつ油断なく敵を睨み、降りてくるまでの間、体を休ませる。

 

 ()()()

 ()()()()()()()()()()()()()

 ……注意を怠っていた。

 ――先入観(せんにゅうかん)に囚われ、失念(しつねん)してしまっていた……。

 

 

 この場には、魔霊祓い(エクソシスト)()()()()()()という事を。

 

 

 それは後ろからだった。

 

 ――(ざん)ッ!! と。

 

 見上げていた首のうなじが横一直線に切り裂かれた。

 下がっていく視線……後ろを振り向けない。先ほどまでの魔霊と稲妻の連撃で物事に対応する力は今の自分からは失われている。

 背後からの襲撃者は次なる一撃のため前へと回り込んでくる。

 

 髪色は黒。

 頭の一部はひしゃげ血が止めどなく溢れ出て真っ赤に染まり、それは体や左腕も同じ。

 左目は傷つきすでに失明し、残っているのは血の流れ込んでいる右目のみ。

 死体が動いているとしか思えない凄惨な有り様……だが鼓動(こどう)は鳴っている。血は回っている。赤に染まった瞳は生きている。

 死んでいない、ここにいる……有宮(ありみや)奏多(かなた)は、まだここに。

 

「ウ――ッ!!」

 

 血を吹き散らし前へと跳ぶ。

 魔力の剣を握る右手には確かな感触。

 五指、両足。生きている部分全てに力を流し、眼前の首を解体(かいたい)する。

 

「アァ、ア……ッ!!」

 

 ズシャッ! と、刀身が首を貫通するまでに伸び、奏多は身を踊らせる。

 手首を回し傷口を広げ、首の下から上までを力任せに()(さば)き、体に鞭打ちエンドアルターの頭上まで跳び上がる。

 

「カハ……ッ! ぐ、ぅ――」

 

 残り少ない血液が口から大量に吐き出る。

 ――別に構わない。

 今自分がすべきことは身の安全じゃない……遥渡(はると)を助けること。

 それ以外の考えは邪魔だ。

 もうダメかと思い、一度は諦めた目的。

 その目的があと少しで果たされようとしているのに、手を止めようとするバカはいない。

 死ぬな――遅かれ早かれ命を落とすのならばやるべきことを為してから……()()()()()()()()

 ――きっと……痛くなく、温かく、そして誰よりも優しく殺してくれるぞ?

 

 逆手持ちへと変える。

 振り下ろす右腕に全ての力を込める。

 これが最後。振り下ろせばもう自分に動く気力はない。

 次の機会はない、失敗は許されない。

 だから……だからこそ、

 裂帛(れっぱく)の気合いと共に――

 

「ハ、ァ――お、ォ……オ――オオオオオオオーッ!!」

 

 肉を裂き、巡回する魔力も断ち――頭蓋(ずがい)を割るように剣を突き立て、(こうせい)していた魔力の全てを内側から爆発させた。

 

          ◆

 

(今の爆発、まさか――っ!?)

 

 亜夢(いなずま)はブラッドよりも先に地に足を着けた。

 荒れる息を整えもせず辺りに目を配る。

 公園はもはや見る影もなかった。

 遊具は戦闘により全壊。今しがた起きた爆発により戦闘で半壊していた付近のビルは崩壊し、公園へと崩れ落ちてきていた。

 ……瓦礫に赤色がないということは、ビルには奇跡的に人はいなかったと考えていいのだろう。

 その事実を心の片隅で処理し、目的の人物を探し始める。

 

兄貴(あにき)ッ! どこにいんだ! 兄貴ーッ!!」

 

 そう。

 レンガに頭を打ち付けたことで瀕死の重症を負った奏多ではあったが、まだ死んではいなかった。

 それは魔力が微弱とはいえ体内で生成されているのを感じとっていた亜夢だってわかっている……ただ、その姿があまりにも(むご)すぎて直視できなかったが……。

 今の爆発だって奏多の魔力が引き起こしたもの。エンドアルターは瓦礫の下敷きになり姿は見えない。

 そして……姿が見えないのは奏多も同じ。気力を使い果たした奏多に魔力の爆発から逃れる術はなかった。

 爆発に巻き込まれた奏多は体をボールのように投げ飛ばされ、死にかけの身を地面に叩きつけ、打ち付け……、

 

