セブルス・スネイプを救う話(第3章高学年編・開始) 作:桜井ぬい X→@Inui20230918
4日後
「あら?今日はクラリスはいっしょじゃないの?」
玄関先に出てきたリリーが不思議そうな顔でそう言ったので、セブルスは自分の推測が外れていなかったことを悟ってしまった。
(……外れていて欲しかった)
リリーの視線に痛みすらしそうで、セブルスは目を伏せた。
セブルスの服装は、以前と同じものに戻ってしまっていた。短すぎるジーンズと大人用のブラウスのようなもの。それも、よれていて汚らしい。
緊急事態じゃなければ、こんな"みてくれ"でリリーの前に出たくない。
内側に着ているものを隠したくて、つい汚らしい大人用ジャケットの
それでもリリーの家にまでやってきたのは、もともとリリーと約束があったからだ。もちろん、3人で集まる予定であった。
でも、クラリスは来ていない。
「もしかしたら先に来てるかと思ったんだ。……きみは最近クラリスを見たか?」
「えっ?先週3人であった時以外でってこと?
あの時からは見てないわ。何かあった?セブルスは知ってるの?」
リリーも見ていないらしい。
クラリスが『考えたいことがある』と言っていたのが4日前だ。それきり彼女の姿はどこにもなかった。
セブルスは今日までに彼女の家を毎日訪ねたが、いずれもいなかった。特に手紙や貼り紙などのメッセージも残されていない。
そんなことは初めてだった。セブルスを置いて出かける用事があるにしたって、訪ねてくるのはわかりきっているだろうに。
(あの日だけ出かけるって言っていたはずだ)
リリーは心配そうな表情でセブルスの返答を待っているようだった。
相談したってかまわないだろう。彼女だってクラリスの友だちで、3人は仲間だ。このままクラリスの姿が見えないままなのは、リリーにだって嬉しくはないはずだ。
「いや……、何もない。きっとどこか"手伝い"に出ていて忙しいんだ。なにかきみが心配するようなことじゃない」
それでも、打ち明けない方がいいような気がした。
クラリスは、『考えたいこと』について大人から口止めを受けていたのだろう。セブルスにもリリーにも言わないように。
でもそれは、とてつもなく重大な話じゃないはずだ。
あまりに重要すぎて自分ではどうしようもない内容は、そもそも子どもに決めさせない。大人が勝手に決めてしまうはずだ。
つまり子どもの耳に入れられる程度のものであって、行方が知れなくなるようなものではないはず。
ならば軽い話かというと、それも違うはずだった。
どうでもいい話なら口止めなんてしない。わざわざ『よその子に話すな』と指示を出すというのは、ある程度は重大だということになる。
それが何なのかまで推理できているわけじゃない。
ただ、そんな何かが自分にも起こったとして、自分ならばリリーに知ってほしくはない。話したくなったら、自分で話す。そしてクラリスもリリーにわざわざ告げ口はしないはずだ。
だからとっさに嘘をついた。
(クラリスの『くせ』がうつってきているのかも)
「でも、なにも知らせてこないなんて変よ。クラリスはそういうのきちんとしているのに」
「これから来るかもしれないじゃないか」
「うん……。じゃあセブルスは先に入って」
リリーに促されて、口元がしぜんと苦虫を嚙みつぶしたように歪んでいく。
せっかく"まとも"でペチュニアに文句を言わせないような恰好を自分のものにしたのに、そこから逆戻りしてしまった。
"まとも"にたどりつく前はあまり意識せずにいられたのに、今はどうしてもそんな姿をさらしたくない。
「……やめておく」
リリーは「そう……」と残念そうに応じた。セブルスの内心を理解しているかはわからないが、
「わかったわ。ねえ、でも何かあるなら相談してね。クラリスに会えなくなっちゃうなんてイヤなの」
リリーに黙っているのはどこか後ろめたい。彼女にとってもクラリスは大切な友だちなのに。
だから、セブルスは何てことのないように見せかけることにした。
いつもクラリスがやっているみたいに。
「あいつが、このままいなくなるわけないじゃないか。あれだけきみにガムみたくべったりくっついてたのに」
──リリーの家にも行っていない。
クラリスの行き先についていくつかの可能性を思いめぐらせていたセブルスは、そのうちの一つにバツをつけた。
頭で考えていても全く心当たりはないので、これまで立ち入ったことのある場所を一つずつつぶしてゆくしかない。つまりローラー作戦というやつだ。
大冒険で立ち入った
自宅から一番とおい位置にあたる教会にも立ち入ってみた。
顔見知りになった司祭は「クラリスはいっしょじゃないの」と尋ねてきた。怪訝な表情をしていたのは、おそらくセブルスの身なりからだろう。司祭とはじめて会ったとき、セブルスはそれなりに"まとも"になった後だった。
あまりのみすぼらしさが恥ずかしい。
みっともない姿を人目に出す羽目になったのは、今もどこへ行ったかわからないクラリスのせいだ。
汚らしいところをじろじろ見て、心のなかで馬鹿にされている気がする。
周りには誰もいないが、いつ他のひとに目撃されないともわからないのだ。
さっさとこの場を離れたくて、セブルスは余計な口をきかないよう簡潔にたずねた。
「ここには来てないんですか?」
「いや……。今日は見ていません」
だったら次だ。
セブルスが「そうですか」と返事だけをしてすぐに立ち去ろうとすると、司祭に呼び止められた。
「クラリスの家には行ってみましたか?……いない?
