新幹線が止まる虚無なんて話も聞いていたから、駅から出て感じたのは思ったよりも賑やかだな、だった。
もうとっくに夜も更けた頃だというのに、開いている店も多い。しかしまぁこれは、この町には同胞が多いというからそのせいなのかもしれない。我々のために人が店を遅くまで開けて居るのだとしたら、ここは確かに住み良いところなのだろうな、と思う。
さて、いつまでも駅前にいるわけにもいかない。スマホでもう一度地図を確認して、ついでにお兄様に連絡も入れる。直ぐに既読がついて返信が来た。気合いの入った料理の前でソワソワしているアルマジロの写真付きだ。これは早く向かわねばなるまい。笑みを零してスマホを閉じる。徒歩数分の道を歩き出そうとしたところで、急に月の光が遮られて私を飲み込むほどの影が落ちた。
頭上に目を向けると、何か大きな白い丸いものが迫ってきている。滑らかな表面、よく見ると恐らく楕円の形をしている。なんだかよく分からない笑った不気味な顔が描かれているが、あれは、卵……?
その時私は、気味の悪い卵の衝撃と、自分に唐突に訪れた危険、それでも何か酷い怪我を負うようなことにはならないという自負があって、ぼんやりとしてしまった。ちなみに、周囲からはすっかり人気がなくなっている。新横浜のひとは慣れてるんだな、と関心してしまう。
「危ない!」
慌てた声がして、その次の瞬間には真横から突き飛ばされた。まるで大型トラックに跳ねられたような衝撃、お兄様なら確実に死んでる、なんて思っているうちに突き飛ばした誰かに押し倒されたまま抱き込まれる。熱いくらいに感じる体温に、人より良い耳が捉えた早い鼓動、汗と少しの血の臭いがする。人間の男性に抱きしめられているのはすぐに分かって、つい反射で押し退けようとしてしまうのを堪える。庇ってくれているのは分かったので、育ちの良い私は相手の純粋な善意と善行は受け取るのだ。その方が私も相手も嬉しいもの。
バシャっとヌルつくなにかが派手に飛び散って、目の前の男性に盛大に掛かった。うおっという声が思わずと言ったように漏れている。周囲を警戒しているのか、なかなか解放してくれないので相手の恐らく腰のあたりを軽く叩きながら声を掛ける。
「そろそろ離していただけませんか?」
「あ、すいません」
やっと解放されてほっと息をつきながら相手を見遣る。特徴的な赤い服と帽子、月光が反射する銀の髪に碧眼、全体的に整った容姿だ。今は生卵を被った状態なので台無しだけれど。
「怪我はありませんか」
言われて改めて自分を見てみる。卵は少し掛かってしまったが、他は至って無傷だ。相手の方がよほど酷い状態だろう。恐らく怪我だってしているはず。
それでも先に私の心配をする彼はプロ意識がしっかりしているのか、そもそもの性格なのか。何にせよ、聞いた話よりずっとよく出来た人のように思える。
「はい、庇っていただいたのでこの通りです。ありがとうございます」
私が可愛く微笑むと、彼は少し朱が差した顔で美人特有の冷たくも見える顔をふにゃりと崩して笑った。その顔が、この人は本当に私の身を案じてくれたのだなと分かって、少し落ち着かない気分になる。身内以外にこんな風に心配されることはそうないので仕方がないと自分に言い聞かせる。
「いえ、当たり前のことをしたまでですから」
本当にそう思っていますと言わんばかりに、安心と少しの照れだけを表情に乗せる彼を見る。自伝なんて書いている風にはとても見えない。いや、もしかすると自己顕示欲なんか薄そうな彼が書く自伝だから、あんなに面白いのかもしれない。
こんなに可愛い私を助けたのに我欲を全く見せてこない彼が少し面白くないので、からかってしまおうと魔が差した。
「私、家族以外の方にあんな風に抱きしめられたことがないので、少しドキドキしてしまいました。ロナルドさんは真面目にお仕事されていらしたのに。ごめんなさい」