「――!? 兄貴!」

 

 数分間の捜索の末、発見した。

 仰向けで目蓋を閉じ、脱力しきっている体を抱き上げる。

 

「兄貴! ……おいっ、しっかりしろ!」

 

「…………は、…………ァ…………」

 

 呼び掛けが聞こえ、かろうじて生きている右目が開く。

 その開きは弱々しく……震えていて……もうじき消え去ってしまう奏多の命を表しているようだった。

 

「……ぁ、()……」

 

 抱き上げている腕に少年の鮮血は染み込んでくる。

 腕も服も真っ赤な少女に、その腕の中に倒れる少年……もしこの場に警察が現れたら言い訳できない状況のまま、奏多は身を案じてくれる亜夢に声をかける。

 

「悪い……もう……助から、ない、みたいだ……」

 

 自嘲するように笑い、弱い自分を責め立てる。

 はぁ……と、心の底から残念に思う。

 ――()()()()()()()()()()()

 亜夢とも絆が深まり、兄妹(きょうだい)のような関係になれた。

 美緒とも友達になることができ、下の名前で呼び合うくらいに親しくなった。

 ……笑い方を思い出した。

 ……生きることが楽しくなった。

 ……感情の震えで涙が出るようになった。

 魔霊祓い(エクソシスト)になり、色々と大変ではあったけれど幸せな毎日を満喫していた……だというのに、コレだ。

 死ぬ事に()()()()()()()……。

 でも――死ぬ事にこんなにも()()()()()()()のは……久しぶりな気がする。

 

「ッ――、いや……まだだ。()()()()()遭わなくていい方法があるはずだ……だから……、」

 

 記憶が浮かんでいたのは亜夢も同じだったらしい。悲しさを噛み殺すように言葉を並べていく。

 ……その言葉を語る声は、終始震えていた。

 落ち着かない思考と動悸を優しく癒したのは、抱き上げていた亜夢の手に力なく乗せられた奏多の右手。

 亜夢の顔を見つめた奏多はゆっくりと顔を横に振る。

 

「ごめん――」

 

 悔しさ/悲しさ/罪悪感の込められた、たった一言……その一言に大きく体が震える……。亜夢の動揺を感じ取りながら、奏多は続ける。

 

「でも、もうダメなんだ……後は、死ぬしかない……。

 ()()()()()()()()()()()……()()()()()……。お前だって、わかってる、……だろ……?」

 

「……………………わか、ってる、………け、どさ……、」

 

 上手く呼吸ができない。

 ……初めてその光景を見た時を思い出す。

 ――眼球に映る光景を認めたくなくて、絶叫して……()(また)ぐその瞬間まで、イリスを殺そうとした――。

 

「……ほ、ら」

 

 するりと手が落ちていく。

 残り少ない命の少年は瓦礫の山へと目をやる。

 

「俺たちの目的は……遥渡を救う、こと……それが達成できなきゃ、……お前らの努力も……俺の努力も……ぜん、ぶ、無駄に……なっちまう。

 ……だから……だか、ら、」

 

 こほっ、と血が喉の奥より溢れ出てきた。

 口の端を流れていく血は亜夢の衣服へと染みていく。

 死に際……、思わず微笑んでしまった奏多は掠れるような声で……、

 

「遥渡を、頼む……。

 へへっ――“さようなら(また明日)”、な……」

 

 人間(にんげん)には明かしていない秘密を別れの言葉で濁し、また会えるのだから心配はいらないと、不器用ながら亜夢を慰める。

 ……その言葉を信じてくれたのかはわからない。

 しかし――亜夢のとった行動は、この場でもっとも相応しいものだった。

 服の袖で目元を拭い、奏多の体をそっと下ろすと緩んだ表情で立ち上がり、

 

「明日の朝……自分の部屋で寝てなきゃ起こさねぇからな――バカ兄貴」

 

 毎朝お寝坊さんの兄に告げた、悲しみを押し止めた精一杯の別れの言葉。

 ……涙が流れ出す前に奏多の横を歩いていく。

 

(……ごめんな)

 

