頬に風を感じて目が覚めた。
棺の中で寝たはずで有り得ない自体なのに取り乱さなかったのは、思えばよく知る腕の中だったからだろう。
「おはよう、エリー」
落ち着いた声がすぐ近くから降ってきて、私は寝惚け眼を瞬かせる。
「お母様?」
「ん?」
子供をあやす優しい手つきで白魚の手が前髪を梳いていく。今第三者が私たちを見れば思わず書き留めたくなるような、慈愛の表情をお母様は浮かべていた。
しかし、あくまで事情を知らぬものが見ればの話だ。私は遠の昔に抱きかかえられるような歳でも大きさでもなくなっているはずなのだから。
「なぜ私は縮んでいるんです?」
思わずというように固まった手を、小さくなってしまった自分のそれで捕まえる。お母様は無事なほうの手で頬を掻きつつ、視線を逸らした。
「無断はやめてくださいといつも言っているでしょう」
「すまない。よく眠っていたから起こすのも忍びなくてな」
苦笑いのお母様に溜息をついて、膝の上からおりる。
「エリーはお寝坊さんですね」
話しかけられて思わず驚き振り向くと、見たことあるようなないような子供がゲーム機を抱えていた。パシャリと特有のわざとらしいシャッター音がする。
「おはよう」
「……おはようございます、お兄様」
私たち兄妹は14歳差なので、こんなに小さなお兄様に会ったことはない。それでも見間違えるはずもなく、お兄様だった。今の私たちの見た目だと、せいぜい年子というところだろうか。
「お母様、まさかお兄様も無断で?」
私が幼児に似合わぬ低い声を出すと、少しばかり気まずそうに頷かれた。これは私の機嫌を損ねたから申し訳なく思っている顔だ。なにが悪いのかそう分かっていないと見える。私もお兄様も、もういい歳した大人なんだから勝手にこういうことするのはやめて欲しい。いや子供だろうと問題ではあるけど。どうもこう、コミュニケーションが不得意というか、ひとの機微に疎いというか。言ってさえくれれば別に断りはしないのだが。……お兄様は嫌がりそうだけど。
改めて辺りを見回すと、ヒマワリ畑にレジャーシートを敷いて、ピクニックの様相を呈していた。うーん、これはまた。お母様があまりに幼い頃一緒にいられなかったことを気にしているようだと、散々駄々こね倒した私もさすがに申し訳なくなる。今となっては感謝こそすれ、悪く思ってはいないのだが。
「前にも言いましたけれど、本当にもう気にしていませんからね?あの頃のお母様のおかげで今があるんです。私はちゃんと愛されていたと知っていますから」
「ありがとう。エリーがそう言ってくれるなら、私も報われるよ。幼いおまえをなんども泣かせってしまったダメな母親だけれど、寂しい思いをした甲斐があったと少しでも感じてくれるならそれに勝るものはない」
微笑むお母様は嬉しげで、しかし、それだけで覆せるものでもなかったようだ。
「だが、 ちっとも構ってやれなかったのは変わらない。いつかと思ううちに、2人とも大きくなってしまった。ましてエリーは、会いに行けない私に会いに来てくれた。今更かもしれないが、埋め合わせをしたい」
「お母様……」
そうれならなおさら、私たちの意思確認は必須だったと思うのですが……。
でも私からはあまり強く言い難いのだ。仕事に行ってほしくなくて泣き喚いた覚えがあるし、そのとき心底お母様が悲しんでいたのも知っている。仕事を手伝うようになったときには、帰ってこないので私が来ましたと堂々と宣言もした。あれは別に嫌味や当てつけではなかったが、お母様を余計に傷つけたのではないかという懸念はある。
なので、以前は仕事の合間を縫っては、子供の姿に変身されられ出掛けていた。それなりに楽しかったし、お母様が望むなら私に否やはなかった。
しかし、私が離れている間にどうもなにか拗らせたらしい。当時物分り良くお見送りしていたはずのお兄様まで巻き込んで強行するとは。さすがに少し度が過ぎている。
