セブルス・スネイプを救う話(第3章高学年編・開始)   作:桜井ぬい X→@Inui20230918

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今回は胸糞注意です。

※鬱展開をスキップしたい方は、このページの一番下(あとがき)を見てください。
かんたんなあらすじをつけておきます。

原作から解釈して独自設定を組み立てていますが、捏造です。
詳細は活動報告の「スネイプ両親の原作考察」と「スネイプ両親設定」を読んでください。

2025/6/23 全体的に読みづらかったところを修正


≪闇≫ インタールード1 セブルスの話 ※改訂済(修正済み)

 

 

 

 

 ドブ川がごぼごぼとパイプに流れこむ音が、近くでする。

 セブルスは自宅を前にしたまま、道路をはさんで反対側に立っていた。クラリスが家に入ったのを見送ってから、しばらくそうしていた。

 もう少しだけ余韻(よいん)にひたっていたかったのだ。

 

 自宅に帰れば今日のすばらしい一日が『台無しになってしまう』のはわかりきっている。だから、なかなか踏ん切りがつかない。

 それでも帰りを遅くすればするほど、その"台無し"の具合がもっとひどくなるのも確かだった。

 胸に冷たいものが沈みこんでゆくみたいで、セブルスは小さくため息をついた。

 

──とにかく、まるで今日何もなかったかのようにしなくちゃいけない。

 

 手を後ろにやって、リリーのものだった髪ゴムを外した。リリーに──ついでにクラリスにも整えてもらった痕跡(こんせき)はひとつも残しておけない。

 髪の毛に手をつっこみ、あえて乱雑にかき回してぐしゃぐしゃにした。()かしただけで洗いなおしたわけではないので、違和感をすべて消すのにそう手間はかからなかった。長く伸びた部分の大半はほかの髪と絡みついていたから、切って短くなった後も大きく印象は変わらない。ただ、少しボリュームが減ったとは思われるかもしれなかった。

 

(これは、どうしよう)

 考えながら、なんとなく外した髪ゴムをまじまじと見つめてしまった。

 

 角度を変えてみると、カラフルに散りばめられた糸がきらりとする。きっとリリーの赤毛にはぴったり合うものだっただろう。

 それを手元に持っているわけにはいかなかった。かといって、せっかくリリーにもらったのにクラリスに預けたいとも思わない。すでにうす汚れてしまったそれを見られるのが嫌だというのもある。

 だから正面からは見えないよう、髪ゴムを後ろに縛りなおした。

 

 今日の輝かしかったものを自分で踏みにじるような感覚だった。おまけにきつくしすぎたのか、髪の毛が引っぱられてちくちくとする。

 胸にわだかまったものがますます重くなっていくなか、セブルスはぎこちなく立ち上がった。

 

 

 

 玄関ドアを注意ぶかくゆっくりと押し開けると、古びている蝶番(ちょうつがい)が小さな音を立てた。

 どうやっても『きいきい』と鳴るのはとうに知っていたが、それでも目立たないようにしたかった。”アイツ“に気づかれずに帰れるならそうしたい。たとえそれが万にひとつくらいでもだ。

 

 家の奥の方でかたりと物音がした気がする。

 足もとに散らばった靴を見るに、父親が帰宅後のようだった。

 

 がっかりだ。

 どんな形かはわからないが、ぜったいに台無しになる。

 きっとそうだと予測してはいたが、思わずため息がもれた。

 

 父親はいつも日が落ちるとすぐに帰宅していた。いつだって帰って来たくなさそうな態度なのに、どういうわけか必ず帰って来るのだ。いっそのことどこかに出て行ってくれればいいのに。

 セブルスはいつもは一人で過ごしていたから、父親よりもさきに家に戻っていることが多かった。

それが今日は珍しく日が落ちてから帰宅したことになる。父親の機嫌がひどく悪くなってしまっているかもしれない。

 だから、ドスドスと床を踏み鳴らした父親がやって来るのも想定の通りだった。セブルスはつとめて何も感じないように無表情になったまま、黙ってその場に立っていた。

 