出てこないんですか。
だったらあの子はちょっと……。厄介なことを考えている最中だから、独りになりたいのかもしれない」
『厄介なこと』。それはクラリスの『考えたいこと』かもしれない。
「来たんですか。いつ?」
「3日……、いや4日前かな」
タイミング的に、べつの悩みだとは考えにくい。クラリスは『考えたいこと』を相談しにここまで来たのだろう(もちろん、そんな『たまたま』が起きることだってあるかもしれないが、そっちは『たまたま』だと確定してから考えればいい)。
順当にいけばこの人は事情を知っている。『大人に言うな』とは口止めされていなかったのだろう。
詳しく聞かないと。
セブルスは一般マグル男性をあまり好きじゃないが、逃げるわけにもいかなかった。
「なんの相談で?」
「教会にするような大切な相談は、秘密にすることになっているんだ。秘密だから話せることもある。どうしてもほかの人に知られたくないような悩みを打ち明ける相手が欲しいことって、あるでしょう。きみにも。
そういう約束ごとは守らなくてはいけないんだ。どんな人でも相談を持ち込めるようにするために」
秘密をぺらぺらとしゃべりまわらないのは結構だが、それではセブルスが今かかえた問題は
「相談を持ちこんでいいと言うなら、ぜひ解決に協力してもらいたいのですが、あなたにも。
ぼくはクラリスを見つけたいんだ。今すぐに」
「なぜ?」
「『なぜ』?見つからないからに決まってる……!」
無駄な問答なんてしたくない。
イラついたセブルスに対して、司祭はなだめるように「そういうことではありません」と言った。
「どうしてクラリスを見つけたいんですか。
心配だからだというなら、そっとしておく方が優しいことだってある。
それでも探したいのなら、それはきみが自分のために見つけたいんじゃないですか。クラリスがいなければ自分が困るから」
その問いの意味は、セブルスにはまだよく解らなかった。
かろうじて『今はそっとしておくべきだ』という意見なのが理解できたくらいだ。だから『協力はできない』と遠回しに断られているのだろうと、そう受け取った。
「……どうも」
だったらこの人に用はない。
他にも事情を知っている人がいるかもしれないから、教会にいる顔見知りにでも訊いてみよう。
セブルスは軽く会釈をして、今度こそ立ち去ろうとした。
「ああ、少し待って。もしもきみ自身に助けが必要なら、相談先を教えてあげられる」
「それは……。あー、また今度で」
役に立つかわからないマグル向けの案内を受けるよりも、クラリスを探した方が早い。
今度こそセブルスは
教会を後にした頃には、すでに午後になっていた。
結局、がらんとした建物では事情を知っていそうな人は捕まらなかったのだ。日曜日じゃない午前中だったからだろうか。
まだ日差しの温かみが残る季節だが、風が吹くと足のむき出しになった部分がぶるりと震えてしまう。これから日が傾き始めると、とてもではないが出歩けなくなるだろう。
セブルスはひとまずクラリスの家に様子を見に行くことにした。
何か、クラリスの家に手がかりが残されていないだろうか。
もしも彼女が外出して不在というだけならば、"おばあちゃん"がやって来るかもしれない。"おばあちゃん"はたいてい昼から午後にかけてやって来るからだ。彼女に会えれば、クラリスの行き先を聞き出せるかもしれなかった。
ただし"おばあちゃん"が来ないことも十分ありうる。留守だと知っている場合だとか、クラリスと"おばあちゃん"がいっしょに外出している場合だ。
(いったい、何を聞いたらああなる)
道すがら、セブルスはあの日のことを思い返してみた。
そういえば、クラリスは明らかに大丈夫ではなさそうな顔をしていたのだ。"おばあちゃん"がセブルスを帰そうとしたときに。
あの時、聞かされることに心当たりでもあったのだろうか。
──いつかの夜に、母親に尋ねたことがある。
『一人暮らしのクラリス(子ども)というのはふつうなのか、それともおかしいのか』を知りたくて。
「両親がいない子どもは一人暮らしになるものなの?」
「──どうしてそんなことを訊くの?」
母親は何か勘づいたのか、良くない行動を
あぶらっぽさを落とした髪を。