何も言えず黙り込んでしまった私の頭をお母様が撫でる。優しく、けれどどこか浮き足立っているような手つきだ。なんだかんだ言って、これはお母様のしたいことでもあるのだろう。まぁ、楽しそうで何より。
半ばなげやりな気持ちでお兄様の隣に座り直す。もたれ掛かると、皮肉なことに普段のお兄様より肉付きが良さそうだった。バスケットからブラッドジャムサンドを取り出して食む。懐かしい味がする。
「エリー重い」
「あら失礼!きっとお兄様がか弱いせいです。もっと食べたほうがいいですね。美味しいですよ?ほらあーん」
もう1つ取り出して口元に持っていくと、お兄様は渋々サンドイッチを齧った。小さなひとくちである。身体に引き摺られているのか、見た目相応の精神をしているらしいお兄様はなんとも可愛らしい。
それにしても、いつもはほとんど骨と皮みたいな体型なので、柔らかいお兄様は新鮮な気持ちになる。やはり、無理にでももう少しちゃんとした食事をしたほうが良いのではなかろうか。ほっておくと牛乳ばかり飲んでいるので困ったものだ。
取り留めなく考えていると、隣からまたパシャリと音がした。お兄様の手元の画面を覗き込めば、ヒマワリと城跡が写っている。それを見てやっと現在地が掴めた。ヒマワリの背が高くて今の私には周りになにがあるのかよく見えなかったのだ。
「お兄様、さっきから何撮っているんです?」
「写真を撮っていたのか!よかった、退屈でゲームしているのかと」
お母様が思わず安堵の息をついている。たまに挙動不審だったのはそれか。
「とっても楽しいですよ!だから見せたいと思って送っているんです」
「送る?誰に?」
「……?あれ、わからない。誰にでしょう。でも見せたいんです。だってきっとお友達だもん」
なるほど、そういうこと。
私はお母様が突然強行に出た理由が腑に落ちた。焦ったのだろう。私もお兄様も、自分の世界を、大切な誰かを見つけて離れていってしまうようで。分からないでもなかった。最近のお兄様を見ていると寂しさを感じることがある。私たちは今まで外とあまり関わってこなかった。お兄様はもちろん、私だって結局はお母様を介した仕事の繋がりが大部分だったから。
私がそう思うくらいなのだから、お母様にはより一層だろう。私なんて恋人を紹介するから会ってくれと打診していたし。
私が納得して苦笑を零していると、どこからかジョンがお兄様目掛けてすっ飛んで来た。
「どうせなら位置情報も付けてよこせや!!」
「ドラルク!」
これは、さすがにちょっと妬ける。
ロナルドさんとヒナちゃんがやって来てからは、あっという間だった。それにしても、どんな連れ出し方をしたらああも探される事態になるのか。ほとんど誘拐の扱いだった。お父様にもなにも言ってなかったようだし。どうも行動力はあるのにコミュニケーション力に欠けるのだ。今後は改善されると期待したい。
しかし、お兄様もいる場でお母様の思いが聞けたのは結果的に良かった。私ではなかなかあんな風に言えないけれど、必要なことだったろう。結果丸く納まったようだし。
複雑な思いもないではないなりに胸を撫で下ろしていると、不意に呼び掛けられた。
「エリー」
「お母様」
お父様と話していたはずだが、私に用があるらしい。わざわざ言い含めてきたらしく、お父様が所在なさげに少し遠くからこちらを見ていた。だからといって、あえて盗み聞きはしないだろうけども。
「今まで私に付き合わせて悪かった」
「いえ、私も楽しかったですから。本当ですよ」
「そうか」
安堵からか喜びからか、ふっとお母様は笑った。完全に解くタイミングを逃して低いところにあるままの私の頭が軽く撫でられる。
そう得意でもないから、自力でこうも自由自在に変身はできないけれど、元に戻る分には問題なくできるのだ。だから、大人しくこの姿でいることで、このごっこ遊びが嫌ではないのだと分かって欲しいところではある。
「ところで、私に紹介したいひとというのは彼で合っているか?」
「知ってらしたんですか!?」
お母様の目線の先にいるのはロナルドさんだ。