 どこか薄暗い玄関先に、セブルスより遥かに背丈が大きい人影がぬうっと現れたのを、彼は内心で冷や冷やとして見やっていた。

 父親はセブルスの頭のてっぺんから足先まで、何か犯罪を隠しているのを暴くかのようにじろじろと観察してから、唇の端を吊り上げて嘲笑を浮かべた。

 それから手を突き出してセブルスの喉元をつかみ、玄関ドアに勢いよく押し付けた。

 元々そうドアから離れていなかったので、頭をぶつける痛みはそこまでではなかった。だが喉を締められた息苦しさにセブルスの口から荒い息がもれた。

「ずいぶんといい身分だな(はっ、と父親は鼻で笑った)。今日の催しはなんだ?異常な儀式か?お前たちはさぞ位が高いんだろうなあ──見下しやがって……!そのどうしようもない見た目がお似合いの化け物が──何か言えよ!!」

 唐突に怒鳴るように脅しつけ、男はぐっとセブルスの首をつかんだ手に力をこめた。それでもセブルスは何も言わず、身体も動かさなかった。かくし通すためにはそうしなくてはならなかった。

 

「──お前なんて帰ってこなければいい」

 それだけ言い捨てて、男はセブルスを突き放して背を向けた。

 

(だったらお前が帰ってくるな)

 子どもでしかないセブルスよりもよっぽど自由に選べるくせに。

 クラリスみたいに杖を持っていれば、望みどおり帰って来られないようにしてやるのに。

 そんな風に渦巻くものをかかえたまま、男の姿が見えなくなるまでセブルスはその場でじっとしていた。

 

 できるのは、空気を少しでも取りこもうと息を吸いこむことだけ。からだはできるだけ動かさない。

 なんとなく『父親が視界にいるあいだは動かない』というのが一番安全な気がしていたからだ。

 まるで野生の動物だ。クマなんかに出会ったときはじっと動かない方が安全らしい。そうすれば木と見分けがつかないから。

 

(……もう、大丈夫だ)

 いつもと違うとはバレなかった。

 

 緊張がほどけたせいで冷や汗がどっと背中を流れる。寒気があるのに暑苦しい気もして、セブルスは肩にひっかけたままの大人物のジャケットを脱いだ。

 

 たとえば髪があまりにも短くなっていたなら、もっとひどいことになっていただろう。父親はセブルスが誰かに何かを施してもらうのすら許さない男だった。

 だから、父親の前で"何かいつもと違うこと"がないように振る舞うのが重要であった。そうしていれば父親はセブルスに視線すら向けず、いないもののように取り扱うからだった。"アイツ"はセブルスとの関わりというものを完全に拒否していた。こうやって脅しつける時以外は。

 

 これで今日は安心だった。明日あいつが出かけるまでに何か──目立つようなことをしなければ。

 

 

 

 

 

 

 かりかり、と小さな音をたてて、短くなってきた鉛筆が紙の上をすべっていく。

 セブルスがいるのは、『机』と呼ぶにはあまりに使える面が小さな席だった。木片に打ちつけただけの板きれと呼べるようなそこに、紙を押しつけるようにして、さまざまな単語を覚えこんでいるところだ。

 しばらくそれを続けたところで、部屋の外から音がした気がして手を止めた。

 

 自分がここにいないかのようにしないといけない。

 それと同時に、耳をそばだてて隣室の気配が動かないかを見張らなくてはいけなかった。

 

 入口の方、ドアが取りさられて枠だけになったところを確かめてみたが、『しん』としたままだ。隣室から高いびきが漏れ聞こえるくらいだろうか。

 家の外からはドブが川にながれこむ水音と、ときどき外から聞こえるひそひそ声がしている。

 

