セブルス・スネイプを救う話(第3章高学年編・開始) 作:桜井ぬい X→@Inui20230918
1944年のいつか
どしゃぶりの雨の中、男はぬかるんだ地面に、身を投げ出すようにしてうずくまった。
細く長い息をくりかえし、どうにか身を起こそうとしても、するどい痛みに耐えかねて彼はひざをついた。
それでも、立ち上がれなくても、彼は前に進まなくてはいけなかった。たとえそれが亀の歩みでも。
周囲に人影はない。すでに彼と行動をともにしていた仲間はみな、
黒き魔法使いたちがマグルに宣戦を布告したほぼ15年前──世界をまきこんだ戦争がはじまった頃、彼はまだ子どもだった。
戦争の理由、敵方の崇高な目的とやらは彼にはよくわからなかった。『マグルから魔法族がこそこそと隠れまわるようなことを良しとしなかった』のは判明していたが、それは要するに『魔法の力を隠さずにマグルの前で使う』ということだ。
つまり『魔法による犯罪の取り締まりがきちんとできなければ、魔法族は一方的にマグルを魔法のえじきにできる』ということになる。
果たして、『ゲラート・グリンデルバルトは魔法による犯罪を完ぺきに取り締まれるのだろうか?』現在の魔法界ですらちょくちょく闇の魔法が横行していて、闇払いたちが取り締まりに奔走しているというのに?
彼は信じなかった。
ゆえに、マグル生まれだった彼は
戦争なのだ、覚悟はしていた。生きて戻れないかもしれないと腹をくくってはいた。
それでも彼にはどうしても帰らなくてはならない理由があった。──必ず帰って"あの呪い"を、解かなければ。
男が這いずり回るようにして
杖は手元にない。戦いのなかでとっくに折られて打ち捨てられてしまった。こうなれば彼は移動も傷の治療もままならなかった。杖のない呪文はあまりに難易度が高く、彼の手札にはこの状況で使えそうなものもなかった。
体中から温度が抜け落ちてゆく。彼に寒さをもたらしているこれは、どうやら泥じゃなかった。
彼の脳裏には、はにかむように笑う美しい女性が「待っています」と彼に告げたことが思い浮かんでいた。彼女はマグル界の実家に預けてきた。"自分のために魂を捧げてくれた彼女"に指輪を贈ったことは後悔していない。
ようやく初めて触れ合えるようになったあの時、細く冷たい指に触れたあの時がまさか最後になるなんて。
──君だけは自分がいなくなった後も幸せになって。
そのためには"呪い"を。あの"呪い"を解かなくてはいけないのに。
力が抜け落ちてゆく。もはや腕の力だけで身体を前に進めるのは不可能だった。
背中を打つ雨がいっそ激しくたたきつけるように彼の体温を奪っていく。
このまま死んでしまうのは、彼にとってあまりに恐ろしいことだった。
*
1970年(最初の大冒険と同年) 初夏
「クラリスちゃん、お皿洗いありがとう」
「はい、いえ、こちらこそごちそうさまでした」
台所に立っていたクラリスが、濡れたタオルを両手でぬぐったのがセブルスのところからも見える。
「飲み物をもっていくから、2人と一緒にいてね」
隣にいたリリーの母親に促され、彼女はリリーとセブルスがいる食卓テーブルの方へ戻って来た。その首から下げた"
食卓テーブルに置かれていた2人の"うろこ(仲間の証)"も呼応するように温かい光をきらめかせていた。
クラリスはいつも、こっそりと"うろこ"をセブルスに返し、そして帰りぎわに預かるのだ。
この日、リリーの父親は不在だった。何か用事があって出かけているのだという。感じが悪いリリーの姉もいなかった。この家の中にいるのはいつもの3人と、リリーの母親だけだ。
「洗うのまでいつもやってるのか?どこに何がしまってあるか全部わかってるみたいだった」
「ああ、セブルスには言ってなかったかしら。クラリスはほとんど毎週うちに来てるのよ」
リリーがなんでもないように解説すると、クラリスが補足した。
