セブルス・スネイプを救う話(第3章高学年編・開始)   作:桜井ぬい X→@Inui20230918

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この辺からセブルスの性格がちょっとずつ変わってきてます。
クラちゃんの謎の人脈が明かされる回。

2025/8/11 全体的に修正済み


クラリスのこと2(修正済み)

 

 

 

 

 

1か月とすこし後 1970年9月中旬

 

 温かなシャワーは、うっ血の多い手足にはあまりに染みる。

 今までは使えなかったから、これほど痛むなんてセブルスは知らなかった。

 

 かといって、その時に戻りたいとも思わない。

 ひとたび汚れの落ちた状態に慣れてしまうと、かゆさや(あぶら)っぽさに我慢がきかなくなってしまったのだ。以前は気にも留めなかったのに。

 

 手ぐしで生え際をかくようにして()()()()()ものを洗い落としてから、まだ長く伸びている髪にふくんだ湯をしぼった。

 

 セブルスは、それまでの汚らしい野良犬のような風情に比べると、少しだけ清潔というものを手に入れることができていた。

 

 もちろん自宅ではなく、クラリスの家でだ。

 マグルの生活の仕方では生きるのにやっとの地域であっても、魔法の設備があれば"それなり"には整えられるらしい。

 

 たとえばこの辺りには工業排水の流れるドブ川しかないが、このシャワーは無色透明できれいな水だ。おかしな匂いもしない。

 クラリスに言わせれば、"マグルの中流家庭(リリーの家よりは少し劣る)"くらいの生活を送ることはできるのだと言う。

 そんなこと、彼女の家の設備や持ち物をかりてから初めて知った。

 

 こんな風にクラリスの家に通うようになったのは、大ゲンカから間もなくだ。

 

「どうすれば父親に気づかれずに清潔になれるか」をセブルスはクラリスと話しあってみたのだ。

 

 あれこれ案を出しあって、「時間をおいて少しずつ変化させてみよう」と試してみることになった。

 少しずつ髪に(くし)をとおしてみる、あるいは見た目でわかりにくいよう湯で汚れを落とすなどだ。

 

 石けんやシャンプーは使ってしまうと匂いでわかってしまうので、ひとまずはあきらめた。なにか匂いがしないものが手に(はい)れば試してみるつもりだ。

 ちなみに、セブルスはシャワーの使い方すらもそうまで慣れておらず、試行錯誤する羽目になった。さすがに女の子にそこまで聞くのは恥ずかしい。

 

 何度目かのとき、父親の方で多少はセブルスの変化に気づいたのか、持ち物が増えていないかを検査だけはされた(ついでに脅されもした)。それでもセブルスが家のなかに何も持ち込んでいないことがわかると、すぐに興味を失ったようだった。

 

『いつもと違う』のに何もされない。持ち込むものがなければ。

 それまで何日間にいっぺんだったのが、連日になったのは当たり前だった。

 

 しかし、クラリスはいつも家にいるわけじゃない。「お手伝いがある日は来ないで」とすでに断られている(この時はあまりのショックでクラリスとまた言い合いになった)。

 

 ここ最近は、『クラリスの家を訪ねた日は、何をするより先にシャワーを貸してもらう』というのがルーティーンとなっていた。もちろん、その時に歯もみがく。

 その間、クラリスは応接の部屋で過ごしているらしい。そこを普段から自分がつかう部屋に決めているようで、食事を摂るとき以外はいつもそこにいた(食事をとるときは、キッチンの隣部屋にそなえつけられた円テーブルを使っていた)。

 

 シャワーから出たセブルスが"応接"の部屋にもどると その姿に気づいた彼女は満足そうに笑った。

 子ども用につくられた長袖のシャツを着た姿を見て。

「少し良くなったわね」

 

 この日、クラリスは「この間古着をただでくれるバザーをやってたのよ」と言ってきた。どこから情報を仕入れたのか、セブルスの分も確保してきたのだという。

 

「この辺りの子はみんなお下がりを狙ってるから、すっごく大変だったんだからね」

 そう言った彼女は、恩を着せようというよりも武勇伝をほこっているみたいだった。

 

 わざわざ新たに手に入れたということは、この家にすら子ども用の服が足りなかったのだろう。

 セブルスがよくよく思い返してみると、クラリスが着ているのはいつも同じ服だった。穴をつくろってきれいに洗濯とプレスがされた、スカートとシャツ。

 

 セブルスは手触りのいい、ふつうに清潔な(そで)を撫でてみた。

 自分用のきちんとした服が手に入ったのは、素直に嬉しい。すこし口角が上がって……、しかし自然と『へ』の字にしおれていってしまった。

 

「……服があってもうちに持って帰るわけにはいかないじゃないか。どうせ取り上げられるか壊される」

「うちに置いておくのは?」

 たしかに"うろこ"と同じようにクラリスに預けておけば安全ではある。

 

「でも、きみがいない日はどうする。家に入れてくれるっていうのか?」

「それは無理。うちに来れる日だけでも着替えればいいじゃない」

「どうしてダメなんだ」

「……ここはわたしの家だからよ」

 クラリスはいつもそう言って断る。

 

 きっと"おばあちゃん"のような大人にそうしろと言われているのだろう。だからセブルスもそれ以上は追いかけない。無理やりにクラリスの家を奪いとるような真似をしたら、きっとその人に追い出されてしまうからだ。

 

「リリーの家に遊びに行くときだって、朝うちに寄って、シャワーとか着替えをしてから行ったらちょうどいいわ」

 クラリスはそう結論づけてから、考え込むように「うーん」とうなった。

 

「やっぱり(ズボン)もいるわよね。『それ』じゃあ、これから冬なのに寒すぎるでしょ」

 セブルスがいつも──この日も()いていたのは、あまりに短いジーンズだった。秋が深まってきたが暖炉を使うほどでもない、ちょうどこの辺りの時期では冷たい風が当たってつらいのだ。

 

 とりあえずは、と言ってクラリスは大判(おおばん)のブランケットを持ってきた。

「いまはまだ厚すぎるけど、冬の間ならスカートみたく巻いて履けるの。結構あったかいのよ」

 スカートみたいなものを履くのは嫌だ。きちんとした子供用のズボンが欲しい。でも、いったいどこで手に入れられるんだろう?

 

 クラリスは「ちょっと見せて」と、セブルスが着たシャツの袖の長さを確かめはじめた。ただ着ているだけだと、指先がほとんど出ない。

「ちょっと短くした方がいいわよね」

 

 そこまで気になるような長さじゃない。セブルスにしてみれば、どんなものでもいつもよりはマシだった。いつも着ているものが大人用の"スモック"のような形で、(そで)(すそ)も、なんなら胴体部分だって余って仕方がないくらいなのだ。

 

 でもクラリスが『手を加えるべき』と判断したなら、きっとそうなのだろう。彼女の方が『まとも』なマグル式生活をおくっているのだから。しかも、ひとりで。

 (のこ)を引くなど、やけに子どもらしくないことをできるとはセブルスも思っていた。それは親がいないせいだったのだ。

 

「みじかく詰めるわよ。でもそんなにしっかりしなくていいわ、どうせすぐにほどくんだから」

 クラリスは手のこんだことはできなくても、かんたんな裁縫くらいなら自分でやっているのだと言った。「あなたのなんだから、自分でもやりなさいよ」と最後につけ加えて。

 

 (そで)の折り方の説明を受けてみたら、思ったほど難しそうな作業ではなかった。宣告された通り彼女はセブルスにやらせたし、セブルスはお手本どおりにやり遂げることができた。