 似たようにしていた母親も、大丈夫だと判断したのだろう。「次は……」と押し殺した声で、新しい単語を伝えてきた。それがどんな意味でどのように書くのかを教えられ、セブルスが覚えこむ。

 それが自分たちの毎日には"当たり前"だった。

 

 この家で安心できると呼べる時間はほとんどない。

 日が落ちると、帰宅した父親はすぐに夕食と酒をかっくらってはそのまま寝室にこもるというのがルーティーンになっていた。

 魔法の話を聞けるのは唯一、父親が高いびきをかいているこの時間だけだ。自分と母親が寝室にいて、休むまでのほんのひと時。いつもは鬱積したものを忘れられるこの時間が、セブルスにとって一日のなかで一番楽しくてわくわくしたものだった。

 

 でも、今は違う。

 今日おこったうれしい出来事を、どうやって母親に伝えよう。

 実のところ、鉛筆を走らせるあいだもセブルスは胸をはずませていた。

 

 マグルなんかでは到底できないような大冒険をしたのだ。力を合わせて色々なことを乗り越えることができた。そうして初めて魔法族の友だちができた。それも2人も。そのうちの一人はずっと話しかけたくて見ていた魔女だ。

 それらをすべて話そうと思っていた。

 

 どこからにしよう。

 

 母親には魔法族であるリリーを見つけたことも、その後クラリスが加わったことも話していない。

 出会い方をまちがえると友だちになれないとわかっていたからだ。「魔法族がいたのに知り合うのに失敗した」なんて母親には言いたくない。

 

 それに、片方は魔女といっても“人間じゃない”のだ。だからますます打ち明けにくかった。

 かつてセブルスが近所の子どもに手ひどい悪戯(いたずら)を受けたとき、それを聞いた母親は言った。

「マグルなんて、子どもであってもどうしようもない生き物なのよ。魔女や魔法使いよりも劣っている」

「そんな子と付き合う必要はないわ。……魔法使いの子は、これからきちんとした学校に通えるの。そこでならきちんとした魔法族の友達ができるわ」

 

 その学校は生徒が暮らせるところがあって、家からかよう必要はない。だから、学校に入れさえすれば帰ってこずに済むのだという。……夏期休暇だけは住むところを考えなくてはいけないらしいが。

 そのまま大人になったら魔法の世界で仕事をみつけて住めばいいのだ。

 

 入学は次の次の秋だ。いまは春なのでもう少し。──これまで待ってきた期間を考えれば、ほんのわずかで手がとどく。

 新たなつづりを覚えたセブルスは、気になって鉛筆を動かす手をとめて尋ねてみた。もちろん、ぼそぼそとした小声でだ。

 

「……魔法界にはどんな仕事があるの?」

「そうね……。本当にたくさんの仕事があるわ。

 お前は頭がいいから、頭をつかう仕事をえらんだ方が合っているはずよ。進路はホグワーツのテストの点数で決まってしまうから、学校でもしっかり勉強すれば大丈夫」

 

 母親がセブルスの頭をなでて、その時はじめてその後ろ側にたばねた髪ゴムの存在に気づいたようであった。

「これは……」

 セブルスは「それは今日──」と説明をはじめようとしたが、絡んでいた髪が痛んで口を閉じた。

 母親がきつく結んでいたゴムをほどいたのだ。

 

「髪を切ったの?……自分で?」

 なんだか取り調べでもしているみたいに、母親はあちらこちらの髪をつまんで確かめていた。セブルスがどんな話をするかよりも、どこが短くなっているかを調べるのに興味があるらしい。

 このままでは聞いてもらえなさそうだ。

 

 結局セブルスが切り出すことができたのは、母親がしっかり調べ終わって気が済んでからとなった。

「──今日、同い年で魔法族の子と知り合って、」

 でも話せたのはそこだけだった。

 母親が彼の両肩をつかむようにして、正面から向き直ったからだ。

 

「この辺りの子とつき合うのはやめなさい」

 有無を言わせないよう、ばしりと打ち切るような口調だった。なんだか、悪いことをして叱られる時に似ている。

 

(せっかく魔法族と知り合えたのに?)