セブルスの背すじにぞっとしたものが走った。
(リリーとクラリスのことが、ばれてしまったら……)
母親はこの辺りの子どもとの付き合いを反対していた。
だからセブルスはずっと黙っていたのだ。リリーやクラリスの存在はおろか、誰かに世話になっていることすらも。
やっと"まとも"に手をかけたときだったのに、反対されてしまったら?
元通りになんて、ぜったい落ちてゆきたくなかった。
「あー、少し……、心配になって。
たとえば母さんがいなくなったら、ぼくはこんなところにいたくない。あんなやつは放っておいてどこかに行きたいのに、そんなことができるのかと思って」
それもセブルスの本心に違いはなかったが、質問した本当の理由をおおい隠したものだった。
「……あなたはそんなことを心配する必要はないのよ」
必要な答えが返ってこないのはひどくもどかしかった。セブルスに事情があったところで、大人には関係ないじゃないか。
「"ふつう"はどうなるものなの。親がいないのは」
「どうしたってそれを知りたいようね?お友だちでもいるの?親がいないような……」
「──そんなもの、いない」
目の奥をのぞき込むようにする母親に対し、セブルスははっきりと言いきった。ほんのひとかけらの疑念でも持たれたくなかったから。
母親はそれからもじっと見つめてきたまま動かなかった。
「──普通は」母親は
「普通は親の家族がいるものなのよ。親のきょうだいや、親の親……つまりあなたにとっては親戚ね。おじさんおばさんやおじいちゃんおばあちゃん。そういう人が引き取って面倒をみる。
魔法族の子どもなら、魔法族の親戚がそうするの。マグルなんかでは世話をするのは無理だから。
誰にも引き取り手のない子どもは、そういう子どもが集められた施設に入るけれど……、マグル生まれではつらい思いをすることになる」
セブルス自身は親戚なんて会ったこともない。母親が会ったという話も聞かなかった。
ただ、いま興味があったのはクラリスのことだ。
彼女に親戚はいるのだろうか。母親はひとじゃないからともかく、父親は魔法使いで、そして素性がわからない人物だと聞いた。
だったら親戚なんていないのだろう。
(……
セブルスはどうしようもなく安堵してしまっていた。彼女が恵まれない子だからこそ、セブルスは近くにいられたし、いろいろ分け与えられたのだから。
もしかしたら、親戚に引き取られた方がクラリスは幸せになるのかもしれない。でも、そんなことが起こらないで欲しかった。
もしもその親戚が、リリーの両親のように何不自由なくしてくれるような人であっても。
黙りこくっていたセブルスに、母親は安心させるかのように明るく言った。
「──あなたは大丈夫よ。そんなことにはならないわ」
不安をいだかせたと勘違いしたようだ。実際にはまるで違うことを考えていたのだが、どうやらセブルスのウソはばれていないようであった。
──大丈夫だ。きっと……。
クラリスの親戚がどこかで見つかったとしても、彼女の父親と同じようなクズに決まっている。その『父親』の家族なんだから。
きっと、そんな人に引き取られるよりも、このままの方が幸せなはずだ。
クラリスの家には、なにか変化があったようには見えなかった。
窓際の厚いカーテンは閉めきられておらず、中の"応接"の部屋が見えた。特別なにか──何者かに荒らされたり、壊されたりという出来事があったようには見えない。
しかしセブルスが玄関ドアを何度たたいても反応はなかった。耳をドアに押し当ててみてもしんと静まりきっている。留守で変わりはないようだった。
4日間も留守なのか、それともとんでもない早朝に毎日出かけているのか。
セブルスにとって『クラリスが誰かに連れ去られた』というのが一番最悪のアイデアだった。犯罪者とか誘拐でなくとも、彼女の境遇をかわいそうに思った大人が誰かいてもおかしくない。
その次に最悪なのは、クラリスは家にいるが出てこれないというパターンだった。魔法族は身体が丈夫だが、クラリスは半人間だか特殊な病気があるかもしれない。
魔法をかけられたというのもありうる。以前のようなカメラの呪いなど、何かしら外から持ち込まれたものがあったりしたら。
(このまま待てっていうのか?)
