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その出会いは、運命だったのかもしれない。
或いは、奇跡だったのかもしれない。
或いは、必然だったのかもしれない。
時刻は夕暮れ。日が沈み掛け、赤い光が街に差し込んでいた時に―――幼き頃の「篠ノ之束」は、“彼”と出会った。
何の変哲もない公園、そこに建てられたジャングルジムの頂に、一匹の鴉と並んで座っていた少年。
傍から見れば、少年が何をしているかなど全く分からないだろう。
事実、篠ノ之束は目に映る少年がいったい何を思って其処に居るのかなんて全く分からなかった。
だが、だからこそと言うべきか―――もしくは、不思議な事にと言うべきか、篠ノ之束はその少年に興味を持った。
幼き頃より天才として生きた彼女が。
たった一人の親友とその弟、そして自分の妹を除いた全てを有象無象と見做していた彼女が。
その目に映しただけの少年に、興味を抱いたのだ。
「お前、何してるの?」
ジャングルジムの方へと近寄り、彼女は少年へと声を掛けた。
初対面であるにも関わらずお前、なんて言葉を使っては相手にもされないだろうが。
この時から、篠ノ之束はそんな誰もが気にする様な常識を持ち合わせてはいなかった。
無遠慮な彼女の問い掛けに、少年は―――
「……」
無視を決め込んだ。
正しく言うならば、無視したというよりは彼女の声が届いていなかったというだけの話しなのだ。
自分の言葉を無視された彼女は、ぴきりと青筋を立てた。
無視。自分の言葉を、この篠ノ之束の問い掛けを凡人が無視するか。
彼女は、声を荒げた。
「おい、無視すんな! 何してるのか聞いてるんだぞ!」
「……空を見ていた」
憤りの声は、どうやら少年に届いたらしい。
しかし、少年はその声に驚く事も気不味そうにする事もなく、ただただ自然体だった。
まるで、まるっきり興味が無いかの様に。いや、事実として一切の興味がないのだろう。
彼は、篠ノ之束を視界に収めようともしていなかった。
「なんで空なんか見てんのさ。なんか有る訳?」
それに苛つきはしたものの、しかし何とかそれを抑え込んで、篠ノ之束はさらに問いを投げた。
だが、そんな彼女の問いに彼は腑抜けた答えを返した。
「…分からない」
「…はぁ?」
「気がつけば、いつも空を見ている。この空の向こうに、何かあるからなのか…それとも、宇宙に興味があるからなのか。自分でも分からない」
「…何それ。意味分かんない」
「……そうだな。だが、不思議と疑問には思わない。君は、どうだ?」
「は?」
「君は、この空の向こうに何があると思う?」
少年は鴉と共に、初めて彼女を―――篠ノ之束を見た。
長い紫紺の髪が特徴的な、齢10代の少女。
赤いランドセルを背負った子供らしい容姿に似合わぬ冷めた雰囲気を漂わせる篠ノ之束に、少年はこう言い放った。
「なんだ、女だったのか」
篠ノ之束は、は? と言って顔を歪めた。
短い言葉ながら、それには確実な怒気が孕んでいた。
「随分と耳が悪いんだねー君。男はこんな高い声してねぇだろ馬鹿じゃないの?」
「幼い子供なら高い声をしていても不思議じゃないだろう。言葉遣いが男のそれだったから、男だと思っていた」
「失礼って言葉も知らないガキらしいね」
「そうか。それはすまなかった」
全く悪怯れもしない少年に、彼女の憤りはさらに煮え滾る。
ここまで他人に苛立つのは、人生で初めてのことかもしれない。そう思ってしまう程に、篠ノ之束は苛立っていたのだ。
今からこの少年を半殺しにでもしてやろうかとすら思った彼女だったが、それは少年の言葉によって遮られた。
「それで、どうなんだ?」
「…」
この空の向こうに、何があるのか。
単なる好奇心から投げられたその質問は、篠ノ之束という存在にとっても、大切かつ重要なものだった。
空の向こう側。無限に広がる宇宙。天才たる篠ノ之束ですら、未だ完全に理解出来ていない未知なる世界。
天才である彼女が持つ宇宙への憧れと興味は、他の誰よりも強い。
故に。
「分かんない。けど、だからこそ見付けたい。私が分からないソレを、理解したいと思ってる」
「…なるほど。そういう考え方もあるのか」
少年はそれだけ言って、恐れもせずにジャングルジムから飛び降りた。
地面までそれなりの高さがある天辺から飛び、受け身を取って着地するその様は、子供のそれではない。
その立ち姿には、全くの隙がなかった。子供なのに、油断が欠片もなかった。
「答えてくれて、ありがとう。いつか、君の願いが叶う事を祈る」
その言葉に、篠ノ之束は固まった。驚いたのだ。
ただ質問に答えただけなのに感謝をされた事に、ではなく。
自分の夢を聞いて、笑わなかった事に。その夢が叶うことを願うという前向きな言葉に。
少年は軽く手を振って、前へと歩き出す。
待って。そう言葉を掛けようとした瞬間に、彼に並んでいた鴉が羽ばたいた。
黒い羽が視界を覆い、咄嗟に目を閉じた。
声も出さず、静かに焼けた空へと鴉は飛び立った。
視界が開けた時には―――もう既に、少年は居なかった。