 マグルが自分たちより劣っているというのなら、同じ魔法族あいてならいいはずだ。それなのに、この辺りの魔法族ではダメだと言い出すなんて。

 反対するべきだ。夢に見ていたことが現実になったのに、ダメだなんて決められたくない。

 

 それでもセブルスはつづく言葉を発せられなかった。見開かれた『ぎらぎら』とする双眸(そうぼう)をまぢかに向けられていたからだ。

 

 困惑したまま黙りこんだセブルスを見て取ってか、母親はそのまま彼を抱きしめた。

「……ごめんね。お前はまだ魔法界を知らないから」

 命ごいをする時のような、何かを切望するような声だ。

 

 泣いているのだろうか。

 セブルスの位置からは見えないが、細かく震えているのが伝わってきた。

「この辺りのマグル生まれなんて、マグルと同じような暮らしをしているのよ。考え方も『もの』の見方も、きちんとした魔法族に比べるとおかしなことばかり。そんな子とつき合っても……。

 最初はよくても、いずれ合わなくなっていくわ。

 魔法族はもともと魔法族の人と友だちになるべきなの。

──それがあなたのためなのよ」

 

 ガツリ、と重い音がした。

 

 寝室のドア枠に打ち付けられたのだ。かたい、何かが。

 セブルスも母親もはっと気がついてそちらを振り向いた。

 

 赤ら顔にうかぶ害意のある目が、2人を標的に定めたように捉えていた。その手には『手ごろなサイズの』酒瓶が握られていた。

 2人の話し声に目を覚ましてしまったのかもしれない。

 

 このまま物事が進むといやな事が起こる。

 それはわかっても『進ませない』ためにどうすればいいかわからなかった。下手に手を出せば『いやな事』が起こるのが早まるだけ。だから何も起こらないのを祈ることしかできない。

 心臓に冷や汗が流れるような、ばくばくとした感覚がした。

 

 身体がかたまってしまって動けないセブルスをかばうように、母親はドアの方に進みでた。

 二、三なだめるような言葉をかけていたが、そこに立った父親の監視するような目元をやわらげる効果はない。

 

 母親があいつの目をさえぎっているうちに、隠さないと。

 そこに出ているもの。紙や鉛筆だ。父親は母親がセブルスに魔法界の教育をほどこすのすら許さず、それらを見かけると2人を手ひどく扱った。

 教育だけではない。セブルスのために母親がしてやろうとする何もかもを、同じように気に食わないらしい。最低限の食事以外、いっさいを与えさせなかった。

 いつもと違うことを施したと発覚したならば母親を殴りつけ、セブルスをも痛めつけた。

 

(いつも無いはずのもの……!)

 机の上に置かれたままの、髪ゴム。

 バレたら『ひどい』ことになる。

 セブルスはとっさにそれをポケットに仕舞った。

 

 その時だった。

 男が酒瓶を持っていないほうの手を振りかぶって、母親の頬を打ちすえたのは。

 思いのほか軽くて大きい"ばしり"という音だけがその場に響いた。彼女はバランスをくずして、ドアの枠に身体をぶつけた。

 

 セブルスの世界からいっぺんに音が消えてしまったかのようだった。両親がもみ合うのが目に映ってもどこか他人事のようで、自分の恐怖に震える呼吸の音だけが耳に届いていた。

──バレた?

 

 母親を押しのけ、怒りに荒く床を踏みしめた男が近寄ってきても、セブルスは動けなかった。

 そのまま、とんできた拳で床に引き倒された。

 硬い床に肩が打ちつけられ、痛みとともに骨がきしむような感覚がする。セブルスがうめくのにも構わず、男は両手で胸倉をつかんでセブルスを起き上がらせた。

 

「何を隠した?ええ?──何を隠した!