「リリーよりも、リリーのママと知り合った方が先なのよ、私」
「だから何なんだその顔の広さ……」
リリーの母親がこちらに向かってくるのが見えたので、3人ともなんとはなしに口を閉じた。大き目のポットと3人分のグラスが、テーブルに並べられていった。
昼食をリリーの家でごちそうになった後のことだ。
セブルスは相変わらずの服装だったし、清潔でもない。
マグルであるリリーの両親がいる家にあがるなんて、ふつうは許されないはずだ。リリーが……あるいはクラリスが説得でもしたのだろうか。この日はじめてお邪魔できることになったのである。
あれからも3人はそろって「不思議なできごと」につぎつぎと出会った。とはいえ、学校に通っているリリーには、それほど頻繁に会えない。そういう時はクラリスの家に遊びに行くことも多かった。
もちろん、リリーにもクラリスにも会えない日というのもある。クラリスはちょくちょく家を空けているようだった。彼女は「"お手伝い"をしているのよ」と説明をしたが、それだけだ。それがいったいどういった人との繋がりで
ちなみにこの時、「いなくてもいいから家を使わせろ」とセブルスは要求した。しかし「図々しいわね」ととても嫌そうな顔をされたので引き下がったのだ。クラリスはともかく、話が伝わったらリリーにまで嫌われてしまうかもしれない。自分よりも、クラリスの方がリリーと仲が良いのだから。
グラスに最初に入れた分がすっかりとなくなった頃、リリーの母親は庭に出て、なにか植物の手入れらしいことをしていた。大人の前で"魔法の話"をしても
ふと、クラリスの首元に、クラリスの髪の色彩と同じものがくっついたのが見えた。指先くらいの大きさで、小さな星が散っている。リリーもそれに気づいたらしく、指でつまみ取った。
「ひゃっ!?なに?」
くすぐったかったらしく身をよじったクラリスに、リリーはくすくすと笑った。
「髪がとれてきたのよ、クラリス」
リリーがクラリスの目の前に手を伸ばしてその手にとったものを見せた。それは糸のような細長いものではなく、まさしく羽毛だった。クッションや枕に使われているものと同じか、少し小さいサイズだ。
(ふつうの魔法族みたいに見えるけど、やっぱり違うんだ)
知ってはいたはずだが、やっぱりクラリスには魔法生物の血が流れている。
その羽毛にもどこか星のような小さな光が散っていて、時折きれいに瞬いているようだった。"抜け毛"として捨ててしまうのは、もったいないくらいだ。
彼女はあまりにたくさんのものを持っている。
きれいな髪に、歌の能力。魔法界の道具、整った家、親切にしてくれる大人。──そのなかにはリリーの両親も含まれている。
不意にセブルスの心にくらい影が差した。
──クラリスに、自分がすごく恵まれてるってことを思い知らせてやりたい。
ちょっとくらいはいやな気持ちにさせたっていいんじゃないか。
"魔法生物"のくせにいい思いをして。
へえ、とセブルスから、まるで知っている誰かの嫌味のような声が口をついて出た。
「毎週リリーに羽づくろいでもしてもらってるのか?まるでこの辺りのやつらのペットだな、お前」
目の前にいるクラリスとリリー2人のからだが一瞬、はっきりとこわばったのが見えた。
「なんてことを言うの!?」とリリーが眉をつり上げたのと同時、クラリスはにこりと唇に弧を描いてみせた。
「知ってる?ペットってね、つまりみんながお世話したくなるほど可愛いってことよ。……あら、じゃあ『褒めてくれてありがとう』っていうところだったのかしら?」
彼女の目は笑っていなかった。
クラリスの気分を害するのには成功したが、なんだかすっきりと晴れた気がしない。
それでもこういう時、どうすればいいのか自分の引き出しには存在していなかった。友だちなんて知らなかったし、2人にこんな言葉を吐いたのが初めてだったからだ。
「セブルス。今のはダメよ。クラリスに謝って」
リリーは
「悪いことなんか言ってない」
