セブルス・スネイプを救う話(第3章高学年編・開始)   作:桜井ぬい X→@Inui20230918

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2025/5/25 読みにくいところを大幅に修正・改訂
※暗さは変わっていません

しょっぱなから胸糞注意・鬱展開です。

※鬱展開をスキップしたい方は、このページの一番下(あとがき)まで移動してください。
簡単なあらすじをまとめておきます。


ホグワーツ入学前
オープニング(修正済み)


 

 

 

1964年 秋

 

 

 

 スピナーズ・エンドという土地がある。

 炭鉱の街として、数多くの鉱山労働者がひしめき合っている貧しい地域だ。

 

 かつて鉱山が(ひら)けたばかりの頃はそうではなかったという。

 たくさんの人が働きに集まり、賑やかで、売り物となる石炭にも困ることがない。だからもっと人が集まる。なにせ掘ったら掘っただけ売れるのだ。

 

 多くの人手が必要だったので、たくさんの家がせまい土地をうばいあうようにして建てられた。そうなると、工事に関係する者だって大勢やって来る。

 多くの人たちがいるのだから、宿や食堂だって繁盛した。

 

 そうした盛況に、戦争すらも上乗せされた。

 20年ほど前の大戦では、兵器をうごかすのに大量の石炭が必要だったのだ。燃料として。

 掘る鉱石には困らない上に、かならず買ってもらえる。自分たちの国のために戦う味方をたすけることでもある。

 それまでより更に労働者の数がふえた。

 

 だが、とれる鉱石にだって限りはある。

 いつの頃からか、その土地は働いても働いても稼げる場所ではなくなってしまった。

 この土地だけではない。多くの炭鉱と同じように、掘り出せる量が少なくなると職にあぶれた人が出はじめる。いつもの量を掘り出すのに、それまでよりも倍の時間をかけても足りなくなった。

 当然、石炭を売って手にはいる賃金も少なくなっていった。

 

 そうなる前によその地域へ出ていけた人は幸運だった。だが誰もがその幸運にありつけるわけではない。

 やがて、稼ぎが減ってもどこへも行けない貧乏人だけが残った。今でも景気がいいのは、どこかの会社の大きな工場だけだ。安い土地を買いしめて建てられたものなのだろう。

 

 どの家も色あせて、()ちて、粗末(そまつ)なほったて小屋のようなありさまになっていた。

 

 その一角でもさらにうらぶれた地区がある。

 工場の裏手に流れる川の前の一角だった。

 廃水でよどんだドブと交じり合った水のせいで、そこには冬でさえ異臭がただよっていた。

 

 

 

──『その子』はスピナーズ・エンドでもひどく落ちぶれた地区で生まれ、育った。

 

 

 

 

 

 

 太陽がすっかりと姿を隠してしまった時間帯のことだ。

 からから、と音を立てて、閑散とした通りを進んでいくおおきな影があった。

 人気(ひとけ)の絶えた空間ではやけに大きく響くその音は、『その子』が乗った2輪車(リヤカー)から発せられているものだった。

 

 見た目はただの木の板でできた荷車である。農場などでよく見る、四角い箱の両側に大きな鉄の車輪がついている型だ。おおきな牛乳缶や飼い葉などを運ぶのに、ロバなどに()かせるものだった。

 荷台に乗っているのは『その子』1人だけだ。木のへりに手をかけ、めったに見たことがない夜の風景をおそるおそるのぞき込んでいた。大人もいなければ荷物もない。

 

 もっと言えば、ロバもいなければそれを操る御者すらも座っていなかった。ぽっかり空いた空間しかないのに、荷車は自分で行く先を承知しているかのように進んでいた。

 

 もっともっとおかしいのは、誰もその奇妙な光景に反応をみせないことだった。

 

(……だれか、いるの?)

 

 すし詰めに立ち並んでいる建物からは灯が落とされ、通りは静まり切っていた。まるで灰色の壁がびっしりと続いているみたいだ。

『その子』は知らなかったが、その通りはかつて、夜勤労働者とそれをささえる食堂で賑やかだった。今では夜に働いてもかせげないので、まともな人はとっくに自宅に引っこんで明日の仕事にそなえているのだった。

 

 外に出ているのはまともから外れてしまった者ばかり。

 何名かの人影が暗がりの中でじっとしていて、通りがかるものがいないかを見張っているようだった。しゃべっているでもなく地面に座りこんでいて、いかにも怖いことを企んでいそうな人たちだ。

 すぐ近くで不快ににおう何かの液体が垂れているのも、すぐわきを荷車が通っているのも、まるで見えていないみたいだった。

 

 その子はしばらく通りを眺めていたが、同じように落ちぶれた家が延々とつづくばかりだった。面白いものは何もない。その変わり映えのしない光景にまぶたが重くなるのは時間の問題だった。なにせその子はへとへとだったからだ。

 

 

 

 その日は『その子』の5歳の誕生日だった。

 自宅から滅多に離れられたことのない『その子』は、父親に連れられて初めてのところに足を踏み入れたのだ。自宅が見えないような、はるか遠くだというくらいしかわからなかった。父親は『よこちょう』と言ったから、『よこちょう』という場所なのだろう。