 初めてあの()と別れたのは、出会ってまもないころ。

 そして二度目は今日……あの時とは何もかもが違う。

 ……繋いだ絆も、笑った笑顔も、自分を思い流してくれた涙も、些細(ささい)なことで喧嘩した思い出も――全てを次に託し、自分は消えていく……。

 

「……ありがとう」

 

 これほど幸せな一〇年間はなかった。

 ()()()()()を持っていて、最悪の人生を生きていくんだと思っていたけれど……そうじゃなかった。

 叔母(おば)さんは暖かかった。

 従妹(いとこ)は優しかった。

 友達(ともだち)は元気をくれた。

 悪魔(あくま)は……最初はどうなることかと不安で仕方がなかったけれど、うまく順応してくれた。

 ……さみしいけれど、きっと次の自分は上手くやってくれる。

 自分の過ごした記憶を見て、自然と笑みがこぼれるほどに嬉しさを感じられたのならば――“この自分”にとってこれほど嬉しいことはありません。

 

 なら、少し目を閉じよっか――。

 騒ぎを聞いていずれイリスもやってくるだろうから心配はいらない。

 ほんの僅かな間だけ、一〇年間の人生をずっと夢に見るとしよう――。

 

          ◆

 

「……■、なっ!? ――グ、■ァ!?」

 

 ……変な音が聞こえる。落ちかけていた意識が騒ぎによって浮上してしまう。

 

「…………っ、……?」

 

 なんだと思い、薄く開かれた目を騒ぎの方に向

 

 

 ……一人は咄嗟に魔力を張ることで致命傷を防いだ。

 

 ……何もできないもう一人は…………どうなったと思う?

 

          ◆

 

 瓦礫の山の前へと足を運んだ……その時だった。

 火山の噴火のごとく瓦礫の山が下からの力により真上へと消し飛んでいく。

 

「ッ――!? な、ん――」

 

 

 ザザザザザッ!! …………連撃(れんげき)によって傍らに存在していた霊体は(ちり)と消える。

 

 

「ぁ……、――っ」

 ……隙をつかれた亜夢の真横に、ソレは浮遊している。

 体の至るところは欠損し、うなじと首は裂かれ、左足は腰に詰め込まれ、脳に至っては半分が吹き飛んでいるというのに……真新しい両刃剣を残る右手に生成した、黒き放浪騎士は――

 

『――――』

 

 エンドアルターは真横で浮遊している――。

 ……生きて、いる。

 

「……ん、なっ!?」

 

 先ほどまで傍らにいたブラッドの姿はもうない。

 瓦礫から姿を表したエンドアルターに隙をつかれ、一瞬で木っ端微塵に切り刻まれ消滅した。

 

「――グ、ゴァッ!?」

 

 傍らにあった五〇メートルを超える巨体が塵となって消えていく。

 その光景に驚愕してしまった事が仇となり、凪はらいをその身に受けてしまう。

 ……風も声も置き去りに、亜夢の体は跳ばされる。

 だが咄嗟に魔力を体に張ったことにより致命傷は避けた。裂かれた部分からは灼熱感が(おど)り出て、次第に痛みが発生していくが、亜夢の意識はそこに向けられていない。

 意識が向いたのは(となり)

 次から次に奔っていく光景の中でもそれはハッキリと見えた。

 瀕死の体を無理やり裂かれてぶちまけられた……奏多の鮮血を。

 

「ぁ、――」

 

 亜夢に一閃を奔らせたエンドアルターはその場からかっ飛び、先ほど不意を突かれた恐れからか、死を待つだけであった奏多の体を深く、鋭く抉り裂いた。

 

「――ッ!? あにッ

 

 言いきるよりも早く二人の体は打ち付けられる。

 ドタッ! という鈍い音と、

 べちゃっ!! という不快な音……、

 ……体のパーツを繋ぐ部分が脆くなった人形を叩きつけたかのように、跳ねた際の奏多の手や体の向きはニンゲンしていいものではなかった。

 血濡れのマリオネット。薄皮一枚で繋がった体は動く気配がない。

 

「あ、に……ッ、兄貴……ッ!」

 

 激痛など気にもならない。

 立ち上がっては倒れ、這いずってはもう一度立ち上がろうとし……それを繰り返して、直視するのを躊躇う体へと変わり果てた奏多を抱き上げる。

 