「いいえ、今のはすごく嫌な感じだったわ。悪いことなの。『ごめんなさい』しなくちゃダメ」
リリーがきっぱりと言い切った。
一方で隣のクラリスは目を細めた。その瞳には非難する色がありありとあらわれていた。
「友だちがいなくなるわよ。自分がされて嫌なことはしないで」
2対1だ。
セブルスが言い張り続けても2人ともに否定されるだけなのがわかったので、口をつぐむしかできなかった。
ひとをわざと嫌な気持ちにさせるのが悪いことだというくらい、わかっている。わかっていてもつい口を衝いてしまっていた。どうしても、そうしてやりたかったのだ。
胸のなかにあったもやもやとしたものが、
だってお前はたくさん色々なものを持ってるじゃないか。それなのにこのくらいのことを大問題みたく言うのか。
(このくらいぶつけられて普通だ。そうじゃないなら……)
──だったらそれを雨あられとぶつけられている自分は。ペットほどにも可愛がってもらえない自分は。
「このくらいのことの何が悪いんだ!」
リリーはびっくりしたように目をまん丸にして、クラリスのそばに寄った。リリーにこんなに腹を立てたところなんて、見せたこともないからだろうか。
一方でクラリスは驚いてはいないようだが、みるみる難しい顔になっていく。それはセブルスへの何らかの感情……怒りとか、不快とはちがう。「この問題はどう解決したらいいのかな」と問題集に取りくむ時みたいだった。
氷が解けるじわじわとした音まで聞こえてくるくらい、3人とも口を開けないままで時間だけが過ぎていく。
(……失敗した)
我慢しきれずこんな風にしてしまったのに、胸のなかの
そうしたければ謝ることが必要なのだとリリーもクラリスも言っているのは理解できている。それでも自分が悪いのだと思いたくないのだ。
そのままセブルスが気持ちに何の
「──ただいまー!」
玄関の方から
彼女はダイニングに足をふみ入れた途端、とてつもなく嫌そうな声を出した。
「あら2人とも、ずいぶんと遠くまで遊びに来たものね?またウソの相談?何よ、その羽」
言ってから、リリーの姉はリリーが手元に触れているそれが、明らかにクラリスのものだと気づいたらしい。母親が子どもたちの様子に気づいていないかを見やってから、つづく言葉を口にした。
「"まとも"なものじゃないようねえ。
クラリスは吹きだして笑いはじめた。
さっき全く同じようなことを言われたばかりだったからだろう。やがてその笑いが、けたけたと腹を抱えたものになっていった。
あまりに場にそぐわないリアクションに、ペチュニアは「何がおかしいっていうのよ!」と顔を真っ赤にしてカンカンに怒っていた。
それでもクラリスは耳には入っていないように笑い声をあげ続け、やがて視線をペチュニアとセブルスのあいだで行き来させた。にやにやとセブルスの方に向けた目は『あなた、自分が嫌いな人とまったく同じこと言ってるわよ』と茶化しているみたいだった。
馬鹿にされているみたいだ。
セブルスは頭にきたが、失敗したばかりでまた文句を言ってやる元気はない。
クラリスは口元をおおって、無言で身体を震わせていたままだ。
やがてリリーまで、つられたように笑い声をもらした。
「もう……クラリスったら」
リリーにまで笑われた。
クラリスはともかく、リリーにまで『バカなことをやっている』と思われているみたいだ。だんだんと自分がとんでもなく恥ずかしいことをしたような気がしてきた。
「笑いすぎだろう」
失敗と気恥ずかしさがまざりあっているのを誤魔化したくて、クラリスの背中を押した。以前ふざけたクラリスにリリーがやっていたみたく、かるい感じで。
(……ん?)
クラリスのからだは震えていない。
いまだに口元をおおっているのにだ。
(つまり……)
違和感に動きをとめたセブルスに、彼女はふりむいて悪戯っぽく舌をだした。
(もしかして、途中からうそ笑いだったのか?)