 よく観察すれば折りこみ方も雑だし、外から糸が丸見えだ。目も詰まっていないが、同じような色の糸だから誤魔化すことができていた。

 べつに綿密にやる必要はない。あと1年もすれば、全寮制で制服のある魔法魔術学校に入れるのだから。

 

(……思っていたのとすこし違う)

 セブルスがリリーやクラリスと知り合う前、リリーの姉を含めた3人を遊び場で見かけていたときのことだ。てっきり『自分とは違い、リリーとクラリスにはまともでいい家族がいる』と考えていた。

 

 友だちになった後も、クラリスはたまに暮らしの知恵袋を披露するくらいだった。ただの一度も『自分でそうやっている』だなんて話したことはない。セブルスにはもちろん、もっと仲が良いはずのリリーにもだ。

 

 彼女()「一番大好きな友達であるリリーにだって『全ては話せない』」と考えていたのだろう。セブルスだってそうだ。リリーに家族の話をあまりしたくなかった。まともで"いい両親"がいる子には(リリーの姉は"いい“家族ではないが)。

 

 セブルスが(そで)をみじかくしたシャツを改めて身につけると、クラリスが廊下のむこうへ手招きをした。

「こっちに来て」

 

 ついていった先は別のバスルームだった。ちょうど『大穴があいた部屋』の隣にあたる。

 

 その壁には巨大な鏡が立てかけられていた。つるりとした光沢をしていて、貧困の地区(スピナーズ・エンド)ではまず持っている家はないくらいに大きい。金属のフレームに(はま)っているそれは、まるで何人かで囲む食事テーブルみたいなサイズだった。

 

 クラリスの隣に立ったセブルスは、まるで近所でよく見かける同年代の子のような見た目になっていた。背はクラリスより小さく、やせていて顔色も土気色であったが、彼女がたまに"世話"している子どもの一人とそん色がない。髪だけはあまりに長すぎるが、それだって以前ほどには不潔な感じはなかった。

 

 言われた通り、短すぎるズボンさえどうにかなれば寒さをしのげそうだ。シャツの上にはいつも着たきりになっている大人用のジャケットを羽織ればいい。

 きっと、今度リリーの家に行ったときは、彼女の姉に見た目がどうこうと言われなくなるだろう。

 

 どうせだったら、リリーと初めて話すよりも前にこうなっていたかった。そうすればリリーに自分のみっともない身なりを見せずに済んだのに。

(もっとはやく、クラリスを知り合っていたら……)

 

 もちろん、たとえ時を戻してもそれが叶わないのはセブルスもわかっていた。クラリスが言っていたからだ。『セブルスは近所でも噂になっていて、クラリスは近所の人に<あの子(セブルス)には近寄るな>と言われていた』のだと。

 

 もしかしたら、セブルスが魔法族の血を引いているのも言われていたのかもしれない。最初の大冒険で、クラリスはセブルスの前では気にせず杖を使っていたからだ。リリーからは徹底的にかくそうとしたくせに。

 以前会った"スクイブのおばあちゃん"ならば、知っていてクラリスに伝えたかもしれない。

 

 だまって鏡に見入っているセブルスに何を思ったか、クラリスは笑った。

「お昼ごはんにしよう。この間、パンを分けてもらったの。リリーのパパが焼いたんだって」

 

 いつも、何をどう食べるかはクラリスが決め、面倒な作業がある場合はセブルスにも手伝わせた。今日のメニューは、ハムとレタスとトマトをはさんだだけのサンドイッチだ。

 

 2人は少し早めの昼食を平らげてから、いつもと同じく、おのおのの興味が向いたものに取りかかることにした。

 クラリスはどこからか拾ってきたらしきギターをひざにのせていた。板を張り合わせた部分がずれて、そこからむしれたような穴が開いてしまっている。放置されて長い()()()()なのかもしれない。

 

 彼女が右手で弦をひと撫でしても大して響かなかったが、弦だけはきちんとした音階に調節されているそうだ。

 それでクラリスは演奏の練習をすることにしたらしい。”おばあちゃん“に頼まなくてもいいように。

 

 ただ、彼女が楽器をうまくあやつるには問題があった。

 大人用の大きなサイズなので、彼女の小さな手では、ギターのコードひとつを押さえるのにも四苦八苦する羽目になったのだ。同時に4箇所べつべつで押さえなくてはいけないのに、手のひらをいっぱいに広げても届かない。

 

「『レデュシオ(縮め)』を使えれば届くのに……!」

「使えばいいじゃないか」

 それでもクラリスは固辞(こじ)した。理由は法律違反だからではなく、「家が壊れたら直せないから」。いつもと同じ理由だ。

 

 本来、大人の魔法使いが不在なのに子どもだけで魔法を使うと罰されるものだが、どうやら彼女の家のなかでは魔法を使っても問題ないらしい。世話をしてくれる"スクイブのおばあちゃん"の存在と、自宅の持ち主である彼女の父親が存命だからのようだ。牢獄につながれているのに、家の持ち主がクラリスに代わるわけではないらしい。

 

 それでもクラリスはかたくなに魔法を使わない。きっと大人にそうするよう言い含められているから。彼女は臆病(おくびょう)で慎重だから、逆らえないのだろう。

 

 彼らはあずかり知らないことだが、魔法省としても貧困地区での未成年者の取りしまりなど重要視していないのだった。なにせ、元から治安が悪く強盗も殺人もしょっちゅう起こる地域である。ナイフを使おうが魔法を使おうが、死ぬときは死ぬ。だから役人にとって重要なのは、魔法についてをマグル界に漏洩(ろうえい)しないことの方だった。

 

 一方で、セブルスはいつもみたいに長椅子を占領し、ほとんど寝そべりながら魔法書を読みあさっていた。髪の毛はそのままだと邪魔なので(くく)っている。

 セブルスの手にある魔法書は"応接"に()えられている本棚に入っていたものだ。彼女の父親の蔵書なのだというそれは、魔法生物に関する資料が多かった。

 

「きみのお父さんはニュート・スキャマンダーのファンなのか?名前が入っている本がずいぶん詰まってる」

「パパは魔法生物好きの変人よ。スキャマンダーさんには遠く及ばないわ。本棚には観察日誌のような本も入ってるんだけど、彼は魔法生物を大切に育てたり、保護して自然に返したり、たくさんこなしていたの。

 うちのパパはそんなのじゃない」

 

「変人って。ソイツ(お前の父親)はどんなことをやったんだ?」

「ン……」

 クラリスは言いにくそうに口ごもった。

 彼女はあまり両親のことを自分から話さない。遠く離れてすでに5年ほども経っているからだろうか。5歳で母親が死に、父親が行方知れずとなった彼女にとって、すでに人生の半分を両親不在で過ごしてきた勘定になる。

 

 クラリスは「いろいろあるんだけど」と前置きをしてから言った。

「たとえば……、本当の家はたぶん別にあって、ここが隠れ家だったとか……。たぶん、なんだけどね。

 この家にはパパのものはほとんどないの。仕事に使いそうなものも、靴も服も。かばんもそう。

 大人が調べても、ふだんどこで何をやっているか全然わからなかったんだって。苗字だって何ていうのか聞いたこと、ないし」

 