 

『その子』はその時初めて、父親の小ぎれいな服装がいかに自宅付近に合っていないのかに気づいた。近所のお母さんがしないような、足首まであるスカートをはいた人がたくさんいる。男のひとはよく知らないが、男の子のかっこうも違っている気がする。

 そして父親の見た目は、その"よこちょう"にはぴったり合っているようだった。

 

 はじめは楽しかった。見た事のないカラフルな建物や、ガラス窓のはまった商店がきれいだったから。

 

 しかし、自分の好みでない服ひと(そろ)いに着替えさせられ、好きでもない甘ったるいお菓子を食べさせられ、そのうえ歩きづめだった。

 履いたことのない靴のせいで足の指先がじくじくと痛みはじめた。『その子』はそれでも無理に口に弧をえがいて見せた。

 痛いときに笑うのをやめると怒らせてしまうのだ。

 

 きっと自分がはしゃぎ過ぎたせい。

 だから、せっかくニコニコ笑っている父親を怒らせたくない。

 

 自分が怒らせるようなことをしなければ、この人だってきっと、こうやって楽しくしていたいはずだから。

 ずっと注意さえしていたら大丈夫なはず。自分が気をつけていれば、ずっとこうやって暮らせる。

 そう信じて、頑張っていた。

 

 陽が落ちてから突然飽きたのか、父親はつまらなそうな顔で『その子』を荷車に乗せて先に帰ってしまっていた。

 それが普通でないと気づいたのは、『その子』がもっと大きくなってからだった。5歳になったばかりでは無理な話だ。

 

 もしも大きくなった自分が父親の顔を見ていたら、ぎょっとしただろう。父親もまた張りつめた笑顔を浮かべていたのだと気づけたからだ。

 

 

 

「──わっ」

 

 2輪車(リヤカー)が不意にがくんと揺れて、『その子』はびくりと身体を震わせた。

 道が舗装されていないせいで落ちていた小石を、どうやら跳ねとばしたらしい。

 夏の日差しが絶えて肌ざむい時期だが、震えるのはそれだけが原因ではない。

 

──もしも服を汚してしまったら。

 

 ぞっとしたものが背中を走って、その子はあわてて荷車のなかに頭をひっこめた。

 

 自分の父親は"怒りんぼ"だった。彼が会いに来るたびに『その子』はいつも失敗をしてしまって、彼をひどくいら立たせてしまうのだ。

 少し前に家に来たときもそうだった。怒らせてどうなったかなんて、思い出したくない。

 今日はまだ怒らせずに済んでいたのに、失敗したら台無しになってしまう。

 

 やがて、きしむ音を立てて荷車が停まった。いつの間にか見慣れた風景に──スピナーズ・エンドに戻ってきていた。

 

 急がなくちゃ。

 もたもたしていたら、やっぱり怒らせてしまう。

 

 そう分かっているのに頭も手足も重くて動けない。

 あまりに疲れてしまって、荷車の(はし)にもたれかかっているのがやっとだった。

 

 立ち上がらなくちゃと何とか身を起こしたところで、自宅の扉が開くのが見えた。帰宅を気づいたのだろう母親が玄関先に立っていて、ややもして父親が出てきた。

 彼がなにがしか自分に声をかけてきたのかはわかった。聞き取れなかったが、それが荷車から降りることを指示したのも理解していた。

 

──ずっと気を付けていたのに。

 

 それでも動けなくて、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 すぐに降りないのもダメ。泣くのもダメ。

 ダメなことばかり。このままだと怒らせてしまう。

 

 父親は動けない『その子』に苛立たし気になにごとかを言った。言うだけで『その子』を抱き上げておろそうとはしなかった。

 母親だってこのままだと大変なことになるとわかったのだろう。玄関から外に出て、足早に駆け寄ってきた。

 

──その瞬間、空気が変わった。

 

 ぴりぴりとした不快感のようなものが辺りに満ちて、心臓の裏が冷たく痛む。

 

 母親は「外に出てはいけない」と厳命されていたからだ。それなのに外に出た。そのまま急いで抱き上げられたからか、『その子』はあまりの足の痛さに「痛い」と泣き声をあげてしまった。

 

─失敗した、と気づいた時にはもう遅かった。

 

 小声で母親が話しかけ、それに対し父親は小声ではあるが不機嫌がにじみ出る声色で返す。怒りを見せ文句をつけているのは父親だけで、母親は怯えたように声を震わせていた。

 これ以上怒らせないようにだろうか。母親は急いで自宅にもどり玄関のドアをきっちりと閉めたが、それは止まらなかった。

 

 何往復かくり返すと、とつぜん父親が大声で怒鳴った。『その子』はびくりと身をすくませたし、母親もそうだったのが自分を抱いた腕から伝わってきた。

 父親はすぐそばにあった、先月彼自身が持ってきたばかりの水差しで母親を殴りつけた。

 

 とっさのことにバランスをくずして転倒した母親ごと、『その子』も床にたたきつけられた。

 

(痛い……!)