でもそのウソのおかげで、先ほどの重苦しい雰囲気はどこかに消えていた。
*
3人はリリーの部屋に集まっていた。
住んでいる地域と同じく、彼女は裕福な子だからいろいろなものを持っていた。たくさんの服がつまった箪笥(たんす)に、自分用のつくえ。ベッドに大きな鏡がついたドレッサーまで。姉も同じような一人部屋をもっているらしかった。
セブルスは間近にあるリリーの顔に内心でどぎまぎしながら、なんてことのないように小声で魔法のことを説明していた(すぐそばにクラリスもいたのだが、そっちはどうでもよかった)。
「──長いことその物によくない効果を及ぼすのは"ヘックス"っていうんだ。傷を残したりだとか」
「解き方ってあるものなの?」
「呪文の効果を消す"反対呪文"というのがあるみたいだけど……。カウンター・ヘックスは聞いたことはない」
彼ら3人は身をよせ合い、声をひそめて話していた。近くにいるかもしれないペチュニア(リリーの姉)に聞こえないよう、気をつけるためだ。
ペチュニアに魔法界のことを聞かれないようにする、というのは、おもにセブルスとクラリスの方でリリーを説得する形になった。『聞かれたたらまた何か言われる。そうしたら3人ともイヤな気持ちになるからやめておこう』と。
3人のうち、実のきょうだいであるリリーの話ですら『うそ』と決めつけられるなら、ほかの2人に聞く耳をもたせる方法なんてない。『信じてもらえるようになる魔法』はクラリスも使えないらしいし。
リリーの話によると、ペチュニアは彼ら2人が帰ったあと、いつも魔法の話をリリーに尋ねるのだという。
そうして聞きだすだけ聞きだすくせに、聞きだした話を一から十まで「気色悪い」だの「おかしい」だの、とにかく否定するそうだ。「それはすてきね」なんて褒めることは一度もないのだと。
リリーだって言われっぱなしではいられない。だから「そんな風にいうなら聞かないでよ」と怒るのだが、ペチュニアが改めることもない。
「──ねえ、やっぱり魔法界の話はやめない?ホグワーツは魔法界にあるんだから、入ったらいやでもわかるようになるわ。なん年もいるのよ?今すぐにわからなくたって……」
クラリスは、セブルスと同じく魔法界の話をペチュニア(感じの悪いマグル)に伝えようとは思っていないと言った。
「マグルはみんな信じないわ。どれだけやさしい大人でも。
『信じる』って言い出すのは犯罪者くらいのものだって聞いた。きっと、魔法で証拠を消せるかもしれないからよ。
ペチュニアがたとえ信じるって言いだしても、わたしは信じられない。だからあの人に聞かれるのを心配するくらいなら、魔法のことを話さなくたっていいじゃないの」
「でも……、だって、気になっちゃうわ。こことはちがう魔法の世界があるなんてワクワクするもの」
クラリスはそんな風にリリーに言い返されると、答えに困ったように視線をさまよわせ始めた。
以前からそうだが、どうも彼女は『リリーの言うことは自分よりも正しい』と考えているふしがある。
そうやって迷ってくれるのは、今回はセブルスにも好都合だ。
「今回のはきみが持ちこんできたんじゃないか」
畳みかけてやると、クラリスはぐうの音も出ないという顔になって黙りこんだ。
勝った。
セブルスは満足感をおぼえながら、もう一度『今回の』持ちこまれたものに視線を向けた。のこり2人もつられるようにそうしている。
視線があつまった先、リリーのつくえの上には四角い木のようなものが置かれていた。大きさは、小ぶりなメロン、もしくは育ちすぎた梨くらいある。
(どんな魔法がかかっているんだろう)
セブルスは先ほどクラリスに聞いた話を、もう一度あたまの中で振りかえってみた。
*
クラリスはその日、"近所"の人が集まる『とある会合』にいた。
会場にいたのは全部で10人程度だった。その部屋はおやつをつまみながら話すような場所なので、普段は一人がけのソファや椅子がたくさん、あとは所々にちいさなコーヒーテーブルが置いてある。どれもきずや破れを修理した跡が残っていて色もみすぼらしかったが、座るのに問題が起こったりはしない。
しかし、その日はいつもと違っていた。ど真ん中に3台も大きな長テーブルが並んでいるし、その上にやけに古びたものが山盛り載せられていたのだ。
何かの食器らしきもの、ほこりがかかったままの燭台、錆のういた兜のようなもの、その他たくさん。汚らしくて、クラリスにはどう使うものかもよく分からないものばかりだった。
持ち主も、見たことのない人だ。ふとっちょで
「これはね、うちのパパが──旦那じゃないわよ、父親の方ね……遺してくれたものなのよ。骨とう品を