恥じらう乙女が気が抜けて思わずと言ったように可愛らしい罪悪感を吐露する様!安堵と敬意を込めて目を輝かせ、少し困ったような笑みも付ければ完璧!お兄様に聞いた通りの人物ならこれで動揺させられるはず。
そう思っていると彼はその場から驚いた猫のように飛び上がった。
「ど、どきど、や、あの、」
赤面して目線をさ迷わせ、意味もなく手をわたわたと動かす。すっかり挙動不審になっている彼を見て、私は思わず笑ってしまう。目の前の彼はそれを見て少し抜けた顔をした。失礼なひとだな、美女の笑顔なのだからサービス用でなくても有難がるべきだ。私はむっとしてしまう。
まだ気付いていないみたいだし、よし、もうちょっとからかお。
私は離れていた距離をぐっと詰める。
「ロナルドさん、お仕事もう終わりですか?」
「うぇ!?は、はい、いやまだ事後処理はありますけど!」
「よろしければ、お家に案内していただけませんか?」
「案内……お家……家!?だ、誰のですか!?」
「もちろんロナルドさんのお家です」
「俺の!?なんで!?!?」
「助けていただいたお礼、させて下さい」
ここでギリギリまで顔を近づける。なるべく品を作り、悩ましげに、けれど有無を言わせないような雰囲気にするのがポイントだ。私は母に似て美人なのだから自信を持って大胆に!
「いや!その、礼なんて、そんな、それに今日は来客があって、」
彼はそこで不意に言葉を切って、目を逸らしていた私を見た。
例えば耳、私のそれは彼のものより長く尖っている。例えば肌、人間にしては白い、いやいっそ青いと言える。例えば目、大きな瞳は赤色をしている(ちなみに目が合うと急いで視線は逸れていった)。これに合わせて、首あたりで切りそろえられた黒髪や、クラシカルな雰囲気のワンピースに留まった菱形のブローチを順に確認していった。
やっと気付いた彼は、私を指差してわなわなと震える。言葉にならないのか、口は酸欠の金魚のようだ。赤いし。
「兄がいつもお世話になっております」
私が可愛く首を傾げてにっこり笑うと、彼はついに叫んだ。
「お前、ドラルクの妹かよ!」
ただいま、と声をかけながらロナルドさんは扉を開いた。私もその後を続いて入る。ちなみに私はお兄様のように全身弱点にはなっていないので、招かれなくても普通に入れる。が、この事務所では関係ないことだ。
「お邪魔します」
ロナルドさんが目からビーム出るやつに帽子を掛けていると、奥の部屋に続くのだろう扉が開いた。
「久しぶり、エリー!遅かったじゃないか。狭いところで悪いけど歓迎するよ」
喜色を浮かべたお兄様がジョンを抱えて出てくる。ジョンも楽しげに手を振ってくれている。私も喜んで答えようとしたけれど、目の前に来た途端にお兄様は塵になった。
「何が狭いだ、この居候!」
ロナルドさんが殴ったらしかった。あまりにも手馴れていて容赦ない一撃だったので驚いてしまう。それなのに悪意は感じられないのだ。ジョンが健気にもお兄様の塵を前に悲痛な声をあげている間も、私は呆然としていた。
「これだから先に手が出るゴリラは!見たまえ、突然の暴力沙汰に我が妹が驚いているじゃないか!だいたいなぜ君は卵濡れなんだ。今日はオータムではなく退治人の仕事に行ったはずだろう!」
再生しながら声を荒らげるお兄様は、なんだか慣れているらしかった。殺され慣れているうえ、その相手と友好的な関係ってことあるのか。
「吸血鬼リンボーダンサーが手を組んでいた夢見る少年を裏切って卵にしちまったんだよ、仕方ないだろ!」
「は?いや、なんて?」
「だから、吸血鬼リンボーダンサーが、」
お兄様はもうすっかり殺されたことなんて覚えていないような態度だ。本当に仲は良いらしい。殺すのもコミュニケーションの一貫程度の扱いなのかしら、暴力的すぎる。