 つまりそいつの本来の家はこの地区にはないのだろう。わざわざここを選んだのだ。

「どうしてスピナーズ・エンドに……。根城(アジト)にするのにちょうどいいから、とかか?」

「そうかも。この辺りだったらそんなに取り締まりもないだろうから、隠れているにはちょうど良さそう。

 たぶん死喰いびと(デスイーター)になったのだって、魔法生物を捕まえたり傷つけたりとか……、どんな風に扱っても許されるからだろうし」

「……魔法使いなのに?」

「魔法使いにも魔女にも、犯罪者や頭のおかしな人はいっぱいいるんじゃないの?うちのパパが魔法界一のおかしな人じゃない限りは」

 

 それまでのセブルスにとって"魔法"とは希望そのものだった。それを使える魔法族だってすばらしい人格者ばかりだと思っていた。魔法界に入れさえすればきっと何もかもうまくいくのだと。

 

 そうじゃなかった。

 リリーやクラリスは優しかったが、それは『彼女らが優しい子だから』であって『魔法族だから』じゃない。

 

 それでも今のセブルスはあまり動揺しなかった。クラリスとの大ゲンカの日に、それらの幻想はとっくに粉々に打ち砕かれていたからだ。

 犯罪者がつながれる牢獄(アズカバン)というのがあるのだから、全員がいい人なわけないじゃないか。

 

「そういえば死喰いびと(デスイーター)とか言ってたか?このあいだも。何なんだそれ」

「私も詳しくは知らないわ。でも犯罪者の集まりだって聞いた」

 

 リリーもふくめてマグル育ちの3人は何も知らなかった。

 いまや魔法族で死喰い人(デスイーター)を知らない人の方が少ないくらいなのに。なにせこの年、戦争がはじまったのだ。

 3人は知ることができなかった。

 闇の帝王が死喰い人(デスイーター)を引き連れ、ダンブルドア率いる"不死鳥の騎士団"と戦い始めたことも。その戦争がこの先10年ほども続き、ホグワーツ魔法魔術学校にいる3人へ深く影響をおよぼし続けることも。

 

「──ゴブストーンでもするか?」

「パス。それより、どういう歌を練習した方がいいと思う?」

 クラリスはあまり対戦ゲームに乗ってこない。たまにやってみても、勝負がつくとさっさと逃げ出すことも多かった。

 

(……つまらないな)

 勝って悔しがらせたいのに。

 魔法魔術学校には生徒がたくさん集まるというのだから、その時には対戦相手が見つかるだろうか。

 

 うらびれたスピナーズ・エンドにあっても、彼らの周りは平穏のままだった。

 

 

 

 

 

 不意にクラリスがギターから顔を上げたのは、午後の時間帯だった。

 

 何か物音を聞きつけたらしい。つられて顔を上げたセブルスも窓の外をうかがってみると、ちょうど人かげが玄関ポーチに入ってきたところだった。

 リリーやセブルスでは気づけないような小さな音でも、彼女の魔法生物としての耳はとらえることができるのだという。特におかしな特徴もなく、普通の子どもの耳と同じ形をしているのに。

 出会ったときに、クラリスがセブルスに気づいていたのもそのためだと言っていた。

 

(髪と目が夜空色だって以外は、ふつうの女の子に見えるのに)

 

 ついでに言えば、リリーに及ばないまでも、彼女はかわいい顔をしていた。彼女の父親に似たのだろうか。それとも変人だったという彼女の父親でも、女性の好みはそれなりに真っ当だったのか。

 

 やってきたのは毎日のように様子を見に来る、"スクイブのおばあちゃん"であった。大き目のバスケットを腕に下げていたから、その中身をクラリスに届けに来たのだろう。

 クラリスが応対に出ているあいだ、セブルスは音を立てないようにして、彼らが何を話しているかをうかがう。これも毎日のように繰り返しているルーティーンとなっていた。

 

 セブルスからは見えなかったが、クラリスは「ありがとうございます」とお礼を言った。

「こっちは、お返しする分です」

 そういえば玄関先に似たような空のバスケットが用意されていた。同じように前回持ってきてもらったものなのだろう。

 おばあちゃんは「ええ、預かるわね」と答えた。

 

「あら……。もうみんな食べちゃったの?ううん……」

 おばあちゃんは少し考えてから、クラリスに「もうちょっと近くにいらっしゃい」と言った。

 

「もしかしてお洋服はあげちゃったの?あれはクラリスちゃんが自分で着るためにもらってきたものでしょ。1人1着しかもらえないって決まってたんだから」

 悪いことをした相手に、懇々(こんこん)と説明しているみたいだった。

 おばあちゃんは耳が遠い人なのか、彼女なりに小声にはしていたみたいだが、それでも子どもにはじゅうぶん聞き取れるボリュームだった。

 

「あー……。あの、あげた……というか貸したんです」

「それで、クラリスちゃんは永遠に貸したままでいるつもりなの?それを『あげた』って言うの。

 ほんとうに仕方ない子ねえ。

 ──ほら、クラリスちゃん用の冬靴よ。そろそろ小さくなってきたでしょう?」

「ありがとうございます」

 おばあちゃんは明らかに、クラリスがシャツを手に入れたのと同じところを利用している。きっとこの人がクラリスに『そういう催しがある』と教えたのだろう。

 

「パンも野菜もみんな食べさせてあげちゃって……。

 おなか減ってるでしょう?かわいそうに。あれはクラリスちゃんに必要な分なのよ。2人分は無いの」

「だって、助けてあげないと……」

「──クラリスちゃん」

 クラリスが追加で言いさしたのを(さえぎ)るようにして、おばあちゃんが真剣な声で呼びかけた。

 

「自分のものをあげてしまうのは良くないことなの。クラリスちゃんはものを沢山持っているわけじゃないでしょう。ひとを助けられるのはクラリスちゃんのいいところだけど、自分を苦しめてまで助けては駄目。自分のものは自分で手に入れるべきなのよ、みんな」

 おばあちゃんはゆっくりと諭すようにクラリスに言った。

 

「今度のバザーから、あの子も一緒に行かせなさい。そうしたらクラリスちゃんの分とあの子の分、両方が手に入れられるのよ。

 この間のものが余っていたら、もう一人分くらい分けてあげられたんだけどね」

 

 クラリスは困惑したような声音で答えた。

「でも……知り合いに遭ったら。あそこはこの辺りに住んでる人が沢山いるし、マグルばっかりなのに」

「それはあの子がどうにかすることなのよ。クラリスちゃんが全部やってあげてはいけないの。そんな風にしていたらクラリスちゃんだって暮らしていけなくなってしまうでしょう」

 おばあちゃんの声は穏やかな調子だったが、「そうしなさい」とぴしゃりと言い切った。有無を言わせないようにしているみたいだった。

 

 最後に、おばあちゃんは『今度の日曜日は2人でいらっしゃい』と言いのこして帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 日曜日、2人が"おばあちゃん"に連れて来られたのは、大きな三角屋根の建物の前だった。

 

 学校よりは小さそうだが、体育館くらいはありそうだ。セブルスはどちらも入ったことはないが。

 建物にはひときわ細長く出っ張っている塔がくっついていて、上の方に鐘がつるされていた。てっぺんには十字架がちょこんと乗っかっている。

 

 場所としてはドブ川のあちら側、つまりリリーの家のある地区の方にあたる。

 

 敷地は黒い金属の柵でぐるっと囲まれていて、出入りができるのは観音開きの(真ん中から両側にひらく)柵だけのようだった。

 けっこう厳重に見える。スピナーズ・エンドじゃないが犯罪者が多いところなのだろうか。

 

 そこは、いわゆる"教会"と呼ばれる建物であった。

 