司祭はそうすべきと考えているみたいだった。
元気な顔で出てくるのを毎日訪ねて、ただ待つ?
本当に悩んでいるだけならばそれでも解決はするのかもしれない。──でも、顔も見せないなんてことがあるだろうか。
(……とっくに限界まで待った)
セブルスは玄関ポーチのうち使えそうなものを探してみた。
子どもの力で持ち上がるもの。
じょうろを置いてあるスツールなんかが良さそうだ。
セブルスはそれを振りあげ、向かって右側の窓ガラスにたたきつけた。
とんでもなく
窓はあっさりと割れた。魔法などで壊れなくしているわけではないらしい。
そもそも侵入者などが入ってこられない守りになっているからだろうか。知り合いの魔法族と大ゲンカになったら、報復されたりしそうだが。
窓のすみには、まだガラスの破片がへばりつくように残っている。
スツールで横殴りにして取り去り、傷がつかないよう通れる大きさにまで穴をひろげた。
これから寒くなる時期なのでガラスがないのは
姿を見せない方が悪い。
スクイブの"おばあちゃん"に叱られたら『中でクラリスが倒れてるかもしれないと思った』とかなんとか言ってごまかすつもりだ。
(空き巣ってこんな感じなんだろうな)
あまり重大なことをやったとまでは思っていないセブルスは、生活が安定しても倫理観がゆるめだった。
かなり大きな音がしたはずだが、それでも屋内で何かが動くような気配はしない。
ただ悩んでいるだけなら、少しは音に反応するはずだ。
留守なのか、それとも倒れこんでいるのだろうか。
セブルスはガラスの断面に触れないよう、そうっと窓ガラスの穴から中に入った。窓際にはデスクが1台置いてあったので、その上に足をのせる。
(あとで文句を言われそうだ)
知ったことじゃないが。
4日ぶりに見た室内には、ほとんど変わったところはなかった。明らかに違うと思えたのは、たった一つだけ。
セブルスはテーブルの上に置かれている封筒と、その中身だろうざらついた紙を手にとってみた。
"刑の執行および立ち合いに
書面によると、『面会や刑の執行への立ち合いを希望するなら、今月末までに申し込んでください』といったものだ。クラリスの父親への刑について、執行の日時が決まったらしい。
刑罰の内容は『
要するに、ほとんど"死刑"と呼ぶべきものだ。
"キス"とは魂を吸う行動のことで、吸い尽くされた人は自我も記憶ものこらない(とされている)上に、新たな
「家族には連絡があるんだな……」
"おばあちゃん"の用事がこれであったのなら、クラリスはどこかに連れていかれるというよりも、きっと自分でどこかに行ってしまったんだろう。
「──クラリス!」
家じゅうの部屋隅々にまで聞こえるよう、ひと際大きな声で呼びかけてみた。家にいたなら絶対に気づくように。
それでも声は、静寂にとけるように消えいってしまった。
(ほかになにか手がかりはないのか?)