 お前たち化け物の道具か!?……の気色の悪い連中め!……が!今度は誰を殺す気だ──この世にお前たちのような『まともじゃない』連中などいらない…!悪魔ども…!」

 深く酔っぱらっているのか、セブルスにはその言葉の一部分しか聞き取れなかった。内容も支離滅裂だ。セブルスが誰かを殺したことなんてない。

 

 それでも反論や抵抗できるほどの余裕はなく、酒瓶を振りかぶった腕が見えた。

 ドン、と大きな音をたててガラスの底が、セブルスの真横の床にぶつかった。

 脅しだとはすぐにわかった。それでも、咄嗟に顔をかばった姿勢のまま、身がすくんで動けない。

 

「──出せ」

 凄まれても、セブルスはにらみ返した。いつ痛みが飛んできてもいいようにと歯を食いしばりながら。

 それを明け渡すのは、今日起こった嬉しいことを奪わせることだ。奪わせるということは、踏みにじっていいと自分で決めるのと同じだった。

 

 絶対に、いやだ。

 

 そのままにらみ合っているうちに、父親は埒があかないと判断したようだった。舌打ちをして、ひっつかんだままのセブルスの身体をひきずり、壁に背中からたたきつけた。

 強引にポケットの中を探ろうというのだろう。

 

──唐突に、リリーが髪に触れたときのことが思い出された。『これでまとめましょう』とリリーはにこにこ笑っていた。

 

「さわるな……!」

 衝動的にセブルスの口から言葉が出たのと、床に置かれたままの酒瓶が中からはじけ飛んだのは同時だった。ガチャリと音を立てて酒瓶がはじけ飛び、残ったガラス底にこぼれた中身で水たまりができた。

 魔法のちからが働いたのだと、理解するより先に頬骨から痛みがきた。

 

 父親が、先ほどの怒声に狂乱をひと段落増したような怒鳴り声をあげて、セブルスの身体を拳で痛めつけはじめたのだ。

 こうなるとなすすべはない。痛みがくるのが止むまで、出来るだけ身を縮めているしかできなかった。

 これまでずっとそうだった。

 どういうわけか殺されはしないので、できるだけ何も考えずにいるしかできない。

 

 

 

 どれほどの時間が経ったかはわからない。

 時おり母親が、セブルスをかばおうと夫とのあいだに身体をすべり込ませようとしたが、いつも徒労に終わっていた。

 今日だけの話じゃない。いつも父親はセブルスがぐったりと抵抗できなくなくなるまで責めさいなんだし、母親はいつもそれを終わらせるのに失敗していた。

 

 やがて痛みは止んだが、それは父親がセブルスから取りあげたものをもち、寝室を出て行ったからだ。

 

 頭がはたらかないまま後ろ姿を目で追っていると、母親がセブルスの身体を抱きおこした。

 はらはらと涙をながした彼女に腫れたほおを撫でられたが、痛むだけで何も感じない。痛みが終わったのだと判り切っていても、安心感すら湧きあがってこなかった。

 

 母親の腕のなかでじっとしていると、家のどこかから、ぶつり、と何かを切り裂く音が聞こえてきた。一度二度じゃない。何度もだ。

──とられた。

 

 リリーの気持ちがこもったそれは、奪われて、そして……。

 金属が何かを断ち切っている音がする。はさみだろうか。

 どうされたかははっきりしている。たとえその現場を目にはしなくともだ。

 

 腹のなかで熱く、黒いものが渦巻いていくのがわかった。それでも今のセブルスには何もできはしないのだ。せめて殴り返せるだけの腕力か、魔法の杖があれば。

 にぶい痛みが走るのがわかっても、指に力がこもって自然とこぶしを握りしめていた。

 

 できたのは、今まで何十、何百とたてた誓いをまた繰り返すことだけだ。

 

 ぼくは、いずれ、必ず。

 アイツを……。

 

 

 