ウチの旦那は役に立たないし、大した価値もないものだから自由に持って行っていただけます?」
ペラペラとまくしたてる合間にくちゃくちゃ音がするわ、口から泡をとばしているわで気色がわるい。
クラリスは「この人からテーブルをはさんで一番遠いところにいよう」とこっそり決心をかためていた。
おそらくこの用事を済ませるために参加してきただけだろうから、今回さえ終わればお付き合いを考えなくていいはずだ。魔法魔術学校に入るまでの期間はのこり1年間。我慢するには長すぎる。
集まっていたのはご婦人たちで、めいめいに「ありがとう」「ありがとうございます」などと礼を言い、並べられたものに手をのばした。
おかしなところは何もない。
それなのに、おばさんは何故か気に食わなそうに目をつり上げて、一番近くにいた人に文句をつけはじめた。
「ああ~、ダメダメ。そのトレーはね、奥様の家で使うにはちょっと重たすぎるわよ。こっちの軽いものの方がいいわ」
「そう?少し重ための金属のものが欲しかったのよ。金の飾りも入っているし」
「ええ、ええ。そういう時もおありでしょうね。ねえ!そちらの奥様?いかがかしら。重たいのが欲しいとおっしゃってたでしょう?」
そんな調子で部屋の中を練りあるきながら、おばさんは骨とう品を手に取った人ひとりひとりに「これはいい」だの「あれはダメ」だの、とかく口やかましかった。
クラリスもためしに、手近にあった比較的きれいな銀色の燭台を手にとってみた。3本ろうそくが立てられるタイプのもの。土台は曇っていて、刻印も見えないくらい埃が浮いている。
「お嬢ちゃん?それは遊びで使うものじゃないのよ。いくらきれいだって言ってもこれはあなたにはダ~メ。(彼女はクラリスの手から燭台をもぎ取った)ね~え奥様!これなんていかが?──あなたにはこういう燭台ならいいわよ」
クラリスに手渡されたのは、錆びた鉄製の、浅いカップのような形をしたろうそく受けだった。
(さっき『自由に持って行って』とか言ってなかった?)
結局あの人は、誰にどれをあげるかを自分で指図したいのだ。
(これを"自由"だと言うのなら、鳥かごの鳥の方がよっぽど自由じゃないの?自分でえさ箱から食べるか水を飲むかくらいなら選べるんだから)
クラリスはとたんに馬鹿馬鹿しくなって、そばにあった1人用ソファに飛びのった。帰ることはできないが、参加してもしなくても同じなんだから参加しない。きっと本当にクラリスが必要としているものがあったとしても、別の人のものにされてしまうのだ。
おばさんは気づいていたようだったが、特に何も言ってこなかった。自分の口を出す手間を省けたとでも思っているのだろう。
(おばさんの口出しによって)あらかた引取り手が決まった頃、おばさんはクラリスに声をかけてきた。
「これだけのものを持って帰るのはちょっと大変なのよねえ~。そうだ、あなたみたいな子どもにはこういうのがいいんじゃないかしら」
価値のありそうなものはみな、すべて配ってしまった後なのに。特におばさんの仲が良いらしい大人たちに沢山。
残っていたのは、ほとんど鉄くずになったような金属製品やくすみ切ったアクセサリーの一部、落書きのついたオルゴールなどのような、
クラリスだってそんなものは欲しくなどない。
それらを適当な、どこか薄汚いふくろのようなものにひとまとめにして、おばさんはクラリスに差し出してきた。さいごの残り物をくれてやろうというのである。
(ありがたくって涙が出ちゃいそうー……うわ)
心の中で毒づきながら荷物を見やって、クラリスは思わず顔をひきつらせた。
荷物のいちばん上に積んであった『とあるもの』が目に入ったからだ。不釣り合いなくらいにきれいだったが、全くうれしくない。
なにせ、先ほどおばさんの仲が良いご婦人も"それ"を手に取ろうとしたのに、
「ダメよダメ。なにかいわくつきのものに違いないわ」
「これは呪いか何かかかっているのよ、きっと。ためしに使ってみたのだけれどね、倉庫に置いてあったアンティーク皿が真っ二つになってしまったの。おかげで売却が決まってたのにパア」
明らかに迷惑そうな顔をしたクラリスを、おばさんは上から見下ろして言った。
「修理でもしてみたら?うっぱらって何かの足しにしてもいいわよ。スピナーズ・エンドの子なら少しは役に立つでしょう?よかったわね」
どの地域に住んでいたって、役に立つものは役に立つし、役に立たないものは役に立たないだろうに。言外に『貧乏人は貧乏人らしくしていろ』とでも含みをもたせているのであろうか?
