月毛の翔馬は夢を届ける 作:種なし米最強馬
彼にとってその馬は、自身の運命を決定づけた馬といっても過言でもない。
幼い頃に目にしたっきりではあったが、父が熱く語る様を一瞥して、名馬なんだという認識はあった。
名牝の血を後世に残したい――
父の口からは、たびたびそんな言葉が零れていたのを、彼はよく覚えている。
この時点では、関心など微塵もなかったけれど。
いや、むしろはっきりいって妬ましく感じていたのかもしれない。
父に寵愛され、牧場をあげて名馬の血を残そうとしている。
幼心には、それがいたく気に入らなかった。
だがその名馬を橋渡りに、数少ない父との交流を図れた。
名牝の話を出せば、真っ先に父は食らいついてくれる。
そのような認識が根底に根づいてしまった。
だからこそ、なのだろう。
彼が父亡きあとの牧場を継ぐのは、必然の流れのようになっていた。
病床に伏し、肉つきがよかった頬からはすっかり肉が削げ落ち、痩せ細った父の顔を覗き込むようにすれば。
重く閉ざされた口が、ゆっくりと、はっきりと。
言葉が紡がれる。
その言葉は呪文のように、呪縛のように。
今もなお、彼の行動原理となっている。
――ガーネットの血を、頼む――
最期の間際まで、父としてオーナーブリーダーとして。
牧場の先行きと、名牝――ガーネットの血を案じるように。
息子へと、すべてを託していった。
1991年、4月。
冬が明けると、馬産をしている牧場の動きは慌ただしくなってくる。
サラブレッドの出産シーズンへと差しかかろうとするなか、父親から引き継いだこの牧場だって例外ではない。
――シロハナ牧場。
恐らくガーネットという馬名から連想してつけられたであろう名を目にすると、改めて父親がどれだけの熱量を注ぎ込んだのかがわかる。
この牧場は馬を専門としていて、現在は繁殖牝馬を5頭ほど繋養している。いわゆる中小牧場という部類には入るか。
だが他と違って異質なのは、繁殖牝馬だろう。
なにせ、5頭中4頭がガーネットを母に持つのだから。
今後血統表にガーネットの名がある種牡馬が出てきてつけようとするなら、真っ先に牧場内の繁殖馬の血が閉塞してしまう。
ガーネットに関連のある血を持つ種牡馬をつけようとするなら、極力気を遣わないといけない。
しかし、最近では外国から輸入種牡馬が来たりするので、多少は気を張らなくてもいいように。
それでもこの季節になると、やはり気をつけておかねばならない。
暗澹とした夜が空を覆い尽くしているなか、牧場内は慌ただしくスタッフたちがあちこちを走り回っている。
「ランちゃんが! ランちゃんが産気づいたよ!」
星ひとつない闇夜など気にもかけず、ただ淡々と準備に取りかかる。
さて産まれてくるのはどんな馬か――
スタッフから声をかけられ、馳せ参じた加賀文夫は期待で胸を弾ませていた。
「ランドガーネットが……。確かつけた種牡馬は……」
文夫が顎に手をやって言いだす直前、遮るかのように歓喜の声が上がる。
聞きつけて、文夫も慌てて走り寄る。
着いてみれば、どこにも異常なく、無事に出産を終えていたようだった。
今年で15歳になるランドガーネットも息を吐いて、リラックスしている。
なんら変わりのない生産だった。――ただひとつを除いて。
「か、加賀さん……」
「ん? どうし、た……!?」
産まれてきた仔馬を一目見て、唖然とする。
馬房の窓から射す月光に照らし出されたのは、淡い黄白色の馬体。
「あれは……なにがあった……」
あんな馬体の仔馬など目にしたこともない。
母馬のランドガーネットは鹿毛なのに、仔馬は尾花栗毛より一層白く、淡い毛色。
まるで月そのもののようだった。
「月、か」
夜空にふと目をやってみる。
するとそこにも、光があった。
淡く瞬く一等星。先ほどまで星ひとつない夜空を、一瞬のうちに輝かせていた。
思わず目を奪われる。口から感嘆が零れる。
「あんなに綺麗な星、予報にあったか?」
「わからん。たぶんなかったような。でもなんだか、ランちゃんの仔の誕生を祝福してくれてるみたいだな」
スタッフの冗談めかした言葉に、文夫は内心で頷く。
月のような仔馬に視線を向ければ。
すでに立ち上がって、母馬に乳をねだるその姿が。
どうにも輝いているように見えて。
「月色の仔馬、なぁ……」
――父さん、ガーネットの子孫から名馬が産まれたかもよ。
文夫は内心で、天にいるであろう父にそう語りかけた。
ランドガーネットは架空の繁殖牝馬です。
父は三冠馬シンザン、母は天皇賞牝馬ガーネット。