 

 冷たくかたい木の床に、背中がしたたかに打ちつけられた。息もできなくなるくらいに。

 それでも痛みにうめく間もなく、ただ父親が次に何をするかをおののいて見つめているしかできない。

 『始まって』しまったからだ。

 

 父親が床にころがった水差しを拾いあげて、また床に力いっぱい投げつけた。『その子』のすぐとなりで砕け散る音とともに、まだ残っていた水が床にまき散らされた。

 

─あんなに気を付けていたのに。

 

 背中が恐怖で粟立っているのにその場から動けなかった。

 割れたガラス片が『その子』のもとへ勢いよく転がっても、手や足に刺さっているかも構わず、母親が制止するより先に父親は『その子』に拳をふるった。

 

 太ももや二の腕が芯まで痛めつけられ、踏みつけられる。その度に『その子』は悲鳴を抑えきれなかった。

 また拳だったか足先だったかが振りかぶられたのが見えて、何かを考える余裕もなかった。顔をかばうように両手をすくめ、震える奥歯を懸命に食いしばった。

 悲鳴をあげたのが気に食わなかったのかもしれない。

 

 ぼろぼろと熱い涙がこぼれ、唇から荒い息がもれるのを、どこか遠くから眺めているみたいだった。

 早く終わらせてくれるなら、きっと何でもする。

 

 亀のように手足をちぢめるしかない『その子』の肩が父親に何度も蹴られ、あるいは踏みつけられた。

 痛みで涙がにじむのに構うよりも、手足の芯まで打ちすえる痛みに耐えなくてはいけなかった。

 

 母親が身を起こして『その子』を庇おうと近づいてくる音がした。彼女は「やめて」と声を出したが、『その子』の前から乱暴に押しのけられたのがわかった。

 

 

 

 それからどれ程の時間が経ったかはわからない。ただ、先刻までより体に当たる力が弱くなった頃合いだった。

 唐突に伸びてきた腕が『その子』を横から引きたおし、そのままのど元をつかんで床に押しつけた。

 

 次に痛めつけられるのがどこなのかわからない。

 どこと決める間もなく、ただ怖くて顔を庇いたかった。

 

 それなのに『その子』の両手は払いのけられ、ギラギラと血走った目が『その子』の目を睨みつけていた。憤怒の表情のまま父親が凄んで言った。

 

「これはお前のせいだ」「怒らせたお前のせいだ」と。

 

 からだに穴が開くほど深く刺されたみたいだった。

 

『その子』が反応する(いとま)もないまま、頬を力いっぱい張られて『バチリ』と大きな音が響いた。

 

 どうすればこれ以上痛めつけられずに終わるんだろう。わからなかった。

 

 だから天井を見つめながら、震える手足も濡れた頬もそのままで動けなかった。そもそも、どこもかしこもぎしぎしと(きし)んでいて、動かすと痛みが走る。

 革靴の音が自分から遠ざかるのが判ってもそのまま動けなかった。何をすれば気に障らずに済むのか、何をしたらまた『始まって』しまうのか、そもそも終わったのか。考えられなかった。

 

 ただ、目線だけは次に起こることを追ってしまう。何もわからないまま痛みを与えられるより、何をされるかわかった方が楽だからだ。何かされるなら、先に知りたかった。

 

『その子』の母親は床に倒れたままだった。頭から血を流しているのは殴られたせいか、それとも飛び散ったガラスの破片で切れてしまったのかもしれない。

 視界のなかで、父親が足早に壁にかかった鉄のアイロンを取りに行ったのがわかった。見た目は電気コードのついていない船底型をした、ただの鉄のかたまりだった。

 

 自分のそばから〝痛いの〟が離れて行って息をついたのと同時に、冷たいものが喉もとからせり上がってきて、また涙がこぼれた。

 

 それは『合図』だった。

『その子』の順番が終わったという証だった。

 次に母親が痛めつけられると、それがわかっているのに自分はほっとしてしまったのだ。

 

 父親は母親の顔に向けてそれを振るった。床に倒れた彼女が何をする間もなくその髪を握りこみ、次いで何かののしって床を引きずってゆく。

 いつもの部屋だ。

 

 玄関から入ると右の奥にのびる廊下があり、その手前側のドアの向こうに、いつも母親は連れていかれた。

 彼女を部屋に押しこんだ父親は、自らもドアの向こうに入り、内側から鍵をかけた。

 

──そこでいつも何が起きているかは知りたくない。

 

『その子』はなにか声をあげることもできずに、ただうずくまった。

 母親がどうされるかなんて聞きとりたくない。両耳を力いっぱい塞ぎ、自分の震える息と嗚咽(おえつ)ごしに聴こえる音に、ただじっと身体を丸めているしかできなかった。

 

 

 

 

 

 




●鬱展開のまとめ
・父親(夫)から虐待を受ける母子がスピナーズ・エンドという貧困地区にいる
・父親は頭がおかしいところがある
・スネイプ家の話ではない


次は明るい話がきます。
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