月毛の翔馬は夢を届ける 作:種なし米最強馬
シロハナ牧場で黄白い不思議な毛色の仔馬が産まれてから、5ヶ月。
9月。秋を迎え始めるこの頃でも、あの仔馬は元気よく放牧場を走り回っている。
「相変わらず元気そうだな、ランちゃんの仔は」
「とんでもなく元気ですよ。この前なんて私を見かけたらすぐ走り寄ってきて、口で袖をくいくい引っ張ってきましたから」
仔馬を微笑ましそうに見守るのは、文夫と牧場長――小牧和美のふたり。
その双方とも、月色の仔馬に想いを馳せる。
「月毛、でしたっけ? あの仔の毛色」
「そうだね。確か、とても珍しい毛色だとか」
「なんで黒鹿毛の父親と鹿毛の母親の間から産まれてきたのでしょうか……」
「たぶんだけど、突然変異じゃないのか?」
和美はポニーテールに束ねた後ろ髪が強く揺れるほど、深く頷く。
「そうなりますよね。でもあんな綺麗な毛色、初めて見たので見惚れちゃいますね」
「それは無理もないよ。僕だって目にすることなどないと思ってたから」
互いに顔を見合わせて、笑い合う。
あんな仔馬が産まれてくるなどとは、夢にも思えないだろう。
競馬に絶対はない――そんな格言が存在するが、馬産においてもそれは同じようだ。
ところで、と和美は零す。
「今日は調教師の方が来られる、のでしたっけ?」
「その通り。まあ、うちにいる当歳馬を軽く見ていくところかな」
調教師といっても知り合いの人だけど、と文夫は軽く笑って頭を掻く。
「今日はひとりだけ来るみたいだから、どう見えるかだけ教えてもらおうかなって」
こういうときこそ、コネクションが少しでもあれば役立つ。
文夫はぎゅっと拳を握りしめる。
「僕的には、月毛の幼駒に注目してほしいけど」
午後の2時。どこか冷気を含んだ風が頬を撫でるが、それすら意にも介さない。
昼食を摂ってから2時間、文夫は忙しなく放牧場前を歩き回っている。
まるで旋回癖のある馬のようだが、そのようだとは口が裂けても和美は言葉にできない。
「よっぽど気にかけてるみたいですね……」
ここで初めて、文夫は俯かせていた顔を上げる。
「それはそう。というか、誰だって所有する馬の素質は気にもなるよ」
顎に手をやり、文夫は再び黙り込む。
「もうすぐ約束の時間だしさ、ここで待つよ」
そう返されては、和美もこれ以上はなにも言い出せない。
癖馬みたいだなぁ、と内心で頭を抱える。
と。そんなやり取りをしていれば。
遠目からスーツ姿の40代ほどの男性が視界に入る。
「あっ、東先生!」
文夫が一礼すると、男性は笑んで会釈を返す。
「こんにちは、加賀さん。産まれてからすぐ見に行ければよかったのですが……申し訳ないです、秋になってしまって」
「いえいえ、お気になさらず。色々込み入ってたみたいですし。……ああ、こっちは牧場長の小牧和美です。確か顔合わせは初めて、ですよね?」
「そうでした! 申し遅れました、小牧和美といいます。よろしくお願いします」
和美が快活に答えれば、男性は懐から名刺を取り出して、和美に差し出す。
「こちらこそ申し遅れました、美浦で調教師をしております、東正則と申します。以後、よしなに」
男性――正則は改めて深くお辞儀をし、顔を上げると、文夫に向き直る。
「では早速ですみませんが、当歳馬を見せていただいても?」
喜んで、と文夫は答えて、和美と共に来訪者を通す。
「こっちが放牧場です。今いるのはあの仔だけですが……」
手をかざして、月毛を指す。
おおっ、と正則は思わず感嘆する。
財宝を目にしたかのように、身体と視線は引き寄せられていた。
「あれって、月毛ですよね……?」
「そうなりますね。産まれたときからあんな色で」
「もうちょっと近寄ってみても?」
「気をつけてくださいね、あの仔、けっこう甘えん坊ですから」
放牧場に入った正則を認識するや、仔馬はトコトコと歩み寄ってくる。
仔馬に袖を咥えられながらも、頭をそっと撫でつつ、頷きながら判断していく。
「……人懐っこいですね。ここまでなのは私が見てきた中で一、二を争います」
「誰にでもこうなんですよ。おかげでうちのスタッフはみんな骨抜きにされましたよ」
ふと咥えられている袖に目をやって、正則は顔を強張らせる。
「あっ……すみません、大丈夫ですか?」
文夫がそう尋ねると、正則は見開いた目を向けてくる。
「……すみません、血統を伺っても?」
唐突な問いでも、文夫は笑顔で答える。
「――父がジャパンカップ勝ち馬カツラギエース、母がランドガーネット、母の父は三冠馬シンザンです」
「……なるほど。正直に言わせていただくと、少し小さめな印象だったので見くびっていました。――少しすみません」
ですが、と続けると。
正則は思いっきり、力いっぱいに咥えられている袖を引っ張った。
ビリィッ、と布が破ける音が響く。
「――なるほど」
破られた袖を一瞥し、正則は苦笑する。
「す、すみません! 弁償します!」
「その必要はありませんよ」
流石に慌てだす文夫を止めたのは、他でもない正則だった。
「とんでもないな……これは」
「え、えーと、大丈夫ですか?」
「はい、なんとも」
心配する和美を尻目に、正則は笑みを深める。
「すみません、加賀さん、小牧さん。突然すみませんが……。
この馬、とんでもないかもしれませんよ」
なので、と正則は頭を深く下げる。
「この馬をぜひ、私に預けていただけませんか?」
整った顔立ちは、不敵な笑みで染まっていて。
それはまるで、薪に炎が灯されたようだった。