 壁にはやたらと目立つ色で落書きなどされてはいるものの、割れたり壊れたりしていたらしき部分は修理されているし、ごみも落ちていない。

 セブルスはいつもの調子でいろいろ解説するクラリスの話を聞いていた。

 

「わたしは信者ってことでもないんだけど、こういうところなら炊き出しとか、いろいろ助けてくれることがあるの。わたしがもっと小さいときに、リリーのご両親や"おばあちゃん"に連れてきてもらって……、色々なひとを紹介してもらった。日曜日に礼拝に来るのは、きちんとした人が多いからって。

──ああ、リリーの家は"おばあちゃん"の家の近所にあるのよ。そうやってリリーのご両親と知り合ったの。話してなかったかも」

 

 リリーの両親はマグルでも『きちんとした』人だったため、クラリスも地域に根づいた『まともな教会』というものに縁があった、ということだろう(クラリスは幸運だった。こういう場合、弱みにつけこむカルトへ連れていかれることも少なくはない)。

 

「"教会"って、なんだ?」

 父親が『きちんとしていない』マグルだったセブルスは首をひねった。母親からだって聞いたこともないし。

 

 後から理解したことだが、魔法族と教会にはあまり縁がないのだ。魔法族は、魔法でマグルが言うところの"奇跡"を起こせてしまう。騙して利用しようとする魔法族だっているだろう。そのため、厳しく見張られているのだ。

 

 クラリスは詳しい説明はとばす事にしたらしい。すぐに建物のなかを指さした。開きっぱなしになっている、分厚くて重そうな大きな扉の向こうだ。

「とにかく中に入りましょう。そろそろ礼拝が終わる時間なのよ。ホールで軽くつまむものが用意されているの。

──食べられるだけ食べて帰るわよ」

 

 

 

 この日、つまり安息日はみんなが休む日だ。

 もちろん例外の人だっている。休みの人相手の商売人は働いているし、命に関わる人をたすける仕事の場合もそうだ。

 

 セブルスの父親は、残念なことに例外じゃなかった。

 顔を見る時間なんて短ければ短いほどいい。どうせセブルスが外に出ていく分には引き留められたりしないのだ。だったら好きにするに決まっている。朝がはやい方がほかのマグルにも会わずに済むのもある。

 だから、朝食(らしきもの)もとらずにクラリスの家に駆けこむことにした。出迎えた時の彼女は、あんまり朝の早いことに引きつった顔をしていたが、断られはしなかった。

 

 身支度をととのえた後、クラリスは『今日行くのは大人のマグルがたくさんいる場所』とあらためて説明した。

 

「そんな場所に行けっていうのか?"ただのマグル"なんかのいるところに?」

 父親のようなのがウロウロしているならお断りだ。せっかく逃れられた巣に引き戻されるようなものじゃないか。

 まれにリリーの両親のようなのもいるが、ほとんど見たことなんてない。

 

 当然ながらセブルスは何度も反対意見をあげた。

 だが、クラリスは聞き入れない。セブルスが抗弁するたびに、ひたすら却下し続けたのだ。

 

「あのね、悪いけどセブルスよりあの人たちの方が『上』よ。じゃああなた、あの人たちみたくお金もってる?工場やクリーニング屋さんで働けるの?わたしやリリーみたいな魔女でもできないのよ」

 だとか、

「わたしは今の話をしてるの。いくら魔法が使えたって、子どもだけじゃ何もできないのよ。わたしはいつも助けてもらってるの。あなたも助かりたいのなら我慢しなさいよ」

 だとか、

「そのマグル『なんか』がいなかったら、わたしは生きていけないのよ……!魔法族の『くせに』そんなこともわからないの?」

 このままではまた言い争いになりそうなくらい、険悪なにらみ合いとなった。

 

 クラリスがここまで(かたく)ななのは、おばあちゃんにそう言われているからだろう。『大人にそう命じられたのならその通りにしなくてはいけない』というのが、彼女に染みついた価値観なのだ。

 

 だからってセブルスも譲れない。

『マグルはあんなやつらばっかりだ』というのがセブルスに染みついた価値観なのだから。

 

 結局、その膠着(こうちゃく)を無理やり断ちきったのはクラリスの冷たい声だった。

「あなたが行かなくても、わたしは行くわよ。いつも行ってるんだから。

 文句があるなら自分ちにでもいたら?」

 

 それは、今のセブルスにとって急所の一つとなっていた。

 クラリスは『大人たちに見捨てられたら生きていけない』と言っていたが、セブルスにだって似たようなものだ。『クラリスに見捨てられたら、まともに生きていけない』のだ。

 一度得たはずの場所を失うのは、もはや恐怖でしかない。

 

 つまり、『逆らう』という選択肢は存在していなかった。

 

 

 

 軽食を用意しているというホールは、礼拝の会場とは別なのだという。

 一緒だった"スクイブのおばあちゃん"は、慣れたようにクラリスに手を振って別れた。ホールの隅で待っているらしい。

 

 増えてきた人ごみに紛れるようにして、2人もホールに入った。

 

 広さ自体はテニスコート3~4面分はあるだろうか。

 どうやら即席で設けられたものらしい。簡素なテーブルやいすがならんでいて、そのどれもが折りたたみや積み重ねができる形をしている。なんなら、奥の方から不足分を引っ張り出している大人もいるようだった(大人ならば古びた貸し会議室を連想するかもしれない)。

 

 そして、テーブルの周りには様々な人たちがいすに座って談笑していた。小さな子から老人くらいまで、性別も人種もばらばらだ。めいめいが飲み物と、お菓子やクラッカーのようなものをつまんでいる。

 貧乏らしい人もいるようだったが、喧嘩や言い争いなんかは見かけなかった。

 

(これが全部、マグル?)

 確か魔法族よりもマグルの方が圧倒的に多いのだと聞いたことがある。一斉に牙をむかれたら勝てないかもしれない。

 そんな中をかき分けて進むなんて嫌だ。

 

「──あ、おばさま。こんにちは」

 しかし、クラリスはその集団で一人ずつ声をかけていくのだ。

 結局、ほとんどクラリスに連れまわされるようにして、セブルスは色々な大人に紹介される格好となった。

 

「あらクラリスちゃん。このあいだはどうもありがとうね。その子は?」

「弟よ」

 クラリスはその設定を使い続けるつもりのようだった。

「クラリスちゃんの家にきょうだいはいないでしょ?」

「──じゃあ、弟分よ」

 クラリスはこともなげに返事を変えた。嘘をついたと認めたようなものだが、大丈夫なのだろうか?