 

 

 

 翌朝はあまりにもいつも通りだった。

 

 力づよくなってきた朝日が差しこむ部屋のなか、セブルスは部屋のすみで(ひざ)を抱きながら息をひそめていた。

 体のあちこちがまだひりひりと痛んで、曲げ伸ばしする度にあらたに痛みが上乗せされるのだ。

 だからできるだけ動かないようにしていた。

 ほかの人が見れば、せまい檻に無理やり閉じこめられて鎖につながれている犬みたいに思っただろう。

 

 両親も同じ部屋……台所の近くにいたが、2人のあいだに会話は何もない。

 ただ父親だけが食卓について、大きなパンをいくつもとスープや肉などをがつがつと胃にほうり込む音だけがしていた。

 両親ともに、いつも朝早くから食事と身支度を済ませて出て行くのだ。

 

 この朝も全く同じだった。

 父親がドアから出て行き、歩き去る足音さえも聞きのがさないように耳をすませた。

 しばらくそうしていると、今度は母親が目の前に立っていた。彼女は「行ってきます」とだけ言って、セブルスの頭を撫でてから出て行った。

 玄関のドアは閉じ切られたまま、どちらかが戻って来るような音はしない。

 それでもすぐ立ち上がる気にはならなかった。これ以上面倒なことを引き起こしたくない。

 

 窓の外では鳥がのんきに鳴き声を立てていて、家の外の世界はずいぶんと平和なようだった。何事もわずらわされるものがないみたいに。

 

(……やっと、いなくなった)

 

 セブルスはようやく、その場で立ち上がることができた。

 少し足を動かしただけで、手足のあちこちから鈍い痛みがする。

 父親はこれほど手を上げる割には、セブルスの顔も、胴体や頭も狙わないのだ。万一にでも殺すつもりはないのだろう。しかし、それなら何故わざわざセブルスの体中に青あざをつくる?

 

(頭がおかしい連中なんだから、考えても無駄だ)

 

 まるで同じ日をくる日もくる日も繰り返しているようだった。

 昨日のことは実は魔法(ゆめ)で、本当は何もなかったことになっているんじゃないか。あんな都合のいい友だちなんていないんじゃないか。

 証拠になるようなものは、どこにも残っていない。

 

 セブルスは、母親が残していった朝食──ふかした芋が何個かだけ──をすっかり平らげて椅子から下りた。そのまま洗面台の方に向かう。

 

 鏡のなかには、ゆうべとまったく同じ服装がうつっていた。

 寝るとき用の服なんて上等なものは持っていない。それを用意することすら許されないのだ。ふつうの子が『着替えている』というのは知っているが、そんな文明はセブルスには縁がなかった。

 本人にとっては『それがふつう』なので、何も感じない。みじめだとか、悲しいとか。

 ただ『まだ『まぶた』に腫れが残ってるな』と思っただけだった(マグルの場合、ひと晩で腫れがそこまで引いたりしないのだが、セブルスは知らなかった)。

 

 セブルスにのこった数少ない文明のうちの一つが、顔を洗うことだ。

 でも洗面台を使ったのがバレたらまた面倒なことになる。

 いつも通り、セブルスは少しだけ蛇口をひねって顔を洗った。水を拭うためのタオルはぼろ雑巾そのものの見た目をしていて、薄くて湿っていた。さわり心地は最悪だ。

 

 そのまま垂れた前髪をいつも通り手で払いのけると、思ったよりも軽い感触がした。

 そう、すこし短くなったような……。

 そばの窓から差し込んできた光が、やけに明るい。

 

 少し短くなった髪が『今日は昨日のくり返しじゃない』と教えてくれたみたいだった。

 

 

 

 スピナーズ・エンドにも学校に通う子どもはいる。

 通学中のきゃあきゃあとはしゃぐ声が絶えた頃、セブルスは窓から遠目に人影のないことを確認してから、自宅の玄関ドアを静かに押しあけた。

 

