不味いことになった。
それこそもう、年甲斐もなく泣き叫んで喚きたいほどに。絶対しないけれど。だって、そんなことすれば私が社会的に死んでしまう。
この新横浜から近いようで遠い東京の地では、Y談を大声で叫んでも吸血鬼の仕業だと察してはくれないのだから。
順を追って話そう。
ことの始まりは二週間前、悩んでいる様子のロナルドさんから私を小説に登場させてもよいか打診があった。私は二つ返事で承諾したのだが、ファン層に若い女性が多い作品であるし、そう簡単に決めるのは危険だと編集の方から意見が出た。「イケメン退治人ロナルド様」で売ってる小説にヒロイン登場がどう考えても劇薬なのは分かる。ヒロインと言っても、関係をぼかしてお兄様の妹を強調するなどの方向性も取れるわけで、必ずしも恋人として出す必要も無い。
しかし、新横浜ではそこまで厳密に隠していることでも無いし、私も週ヴァンにはちょっと写ってるしで、調べれば分かってしまうことでもあるのだ。お父様にまだバレてない程度とはいえ、油断はできない。というか、恋人役で登場すればさすがに一族中に交際がバレるし、それ以外にも私生活に影響が出る可能性がある。そのあたり含めて私も一度顔を合わせて相談することになったのだ。
そんなわけでオータム書店に行くことになった。フクマさんが送迎してくださる予定だったのだが、こちらは断らせていただいた。挨拶したことがある程度のひとを足にするのは申し訳ないのと、あの亜空間を通るのは少し怖かったので。
その流れで折角だし東京でデートもしようという話になり、私はそれはもう気合いを入れて今日を迎えた。新調したワンピースは青色が鮮やかでお気に入りだ。
だというのに、新幹線で短い二人旅を終え、ロナルドさんがお手洗いに離れたとき、そいつは現れた。
「お嬢さん、落としましたよ」
背後からそう声を掛けられて振り返ったとき、何かが一瞬強く光った。驚いたもののそれだけだったので、不審に思いながらも目の前の男性に差し出されたハンカチを受け取る。それは確かに私のものだったので、当たり前に礼を言おうとして口を開き――。
「筋肉質な人の高めの体温って心地いいですよね」
出てきたのはそんな言葉だった。
驚いて思わず口を抑えると、目の前の男性の顔が目に入る。愉悦に歪んだ笑みと黄色いスーツに、やっと私は目の前にいるのが噂の吸血鬼Y談おじさんであると気付いたのだ。
今まで遭遇したことがなかったので油断しきっていた。ここまで最悪のタイミングで仕掛けられるとは、悪辣にもほどがある。しかも、混乱が起こっていないところを見るに狙い撃ちされていた。集団に対して行う程度の催眠術なら私も弾けたろうに。
「どうかしたかい、お嬢さん?言いたいことがありそうだね」
睨みつける私を挑発する男は、楽しげにステッキを遊ばせている。血祭りにあげてやるコノヤローと私が意気込んだところに、またしても背後から声が掛かる。
「お待たせ、エリ」
ロナルドさんだ。この黄色いのには気付いていないらしい。
「おっと、私は失礼するよ。良い夜を!」
私はすぐに状況を訴えようと指をさしたが、そこにはもう誰もいなかった。私の注意が逸れた隙に走り去ったらしい。逃げ足が速すぎる。
「なんだ?」
不思議そうにする彼に思わず口を開こうとして、慌ててまた抑えた。危ないところだった、このやっと慣れてきた初心な恋人に、自分でも何言い出すか分かったものでない性癖なんて聞かせられない。こんなことで引かれたり、ましてや破局なんてことになったら立ち直れない。
話せないならと、スマホで筆談を試みてみる。『
不審な私をロナルドさんが心配そうに見ている。もしかして、何か汲み取ってくれた?
「顔色悪くないか?ひょっとして調子悪い……?」
違う体調は悪くない!気合い入れて準備したから体調だって万全なのだ!悪いのはあの陰湿Y談ヤローで、と言いたいが言えない。首を振って否定するが、その後が続かない。どうやって伝えれば。
「本当に大丈夫か?なんかあったらすぐ言ってくれよ」
だから言えないんだって!
黙ってスマホを握りしめる私は慌てるばかりで、なんの解決策も思いつかない。
ロナルドさんに言えないなら誰か他の、どうにかしてくれそうな……。お父様ならどうだろう!?催眠術解けそうな気がするし、呼べばすぐ来てくれるだろう!いや、ダメだ親に性癖暴露はキツ過ぎる。状況は察してくれるだろうけども。
「フクマさん待たせちまうし、そろそろ行こうか」
ロナルドさんが歩き出してしまう。
このままでは、恋人とその仕事相手の前で痴女になる羽目に!咄嗟に服の裾を掴んで引き止める。すると、彼は振り返って首を傾げたあと、合点がいったとばかりに頷いた。
気付いてくれた?