 

 おばさんは「仕方ない子ね」とあきれたようにしてから、"弟分"に目を向けてきた。

 その目は穏やかで、汚らしいものを見つけたような気配はない。ただ、セブルスの短すぎるジーンズに目を留めて、気の毒そうな顔をしていた。

 少しは清潔になったからだろうか。それともこの辺にいる人はみなそうなのだろうか。

 

 おばさん自身の着ているものもくたびれていて、今のセブルスとも大差なさそうだ。(ひざ)(ひじ)だけに布が貼ってある。

 

 そんなことを考えているセブルスをよそに、クラリスは"交渉"を開始した。

「これから寒くなるから、子ども用のズボンを探しているの。なにかお持ちじゃないですか、たとえば……クリーニング済みなのに引き取りに来ないとか、大きなしみがついていて処分の予定ですとか。

 染め物ならわたしの方で魔……、あのー、『どうにか』できるから。得意なんです」

「サイズはいくつ……、いえ、"弟"の分なの?」「はい」

 

 その女性はクリーニング店のひとなのだという。

「あなたの分は?」

「もらえ……、いただけるのなら何枚でも」

「そうねえ。

 明日の午後は大口のお客さんが入るのよ。クラリスちゃんが午後いっぱいプレス(アイロン)を手伝ってくれるなら、2人分の昼食と着るものを融通してあげるわ。いかが?」

「ええ。それならぜひお願いします」

 

 このような調子で、彼女はつぎつぎと知り合いらしき大人に声をかけては、バンバンと"契約"をとっていった(さながら戸別に家をめぐるルート営業である)。

 報酬として手に入れることになったのは、期限が切れてしまったパンの余り、昼食をおごってもらう権利、果物のおすそ分け、パンの耳など、食べ物に関するものが多い。

 

 とはいえ、クラリスだってまだ子どもなのだ。差し出せるものは"子どものお手伝い"に過ぎない。大人たちは彼女に頼りたいわけではなく、可哀想におもって助けようとしているみたいだった。

 

("お手伝い"って、そういう……)

 こういうことをしているから、クラリスは家にいないことが多いのだ。

 

 そんな風に会場内をめぐっていると、進路の先にテーブルをかこんでいる一団があった。おじさんたちが煙草(たばこ)をふかしながら、レースの結果かなにかで盛り上がっている。

 

 前を進んでいたクラリスは、身体をこわばらせて立ち止まった。

 大きな生き物に睨まれたときみたいだ。きっと大人の男も苦手なのだろう。

 

 生き物はともかく、人間に対してはセブルスも似たようなものである。怖いというよりは、自分たちのこれまで受けた痛みを思い出してしまうからだ。

 セブルスが「もどるぞ」と回れ右させて、それでようやく動けるようになったのだった。

 

 

 

"営業"がひと段落すると、2人は空いているいすに腰を落ちつけた。

 貸出に積まれていたコップに水を注ぎ、もらえるクラッカーやクッキーなどを確保してからだ。みんなに提供されるものだから、ひとり占めするほど沢山とってもいけないらしい。

 

 いろいろなものを口に運びながら、クラリスは仕事を整理したメモをセブルスに見せた。食べながら打ち合わせをするのである。

 今日ひきうけた仕事(お手伝い)の種類はかなりばらばらだった。ページが黒く埋まっているのがわかるくらいだ。

 庭の掃除や子どもの世話、近所の集まりの会場準備や後かたづけ。さらには店番まである。

 

 午後に出ることが多いみたいなので、セブルスが朝にシャワーを借りられるのには変わりがないだろう。

 

 クラリスは「この辺りが『2人で来ていい』と言われた日よ」と説明しはじめた。

「あなたのものを手に入れるんだから、もちろんあなたも来なさいよ。ひとに働かせて自分だけ得するなんてダメだから」

「そんな卑怯(父親みたい)なこと、しない。でもそんな連中のところに行って平気なのか?」

「今までとって食われたことはないわよ。あの"魚"を釣るよりはよっぽど簡単」

 クラリスがそう言うのなら信用はするが、同じあつかいを受けられるかはわからないじゃないか。

 

 一応メモを眺めるだけ眺めてはみたものの、さすがに1週間分のスケジュールを2人分暗記するのはむずかしい。初めて紹介された人ばかりなのだから、どれが誰だったかなんて覚えていないのだし。

「……とりあえず、明日はきみの家に行けばいいわけだ。でもその後が……」

 

 毎日クラリスの家に通って『次は何日後にどこ』と覚えなおすことはできる。でもセブルスだって、クラリスが出来る事くらいは自分でやりたい。

 しかし、覚えておくためにメモを持って帰るわけにもいかないのだ。自宅では持ち物のチェックが異常なほど厳しいし、持ち込んだと知れたら大ごとになる。

 

「何か持ってないのか?自分にだけしか見えないメモ帳とか」

「そんないいものがあったら、もっと大事なことを書くわ。毎週のスケジュールには使わないでしょ。

 なにか覚えやすくする方法があればいいじゃない?」

「それは……。たとえば日曜日に家にいたくないとか、そういう?

 つまり──曜日だ。曜日だけ覚えておければいい。明日の"手伝い"のときに次の週のことをきくとか」

「いいかも。さきに予定が埋まっちゃえば、あなたがここに来なくても大丈夫よね」

 

 それは、『セブルスでは仕事を引き受けられない』と言われたようなものだ。

 がり、と口の中のものが音をたてて砕ける。

「足手まといみたいに言うな」

 

 クラリスは「ええ……?」と困惑した声を出した。

「来なくて済むならそれでいいんじゃないの?あれだけ嫌だって言ってたのに(彼女はひと口、水を飲んだ)。

──ああ、もちろんあなたの『超天才的』な交渉術を発揮する機会は、これからいくらでもあるものね?」

 クラリスは『ふふん』と余裕の笑みを浮かべていた。

 

 やけにお姉さんぶっている。

 セブルスは黙ってその肩に軽くこぶしを当てた。

 

 ホールを出る前に2人が"おばあちゃん"に声をかけると、彼女はにこにこ笑っていた。

「司祭さんも"お手伝い"があるみたいなのよ。"弟"くんも試しにやってみてちょうだい」

 

 

 

 

 

 

「──きみの"手伝い"ってこんなに沢山やらなくちゃいけないのか?」

 セブルスは、となりのクラリスに小声で話しかけた。

 

 彼女は器用に野菜の皮を()いてはいたが、その動きはどこかゆっくりだ。

「石けんをもらうためなんだから、仕方ないわ。手作りなら、においがしないものもあるんですって」

 

 作り方くらいなら図書館で本を借りて調べられる。だから彼女は最初、「材料が欲しい」と持ち掛けていたのだが、子どもには危ないと断られたのである。

 

 2人は教会内のキッチンに立って食材の準備を手伝っていた。司祭の話では、ちかぢか開催される炊き出しで使う分を冷凍保存しておくのだという。

 修道女やボランティアら大人たちが、時折クラリスに「こういう風に切って」だとかの指示を与えていた。セブルスも手先は器用だったので、クラリスが依頼された"手伝い"を手伝うことは労なくできた。クラリスの家で包丁をさわるのに慣れていたからだ。

 

 クラリスが「ふう」とため息をついて、ボウルに人参を放りこんだのが見えた。

「そんなにへとへとになってまでやる事なのか?」

 

 すでに時刻は15時くらいをまわっていた。ここに至るまで、たくさんの頼まれごとをこなしてきたのだ。

 トイレなどの掃除から電球の交換まで、様々なことを頼まれた(はし)から済ませてきた。それなのにもらえるのが石けんだけなんて。

 お金や見返りをもらったことのないセブルスでさえも、さすがに作業量とつり合っていない気がする。

 

「やってって言われてなくちゃいけないのよ。……大丈夫、あと1年もないんだから。入学まで。

 もしも何も頼まれなくなったら、それって何ももらえなくなるってことじゃない。だから『できない』なんて断れないの。

『できないならもういいよ』って言われちゃったら。そうやって大人に見捨てられちゃったら……、わたし……」

 クラリスは陰のさした眼差しをしている。

 

──何か気に(さわ)ったことをしたら見捨てられるかもしれない。見捨てられたら生きていけない。

 彼女が大人の言うことに従うのは、そういう根っこの考え方からなのだろう。

 

 つまり、見捨てられたくないくらいには、クラリスはここの大人たちに助けられている。

 

