今日は妙についてない日だ。
元々休みでエリとデートの予定が、下等吸血鬼の大量発生で呼び出しを受けた。エリに謝罪の連絡をして、川沿いの廃ビルに急行すれば、床を埋め尽くすチスイヒル。人工血液の不法投棄が原因らしい。
地道にひっぺがしていると、巨大化した個体が出てきたのでこれも退治。したはいいものの、管理されていないビルは暴れる巨体のせいで、今にも崩れそうなほどボロボロになってしまった。……この件に当たったのがサテツと俺だったのも一因ではあるだろう。
ビルから退避して空を見れば、月はもうすっかり高いところにある。今から急いで帰ってもデートは難しい。電話口で不機嫌そうに溜息をつくエリを思い出す。それでもまだ少し会うくらいの時間は取れるはずだ、なんとしても機嫌を取らなければ。
「悪いなロナルド、手伝ってもらっちゃって」
「こういうのはお互い様だろ。気にするなって」
「でもお前、今日休みだったろ。何か予定あったんじゃないのか?」
「あー、まあ、ちょっとな」
引き継ぎのため吸対の到着を待ちつつ、ひとが入らないよう見張りを兼ねて廃ビルの前に立ち話をしていると、女性がこちらに走ってきた。
「ねこ、見ませんでしたか!?サバトラで紫色の首輪してるんですけど、あーなんであたし窓開けちゃったんだろ!」
女性は慌てて着の身着のまま走ってきたらしい。上下スウェットに足元はサンダルで、息を切らしながら捲し立てる。
なんとか落ち着かせて話を聞いたところ、どうも飼い猫が開けた窓から脱走してしまったそうだ。しかも、元々野良猫で見つけたのはこの廃ビルだと。
「それは心配ですね」
「退治中には見かけなかったが、上の階はしっかり確認してないからな」
「ナスビちゃん……」
3人で廃ビルを仰ぎ見る。5階建てのうちチスイヒルが出たのは3階までで、それより上の階は確認していない。見るからにいつ崩れるかという有様だったので、すぐに出て来てしまった。しかし、猫がいるなら、一刻も早く救出しなければ危ない。
「俺、見てくるよ」
「いや、俺が行く。サテツよりは軽いから少しはマシかもしれない」
今もし床を踏み抜くようなことがあれば、それをきっかけに倒壊してもおかしくない。より身軽なほうがいいだろう。女性もビルに入りたそうにしているが、それは論外だ。危険すぎる。俺なら強いから最悪ビルが倒壊しても窓から飛び出せばなんとかなるだろうし。
サテツにここで待っていてもらうよう頼んで、廃ビルに踏み入る。後ろから、ナスビちゃんのことお願いします、という女性の声が聞こえた。猫の名前なのだろうが、珍しいネーミングだ。
廃ビルの階段を慎重に、しかし急いで登っていく。確認していない上階から調べようと5階まで登切り、探索をはじめた。この階には何も来なかったらしく、殺風景に埃だけが積もっている。さっと確認して4階へ降りると、こちらには置き去りにされた備品やダンボールがいくつかあり、見通しが悪い。猫がいるとすればここの可能性が高そうだ。
「ナスビちゃーん?」
俺が試しに呼びかけたとき、部屋の奥からガタッと物音がした。そちらに駆けよれば、灰色に縞模様のそれらしき猫と、今にも猫に襲いかかろうとするチスイヒルが対峙していた。
滑り込みながら、右手で銃を取り出し構え、左手で猫を抱き寄せる。打ち出した銃弾はみごとチスイヒルをとらえ、灰にした、までは良かった。チスイヒルが断末魔をあげたまさにその瞬間、今いる床が大きく抜け落ちたのだ。
とてもじゃないが、窓に向かって走れる体制ではない。驚き腕の中でもがく猫を抱き寄せ庇う。このまま建物自体が崩れないことを祈って衝撃に備えるが、地鳴りのような音は上からも下からもする。