「          」

 

 光を失った瞳は虚ろで、ピクリとも動かない開かれた口からは気味が悪いほどに、つー……と、大量の血液が溢れている。

 呼び掛けに反応せず、少しでも力を入れれば奏多の体もそれに合わせて動いてしまうほどに、少年の体には何の力も込められていなかった……。

 亜夢の焦りと動悸を加速させるように、遠くより重いものを引きずる音が響いてくる。

 鈍く、重く。

 回復しつつある体を引きずり、エンドアルターはトドメを刺そうと近づいてくる。

 

「く……そッ、……なら――」

 

 ――もう一度、と。

 胸の中心を握りしめる。……今一度、胸を内側から抉じ開けられる激痛に備える。

 消滅させられてしまったが、アレは霊体だ。実体ではない。亜夢が“代償”を支払い呼び出せば、五体満足のブラッドが顕現する。

 ……けれど、

 

「――、ッ……は……、――」

 

 呼吸が、止まる。

 理由はエンドアルターでも奏多の現状を見たことでもない……怖い、からだ。

 非常事態であるため、怖いなどと言っている場合ではない、と思うかもしれないが――怖いものはどうしたって怖いのだ。

 

(…………次ブラッドを召喚したら……あたしは、どうなるんだ――?)

 

 魔霊へと捧げる代償を思い……体が震えだす。

 先ほどは怒りが自分の背中を押してくれた。だから捧げる代償を理解していてもやり切ることができた。

 ……だがそれも一度まで、

 ――ブラッドを召喚したのは先ので二度目。

 冷静に考えればそれだけでも恐怖だというのに、三度目の召喚……それも連続で……もし、これで勝てなかったら?

 

「また……召喚、するの……か?」

 

 ……怖い。そんな事はしたくない。これ以上捧げたら()()()()()本当にわからない。

 でもやらなければ……やらなければ、殺られる……自分だけでなく、奏多まで……彼女ではなく、エンドアルターに殺される。

 ――それはダメだ。

 もう死は避けられないとしても、せめて彼女の手で。

 奏多が琴花(かぞく)の次に信頼を寄せている相棒(そんざい)に最期を任せたい。

 ――こんなヤツに殺される最期なんて、絶対にさせない、許さない。

 

「う……ッ、う――げほっ!」

 

 恐怖のあまり吐き出しそうになる。

 そのくらいはしたかったが、ここは戦場だ……一瞬の隙が命取りとなる。嘔吐などもってのほかだ。

 咳を切り替えとし、視線をエンドアルターへと向ける。

 ……しかし、亜夢は致命的なミスを侵してしまっていた。

 

「ぁッ――!?」

 

 意識が逸れる(せきをする)、という一瞬の隙を見せてしまっていた――。

 

 ……それが勝敗を分けた。

 気づけばエンドアルターは眼前へと跳んできていた。

 引き絞られた両刃剣の切っ先が残像を描き二人へと迫る。

 ……召喚は間に合わない。

 稲妻と化し逃げるよりも早く銀の煌めきはその身を捉える。

 

「ぐッ――!」

 

 ……バカだ。

 自分はホントにバカだ。

 躊躇(ちゅうちょ)などしなければよかった。躊躇(ためら)わなければよかった。

 ……こんな風に、自分を盾にしなければよかった。突き飛ばすべきだった。

 奏多を庇い刃へと背を向けている自分は先に()ぬ。……そして庇っているということは貫通する可能性がある。その場合、続くように奏多が死ぬ。

 最後の最期まで、兄を泣かせるような妹でしかなかった……後悔と共に歯噛みし、背骨を突き破る衝撃を覚悟して…………、

 ……覚悟して…………、

 …………覚悟、し……て――、

 

「――え?」

 

 最初に聞こえてきたのは鈍い炸裂音。

 次いで強風と衝撃波。それらは背中を突き刺すが想像していたような激痛ではない……背骨は無事だし、血は一滴は出ていない。

 ふっ――と、緊張が緩んだ己の感覚が魔力(まりょく)を感じ取った……自分の背に立つ、尋常ではない魔力を――。

 

 

「――――はぁ」

 

 

