月毛の翔馬は夢を届ける   作:種なし米最強馬

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快速月光

『9番ゲッコウエース。馬体重は501キロ、前走からマイナス2キロ。前走は条件戦の3歳1勝クラス。

 現在、1番人気。鞍上は今年デビューの幸久明』

 

 

 中京競馬場内にそんなアナウンスが響くと、独特な熱気が場内を満たしていく。

 それが馬券師によるものか、あるいはファンによるものか。恐らくどちらのものでもあろうが。

 しかしそういう熱気を放っていたのは、観客だけではない。

 

 一段と表情を強張らせ、顔を俯かせるこの男からも、どこか近寄りがたいほどの熱気が漏れていた。

 傍らに座る和美は、ただただ見つめるだけ。いや、見つめる他ない。

 下手に声かけしようものなら、彼の集中を壊してしまいそうだから。

 恐らく祈ってくれている。愛馬の勝利を、無事を。

 あんなになってまで祈ってくれている。

 

「……ホント、なにがあの人をあんなに突き動かすのだか」

 

 どうしても呟かずにはいられなかった。

 肩を竦め、溜め息を吐く。やれやれといったように。

 

 なにが彼の源となっているのか、なにが彼をそこまでさせるのか。

 

「……ま、あなたのためだし、基本的には従いますけど……」

 

 けれど、ああ。

 もし彼が地獄に落ちるというのなら、自分も喜んでついていく。

 もし彼が茨の道を通ろうというのなら、自分も追従しよう。

 牧場長という役職に就いてから、彼という存在と出会ってから、自分の人生は彩られたのだから。

 

 だから、せめて。

 あなたのために、あなたのためだけに。

 自身の能力を、使わせてもらおう。

 

「……ははっ、()()()、いつからこんなになっちまったんだろな」

 

 まっ、と和美は続ける。

 

「あなたのおかげで、今の()があるんだからさ。無理だけはしないでくださいね?」

 

 ――ね、加賀さん。

 

 

 

 

 

 騎乗してすぐ、久明は自身の相棒であるゲッコウエースの首周りを撫でる。

 この月毛の乗り心地は、まるで高級ソファのようだと、久明は常々感じている。

 どこかふんわりとしているが、安定感は他より群を抜いていて、騎乗していてもこちらが無意識のうちに安心してしまうぐらいには。

 

 この馬の力はどこまでなのだろう。

 地の果てまで、あるいは空の果てまでか。天衣無縫の快速か、堅牢なる城のような安定感か。

 ゲッコウエースの実力は自分が一番よく知っているはず。だというのに、なぜか恐ろしいのだ、この馬が。

 

 ゲート前の馬場で16頭の各馬が周回している。

 だが観衆の目を惹く馬は、たった一頭。

 月の光は自らを照らし、人々の脳裏に焼きついていく。

 

「さていくぞ、エース」

 

 久明は2度強く両頬を叩く。

 鞭を持ち直し、手綱を握る。

 

 ああ、彼となら――どこまでも。

 係員に引かれて、いつものように。

 ――押していく!

 

 

 

 

 

『中京競馬場、GⅢファルコンステークス。芝1400mの3歳重賞。出走馬は16頭。ここを獲るのは果たして? スタート態勢、整いました。

 

 

 

 スタートしました! 1番人気ゲッコウエース、好スタート! どっと歓声があがります! しかし逃げは打ちません。馬場の真ん中、3番手に入り込みます。

 ゲッコウエース騎乗幸久明は、どういう騎乗をするのか。まずは好位につけました。間もなく400mへと差しかかります』

 

 前には2頭の先行馬。この間に割り込むようにして3番手につける。

 3ハロンを過ぎても、4ハロンを過ぎても、まだこの位置をキープする。

 多少ペースは早いかもしれないが、この馬ならばきっと。

 

『最終コーナー、先頭は変わらず! まだ変わらず! 残り400mを切って! 最終直線!

 ここで来た来た! 1番人気9番ゲッコウエース! 鞍上の手綱に応えて! 一気に前2頭を躱して先頭! これは押し切り態勢か!?

 伸びる伸びるゲッコウエース! 他馬を突き放す! 突き放す! 突き放していく! その差、3、4、5、6……広がっている! 恐らく勝利は確実! 恐らく勝利は確実!

 

 

 ゲッコウエースが先頭ゴールイン! 勝ちましたのは1番人気のゲッコウエース! GⅢファルコンステークスを、見事鮮やかに、圧勝で飾りました! 勝ちタイムは1:20.6! やや早い決着となりました! 鞍上ともども重賞初勝利です!』

 

 

 

 

 

 地下馬道に立ち入り、久明はエースの背から下馬し、ゼッケンと鞍を外す。

 そうしていると、正則がやや駆け足気味にやってきたので、はてと久明は首を傾げる。

 

「……なにかやらかしてましたか? もしそうなら謝りますが……」

 

「そうではない」

 

「ではなぜ、そんな張り詰めたような顔を?」

 

「……改めて聞いておく。幸くん、この馬はどれぐらいの距離を走れる?」

 

 再び首を傾げながらも、久明は口を開く。

 

「今回からすると……マイル、短距離でもいけます。ただ……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……幸くん」

 

 突然正則に肩を掴まれ、久明はビクッと震える。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう問われて、久明は目を見開く。

 

「関西ではナリタブライアンがクラシック最有力候補だとか言われてるが……幸くん、エースはナリタブライアン以上に速いと感じる?」

 

「……まあ、はい。そこは間違いなく」

 

「……はっきり言っておく。次はどうなるかわからない」

 

「え、それは……」

 

 口を開く前に、すたすたと正則は去っていく。

 いったいなんだったのか、と久明は眉をしかめて訝しむ。

 

「……ともかく、ありがとう、エース。お前のおかげで重賞を勝てたよ」

 

 久明は顔と顔を向かい合わせ、寄せつける。

 頬からは一筋の光が溢れたが、エースは舌で舐め取る。

 

 ――ありがとう。またよろしくな。




【1994年ファルコンステークス

 1着 ゲッコウエース 幸久明 9馬身差 1:20.6】
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