行っていそうなところは全て探し終わったのだし、こうなれば家じゅうを確認するしかない。
なにか魔法界の知識で使えるものはないだろうか。魔法使いの移動手段といえば箒だと聞いたことはある。
(……いや。クラリスの箒なんて、見たことない。それに、家で杖も振れないのに箒に乗るわけないな)
あとは、とセブルスが目をやったのは、"応接"に据えつけられている暖炉だった。
大人がゆうに数人は入れるサイズ。暖をとるためのものじゃない。確か魔法界では遠くに行くときなんかは暖炉で移動すると聞いたことがある。
おそらくこれが移動用なのだろう。
セブルスはそこをどのように使うか見た事はなかったが、暖炉にも触れられたような形跡はないようだった。粉が落ちているということも。灰がばらまかれているだけで足跡らしきものは見つからなかった。
(クラリスが暖炉を使ったなんて話も、聞いたことないな)
ほかに変わったところもなかったので、"応接"から出てあちらこちらの廊下と部屋をのぞいてみた。それでも人影らしいものは見当たらなかった。
──やっぱりどこかに出かけているみたいだ。
玄関ドアのカギを内側から開けて、セブルスはもう一度外にでた。
少し日が傾いてきた頃合いである。"応接"に吹き込んでくる風はますます冷たくなってきた。それでも『明日に持ち越そう』なんて気にはならなかった。落ち着かなくて座って待つ気にはならない。
クラリスの行きそうなところは確認し終わっている。だから手当たり次第にあたってみるしかない。
(ぼくが前に行っていたのは工場のあたりだった……)
"仲間"に出会う前は一人でこの辺りをうろついていることが多かった。ほんの半年くらい前まではそんな風に過ごしていたわけだ。なんだかやけに昔だった気がして、あまり記憶に残っていなかった。
このあたりは物騒で、どこかの家の裏道などに入り込んでしまったらまず見つけられない。
ひざ下の寒さを意識しないよう、セブルスは自分が以前うろついていた場所を走って探すことにした。
クラリスがあの"処刑通知"を見てどう思ったか、セブルスには想像がつかなかった。だってそれで姿も見せなくなるなんて、自分なら絶対にしないからだ。
彼は自分の"マグルなんか"である父親──訂正、"マグルの中でもクズ"である父親について『当然みじめに死ぬべきだ』と思っていた。もしも明日、処刑通知が届いたなら喜びに飛びあがってしまうだろう。警察に連れていかれるのですら最高の結果だ。
だからクラリスの父親が処刑されるのだって、手紙を見た時には真っ先に『当然そうなるべきだ』と思った。クラリスだって同じでも何の不思議もないのに。
(父親が実はけっこう好きとか……。いや、それはないな)
クラリスが家族のことを話しても、いつもどこか冷たい目をしていたような気がする。
──その後、足の裏が痛むまで周囲をうろついてみたが、結局クラリスの姿はどこにもなかった。
*
セブルスはもう一度、クラリスの家に戻ってきていた。
落ち着いて休憩をとるためだ。かつてそこら中を適当にうろついていた時なら座りこんで休むのも適当にできたが、まともなクッションの快適さを知ってしまったら、その頃に戻りたくはない。
主が不在の家には、やはり何か変わった様子はなかった。
すでに辺りは夕日の色に染まり、うす暗くなりつつある。いつものように在室ならばランプくらいは点けているはずだ。でも、それもない。外出していたとしても、帰ってくるはずなのに。
ぎい、というきしんだ音の玄関ドアを開いても、なかにはひっそりとした闇だけが忍び寄っていた。
普段──この4日間より前の"いつも通り"であれば、セブルスはとっくに自宅に帰っている時間帯だった。
両親は間もなく家に戻ってくるだろうし、彼らより遅く帰宅した場合はいやな思いをする可能性が高い。遅くなればなるほど
(いっそのこと、帰らない……とか)
"応接"の部屋に差しこんでいる
──もしも、クラリスがこのまま戻って来なかったら。
セブルスは今、望むならこの家の灯りを勝手につけ、キッチンを漁るような真似をしても誰にも注意されない。体や衣服をきれいにしたっていい。あの父親の顔を二度とみないんだったら、どんな種類の石けんでも自由に使えるようになる。
まるでこの家を占領して支配したみたいだ。
彼女が完全にどこかへ引っ越したとなったら、この家は廃屋になってしまうかもしれない。おばあちゃんだって来なくなるのだろう。
でも、今みたく『帰ってくるかもしれない』状態だったら?