 ため息。

 幼い少女の声音が混じったため息は、この場にはあまりにも場違いだ。

 しかし――機嫌が悪いように吐き出されたため息は、どこまでも余裕に満ちていた。

 鼓膜に届けばそれだけで安心するような、強者にのみ許された存在証明。

 その声音はいつも聞いていた。

 正体を知っているというのに母は彼女に何処までも甘くて、優しくて。

 自分も魔霊祓い(エクソシスト)という立場故に常日頃から警戒しているものの、親にも他人にも気を使い(金は別)、素っ気なくはあるが自分にも敵意を向けずそっと接してくれるため、いつからか家族として見ていた幼い人外(じんがい)の声音――。

 

「強くなったのは認めるけど、油断して劣化版(れっかばん)に殺されかけるとか……まだまだだね、亜夢」

 

 亜夢よりも小さい、少女の姿をした悪魔(あくま)は片手を前へと向けている。

 片手――そう、何気なく向けられた片手……内包する力の十分の一すらも使わず、軽い気持ちで差し向けた左手の(てのひら)が迫る両刃剣とエンドアルターを容易く弾いていた。

 弾かれたエンドアルターの姿は見えない……運動量をそのまま跳ね返したかのように真後ろへと吹き飛んだエンドアルターは崩壊した瓦礫の山へと突っ込み、その姿を瓦礫と煙の中へと消していた。

 

 ……淡い桃色の髪を靡かせ、灰色の混じった黒の瞳で先を見据える。

 二人を死の縁に追いやった魔霊を片手で処理し、瓦礫に埋まったソレを冷めた瞳で見つめる者の正体は――

 

「イリ、ス」

 

 魔霊などという劣化版ではない。

 太古よりこの世界に君臨(くんりん)する、正真正銘の“魔”――全部で一三体存在する“悪魔(あくま)”。

 その中でも最強に位置する者。

 

 名を――イリス。

 ――真名(まな)は、()()()()()

 

 悪魔でありながら人間が好きで、

 過去に絶望に堕ちた少年を救い上げ、

 今もこうして『護る』ために人間を背に魔霊の前へと立っている――()の悪魔と比べて、あまりにも変わりすぎている……優しい悪魔の名だ。

 

          ◆

 

 音が遠くなっていく……。

 体は冷たくなっていく……。

 命は段々とほどけていく……。

 

 ――でも、

 

「奏多――」

 

 呼びかける声がその全てを救い上げる。

 目蓋(まぶた)が開いていく。目に映る景色は(まっか)だけれど、そこにいるのが誰なのかは認識できた。

 

「……イリ……ス、」

 

「…………無事とは言えないけど、間に合ったみたいでよかった……」

 

 奏多の体は亜夢の腕の中ではなく、近くの瓦礫へと背が置かれていた。

 膝を折り、イリスが死にかけの瞳と目線を合わせる。

 真っ赤な視界の端には亜夢が歯噛みしながら立っている姿が映っていた。

 

「随分と手酷くやられたね。奏多のこんなボロボロの姿……一〇年前でも見たことないよ」

 

 イリスの口調はいつも通りだ。

 ボロボロの奏多を見ても焦っている様子はない。……奏多ならここまでの無茶をやりかねない、と常日頃からイリスは思っていたからだ。

 普段通りの口調に軽口でも返したかったが、そんな余裕はもう残っていない……無駄なことは言葉にせず、必要な事だけを最期の力を振り絞り伝える。

 

「イリス……あの、な――」

 

 トッ――、と。

 血濡れのおでこにイリスは指先を触れさせた。

 思わず声が止まってしまうが、イリスは気にせず真面目な表情で指先をつけ続ける。

 そして数秒後、

 

「――うん。わかった」

 

 指先を離して短く声を発した。

 意味がわからず困惑の表情を作る奏多に、イリスは少年の胸に手を伸ばしながら、

 

「アンタの記憶を見て、心を読んだ。

 ――やってほしいこと、あの魔霊のこと、この状況に至るまで何があったのか。全部理解したから、アンタは何も言わなくていい……」

 

「………………」

 

 驚かなかった。

 キョトンとはしてしまったが、イリス(コイツ)ならやりかねない……その一文だけで纏まってしまうからだ。

 壊れた肺からこほっ、と息を吐き苦笑する。

 