 日差しが強くなってきたので昨日と同じように引っ掛けたジャケットでは暑すぎる。だれかに見られたら、間違いなく異様に思われるのだってわかってはいる。でも、着ている薄汚れたシャツを隠せるのはこれしかないのだ。

 だから見られないよう、そろそろと忍び足で歩くしかなかった。

 

 周りは自分のと同じように古ぼけた家ばかりだが、人通りは少ない。すでに大人も子どもも決まった場所に移動し終えた時間帯だからだ。音がするとすれば、どこか遠くから子どもの甲高い笑い声が響いてくるくらいだった。きゃあきゃあとはしゃぐような声だった。

 

 不意に道の向こうに人影が見えて、セブルスは咄嗟にちかくの家のかげにしゃがみこんだ。

 どこかの子どもに──たとえばペチュニアのような子どもに蔑まれるのも、大人に見咎められるのもごめんだ。それ以外の反応をするマグルになんて出会ったことがない。セブルスをあざけるか、揶揄(からか)ったり暴力をふるうのばかりだ。

 

(……魔法を使えたらお前らなんかひとたまりもないくせに)

 拳に力をこめると、肩のあたりの青あざがずきりと痛んだ。

 

 人影の正体は何人かの子どもだったらしい。セブルスが息を殺しているうちに遠ざかっていった。

 うまくやり過ごせたようだ。

 

(いなくなった……?)

 セブルスがかげから顔だけをのぞかせるようにして通りをきょろきょろ見渡していた時だった。

 視線の(はし)に、この辺りにそぐわないほど立派な建物の角がうつったのは。

 

「あれは……」

 昨日までは同じものがそこにあったかどうか、はっきり覚えていない。なかった気がする。もしかしたら今までは魔法がかかっていて見えていなかったのかもしれない。

 

──でも今はある。

 

 絶対に見間違いじゃない。

 足が勝手にその建物の方に駆けはじめた。

 

 そこにある。

 それでも触って確かめたかった。今すぐにだ。

 (はや)る気持ちになかなか足が追いつかなくて、ひどく()()()()かった。

 

 道路から敷地に入り、芝生の真ん中に置かれた石畳を抜けて、昨日クラリスと別れた階段の下にたどり着いた。

 

 当たり前のように、クラリスの家はそこにあった。セブルスの家から5軒ほど離れたそこに。道路に落ちている巻きタバコらしきカスや、点々と染みつく何かのシミに目をつむれば、ここがスピナーズ・エンドであると忘れてしまいそうな見た目をしている。

 

 何段かしかない階段の上には手入れされた玄関ポーチがあった。

 玄関ポーチの中央に玄関ドアがあって、その両側にきちんとガラスのはまった出窓がついている。昨日見たのと同じだ。

 その緑色の壁は明るいところで見ると色あせてはいたが、セブルスの家よりは遥かにましだった。

 

 昨日あった出来事は夢なんかじゃない。

 

 階段の前で棒を呑んだように立ちすくんでいたセブルスは、ふと思った。

 だったらクラリスは今、ここにいるのだろうか。両親といっしょに。

 

 さそわれるように階段に一歩踏み出そうとして──セブルスはそれでも足を止めてしまった。

『この辺りの子と付き合うな』

 母親はそう言わなかったか。

 自分をかばって張り倒されたあの人は。

 

『ホグワーツで()()()()()()友達に出会えるまでは、友達をつくるな』『それがセブルスのためだ』と。

 腹のなかに冷たいものを飲み込んだような感覚がした。それはセブルスにとって『昨日のことをなかったように扱え』と言われたのと同じだったからだ。

一昨日(おととい)までの暮らしに戻れ』と。

 

 従うのは簡単だ。2人に近づかないだけでいい。

 クラリスには()()()を預けてある。

 あれがある限り昨日あった出来事の証拠はのこるだろう。それがたとえ、セブルスの手の中には無くとも。

 

(──なかったことにする?昨日のことを)

 リリーがはずんだ声で『"仲間"の証ね!』と言ったのも。

 クラリスが悲しそうな顔で『預かっておく』と言ったのも?