せめてこの暖かい毛玉を潰さないよう丸くなるものの、ちらりと見た天井は崩れ、その瓦礫がまさに頭上に迫っていた。
「ロナルドさん!」
後頭部を打ち付け朦朧とする意識の中、窓から聞き馴染んだ声が飛び込んできた。しかし、その姿を確認する間もなく、廃ビルは文字通り音を立てて崩れ、ブラックアウトした。
「ロナルドさん!返事してください!!」
至近距離で叫ぶ声に目が覚めた。声の主は俺を抱えたまま激しく揺さぶっているようだ。その慌てように理解するより先に返事をしていた。
「俺は大丈夫だぜ。それよりエリは怪我しなかったか?」
「ロナルドさん!!よかった、生きてる……」
言ってから、やはりこの声はエリだと認識した。どうしてここにいるのかは分からないが、ひとまず元気そうで安心する。微かに腕が震えているのが分かり、慰めたくて暗闇の中を当てずっぽうに頭を撫でた。
「ミャー」
「ナスビちゃんも無事だったか!」
腕の中から上がった鳴き声に猫の存在を思い出す。撫でて確認したかぎり、こちらも怪我などはなさそうだ。……ん?真っ暗でよく分からないが、俺は恐らく
「大丈夫だから、下ろしてもらってもいいか」
「……いいですけど、足元気をつけてくださいね。見えてないでしょ?」
「エリは見えてるのか?」
「私は吸血鬼で夜目は効きますから」
「俺も人間の中じゃ効くほうなんだが、さっぱり見えねぇな」
エリは少々不服そうな声を出しつつも、慎重に俺を地面に下ろす。手探りで辺りを軽く調べたところ、1畳もない空間にいるようだ。四方は瓦礫に囲まれ、すっかり生き埋めになってしまったらしい。全員五体満足なのが奇跡だ。
「さっきサテツさんにテレパシーで連絡取れましたよ。ちゃんと救出に動いてくれているみたいです」
「そうか!なら一安心だな。内側から掘って崩れても怖いし、待ったほうがいいか」
汗を拭うつもりで首筋に手を当てると、ビチャという音がして汗とは思えない量の液体が手についた。
「ひぇっ、ロナルドさん血が……!」
「そういえば瓦礫が当たったような」
「何を悠長なこと言ってるんですか!止血しますよ!!」
青ざめた声色のエリが素早く背後に回り、後頭部を抑えられる。俺は申し訳なく思いつつも、座ってされるがまま大人しくしていた。
「気持ち悪くなったりしてないですか?」
「ないぜ」
「どこか痺れたりも?」
「ああ」
「傷も深く無さそうだし、気を失ってたのも一瞬でしたけど、出たら病院行きましょうね」
「大丈夫だろうけど、一応、頭だしな」
俺よりよほど痛そうにエリは話す。その事実のほうが俺は辛かった。仕事柄怪我は少なくないし、覚悟してやっている部分もあって、俺自身はやっちまったなという以上の感慨はない。
しかし、エリはそうではないのだ。愛されていることくらい、流石にもう自覚がある。それなのに俺が傷付いてこうも動揺するとは思っていなかった。当たり前のことで、俺も知っているはずだったのに。
「エリ」
「はい」
「ごめん」
後ろで息を呑む音がする。
「悪いと思ってるなら、退治人、辞めてくださいよ……」
声は微かに震えていて、泣いてないといいな、と思った。表情さえ見えない暗闇が疎ましく、同時にどこか見えなくて安心もしている。
エリが泣いていても、俺にはきっとどうすることもできないから。
「ごめん」
「ひどい、私のこと好きなくせに……」
エリは血塗れのはずの俺の首筋にキスをしたあと、何も言わず傷口を抑えていた。俺も語る言葉を持たず、ただじっと背後の存在がそこにあることだけを確かめている。
エリが吸血鬼退治人を辞めて欲しがっていることは知っていた。明確に言われたのは初めてだが、隠してもいなかったのだろう。