「流石、だな……お前は、いろい、ろと……おか、しい……な」

 

「しっかし……久しぶりに御馳走(ごちそう)を貰えると思ったら、随分と難しいオーダーを交換条件に出すじゃない」

 

「……できない、……のか?」

 

「むー……なにそのむかつくニヤケ(づら)。……できるに決まってんでしょ」

 

 頬を小さく膨らませ、奏多の心臓がある部分に手を置く。

 そこだけ見れば微笑ましいが――これから行われるのはそんな微笑ましいものではない。

 ……ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるその瞬間に、奏多の傍らに立っていた亜夢は唇を強く噛み、

 

「……なぁ、ホントにその方法しかないのか?」

 

 喉に詰まっていたものを吐き出すように、亜夢はようやく言葉を発することができた。

 力が込められ始めていた指先がその動きを止める。

 ……この状況でこんなコトを口にするのは間違っている。

 それを理解しながら、これから目の前で起こる事を知っている亜夢は、それでも彼女に待ったをかけていく。

 

「前にも見たことはあるけど、あの光景は……何度も見たくはな――

 

「――なら、お前一人で死ねば? わたしはそれでも構わないけど?」

 

 小刻みに震えていた言葉の先を切り殺すように……“悪魔”という事を再認識させる一言を冷酷に突き刺した。

 (しん)から冷えていく言葉の突き刺しに、次の言葉を繰り出せず鼓動が荒くなったまま棒立ちになってしまう亜夢……そんなコトは気にせずイリスは横目で赤毛の少女を見ながら、

 

「これはわたしとコイツが合意の上で交わした契約。横から口を挟まないでくれる?

 ……この方法以外に契約の仕方はない。仮にあの光景を見たくないんだとしたらわたしはコイツを連れてこの場を離れるけど、お前はどうするの?

 ……魔霊と戦って死ぬか、それとも魔霊を顕現させて命を削るか……どっちにしてもアイツの魔力量から見るにお前じゃ勝てないだろうからここで死ぬだろうけど」

 

「…………っ」

 

 イリスの言っていることは全て事実だ。

 自分一人では回復し続ける魔霊を倒すことは不可能。ブラッドがいなければやり遂げることはできない。

 ……そのブラッドも、琴花亜夢(おくびょうもの)が腹を括らなければ顕現する事はなく――顕現させる際の“代償”は今しがたイリスが呟いたものだ。

 その代償の重さゆえに、人生で三度目となる魔霊の召喚を躊躇っている……あと、どれくらい生きられるのかという思いが頭を過ってしまったから。

 ……何も言い返せず、押し黙っていると、イリスは冷めた瞳で見ていた横目をふっ――と緩め、奏多へと視線を戻す。

 

「――亜夢(アンタ)はよくやったわ、十分に。

 奏多(コイツ)の悲しむ顔を見たくないなら口を閉じて……目を、背けてて。

 奏多の泣き顔なんてわたしも見たくないし、アンタの死なんてコイツは望んでない。

 契約はもちろん……アンタもオマケで守ってあげるから、今はコイツの意思を尊重して」

 

 それは人の強さを知っている悪魔から亜夢へと向けられた、最大の賛辞(さんじ)だった――。

 止まっていた呼吸が再開する。

 賛辞を告げたイリスは亜夢へと意識は向けていない。

 奏多の胸へと指先を当て、力を込めている。

 ……見たくないならイリスの言う通り目を背ければいい。

 ……聞きたくないのなら耳を閉じればいい。

 でも――

 

「――あぁ、わかった」

 

 もちろん怖くはある。

 後悔するのもわかっている。

 

 けど、それでも、

 

 ……目を決して背けない。

 ……音を聞き届ける。

 

 彼女と同じ、これからも傍にいる者として、

 彼の決断を見届けるべきだと、そう思ったから――。

 

          ◆

 

 内側から熱が喪われていく。

 声がだんだん遠くなっていく。

 一秒か瞬間か……時間が経てば経つほど生命機能が眠りについていく。

 それでも――

 

「――『街を守る』。

 ――『魔霊を倒す』。

 ――『簑埼(みのさき)遥渡(はると)を助ける』。

 アンタがわたしに願う事は、この三つ?」

 