私たちは今まで死にやすいお兄様のことを、心配しつつなるべく死なないように慮ってきた。それはお兄様が大切だからであり、大切なお兄様に辛い思いをさせないためだ。けれど、こうして見ていると、お兄様は自身が死ぬことについて本当になんとも思っていないらしい。えぇ、私たち一族の今までの努力っていったい……。本人が気にしないとしても私たちは気にするので何か変わるわけではないけれど、困惑はする。
「少年の傍若無人ぶりに耐えかねたリンボーダンサーが反逆を起こしたみたいだったぞ」
「なんだね、面白いことがあるなら私も呼ばないか。それにしてもリンボーダンサーなんてどう考えても裏切るだろうに」
二人はすっかり今日あったどうやら随分とトンチキな騒動の話に夢中だ。
「ふふっ、あはは」
思わず笑いが込み上げて来た。
「突然どうしたのだね」
お兄様が怪訝そうに私を見ている。ジョンも同じく首を傾げていて、私はまたおかしくなった。そっか、ジョンにとってもこれが日常なんだね。
「いえ、ちょっと不気味で大きな卵のことを思い出して笑っただけですよ」
適当なことを答えながら、私はにこりと笑った。なんだかとても愉快な気分だったので。
弱いことは不幸なことなんだという驕りが、私にもあったのだなぁと目から鱗が落ちる思いだ。お兄様の強かさはずっと知っていたはずなのに、こうして見るまで気が付かなかった。
「エリーが思わず笑ってしまうほどなら、やはり私も一目見たかったものだ」
お兄様がやけに優しい声でそんなことを言ったので、このひとには敵わないなぁと思う。私の寂寥感などお見通しというわけだ。私は今、確かに言葉もないままに、兄を軽んじたことを許された。
「お兄様なら思わず死んでしまうくらい不気味でしたけど、時間を置くとなんだか滑稽が過ぎたなと」
私たちは笑いあった。本当に、心の底から、楽しくて嬉しかったので。
「ところで、ロナルドくんは先程から頑なに君を見ないがどうかしたのかい?」
ロナルドさんの肩が思わずといったように揺れた。
「ここに来るまでに少しからかい過ぎてしまったようで、嫌われてしまったのかもしれません」
私が態とらしく悲しげな声を出すと、ロナルドさんは勢いよく振り向いた。真っ赤な顔はやけに汗をかいている。
「嫌っ、違くて、これはそのっ、うぉおおお!」
「理不尽っ!スナァ」
ロナルドさんは何故だかお兄様を殴り、お兄様はまた死んでしまった。私もまた笑う。今日はとても良い日だ。
「ヌヌヌヌヌヌ」
再生したお兄様にジョンが不満げに声を掛ける。
「ヌヌヌヌヌヌ」
「そうだね、いつまでも玄関にいるわけにもいくまい。ディナーにしよう。さぁ愛しき我が妹よ、今宵は是非楽しんでくれたまえ」
お兄様は弾んだ声でそう言って、部屋の中に戻っていく。
「はい、お兄様」
私も同じような声で返事をして、あとを着いて入る。
「ロナルドくんは先にシャワーを浴びてきたまえ。その卵濡れは別で洗うから分けておきなさいよ」
「分かった」
やけに所帯染みた会話をしたロナルドさんは先にお風呂に向かうらしい。あのままウロウロすると部屋中ベタベタになってしまうので、それはそうだろう。
「ねぇ、お兄様」
「なんだね」
お兄様の横に並んで、秘め事を話すように声を潜める。何だか頬が熱くて仕方がなかった。
「ロナルドさんって、おもし、ゆか、可愛い人ですね」
お兄様は虚をつかれたような顔をしたあと、私と同じように破顔した。
「あんな5歳児ゴリラには面白い人で十分だよ、妹よ」
私はまた耐えきれずクスクスと声を零す。
あぁ、そうか、好きなんだなぁと腑に落ちた。恋とは落ちるものだという。私は見事に足を滑らせてしまったようだ。
「聞こえてるぞ、そこの愉快犯兄弟!!」
風呂場に向かいかけていたとはいえ、すぐそこにいるロナルドさんが怒鳴る。私に惚れられたなんて知る由もない彼は、やはり面白い人だ。