ロナルドさんは服から私の手を取って、自分のそれに繋ぎ直す。そして、少し照れた顔で笑った。
違うー!嬉しいけど、違うの!手が繋ぎたくてごねてたわけじゃない!!と思う。思うのだが振り払うことも出来ず、そのまま連れられて歩き出す。
あぁーーー!!
そして、何も状況が好転しないまま、オータムまで着いてしまった。
神とか御祖父様とか、とにかくありとあらゆるものに祈りを捧げたのだが無駄だったようだ。エリーはそんなに悪いことをしたのでしょうか?こんな報いを受けるほど?……心当たりが無いでも無いからこの方向性はやめよう。
受付から応接室のようなところへ通された。ここまで私が話さなければならない場面は幸いなかったので、まだギリギリどうにかなっている。しかし、フクマさんが来てもこうとはいかないだろう。
何か話して痴女になるか、何も話さず失礼なひとになるか、どっちのほうが幻滅されないかな……。
ロナルドさんは無口な私が緊張していると思ったのか、先程から話し掛けてくれるのだが、正直なにも耳に入ってこない。私の精神の安定を図るなら、建物に入った際に離した手を返して欲しかった。これで振られるなら手を繋ぐのも最後かも、と思うと名残惜しくて仕方ない。
死刑執行人を待つ気持ちで入口を見ていると、逆方向から声が掛けられる。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません」
驚いて見れば、フクマさんが異空間から現れていた。せめて、入口から入ってきて欲しかった。覚悟決めようとしていたのに。いや、決めきれていなかったけど。
「いえそんな」
隣でロナルドさんが挨拶している。私はというと、いつ話を振られるかと身を震わせることしか出来ないでいた。頭の中は真っ白である。事ここに至っても何一つ思い付かない。
「改めまして、ロナルドウォー戦記の担当編集をさせていただいています。フクマと申します」
あっ、来てしまった。
どうしようか。私はどうすれば。
思わずロナルドさんを見れば、不思議そうにしている。
「エリ?フクマさんは怖くな、くはないかもしれないけど、理由無く危害を加えるようなひとじゃないぜ!大丈夫だから」
ロナルドさんの優しさが辛い。確かにフクマさんも怖いがそうではないのだ。二人の間で視線をさまよわせ、もう一度ロナルドさんに戻ってくる。
「あっ……う、その……」
どうしよう、どうしよう!
ロナルドさんと別れたくない。嫌われたくない!!
「エリさん!?!!?」
制御できる感情の上限を上回った分が、涙になって出てきていた。一度泣き始めてしまえば、もう私にもどうにもならない。うわーん、と声をあげながら、しかし具体的な言葉を発するのだけはなんとか避ける。もう醜態としてはどうにもならない気もするが、諦めきれないでいた。
「なんで!?どうした、お腹痛い!?」
ロナルドさんが見当違いに慌てているのが滲んだ視界で見える。それに答える言葉も私は持たない。不名誉なので首だけ振る。
しゃくりあげていると、不意に高い体温に包まれた。
「ごめん、なんで泣いてるのか分かんねぇ。ずっと何か言いたそうだったよな?なんとか出来るように頑張るから、教えてほしい。俺にエリのこと助けさせてくれ」
ぎゅっと力強く抱き締められながら、ロナルドさんが話すのを聞く。その声がいたく悲痛だった。格好良いこと言っているのに、どちらかというと私に縋っているみたいで、驚いてしまう。
「ロナルドさんの匂い好きです。けっこう汗っかきですよね」
「えっ!?」
気が緩んで、ついに口を滑らせてしまった。
背に回る腕の力が緩んだのを咎めるように、今度は私がロナルドさんに抱き着く。
「私がキスするたびに真っ赤になってたのも可愛くて良いですけど、最近慣れてきて離れたときに目を合わせてゆるゆる笑うのも好きです」
「わっ、ちょっと、エリさん!?」
腕の中のひとがまた慌てている。私はもうヤケを起こしているのでその程度では止まらないが。
「仕事で怪我してくるのはいただけませんよ?とくに咬まれてくるのダメです。私だって我慢してるんですから」
隙間の無いようくっつけていた体を離して、彼の頬に両手を添える。落ち着きのない頭をこちらに向けて、下から顔をのぞき込む。血色の良い顔と銀の髪と昼空色の瞳、私の好きになった人間。
「美味しそう」
欲望のままに、自分が何を言っているのかも分からないまま言葉をこぼす。
目の前のひとが息を呑むのが分かった。
「ロナルドさん」
ずっと黙って見守っていた(?)フクマさんが声をあげた。
「は、はい!」