 目の前の悪魔が持ちかけてくる契約内容は耳に届いている。

 記憶を見た、という話は本当だったらしい。

 奏多が伝えようとしていた『願い』は、一文字も(たが)わずイリスの口から告げられた。

 

「…………あぁ……、それと……」

 

 ポケットに指先を入れ、今にも落としかねない弱い力で掴み……引き抜く。

 

「こ、れ……遥渡……に……」

 

 前へと差し出されたのは一枚の紙切れ――写真だった。

 優しかった(はは)と、ひとりの(しょうじょ)とひとりの(しょうねん)が満面の笑みで写っている……この世に一枚しかない遥渡の宝物(おとしもの)

 

「もう……俺、じゃ……渡せな、い、から……」

 

 指先で挟んでいた写真が受け取られる。

 ……あれほどの戦闘があったというのに傷一つ、欠けた部分一つ、焼け落ちた部分一つなく、血も付いていない……文字通り“守られた”写真を指で撫でて、ポケットへと仕舞う。

 

「わかった。……必ず渡す」

 

 イリスの言葉の首肯を聞いて安心すると……次第に胸の心臓部に圧力がかかってくる。

 

 ――『願い』は告げられた。

 ならば後は“代償”を支払うことで、悪魔は契約を果たす。

 

 代償は劣化版の魔霊(まれい)であれば成立するような代えではなく、代わりなど存在しない、紛れもない(■■■)そのもの……。

 

「――――、」

 

 

 

『はじめまして、奏多君。ほら亜夢、挨拶』

『…………は、……はじめ、まして』

 

 ……初めて出会った日を、思い出す。

 

 

『奏多君! やっと見つけられた……!』

(にい)ちゃん! 大丈夫!?』

 

 ……もう一つの家族の温もりを、思い出す。

 

 

『……人間じゃないかも? ――関係ないよ! 遊びにいこ、奏多!』

 

 ……事情を知ってもなお、友達になってくれた、遊びに連れていってくれた女の子を、思い出す。

 

 

『貴様のその“命”を……(われ)が誰よりも有効活用してやろう』

 

 ……誓いを、思い出す。

 

 

『兄ちゃんは家族だから……兄ちゃんは、あたしが守る! 必ず――!』

 

 ……忘れないために、思い出す。

 

 

『奏多君は、私たちの家族よ――』

 

『兄ちゃん、お誕生日おめでとう!』

 

『いいから着いてきなって! 忘れられない一日をプレゼントするからさ!』

 

『この街に来てから、アンタは人間らしく――いや、人間を取り戻してきたわね。

 本当……アンタが幸せになれてよかった――』

 

 忘れない(おもいだす)

 忘れたくない(おもいだす)

 忘れるわけがない(おもいだす)

 

 みんなと過ごした毎日を、

 かけがえのない一〇年の時を、人生でもっとも楽しかった一〇年間を……何度も、何度でも思い出す――。

 

 

 

(あり……がとう……)

 

 胸に灼熱感が(はし)り、心臓に違和感が生じる。

 ……()()()()

 ……()()()()()()

 

(さようなら――)

 

 プツン、プツンと千切れていく。

 在るべき場所から()()は離れていく……最期の鼓動を鳴らし、体に別れを告げていく。

 

(また、いつか……どこか、で――――)

 

 全てが暗転する。

 暗転した意識は二度と光を取り戻すことはなかった。

 心臓は抜かれ、生命活動は停止する。

 

 笑いあった毎日も、

 心が暖まった日も、

 友達ができた喜びも、

 もう一つの家族ができた幸せも、

 ――光に満たされた人生を、“次”へと受け渡し、

 

 有宮(ありみや)奏多(かなた)は、その人生に幕を下ろした。

 

          ◆

 

 亡骸の頬を一筋の涙が伝っていく。

 心臓部には掌サイズの穴。

 その手前には悪魔に握られた心臓一つ。

 

「フッ……ヘヘヘヘヘ――ッ」

 