それは例えば今日のように、何か予定が仕事で流れるときや、怪我をして帰ったときのこと。エリは大袈裟に悲しんだり怒ったりしてみせた。茶番めいた反応でも、しかし、嘘はついていなかったのだ。笑って許してくれたって、悲痛そうに俺を見つめる彼女はいなくならなかった。
好意に甘えてエリを傷付けている。それは分かるのに、彼女だけを選ぶことも、いっそ彼女を遠ざけることも、俺にはできない。
ただ、本当に見限られて、エリが俺にさよならを言う日が来たなら、それは受け入れようと思う。それがどんなに痛いことでも、これ以上傷付けることがないように。
沈黙の中、猫が膝の上で小さく鳴き声をあげた。
「……デートの埋め合わせ、してもらいますからね」
「ああ!もちろん。なんでも言ってくれ」
「また調子のいいこと言って……」
エリは溜息をついて、傷口を抑えていた手を離した。空いた手を肩に回して緩く抱き着かれる。
「血、止まりましたよ」
「そうか。手当してくれてありがとう」
「どういたしまして」
耳元の声がくすぐったい。
エリはしばらくそうしていたが、不意に体を離した。それを残念に思う間もなく、首筋に舌が這わされる。
「エリ!?」
「まだ安静にしてなきゃダメですよー」
「いやだって、」
「うん?ああ、気にしないでください。ちょっと勿体ないなと思って」
「そんな無茶なこと言うなよ」
驚いて咄嗟に動いたのをたしなめられた。恐らく、流れた血を舐め取られている。俺は迷惑をかけた手前、強くとめることもできず、されるがままだ。決して嫌なわけではないのだが。
エリは気が済むまで舐めたあと、最後にもう一度キスをした。
「ほんと、どうしてロナルドさんはこうなんでしょうね」
呟くような声は、少し悲しげだった。エリが悲しむのならすぐさま原因を取り除きたいと思うのに、彼女を悲しませるのはいつだって俺だ。情けない。アニキならもっと上手くできるだろうに。
ままならない悔しさを噛み締めていると、ゴロゴロと音がして一部の瓦礫が崩れ、正面から鋭く光が差した。
眩しさに二人して声を上げると、小さな穴の向こうから反応があった。
「ロナルド、エリさん!無事か!?」
「サテツ!みんな無事だよ。ナスビちゃんもいるぜ」
「そうか!俺もう本当に気が気じゃなくて……本当に良かった……。すぐ出すからもうちょっとだけ待っててくれ」
「待ってください!これもう日が昇ってますよね?隠れるので」
「そうだった。悪い、エリさん」
エリは日光を避け俺の前に回り込むと、小さなコウモリに変身した。パタパタと飛んで膝の上に着地し、上着と脇腹の隙間に入り込もうとした、ところをすぐそばにいた猫に襲われる。
「ギャー!やめてくださいっ、気を使って膝を譲ってあげたのになんて仕打ち!!」
「ナスビちゃんダメだ!めっ!!」
慌ててエリを持ち上げ庇うと、手のひらサイズになった彼女は震えて猫を見下ろす。猫は大きな目でじっとコウモリを見詰めていた。
「ひどいめにあった……。ロナルドさんそのまま懐に入れてください。私しがみついておくので、素早くその猫捕まえてくださいね」
「えっ」
猫を捕まえると手が塞がるので、エリが俺にくっついておくということなんだろう。協力的で助かるが、先に猫を出してあとから俺が上着で包んで抱えるのではダメだろうか。汗と砂と埃まみれの状態で服の内側に匿うのは、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、かなり遠慮したいところだ。
しかし、俺が戸惑っていても、彼女は小さな翼でタシタシと手のひらを叩いて「早くしろ」と言わんばかり。有無も言えずそっと上着の内に運ぶと、脇腹やや背中よりにコウモリらしく張り付いた。