その件を話すためにわざわざお父様を置いてきたのだろうとは思っていたが、私の恋人が具体的に誰かなんてまだ話していないのに。
「いや、ついさっきそうかもしれないと思ってな。エリーのことを見てれば分かるよ」
お母様はクスクスと笑う。
そんなに私は分かりやすかったろうか。心当たりがなくて首を傾げる。あるいは、お母様なりに私のことをよく見ているということなのかもしれないが。
「……どう思います?」
思わず声を潜めて問う。ロナルドさんには、あたかもお母様はすぐ説得できるような言い方をしたが、実はそう自信があったわけではない。お父様ほどは反対されないだろうなというだけだ。
お母様はひとつ頷いて、真剣な顔をする。
「私は彼のことをよく知らないからなんとも言えないが、エリーが選んだひとならきっと大丈夫だと思う。それに止めて止まれるものでもないだろう」
「あはは、うん。その通りですね」
2人、小さく笑いあった。両親の万年新婚夫婦っぷりを見ていると説得力がある。
「彼、さっきからチラチラこちらを見ているが、行かなくていいのか?」
「うーん、でも、ロナルドさん私を探しに来たんじゃないみたいですし」
「ははは、手厳しいな。しかし確かに、それくらいして欲しいところではある」
「そうでしょ?でも、仕方ないからそろそろ行きますね」
「エリー」
「はい?」
足を出しかけたところを呼び止められる。
「いつでも帰っておいで。こちらの方ももう方が付く」
「ありがとうお母様。また近いうちに、次はこちらから伺いますね。いってきます」
嬉しいような寂しいような顔をするお母様と、ついでにその後ろで疑問符を浮かべながら心配そうなお父様に手を振った。
3人と1匹の元に駆け寄って一番逞しい脚に飛びつく。
「ロナルドさんもヒナちゃんも、お兄様ばっかり構って。酷いですよ!」
「こらエリー、間違えるなよ、私が構ってやっているのだ」
もちろんのこと、お兄様は流れるように素早く砂山になった。ジョンが泣いている。
「テキトウ言うなクソ砂。やっぱりエリだよな!ちいさい……。えっ、ひょっとして戻れないのか?」
屈んで目線を合わせてくれるロナルドさんとヒナちゃんが心配そうにしている。今はとくに少し嫉妬で心がささくれていたのでその顔もやぶさかではないのだが、私にも咎める良心はある。
「いえ、いつでも戻れるんですけれど、折角なのでちやほやしてもらおうかと」
「ドラルクも可愛いかったが、エリもすごく可愛いな!」
「んふふ、そうでしょう。ヒナちゃんはよく分かっていますね。抱っこしてもいいですよ」
一瞬きょとんとしていたが、すぐに立ち直って裏表なく褒めてくれる。さすが、すぐ隣でずっと若干挙動不審になっている誰かさんとは違う。
「それはロナルドに譲るよ。隣でずっとそわそわされても困る」
ほら、ヒナちゃんにだって言われている始末だ。
「そうですか。らしいですよ、どうします?」
「えっ、いいのか」
「どうぞ」
手を伸ばすと、軽々と腕の中に抱えあげられた。最近やっと馴染んできた体温が暑いくらいだ。相変わらず挙動不審気味なのに、安定感があるのはすごいと思う。
離れたところでお父様が騒いでいる声がするが、気付かなかったことにした。お母様がいるし大丈夫だろう。
「うっ、ちいさい……かるい……はかない……エリの匂いがする……」
「さすがにロリコンに目覚められると兄として看過できんからな」
「するかボケ!」
「目覚めさせちゃったら責任持って自力で変身できるように練習しますね」
「エリ!?!!?」
驚いたやら何やらで赤い頬に笑ってキスをした。もちろん、お父様の視界からは外れているのを確認してのことである。
「ね、ロナルドさん」
「なんだ?」
「私が拐われたら今日みたいに追いかけてきてくれますか?」
「当たり前だろ。むしろ、今日より必死になって何としてでも助けに行くだろうぜ」
「そうですか」
「ああ、でも、もし拐われたんじゃなくて、エリが自分で出て行ったんだったら。俺は追いかけないかもしれないな」