 殺された。

 有宮奏多は、悪魔に殺された。

 奏多の命を奪ったイリス(あくま)は久方ぶりの体の内に湧いてきた高揚感(こうようかん)に笑いが止まらない。

 興奮から体が震え出す。興奮(ソレ)に身を任せてしまったら、鮮血が滴り落ちていく心臓に歯を立て、口の中で蹂躙(じゅうりん)してしまいそうだった。

 本来ならそんな事はしようとも思わないが……今の彼女は自身でも気づかないほどの歓喜に全身を()けられていた。

 

「スゥ――ッ、……ハーー、」

 

 ――あぁ……やはり美味い。

 一〇年ぶりに(こうぶつ)を取り込んだ体は歓喜に震えている。

 狂いかけた自分を深呼吸で取り戻すと、心臓を握る右手に力を流していく。

 容器に穴を開けたかのように血が飛び出し、ポンプに見える部分は『く』の字に折れ曲がり膨らみに沈んでいき、

 そして、

 そのまま、

 そうやって、

 

 ――()()()()()()()!!

 

 血飛沫が舞う。

 少女の顔に赤いポツポツがいくつも振りかかる。

 ……手の中には、生きていればまず見ることのない赤黒い肉塊が収まっている。

 傍らに立つ赤髪の少女は嘔吐感を覚え、両手で口を抑える。

 握り潰した心臓を持つ悪魔は右手を口元へと持っていき、

 

 細く、小さく纏まった少年の心臓を……躊躇いなく口の中へと流し込んだ。

 

 趣味が悪い、という訳ではない。

 人間の臓器が好き、という訳でもない。

 血濡れの臓器など初めて口にしたし、その上に不味い……こんなものを好き好んで食べるようなモノはいないだろう。

 それでも一〇秒にも満たない不細工な料理を行った理由は……彼女の思いの現れだ。

 咀嚼(ゴチュリ)咀嚼(グチュリ)咀嚼(ビチュリ)…………飲み込む(ゴクン)

 

 ……もう、この彼に会うことは叶わないとしても、

 この人生を生きた彼の心臓(あかし)だけは、自分の内に残して置きたかった。

 

「…………ふぅ」

 

 彼の血が口の回りにピシャリと付いている。心臓を放り込んだ結果だ。

 ――あぁ……やっぱ不味い。

 スルスルと喉を流れていく原型を失った臓器を感じながら、ぼそりと呟く。

 瓦礫が崩れる音が聞こえ、そちらへと顔を向ける。

 ……攻撃を弾かれ吹き飛ばされてから今に至るまで行動不能となっていたエンドアルターがようやく動きだし、瓦礫の山より抜け出てきていた。

 

「――――」

 

 立ち上がる。

 真っ正面よりエンドアルターと対峙する。

 

「“魔霊使い”でもないのに生きたまま魔霊を顕現させるなんて……凄い才能の持ち主ね、遥渡(アンタ)

 

 ――一瞬の輝きがイリスの体を包む。

 色は『黒』。

 顔中に付いた奏多の血を拭っていくイリスの服装は、春を思わせる桜色のカーディガンから――“紫の線が入った黒きコート”へと変化し、

 右手に付着していた血は舐め取られるように消失し――“赤の線が刻まれた漆黒の大鎌”が得物として掌に出現する。

 

 自分なりに街を楽しみ生活していた少女の姿はもう、そこにはない。

 今在るのは太古より存在する悪魔の姿。

 これより始まるは勝負にならない一方的な蹂躙。

 

 黒きコートを風に靡かせ、

 身の丈の倍はある大鎌を片手に踊らせながら、

 (いのち)という“代償”を喰らった悪魔は冷めた口調と共に、見下しながら宣言する。

 

「契約に従い、魔霊(おまえ)を殺す。

 せめて二分はもて――少しでもわたしを楽しませてみろ、劣化品」




 ――【用語解説】――

悪魔(あくま)

魔種(ましゅ)』より生まれる“魔霊(まれい)”という劣化品ではなく……太古よりこの世界に君臨する正真正銘の魔の存在――それが“悪魔(あくま)”。
 魔霊(まれい)はいわば悪魔(あくま)の劣化版であり、悪魔を超える魔霊は後にも先にも誕生することはない。
 好物は例外なく『人間の命』であり、魔霊のように『寿命』や『記憶』といった替えがなく、悪魔自身も好まない。

 故に――仮に悪魔と“契約”でもしようものならば、命を捧げるより他はない。
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