「ここの人たちは、ほんとうにマグルなのか?こんなに"まとも"なのに?」

 セブルスのなかでは、マグルはその(ほとん)どがろくでもない人間ばかりだったのだ。ずっと。"優しくてしっかりとした大人のマグル"がこんなに沢山いたなんて信じたくない。

 

 出会ってさえいれば、セブルスだって助けてもらえていたかもしれない、だなんて。

 

 クラリスは、ふふふと笑みをこぼした。

「みんなが魔法族だったらわたしも包丁を使わずに済んだし、今ごろ決闘チャンピョンになってるわね。杖の呪文の練習がたっぷりできて……」

 やはり、いつもほど軽口に張りがない。

 

 セブルスは流し台のなかに手をのばした。そのままクラリスの近くに置かれていたかごを手元に引きよせる。そこには雑多な根菜がまとめて入っていた。

「……え、なに?」

「残りはぼくがやる」

 

 報酬(石けん)はセブルスにも分け与えられるものだ。もしくは、セブルスのために引き受けただけで彼女自身には必要がない、なんて事もありうる。シャワー室には、シャンプーも『においがする石けん』も置いてあったのだ。

 

 友だちにそこまでさせるのが正しいのか間違っているのか、みんなどうやっているのかなんて知らない。

 でも、少なくともリリーなら『クラリスにばっかりやらせるなんて』と怒り出しそうだ。

 

 クラリスが『自分がいなくて大丈夫?』と言いたげな目をしたので、セブルスは続けた。

「お前と同じようにやればいいんだろう。いいから、さっさと行け」

 セブルスだって何もできない子どもじゃない。むしろ、ナイフの扱いならクラリスよりも得意な気がする。

 

「──その代わり、ぼくを"弟分"なんて言わせないからな」

 下と思われるのはごめんだ。

 

 クラリスは飲みこむまで時間がかかったらしい。

 何度かぱちぱちと瞬いてから、息を吐いた。それから、肩の力が抜けたように「そうね。だったら任せるわ」とうなずく。

 

「大口たたいて失敗してたらリリーに告げ口してやるわ。出合いがしらに吹き出されたくなかったら、しっかりやってよね。休んでくるから」

 にやりと笑ってから、クラリスはそのままキッチンを出て行った。多少はいつもの調子を取りもどしたようだ。

 

 ひとりになったセブルスがそのまま皮むきを続けていると、ややもして、おばさんの一人が様子を見にやってきた。

 先ほどクラリスに指示をしていた人だ。

 

「クラリスちゃんは、どうしたの?」

「……ええと、休んでいるところです」

 ひとまずクラリスのしゃべり方を真似して答えてみた。彼女とちがうことをしたら突然おこりだすかもしれない。

 

 そう簡単に信用なんてできない。マグルなんてずっと嫌いで憎んできたのだ。何年ぶん積み重なっていることか。

 もしかしたら間違っていたのかもしれない。これほど"まとも"なのだから。

 そう思い至ったとしても、一朝一夕(いっちょういっせき)で変えることなんてできなかった。

 

(この大人は大丈夫なのか?)

 リリーの親みたいな人ならいい。

 クラリスの方が"手伝い"の先輩だが、セブルスは彼女ほどはマグルという生き物に信用をおけなかった。

 

「そう。そろそろ2人ともお手伝いは終わりにして、帰っても大丈夫よ。夕方になると危ないから。

──そうだ、いいものをあげるわ。まず手を洗ってきて。それから……あー、じゃあ"ロビー"で少しのあいだ、待っていてもらえる?」

 

 帰っていいのなら、石けんをもらってさっさと出て行きたい。『いいもの』なんてどうでもいいから。

(……クラリスがどこで休むのか、聞いておけば良かった)

 さすがに彼女を放ったらかしにして帰るわけにもいかない。一緒に来たはずの"おばあちゃん"は「腰が痛い」と言って、先に帰ってしまったのだし。

 

 キッチンから出てすぐが"ロビー"だ。まだクラリスの姿はない。

 ここにいればクラリスがキッチンに戻って来てもすぐにわかる。合流するためには、しばらく待っているほか無さそうだった。

 

 ロビーは、古びた椅子がいくつか置いてあるだけのちょっとした広間だった。

 昼過ぎに到着したときには人ごみができていたが、時間が経って少しずつ人が減ってきたらしい。あの大勢のマグルたちは、ひと休みして帰って行ったのだろうか。セブルスのよりはマシな家に。

 

(このままここで待っていていいのか?)

 椅子にかけていると、嫌な予感がじわじわ這い登ってくる気がしてきた。

 このままでいると先ほどのおばさんがやって来てしまう。

 

(……あの人は怪しい)

 彼女はいかにも思いつきで『いいものをあげる』と言い出していたじゃないか。

 

『いいものをあげるからついて来て』というのは、子どもを誘拐するときの定番のやり口だ。さすがにそのくらいはセブルスも知っていた。彼を家にひとり置いてゆく母親だって忠告くらいはする。『そういう人がいてもついていっちゃダメよ』だとか。

 

 そのときだった。

「──ああ、きみ。良かった、探していたんだよ」

 見たことのない男が話しかけてきたのは。

 

 セブルスはすぐに周囲を見渡して、ほかの大人たちがどんな動きをしているのかを確認した。

 見張っていそうな相手はいない。

 協力していそうなのも。

 

 走って逃げだすのならどこにすべきだろう。

 体格の大きい人が入れないところが一番いい。小さな隙間とか、物陰の奥とか。

 

 その男はそれなりにきれいな身なりをしていた。怪しいところがあるとすれば、袖口からのぞく手首にタトゥーのようなものが入っているくらいだ。それでさえもスピナーズ・エンドでは珍しくない。

 

「……実はちょっと手伝ってもらいたいことがあってね」

 なぜ大人たちに頼まないで、10歳の子どもにさせる?

 大人のちからで解決できないものが子どもにできるはずない。力不足だから、母親を見捨てる真似すら自分から『せざるを得なかった』のに。

 

 セブルスはじっと男を睨みつけた。

「話しかけているのに返事をしないのは良くないなあ。どこか悪いのかな?口がきけない?」

「待っているように言われていますので」

 とはいえ、相手が犯罪者と確定したわけでもない。実はクラリスの知り合いだった、などというパターンだった場合も考えられるのだ。“お手伝い”を失うのはもったいない。

 

(でも、もしもこいつが犯罪者で、あのおばさんとグルだったら?)

 彼女に言われた通りに待っていたら怪しげな男の登場である。一人になった子どもにつけ込む気なのだろうか。

「そう、それなんだよ。実はその人からの伝言なんだ。待つ場所を変えるように言われたんだよ」

「どこに?」

「外に出たところさ」

 

 怪しすぎる。

(最初は『手伝ってもらいたい』とかなんとか言っていたくせに)

 

 わざわざおびき出そうとするなんて怪しい企みがあるに決まっている。絶対について行くべきではない。

 周囲の人影はまばらだが残ってはいる。人目につく場所の方が滅多なことはできないだろう。……マグルが“まとも”なのであれば、だが。

 

「ここで待てと言われている。"妹"が来るんだ」

「そうだね、その子に頼まれたんだ」

 

 ウソ確定だ。

 ロビーで待っているよう指示したのはおばさんであって、クラリスはなんの関係もない。

 どう考えてもこの男は、適当なことを吹き込んでセブルスを連れ出そうとしている。

 

 セブルスは男を押しのけるように椅子の前に立った。逃げられる隙間を塞がれてはたまらないからだ。

(杖さえあれば簡単に逃げられるのに)

 しかし、クラリスが戻って来そうな気配はやっぱりない。たとえばどこかで何かを手伝っているとか、違う場所で休んでいるのならそれでいいが。

 

──そうじゃなかったら?