けばけばでブサイクなおばさんのくせに、悪意まであるらしい。
(わたし、この人嫌い)
もう一言だって口も利きたくない相手だった。荷物だって重いばかりで役立たずのものしかない。率直に言えば『持って帰りたくなどない』。
──でも。
周囲の大人たちがクラリスがどう答えるかを見ていた。何名かは気の毒そうに、何名かは面白い見世物かなにかのような笑みを浮かべながら。『子どもだからって失礼でしょう』なんて止めてくれるような人はいなかった。
クラリスはだまって頭を下げた。葬式の真っ最中かのように暗くかたまった、自分の表情をかくすように。
彼女には、断るという選択肢は存在しなかったから。
「ではそうさせて頂きますね。ありがとうございました」
*
「なんて人なの!」
リリーは話を聞いて憤慨していたし、セブルスは「"それ"を牡蠣おばさんに使ってやろう」と提案した。
そんなやつに頭をさげる必要はないじゃないか。
「人間を真っ二つにする気?」
クラリスはくすくすと笑ったが、リリーはそんな彼女に真剣な表情を向けた。
「そんなの我慢しちゃだめよ。もしそれを言ったのが
クラリスは叱られた子どものように、口をへの字に曲げて下を向いてしまった。
「大人と子どもは別でしょう。大人のいうことをきかなくちゃ、わたし……」
ぼそぼそと、最後は消えいるような声音をしていた。
おとなの前で『いい子でいる』ことを望んでいるというのとは違う気がする。その顔からは血の気が引いていて、まるで人質でもとられて言う事を飲まされているみたいだ。
クラリスがそう思ってしまうような、何かがある。
セブルスは同じように
──そんな風にして、3人はクラリスに押し付けられた"いわくつき"について頭を悩ませていたのである。
クラリスは杖の呪文こそ勉強していても、魔法界そのものについてはうとかった。その点に関してはセブルスの方が情報をもっているくらいである。だから、魔法界について何か気になることがあったら、2人ともまずセブルスに訊(き)くようになっていた。今やセブルスは3人のなかで『魔法界にくわしい』担当だ。
話しあいがひと段落したところで、3人はリリーのつくえの上に置いた、その"四角いもの"にもう一度目をやった。小ぶりなメロン、もしくは育ちすぎた梨くらいの大きさのものを。
それは古くさい形の
形を大まかに言いあらわすのならば、『四角い本体部分から丸いレンズ部分が飛び出している』ものだ。
本体の大枠は木でできていて、ところどころにシミのようなものが浮いていたが、割れや欠けなどは見当たらなかった。手持ちがしやすいように両横はくぼんでいて、右側の金属でできたシャッターボタンを押すことで撮影できるようだ。
万が一にでも押してしまったら、リリーの部屋のものを真っ二つにしてしまうかもしれない。ちょうど『安全装置』のようにカバーをかけられるようになっているので、そこを触らないように気をつけることにした。
カメラは専用なのだろう革製ケースに入っていて、金具からは首から引っ掛けられるベルトがのびている。丸いレンズの先端には、これまた革製らしきカバーが
セブルスは最初、それが何なのかよくわからなかった。カメラで撮影したことなんてないからだ。
"一般的なマグルが使うカメラ"と見比べて、ようやく「そうかもしれない」と思った程度だ。
マグルのカメラの方はリリーの父親の部屋に置いてあったもので、リリーが勝手に持ち出してきたものだ。
「こっそり戻せば大丈夫よ」とリリーは何でもない事のように言っていた。
3人はいわくつき写真機をあちこち確かめてみた。呪いがかかっていそうな感じはしないし、おばさんだって手づかみしていたのだ。シャッターさえ切らなければ大丈夫だろう。
「なにか、ここに