セブルスはこのままずっと家に帰らなくても済む。
クラリスを深く知って知ってもなお、セブルスは彼女をうらやましく思う気持ちを捨てられずにいた。
母親がいないのは寂しいことかもしれないが、それを差し引いても彼女のまわりは苦しみから無縁のように思えた。
面倒をみてくれる人がいて、必要なものをそろえるのに助けてくれる場所があって、友達と大冒険をして。──父親はこの世からいなくなって。
助けてくれる人が近所にいても、その人はセブルスを助けられないのだ。セブルスには両親がいるから。親が子どもを助けるべきだから。
"独りぼっちで天涯孤独な子ども"の方が、気兼ねなく手を差しのべてもらえる。
そっちの方がはるかにマシなのじゃないか。自分の母親を"いない方がまし"だなんて思いたくはなかったけれど。
いっそのこと、母親も連れて来られたら良かった。父親を"ぱっと"どこかに消してしまって、母親と自分とクラリスがこの家にいれば。きっと彼女にだって家族は欲しいはずだ。
叶うことなら、セブルスだってずっとここにいたかった。
そこまで考えた時、どこかに引っかかりを覚えた。
『ずっとここにいたい』。
クラリスだって同じように思うんじゃないか。
ここにいたいはずだ。どこか
嫌ならとっくに引っ越しているだろう。
──外よりも、この家がいちばん安心できる場所じゃないか。
*
クラリスはじっと毛布にくるまって、かたい木の床に寝ころんでいた。
床下から冷気が身体を伝ってしまうのにも関わらず、彼女はぼんやりと目の前をただ眺めていた。あの日から立ち入らなくなった部屋を、斜めに傾いだドアの隙間から眺めていた。
あれからずっと、寝室のドアの前から動かずにいた。何日経ったのかはわからない。
水も摂らずトイレにも行かずにいて、なぜ平気なのかも自分ではわからなかった。魔法なんだとしたらずいぶん便利なものだ。
名前を呼ばれた気がしたが、そちらに目をやるのすらおっくうだった。指1本を動かすのすら、したいと思わないくらいに。
いまのクラリスには立ち歩くどころか、呼びかけに答える気力すらない。
だから2度目に名前を呼ばれた時、それが真上からしたものだから、目だけはのろのろと動かすことができた。
夕闇に溶けいりそうな、うっすらとした人影。
見慣れた
(……セブルス?)
*
クラリスはこの家の中にいる。
そう思ったセブルスがくらい家屋を隅から隅まで探すことにした途端、廊下の隅に人影がうずくまっているのに気づいた。
"手紙"を読んですぐに見回ったとき、確実に視界におさまっていたところ。何もなかったはずのそこに、今度はそこに居るとすぐにわかった。
──きっとクラリスは自分に魔法をかけてしまったんだ。
子どもではうまくコントロールできないが、杖がなくても使えることがある。それをつよく望んだ時は、特に。
「クラリス」
彼女がいたのは、“大穴のあいた寝室”のドア前、廊下のところだった。
頭の真上から見下ろすように声をかけてみる。
反応があったのはクラリスの瞳だけ。しかもセブルスに向けられた後、すぐに元の位置へ戻ってしまった。
なんだか、体はここにあるのに、心がどこかに行ってしまったみたいだ。
クラリスは何も喋ろうとしないし、何ならぴくりとも動かなかった。
きっと無理やり立ち上がらせようとしても無駄だろう。
ここまで消耗してはなかったが、まるで大げんかした時の後みたいだ。あの時も、どうしたらいいかわからなかった。
(こんな時、リリーがいたら)
クラリスはこんな姿を見せるのは嫌がるだろう。いっそ、そうやって嫌がるようなことをすれば、いつもの調子に戻ってくれないものだろうか。
困り果ててしまって、とりあえずすぐ隣に腰をおろしてみた。クラリスが頭を横たえている、廊下のかたくて冷たい木の床に。
クラリスはいつもどんな風だった?自分たちの秘密を分け合ったときどうだっただろう。彼女はどんな風に話しかけてきた?
