月毛の翔馬は夢を届ける   作:種なし米最強馬

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飛翔、ゲッコウエース

 ターフが揺れる。風に靡いて、波立つように。

 各々の競走馬が本馬場へと姿を現し、観衆が沸く。

 そんな光景を、馬主席にいる文夫は、どこか懐かしく感じていた。

 

「久々だなぁ、こういうのは」

 

 目を瞑って。

 かつてこの場を来訪したときを追憶する。

 父に連れられ、初めて目にした競馬。競走馬が騎手を背に疾駆する様は、今でも脳に焼きついて離れない。

 

 ――あの馬が、ダービーを勝つ。

 

 東京競馬場に初めて足を踏み入れた際、父が一頭の鹿毛を指して、言い放ったことを思い出す。

 みすぼらしく、高貴さを一切感じられない馬体だった。それでも父が勝つと言い張るものだから、意地になってもう一頭の鹿毛が来ると予想してみたら、8着に沈んでいたのは苦い思い出だ。

 だが一方で、父の予想した馬は直線一気に脚を伸ばし、他馬をほとんど撫で切って、ダービーという栄誉を手にしていた。

 

「ああ、こういうときもあったね」

 

 思わず独り言を零す。

 まるで古巣に戻ってきたようで、この空気感に文夫はなぜだか身を委ねたくなる。

 

「ダービー馬はダービー馬から生まれる。そんな格言もあるけれど……」

 

 ふふっ、と微笑む。

 隣に座る和美が怪訝そうに覗いてきたが、気にしない。

 

「ホースマンはホースマンから。父さんがたまに口にしてたのを思い出すね」

 

「……? なにかの言葉ですか?」

 

「……秘密としておくよ」

 

「むっ、なんですか。その態度は! 新聞、見せてあげませんよ!」

 

「それはちょっと困るなぁ……」

 

「冗談ですよ、ほら」

 

「ん、ありがとう」

 

 和美から手渡された競馬新聞に目を通すと。

 

「……ゲッコウエース含めて8頭、か。けど……」

 

 眉根を寄せて、文夫は言葉を続ける。

 

「6番人気、ね……」

 

「エースくん、けっこうグッドルッキングホースなんですけどね……」

 

「父カツラギエース、母父シンザン……まあ、完全なる昭和血統だよね」

 

 無理もないか、と文夫が頷く。

 いくら珍しい月毛といえど、買えない馬は買えないのだと。

 けれども文夫は内心ではほくそ笑んでいた。

 

「さーて、幸さんはどう仕掛けてくれるのか……」

 

 

 

 

 

 この馬は、明らかになにかが違う――

 月毛の馬体を一瞥し、本馬場を疾走させる。

 幸久明がこのゲッコウエースという騎乗馬と巡り合えたのは、つい最近だった。

 連絡を貰って、いきなり東京競馬場で乗ってくれと依頼されたときは、乗鞍がない自分に偶然降ってきた単なる幸運としか思わなかったが、パドックで乗ってみて、そんな思考は一気に消え去った。

 

「これは……」

 

 呟きかけて、口を閉じて。ほんのちょっと手綱を引く。

 すんなりと減速し、他馬が周回する馬場へと入っていく。

 あとはスタートと走るだけ――

 久明の中では、だんだんと手応えのようなものが固まりつつあった。

 

「……よし」

 

 ゲート手前で旗が掲げられ、係員が次々と他馬を引いていくのを尻目に。

 久明は目を瞑って、4秒の間を経て開く。

 やがて係員がゲッコウエースの引き綱を持ち、8番のゲートへと誘う。

 

「……いくぞ」

 

 頬を叩き、手綱を手にし。

 

 

 

 

 

『――東京競馬場、快晴のなか、馬場のコンディションは良馬場。3歳新馬、芝1600m。

 

 スタートしました!

 ポンと飛び出ていった! ダッシュをつけて月毛の馬体、今年デビューの幸久明騎乗のゲッコウエースが一気にハナを切りました。そのまま先手を奪っていきます。

 しかしこれはどうしたのでしょうか。もうすでに2番手以下との差が6馬身ほどあります。これは大逃げか、幸久明。大胆な一手を打ちました』

 

 ただ、前を見据えて。

 目にするのはゴール板だけ。あとは視界にも入れない。

 自然と、笑いが零れてくる。

 

「思った以上だな……!」

 

 このペースは、大逃げは。

 暴走でも掛かったわけでもない。

 ただただ、自分のペースで走っているだけだ。

 

 久明は唖然としそうになりながらも、10ハロンを示すハロン棒を視認すると。

 

『手綱を扱いて、扱いて、幸久明騎乗ゲッコウエースが仕掛けた。仕掛けていきましたゲッコウエース。残り600mで仕掛けていった。

 だが2番手以下との差は、まだ、まだ9馬身以上あります。このまま粘れるのか、粘ってしまうのかゲッコウエース。

 残り400mを切って、鞭が入ってゲッコウエース! 先頭はまだ、月毛のゲッコウエース! 2番手以下はどうだ! 2番手以下はやってこれないか!

 残り200m! だがもう勝負は決した! すでに勝負は決している!

 

 6番人気ゲッコウエース、ゴールイン! 圧勝! 圧勝でしたゲッコウエース! 父カツラギエースを彷彿とさせるような、そんな逃げでした! 勝ったのは月毛のゲッコウエース! 2番手以下との差は……13馬身以上でしょうか。確定をお待ちください』

 

 

 

 

 地下馬道に戻って、ゲッコウエースから下馬した久明は、思わずガッツポーズを繰り返していた。

 まさかこんな馬が巡ってこようとは、と内心では唖然としつつ、ゲッコウエースの関係者に感謝をしたくなる。

 この馬への騎乗を快諾してくれたというオーナー、この馬を紹介してくれた調教師には、頭が上がらないかもしれない。

 

「幸さん、ありがとうございます。ゲッコウエースを勝たせてくれて……」

 

 その声を発した人物は、いつの間にか馬主席から地下馬道にやってきていた文夫だった。

 

「いえ、勝たせてくれたのはむしろ……」

 

「そう言わないでください。騎手がいなければそもそも土俵にすら上がれていませんでしたから……」

 

「幸くん、耳が痛いですがその通りです。ここは素直に受け取ってください」

 

 正則からもそんな声を貰って、久明は思わず頭を掻く。

 

「ところで幸くん、乗ってみてどう感じた?」

 

 そう問う正則の顔を見据えて、久明は一瞬喉を詰まらせる。

 あまりにも乗り味がよすぎて、速すぎて、しっかり失念してしまっていた。

 だが今から紡ぐ言葉は、恐らく間違いではない。

 

「今日の距離でもいけますね。走りからして、短距離でも通用しますよ」

 

「そうですか……ありがとうございます」

 

 正則は顎に手をやり、沈黙する。

 

「加賀さん」

 

 しばしの沈黙のあと、口を開いて。

 

「なんでしょうか、東先生」

 

「ゲッコウエースなんですが、何回か短距離からマイルを使ってみましょう」

 

 決断したように、正則は文夫の目を見据えて告げた。

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