セブルスはレンズの根本部分を指さした。
「取り外せる?まえに見たのは、レンズを付け替えていたのよ」
リリーがためしに回してみても、外れそうな気配はない。
わざわざ隙間をつくってあるのだから意味はありそうだが、かいもく見当もつかなかった。
「これって何かしら?」
一方で、革ケースを調べていたクラリスは、中からハガキのようなものを取り出していた。
さっそくリリーが検分する。
「これ、ポラロイドカメラのフィルムに似てるわ。普通のカメラのフィルムは……なんて言うのかしら、テープに似てるの。セロハンテープの太いのを、黒っぽくした感じ」
ポラロイドカメラは、1948年にアメリカのポラロイド社がつくったインスタントカメラのことである。普通のカメラではフィルムから写真をつくるために現像という作業が必要だが、このカメラではいらない。シャッターを切って少し置くだけで写真になる。そういう道具だった。
普通のカメラのフィルムは、一見すると細長いテープだ。なかには切手くらいのマスがいくつも連なっている。1回の撮影ごとで、切手くらいの大きさのマスに撮ったものが焼きつく。次の写真を撮りたければ次のマスになるよう、カメラに巻き取る機能がついているのである。
クラリスが持っているのはタバコの箱くらいのサイズだし、四角い枠にはまっている。
「多分、これは焼けちゃってるんじゃないかしら……」
リリーの説明によると、フィルムは太陽の光にあてると真っ黒く変色してつかえなくなるそうだ。たしかに、そのフィルムらしきものは真っ黒になっていた。
「中もしらべてみよう」
そんな風にして、カメラにくわしいリリーが先頭に立って2人に説明していくようになった。
「……普通のものよりずいぶん分厚いのね」
リリーがカメラ本体をひっくり返すと、本体の裏側には、普通のカメラと同じくフィルムを交換するための"小さな扉"みたいな
ただし、開けることは3人の誰にも叶わなかった。
リリーがふたのへこみに指をかけた途端、どこからともなく伸びてきた太めの糸がカメラ全体にからみついたのである。
毛糸みたいな太さのそれが重なり合って、みるみるうちに
カッターやハサミをためしてみても、まったく歯が立たない。
それどころか、刃が糸に触れた途端に『噛みつかれ』そうになった。糸が
カッターやハサミを近づけると、“口”はそれらの刃物を噛みくだいてしまった。
手のつけようがない。
クラリスは肩をすくめた。
「もう少し"呪い"の情報が欲しいわね……。
マグルの世界にも"呪い"っていう話は出るけど、お清めとかお祓いって話になるみたい。聖水をかけるとか、聖句を唱えるとか……。あとは日光にさらしたり、土に埋めたり、清められた自然のなかに置くといいとかなんとか、神父様が言ってたわ」
ある程度自分でも調べてはみたらしい。彼女はつづけた。
「きれいな土地っていったら、やっぱりリリーの家の近くじゃないかしら」
「リリーに、そんな得体の知らないものを持っていろっていうのか?」
「じゃあ
リリーは困ったように言った。
「わたし、……うーん。預かってあげたいけど、
「さすがにペチュニアだって、妹の部屋を引っかきまわすようなことはしないんじゃないの?」
クラリスはそう説得しようとしたようだが、リリーは首を横にふった。光に当てるならしまいこむわけにもいかないので、ちょっかいをかけるかもしれない。万が一でもふたを開けようとしたら噛みくだかれてしまう。セブルスは「あいつが噛みくだかれたっていいじゃないか」と言ったのだが「どうしてそんなことを言うの!」とリリーを怒らせてしまった。
「──そうだわ!」
やがて、リリーは名案を思いついたようで満面の笑みを浮かべた。
「秘密基地を作りましょう!」
子どもといえば秘密基地。