それに彼も声を裏返しながら返事をする。私も途中から完全に意識の外に追い出していたので、慌てて手を離してハンズアップ。今の一声で冷静さが戻ってきた。涙はいつの間にか止まっている。
正気に戻ったら戻ったで、羞恥やら後悔やらでもう一度発狂したくなってきたが、抑える。虚脱感に身を任せて頭を抱えているのは許してほしい。
「あれではないですか?Y談おじさん」
「えっ?あっ、あーーー、なるほど!!」
ここにきてやっと正解に辿り着いてもらえた。私も何度も頷いて肯定する。ロナルドさんも色々と腑に落ちた様子。
「あの野郎、いったいどこでエリさんに」
一通り納得して次に怒りが来たようで、拳を握っている。私もぜひその制裁には参加させてほしい。
「わー!待ってくれ、答えなくていいから!!」
駅での話をしようと口を開きかけたところを慌てて遮られる。そうだ、話せないのだった。私もまだ平静とは程遠いらしい。彼も自覚があるようで、深呼吸をしている。
「エリさんごめん。俺、近くにいたのに」
改まって謝罪をされる。よほど自責の念が強いらしく、眉が下がりきっている。慰めたいものの喋るわけにもいかないので、首を振って笑っておく。
上手く笑えていなかったようで、ますます落ち込ませてしまった。本当に彼が悪いとは思っていないのだが、もどかしい。
「フクマさんも、すいません。別の日に改めてもいいですか?」
「もちろん構いませんよ」
「ありがとうございます」
フクマさんの感情はいまいち読み取れないのだが、作家と担当編集者の関係性に傷が入る事態は防げたようだ。私は大火傷だけど、私のせいでロナルドさんが仕事しづらくなるのは不本意だから、それだけでも良かった。こんなことを思えるのは、私自身のことについて今一周して達観が来ているからだが。
「ただ、私としては、ロナ戦に彼女が出ているところをぜひ読んでみたいと思っています。そのほうが面白くなると、今日お会いして確信しました。もちろんお二人次第ではありますが」
意外なことを言われて、黄昏て明後日を向いていた私はきょとんとフクマさんを見つめる。私の醜態のどこにそんな要素があったのかは全く分からないが、その深淵みたいな瞳に以前より信頼が感じられる気がする。気のせいかもしれないけど。
次にロナルドさんを見れば、ばっちり目が合った。何かを悩んでいるようだったのを、私にひとつ頷いて、決断をしたらしい。申し訳ないのだが、泣き過ぎて疲れた頭ではアイコンタクトから意図を汲み取れなかった。別れを決めていたらどうしよう。
「俺、書きます」
明瞭な声でロナルドさんが言う。それを私はどう受け取ればよいのか判断しかねたのだが、二人は意思疎通が取れているようで頷き合っている。普段なら恐らく嫉妬しているな、とそれだけ思った。
「はい、ではその方向で進めましょうか。また後日、事務所にお伺いしします」
「よろしくお願いします」
そんなこんなで、オータム訪問は終了した。私がそれどころではなくなってしまったので、東京デートは消滅。帰りはフクマさんが新横浜まで直接送ってくださることになった。この状態で人混みの中帰るのは多大なストレスなので、正直とても助かる。
あっという間に見慣れた町並みに着き、話せないなりに頭を下げてフクマさんと別れる。泊まっているホテルまでロナルドさんが着いてきてくれるというので、お言葉に甘えることにした。話しかけられると不味いので助かる。一番聞かれたくないひとには聞かれてしまった後ではあるけど。
並んで歩いているものの、微妙に空いた距離が寂しい。最近は手を繋いでいることが多かったからだな、とどこにも繋がっていないそれを見て気付いた。これは本当に振られるかもしれない。
苦笑をするつもりでそれすら上手くいかなかった私を、気使わしげにロナルドさんが見ている。けれど、彼も何も言わない。この沈黙の意味合いを積極的に探るには、さすがに勇気が足らなかった。
結局、なにも話さないままホテルのロビーまで着いてしまった。そのまま簡素に挨拶だけして帰路につこうとする彼を、駅でしたのと同じように裾を捕まえ引き止める。
せめて一言、きちんと会話をしてから今日を終えたい。決定的な言葉を聞いてしまうのは怖いけれど、そうでなければとても眠れそうになかった。
【エリー】
ロナ戦?出ます出ます!可愛く書いて下さいね♡
着実にロナルドに存在を刻み付けていく所存。
【ロナルド】
エリの魅力に世の中が気付く機会はなるべく減らしたいが、最近の話は出さなきゃ上手く書けなくなってきた。
【フクマさん】
作家を守ることと、ロナ戦が面白くなることを重要視している。