「──父親の処刑が決まってうれしくなかったのか?」
クラリスは苦笑するかのように目を細めていた。でも口は開かない。いつもならちょっとしたことでも軽口を返してくるのに。
セブルスはじっと隣で待った。
「パパはね……」
クラリスは力のないささやき声でゆっくりと言った。「どうしようもないし大嫌いだった」
「うん」
「あのときもママをアイロンで殴った」
彼女がぽつりぽつりと話すのに、気の利いた答えなんて思いつかない。だから、セブルスはただ
ひと言ひと言を発するのに休憩するような間があいて、クラリスがすべて話し終えるまでには時間がかかった。
「わたし、いっつも失敗しちゃうの。怒ったパパはいつもママを殴って家を出て行くんだ。それから何日も戻らないの。
次に来たときは優しいんだよ。ごめんねってママにいつも泣いて謝ってた。だからね、いつも『今度こそは』って思ったの。パパを怒らせないように失敗しないようにしなくちゃって」
セブルスには共感できるようなできないような、微妙なところだった。怒りを向けられないよう気を割くのは理解できるが、自分をそこまで責める気にはならない。相手が
「……わたしにもね、わかってるんだよ、昔はわからなかったけど。わたしがする失敗なんて、子どもだったらみんなするの。そんなに怒られたりすることじゃないんだって。わたしが見かけたって怒ったりしないよ。
セブルスだって、何も悪くないのにそんな風にされて」
いきなり水を向けられても困る。
どう返事をしようか迷っていると、クラリスがぎょっとするようなことを言い出した。
「──それでもね、やっぱり私が悪いの」
「どうして。きみだって何も悪くない……」
思わずクラリスを見やると、彼女はぼろぼろと涙をこぼしていた。
瞳にあった夜空のような色彩は
「私が失敗しない間はね。パパもママも楽しそうなの。だってそうでしょ。パパもママもお互い好きで結婚したんだから。2人きりの時は仲が良かったの」
弱弱しくても彼女は喉の奥からしぼり出すように言った。
「私がいるからそんな風になっちゃったのよ……!」
「──違う!」
クラリスの嘆きが胸をさして、咄嗟に切り捨てるように否定してしまった。
そんな考えを認めてしまうわけにはいかない。
だって──、そんなのは、自分だって。
「そんなわけないだろう。そんなおかしなヤツ、お前がいてもいなくても関係ない。どこかでとんでもない問題を起こして死刑になってたさ。
いまと何も変わらない」
クラリスは涙もそのままに、セブルスをじっと見上げていた。
(どうして見るんだ?)
求められているものが読めなくて、途方に暮れてしまった。泣いている女の子を慰めたことなんてない。
──母親だったら、どうしていただろう。
たとえばセブルスが床に倒れこんで動けなかったような時に。
(たしか……)
クラリスの頭に手をのべてみた。母親が梳くように、ひと房に沿うよう指先で触れてみる。
(こう……じゃないな)
手のひら全体で包むように、顔の横をなでると、クラリスは横になったままで目を伏せた。動物をなでるとこんな感じだろうか。
彼女の髪もなんだかくたびれていて、4日間身なりを気にできなかったのがわかった。いつもが澄んだ寒い日の夜空なら、これは雲にけぶった
もう少し早く見つけられていたら。
クラリスがいなくなるのを期待していたような自分が、自分が良ければそれ以外はどうでもいいという考え方が、あまりにも恥ずかしい。
「明日、……リリーのところに行くぞ。リリーだって心配していたんだ。準備ができてなくてもそのまま連れて行くからな」
うん、というクラリスの声は細く、夕闇に溶けてきえていった。
*
翌日の夕方、リリーに会いに行くと、彼女はぱっと明るい表情を浮かべてクラリスにハグをした。
「どこか具合が悪かったの?心配したんだから!」
クラリスはばつが悪そうに笑っていた。「ええ、リリー王子様のファンクラブでもつくりに行こうかと思って」
「なに言ってるのよ、もう」
「ごめんね。ちょっと……一人で考えたいことが色々あったの」
クラリスは相変わらず、リリーには詳しいことを説明しない。
セブルスもそうだ。
リリーは2人にとって、明るい世界があることを信じさせてくれる光そのものだった。だから曇らせたくない。
昨日話したかったのだろう近況をリリーとクラリスとで共有するのを、セブルスは満足そうに見やっていた。
合間で「ねえ」とクラリスは尋ねた。
「もしリリーのパパが何か……悪いことをしたらどうする?」
「悪いことって?」
「ン……。なんだろう、いろいろ」
リリーは質問の意図がよくわからなそうにしていたが、力強く答えた。
「ひったたいて叱って、迷惑をかけた人に謝りに行くわ」
「パパが何も反省していなかったら?」
「反省するまで叱るわ」
「そう……。そうよね」
クラリスは、最後ににこりと笑った。
『がさがさ』している用紙にはマルがついた。
──執行の立ち合いを"希望する"、面会を"希望する"。
処刑の立ち合いがどうだったかは、かなり先で明かす予定なのでいったん忘れちゃって大丈夫です。
次回はリリーの大冒険3rdです。