 

 セブルスはすぐに駆けだせるように、男の姿を目の前にとらえたままで後ずさった。

「"妹"をどこにやった」

 あきらかに男はイラついたようだった。

「外だと言った。待ち合わせ時間が近いんでね。さっさと聞き分けるんだ」

 

 男は大股で一歩踏み出して、セブルスの腕をとろうとした。

「さわるな!」

 あきらめるつもりがないなら、考えられるかぎり痛い目に遭わせてやる。杖がなくたって。

 

(なにか使えるものは……!)

 たとえば重たい石をぶつけてやるとか。

 

 パンフレットみたいなものが入っている書架(しょか)、こまごまとした寄付品を置くらしきテーブル。上にはペンダントのようなものや重たそうな十字架がある。

 大きすぎるものは出来るかわからない。

 

 いや──天井の照明だ!

 ぶら下がっている根本は脆い。

 

(あそこを壊せれば……!)

 セブルスは照明をにらんだ。

 マグルごときに、いいようにされてたまるか。

 

 魔法を向けるように身体の芯にちからを入れると、ばちんと音を立てて金具がひとつ飛んだ。

(もうすぐ……!)

 

 その瞬間、怒号がとんできた。

 セブルスに、ではない。

 

「──何をしているんですか!」

 大きな声で男に問いかけたのは、先ほどロビーで待てと言ったおばさんだった。睨みつけるような顔をしている。

 彼女だけではなかった。ほかの大人たちも似た表情をうかべている。

 問題が起きていると察したのだろう。

 

 そういえば、セブルスは「さわるな」と大声で拒絶したのだった。周りだって気づいただろう。

 

「いいえ、なんでも。人違いでした。──失礼」

 男はすぐに(きびす)をかえして、足早に外へ出ていった。

 逃げ足がずいぶんとはやい。手慣れた誘拐犯だろうか。

 

 大人たちは男の背が消えてゆくまでを見張った後、解散していった。

 残ったのはおばさん一人だ。

 

 彼女はようやく一息ついたようだった。セブルスの方に近づいて、目線を合わせるようにかがんだ。

「なにかおかしなことはされていない?」

「いや……。大丈夫です」

 手足をじろじろと確認されて、居心地がわるい。

 

 セブルスは答えながら一歩後ろに下がった。怪しい人物を追い払ってくれたからといって、それがこの人の企みでない保証などないからだ。

 やっぱり、マグルなんて簡単に信用できない。

 

「……どうかしたの?」

 クラリスがロビーにやってきたのはその頃だった。

 

 もっと小さな子どもの手を引いているのを見るに、面倒をみるよう頼まれたのだろうか。

 彼女は困惑したようにセブルスとおばさんの方を見ていて、トラブルが起きたことを察したらしい。

 

 おばさんはクラリスの方につかつかと歩みよった。

「きちんと見ていないとダメでしょう!いろいろな人が入れるんだから、変な人だっているのよ!」

 

 ぴしゃりと叱られたクラリスはすぐに頭を下げた。

「ごめんなさい」

 

 なんだか(しゃく)だった。

(ぼくは、クラリスが面倒をみなければいけないような子どもじゃない)

 

 セブルスが反論しようとしていると、おばさんは今度はこっちに向き直った。

「きみもよ。知り合いの紹介じゃない人についていっちゃダメよ。必ず1人にはならないこと。子どもの誘拐事件は沢山あるんだから。……いいわね?」

 

 ついて行ったわけじゃない。

 それに、子ども1人にしたのは大人であるおばあちゃんのせいじゃないか。

 こっちは、むしろ逃げ出す機会をうかがっていたのに。

 

「ぼくは、べつに……!」

 言いさしたところで、クラリスに無理やり頭を下げられた。いつの間にか隣に寄ってきていたのだ。

 

「この人の言うとおりよ。いつもは“おばあちゃん”がいたから……」

 だからって、クラリスのせいじゃない。むしろ“おばあちゃん”のせいだろう。

 しかしそう蒸し返す暇はなかった。

 

 おばさんは「面倒を見てくれてありがとうね」と言って、クラリスの連れた子どもの手を引き取ったのだ。

 その子の首元からは白っぽい線がみえた。くっつきかけの傷みたいに。

 

「──そうだ。『いいもの』をあげるって言ったわね。

 クラリスちゃんにはもう別のものをあげたんだけど、あなたにも"お手伝い"へのお礼が必要でしょう。

 大したものはないけど、持って行きなさい。気をつけて帰ってね」

 

 おばさんはセブルスに何かを握らせてからキッチンの向こうに戻っていった。

 本当にただ、子どもに物をあげようとしただけらしい。

 

「……あの人も多分、殴られてたの」

 クラリスが小声でそう言った。

 

 

 

 

 

 

 帰り道、2人はスピナーズ・エンドへの道をたどっていた。

 

 陽が落ちてから家に到着するようではまずい。『いつもと違う』と大ごとになってしまうからだ。

 だから自然、足早(あしばや)になっていた。

 

(大ごとになるのは、あいつがマグルだからなのか?)

 たとえば、あのおばさんみたいなマグルだったら?『いつもと違う』からといって痛みを与えようとするだろうか。

 

 今日あった出来事を思い返してみると、いいのも悪いのも両方がいた。怪しんだおかげで助かったことも、信じてよかった相手も。

"まとも"なマグルがこんなに『うようよ』いるなんて。もちろん、"まとも"な人が多くなるよう()り分けられた場所だとしても。

 

(もしかして『父親(アイツ)』が悪い人間ってだけなんじゃ……?)

 

 クラリスの父親は魔法族だけどクズ。セブルスの父親はマグルだけどやっぱりクズだった。反対に、マグルの親切な男(医者)や気のいい魔法使い(のゴースト)、親切なおばさんだっている。

 ──もちろん、とても優しくて臆病で、ちょっぴり嘘つきな魔法生物混じりも。

 

 どの属性にいようがいい人もクズもいる。

 セブルスはようやく、そういう"当たり前"に思い至ることができた。

 

 マグルなんて大嫌いでも、あのおばさんを嫌いというわけでもない。変なマグルから助けてくれた人だ。リリーの両親もきっとそういう大人なのだろう。リリーの姉は嫌いだが。

 

 憎む相手というものをもう少し(しぼ)って考えてもいいかもしれない。

 

 もしもいい人が『うようよ』いるのなら、自分たち母子(おやこ)が助けを求めたっていいのじゃないだろうか。変な人に当たらないように誰かを紹介してもらえれば、だけど。

 

「──これからなんだけれど」

 クラリスが話しかけてきたので、セブルスの考え事はそこで中断されることになった。

 

「2人で来るように言ってくれた人はいいんだけど、そうじゃない日ってあるじゃない。そういう時ってどうしたい?私がいないからウチは使えないわけだし」

「どうって言われても。ぼくが出来ることなんてないじゃないか。やったことのない"手伝い"も多いし」

 

「あー……、そうか。つまりね、わたしの"手伝い"について来る気はあるのかって話。

 わたしはご近所の人を手伝う。あなたはわたしを手伝う。もしもわたしを手伝ってくれたら、もらったものは山分けにするの。そうしたらあなたも着替えられるし、自分のものを手に入れられるでしょ。ウチに置いておく形にはなるけど」