 

 思い出すだけでセブルスの胸に温かいものが灯っていく。

 

 なかったことになんて、できるわけがない。

 たとえ母親に何か言われても、怒らせたとしても、もう独り(おととい)になんて戻りたくなかった。

 

 それでも踏み出せないままでいると、後ろから金属のこすれるような音が聞こえてセブルスはぎくりとした。

 ブレーキをかけた音だ。

 気がつかないうちに、郵便配達員がとなりの家の前に自転車を停めたのだった。

 

(……まずい)

 

 外の"ただのマグルなんか"に見つかってしまう。

 郵便配達員はとなりの家にポストに封筒を入れると、そのままクラリスの家の反対となりに向かった。

 一度もセブルスの方を見ないままで。

 

 わざわざ見えていないかのように振る舞っているわけではなさそうだ。

 まったくセブルスに……、あるいはクラリスの家に気づいていないのだろう。

 

 配達員はそのまま手紙を投函した。それから別の、妙にふくらんだ封筒を太陽に透かして見てから、自分の懐にしまい込んだ。

(……盗んだ?)

 セブルスの存在に気づいていればあり得ない行動だ。

 その男はそのまま自転車に乗って去って行った。セブルスが嫌な思いをすることは、ただの一度もなかった。

 

──これが、魔法なのか。

 

 セブルスは興奮で顔があつくなってきたのを感じながら、目の前の階段を駆け上がった。

 クラリスの家には、もっといいものがあるに違いない。

 木製の玄関ドアを引っ張ってみたが開かない。だから力いっぱいノックをした。たとえ眠っていても目が覚めるくらいにだ。

 

 彼女は魔法生物まじりだからマグルのプライマリースクールに通っているとも思えない。だから両親と住んでいるはずだ。なにかの話のときに彼女は一人っ子だと言っていたから3人家族なんだろう。

 だったらクラリスもそうだが、魔法生物であるという親もいるだろう。 

 

 しかし、何度ノックを試してみても、誰かがいるような気配はしなかった。中からも何の音もしない。

 試しに耳を押し当ててみてもそれは変わらなかった。どこかに出かけているのだろうか。

 

 がっかりだ。

 もっともっと楽しいことに出会える気がしたのに。

 

(……クラリスはいつもどんな風に暮らしてるんだろう)

 

 セブルスは窓際に近寄って中をうかがってみることにした。

 そこにはきちんとした厚手生地のカーテンがかかっていて、ますますスピナーズ・エンドとは場違いな感じだ。きちりと閉まりきっていなかった隙間からのぞくと、中はうす暗い。室内に何人か用のソファと一人用のソファ、テーブルらしき家具が置いてあるようだった。

 窓際にはデスクが据えられているが、上には何も置かれていない。

 音や光のような、人が中で動くような手がかりはどこにも見当たらなかった。

 

 出かけているのか、別の部屋にいるのか。

 外に音がもれないような魔法がかかっていても不思議じゃない。

 

(今度会ったら聞いてみよう)

 

 こんなに近所に住んでいるのだ。急ぐ必要はない。

 もう昨日までの繰り返しは終わったのだから。

 

 

 

 

 

 




●鬱展開のまとめ
・セブルスと母親は、父親から暴力と経済DVを受けている
・リリーにもらった髪ゴムは父親に取り上げられ、破壊されて捨てられた
・セブルスが母親から魔法界のことなどを訊けるのは、夜に父親が寝室に引っ込んだ後だけ、バレると暴力を受ける
・日中は両親ともに仕事に出てしまうので、セブルスは一人になる(放置子)。


それにしても、こう、心を抉るようなセリフまわしが思いつかない。本当はもうちょっとトビアスに言わせたかった。
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