落ち着かない気持ちになりながら猫を捕まえ、サテツたちが大きくした穴からやっとのことで外に出る。朝日は目を焼くほどに眩しく、新鮮な空気は美味しく感じた。地上はかなり大事になっていたらしく、パトカーだけでなく消防車や救急車も周囲に停まっている。
「ロナルド……すまない、俺がビルを壊したばっかりに……」
「そんなに気にすんなよ、みんな無事だしさ。ビルめちゃくちゃにしたのは俺もだぜ」
「でも俺がお前を行かせたせいで、エリさんまで危険に晒しちまったし……」
「それはサテツさんは悪くないですよ。私もロナルドさんも自分で入ったんですから。むしろ、助けていただいて感謝しています」
落ちた肩を叩くものの、サテツはまだ沈んだ表情をしている。どう慰めたものか悩んでいると、向こうで引き止められていた女性が規制線を越えて走ってくる。その必死さに見覚えを感じた。
「ナスビちゃん!!」
数時間前よりいくらかやつれたような女性に猫を渡すと、彼女はぎゅっと抱えてその場に崩れ落ちた。怖々と猫を撫でる手は未だ不安に震えている。やがて腕の中の命が少しも損なわれることなく無事であると確信すると、いよいよ泣き出してしまった。
「ありがとうございます」
嗚咽まじりに言う女性に、俺とサテツは目を見合わせ笑い合う。確かに危険な目には合ったけれど、崩れかけた廃ビルに入ることを戸惑わないでよかった。腕の中から体を伸ばして頬ずりする猫を見て、心底そう思うのだ。
「ナスビちゃん、きっと不安だったろうにいい子にしてましたよ。帰ったらいっぱい褒めて、好きなもの食べさせてあげてください」
俺が屈んでそう言うと、女性は言葉なく何度も頷いた。あとは頼むとサテツに目配せをする。ちゃんと察してくれたようで、女性は背を撫で慰められながら安全なところまで連れて行かれた。
それを見送っていると、懐から声がかかる。
「ロナルドさん、手が開いたなら私のこと抱えてください。日差しが当たりそうです」
「は!?」
俺は慌てて日陰に入り、上着を脱ぐとエリが万が一にも日に当たらないよう包んだ。
「だ、大丈夫か?怪我……灰……」
「そう慌てなくても少し当たったくらいで死にませんよ」
「当たっちまったのか!?」
「当たってないですよ。私は大丈夫です」
「そうか」
赤い布の隙間から顔を出したエリは小さく笑い声をあげる。その様子は少し気怠げだが本当に無事なようで、安堵に息をついた。
「でも、もう眠気が限界で。あとお願いします」
「分かった。責任持って送るぜ」
「はい、私が見てなくても、ちゃんと病院いってくださいね……」
静かに寝息を立てだしたエリをもう一度包みなおし、日の下へ出る。救急隊員に声を掛けられながら、どこかで瓦礫の崩れる音を聞いた。
【エリー】実は今回めちゃくちゃ頑張ってた吸血鬼。大切な人のためなら力を尽くすのは苦にならない。
【ロナルド】常日頃から頑張っている退治人。誰かの笑顔のためにいつも体を張っている。
【サテツ】常日頃から頑張っている退治人その2。瓦礫を退かしながら、ナスビの飼い主と共にずっと青い顔をしていた。
【ナスビ】よく遊びよく寝る普通の猫。助けられたのも、飼い主が泣いているのも、ちゃんと分かる。でもコウモリは追いかけたい。
補足:今回のエリーの動き
ロナルドからデートドタキャンの連絡→怒って空を飛びロナルドを探しに来る→サテツと合流して話を聞いていると廃ビルが崩れ出す→慌てて飛んでロナルド救助に向かうも脱出には及ばず→念動力で瓦礫に埋められないよう調整(救助が来るまで維持)→サテツにテレパシーで助けを求める、であとは本編の通りです。
普段ほぼ使わない能力(パパの大幅劣化版)をフル活用していました。疲労困憊です。