「それ、ぼくが『やらない』を選ぶと思ってきいてるのか?」

 クラリスは不敵げに笑んだ。「思ってない」

「それみろ」

 

 そういえば、とセブルスは思い出した。"もらったもの"といえば、あのおばさんは何をくれたんだろう。

 懐から"それ"を取り出してみると、自然と眉根が寄っていった。

 

「これ……?」

「もしかして、セブルスのこと女の子だと思われてたのかしら?髪が長いし」

 ちなみにセブルスの顔は母親似である。

 

 中に入っていたのは色違いのリボンだった。

 物を持っていないとはいえ、さすがに女の子向けのものをもらっても困る。

 

「1つはきみが持っていろ」

 2本入っていたリボンのうち、水色の方をクラリスに手渡した。つややかで柔らかい生地だ。おそらく、あのおばさんは『"女の子"2人で分け合え』という意味でくれたのだろう。

 

 クラリスは頬を赤らめて「わあー……」と嬉しそうな声をあげた。

「セブルス。ありがとう!」

 上機嫌な彼女は、心なしかいつもよりも可愛らしく輝いて見えた。

 

 リリーが好きなのに。

 なぜだか後ろめたくて、セブルスは()()と目をそらした。

 

「ふん。リリーのついでだ」

 

 

 

 

 

 

1週間後

 

「なんだか感じが変わったのね」

 出迎えたリリーが開口一番にそう言ったので、セブルスは満足していた。

 

 リリーの家に3人で集まるのはしばらくぶりのことだ。

 セブルスはあれから手に入れた衣類で『まとも』な見た目になることに成功していた。大人ものの上着以外は。

 

 もらった直後は盛大にしみがついていたり、破れてごみ寸前だった。それらをクラリスの家の道具でどうにか修理できたのである。

 しかも、きちんと洗濯やアイロンで手入れをされている。クラリスのいつも着ている衣服と同じように。

 

 これまでシャツもズボンも、大人ものだったし汚らしかった。それらを無理やり詰めこむように着ていたのだ。今と比べると雲泥の差だろう。上着だってそのうち手に入れてやるつもりだ。

 

 リリーの部屋に通されると、セブルスはもらったリボンの1本をリリーに手渡した。

 誰かにプレゼントをするなんて初めてだ。

 

「……これ。2本もらったから、1本はきみに」

「ありがとう!」

 リリーの手に渡ったのは白いリボンだった。きっと彼女の赤毛の髪にはよく似合うはずだ。

 

「じゃあ、もう1本はクラリスにあげたの?」

「……ぼくがもらっても仕方がないから。2人で使えばちょうどいいだろう」

 

 やっぱり少し後ろめたくて、セブルスは心うちで言い訳をした。

 女の子が2人いてリボンも2本あるのに、リリーに全部あげてしまうのはさすがに変じゃないか。クラリスはどう見ても持っていなかったんだから、間違ったことはしていない。

 

 セブルスの心中はさておき、クラリスは「それでね」と上目づかいにリリーを見上げていた。

「リボンの使い方って知ってる?」

「ええ。ママにやってもらったことがあるわ!」

 

 リリーは任せなさい、と言わんばかりに胸を張って、クラリスをドレッサーの前に座らせた。鏡にうつったクラリスは、自分のものになったリボンをどうするものなのかと、ワクワクとした目をしている。

 彼女の夜空のような複雑な色彩の髪(羽?)には、明るい水色が映えそうだ。

 

 セブルスは邪魔にならないよう、2人の後ろに立って見物することにした。女の子の髪のことも、そこに着ける飾りだって何も知らないのだ。母親ですらそういう華やかさなんて無縁だったから。

 

 リリーはクラリスの隣に立ったまま、ドレッサーの引き出しを開けてブラシを取り出した。

 その中身はセブルスのいる位置から丸見えだ。

 

(……たくさん入ってるな)

 人さまの引き出しの中なんて、まじまじと見るものじゃない。でもセブルスはそれを教わる機会が今までなかったのだ。

 

 ドレッサーの引き出しには色々なものが入っていた。髪を留めるピンや、くくる用のゴム、以前に見た(くし)、こまごまとしたブローチなど、どれもが沢山あった。

 

──リボンまでも。

 

 思わず目を(みは)ったセブルスは、クラリスの方をうかがった。

 彼女は引き出しの中なんて見ていない。ただ、リリーが持っている自分のリボンがどんな風に使われるかをじっと眺めているようだった。

 

(気づいてない……)

 知ってしまったら、クラリスは残念がるかもしれない。自分にとって大切な唯一でも、リリーにとっては沢山のうちの1つだなんて。

 だったら知らない方がいいはずだ。

 

 でもそれは、なんだか悲しい気もした。

 

「──できたわよ!」

 やがて、リリーは満足げに宣告した。

 

 彼女は白を、クラリスは水色を、それぞれ飾りの形にして、ピンで髪にさしてあった。2人でおそろいだ。リボンそのものを髪ゴムのように結んだわけじゃない。クラリスの髪は特殊だからだろう(なにせ羽毛だ)。

 クラリスは頬を赤くして嬉しそうにしていた。

 

(……別にいいか。喜んでるんだから)

 セブルスは"何か"を飲みこみ切れないような心地がしたが、2人に水を差したくはない。だから胸にわだかまったものには(ふた)をして、見ないことにした。

 

──余談だが、クラリスとセブルスの帰りしな、ペチュニアはセブルスを見やって面白くなさそうな表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 少しずつ少しずつ、セブルスは自分の知らなかった"まとも"な生活を覚えていった。

 

 自分にあった清潔な服を着て、からだを清潔にして、十分な食事をとる。

 髪だけは父親にばれないくらいでしか()()()なかったが、それでも切れた。

 持ち帰れないものは預かってもらうことだってできた。

 

 クラリスに言わせれば、これが『そこらのマグルですら当たり前におくっている、最低限の暮らし』なのだという。

 彼女の家のものを借りて、彼女を助ける大人がいてくれれば、セブルスにだって(まかな)うことができるのだ。

 

 それだけじゃない。

 クラリスの"手伝い"の手伝いだって、こなしてみせた。

 気をつけなくてはならないことはたくさんあったが、行き場所がなくて()()()()()うろついているよりもずっと楽しかった。

 

 食事を満足にとれないと、栄養が足りず脳のはたらきが悪くなることがある。その上、精神的なショックを受けつづけると、人はそのつらすぎる現実を見ないよう、頭の働きをもっと抑えてしまうものだ。

 それらが、クラリスと一緒に過ごしてゆくことで少しずつ改善されていた。

 

 まるで、それまでは頭のなかに霧がかかっていたみたいだ。

 そのくらい物覚えだって良くなったし、気持ちにも余裕ができた。

 

 そのせいか、目の前の()()()()光景だって、くっきりと読み取れるようになっていた。

 

──これからまた、自宅に帰らねばならない。あまりにみすぼらしく汚らしい服に着がえて。

 

 普通に馴染んだためか、今までの"普通"が耐えがたいものだったと解(わか)ってしまったのだ。

 

 

 

 

 




セブルスが髪洗ってるだけでなんか面白い…面白くない?

宗教関係って児童文学ではセンシティブすぎる気もします。
なので"教会"の部分は"福祉団体"とかでも良かったんですけど、でも一般社会における福祉団体ってやっぱ宗教関係だったりするしなー、と思うなど。
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