君のワガママは全部聞いてあげたい   作:三月ウーナン

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一方その頃、事務所では

 軽い音をたてて事務所の扉が閉じた。俺はデスクから立ち上がったまま、動けずにいた。

 寸前にエリさんと目が合った気がしたが、それで足を止めてくれはしなかったようだ。先程まで聞こえていた機嫌の良さそうな喋り声がなくなった部屋はとても静かで、自分の唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。あれで二人とも育ちが良いからか、とくに大きな声は出していなかったはずなのだが。

 

「いつまでそうやって突っ立っているつもりかね、乙女心の分からない五歳児」

 

 エリさんを玄関まで送っていったドラルクが帰ってきて、そう言った。いつものようにからかっているというよりは、非難の色が強いように感じる。コイツもちゃんと兄貴してるんだな、と現実逃避的に考えたところで、さらに気持ちが重くなった。兄貴として怒ってるってことは、やはり俺はエリさんにかなり不味いことを言ったようだ。

 

「ドラ公、俺……どうしたら……」

 

 我ながら情けない声が出た。しかし、本当に何が悪かったのか分からないのだ。咎めるような視線に耐えかねて顔を俯ける。ドラルクは机を挟んだ目の前まで歩いてきて、溜息をついた。

 

「君はどうしてそうなんだろうね」

 

 怒りというよりは呆れを滲んだ声に顔を上げる。

 

「どうせ何が悪かったかなんて、ちっとも分かっていないんだろ。そりゃ私達は仲の良い兄妹だけどね」

 

 明らかに馬鹿にした顔をされると腹が立つが、今は流石に殴れない。自分に非があることだけは分かっていた。

 

「じゃあなんで、あんなに怒ってたんだよ。兄妹仲が良いのはいいことだろ」

 

 褒めるつもりも貶めるつもりもない発言だったのだ。ただ事実としてそう思ったから口にしただけだった。微笑ましく思ってさえいた。

 

「聞くが君、なぜエリーがここまで頻繁に訪ねて来ていると思っているんだね」

「そりゃ、お前とジョンに会いにだろ?」

 

 俺が答えるとドラルクはこれみよがしに溜息をついた。

 

「なんだよ違うってのか?」

 

 ドラルクは住居スペースへ続く扉に向かって歩きながら続ける。

 

「来たまえ、お茶でも入れよう。どうせそれはもう手に付かないだろう?」

 

 指された先には開いたままのパソコンがあった。そういてば、事務処理の途中だったのだ。確かに冷静に続きを出来る精神状態ではなくなってしまったので、俺は言われた通りにパソコンを閉じて、ドラルクに続いた。いつもより険悪な雰囲気に心配げにしていたジョンが、ホッと息をついて扉を閉じた。

 

 目の前にお茶の入ったカップが置かれる。

 俺はソファに座って手を組みながら、エリさんのことを考えていた。何も言えないまま帰らせてしまったが、あれで良かったのだろうか。追いかけたほうがよかったのではないか、分からないなりに謝って、本人に何が悪かったか聞いてみるべきだったのでは、と。

 

「まあでも、何も分からないくせに追い掛けて引き留めようとしなかったことだけは褒めてあげるよ」

 

 俺は今まさに考えていたことを否定されて、内心かなり動揺した。エリさんの静かな怒りに頭が真っ白になって追いかけれなかっただけで、もう少し冷静だったなら普通に追いかけていた可能性がある。

 

「追いかけちゃ駄目なのか」

 

 恐る恐る対面に座ったドラルクに問うと、片眉を上げてそれも分からないのかという顔をされた。

 

「そりゃね。だって追いかけてどうするのさ。謝るの?何が悪かったかも分からないくせに」

「本人に聞けば……」

「そんなことしたら流石の私も怒るよ。これ以上あの子を傷付けないでくれ」

 

 不愉快そうにドラルクは言った。どうやら本当に追い掛けるのは不味いらしい。いや待て、今、これ以上って言ったか?それはつまり――。

 

「俺、エリさんのこと傷付けたのか」

 

 自分で言って目の前が暗くなった。

 もしかして、今泣いていたりするのだろうか。ホテルの部屋でひとりで泣いているエリさんの姿が脳裏を過ぎる。途端に落ち着かなくなった。自分が原因なのも忘れて追いかけていきたくなってしまう。

 

「そう慌てなくてもいいよ。あの子はまた明日って言っていただろう?なら大丈夫。落ち着くのに少し時間が欲しいのさ。今行ったって迷惑なだけだよ」

 

 そこまで言われて俺はやっとソファに座り直して、腰を落ち着けた。そうでなくとも俺が今行っちゃ駄目なのは散々聞かされたのに、エリさんがひとりで泣いているのだけはどうしたって耐えられないと思ったのだ。

 落ち着かなく動いていた俺をドラルクはじっと見て、何か思案しているようだった。

 

「君さ、結局エリーのことどう思っているわけ?」

「どうってなんだよ」

 

 何を問われているのかさっぱり分からなくて聞き返す。

 

「私の妹はそれはそれは可愛いだろう?」

 

 不出来な生徒に噛み砕いて教えるように、ドラルクは再度問う。

 

「そりゃあ、可愛いだろ」

 

 客観的に見て整った容姿をしていると思う。少しひとをからかうのが好きな節はあるが、愛嬌だってある。

 

「胸だって結構あるし、確実に君より年上だよ?私と15かそこらしか変わらんのだから」

「おまっ、何が言いたいんだよ」

 

 胸が大きいなんて、自分の妹に言うことではないだろう。いや確かに、なかなかのものを持っているなと思ってはいたが。

 それにしてもコイツとそんなに歳離れてないのか。ということは200歳近く。何故か急に違う生き物なのだと突き付けられて少し寂しくなった。

 

「真面目な話をしているんだけどね。うーん、じゃあ、どういうところが可愛いと思う?」

「はぁ?なんだそれ」

 

 俺から何が聞きたいのかさっぱり分からないなりに、考える。

 エリさんの可愛いところ。エリさんはわりとどこを取っても可愛いと思うが、改めて挙げるとなると思いつくのは一つの笑顔だ。

 

「初めてあったときさ、俺エリさんに笑われたんだよ」

 

 恐らく、からかわれていたのだと思う。俺が彼女の言ったことに照れて落ち着かなくしていると、彼女は零れるみたいに笑ったのだ。それまでもにこやかにしていたけれど、それとは違って思わずといったように笑ったあのとき、可愛いひとだなと思った。

 

「あの笑顔が俺は一番好きだな。心から楽しそうに笑うんだよ。見てると俺も嬉しくなるっていうか」

 

 思いを馳せて逸していた視線を戻すと、ドラルクは面白そうにこちらを眺めていた。俺はなんだか急に恥ずかしくなってくる。一体何を言っているんだろう。

 

「なんだ、君ちゃんとエリーのこと好きなんじゃないか」

 

 一瞬、何を言われているか分からなかった。

 

「はぁ!?俺がエリさんを!?!?」

 

 思ってもみなかったことを言われて驚く。何故そうなるんだ。誰が見たって彼女は可愛いだろうが。

 

「何をそんなに驚くのかね。あんなに可愛いのだから惚れたっておかしくないだろう?今までのこと思い出してみなよ。君はどんな風に思ってた?」

 

 言われて思い出してみる。出会ってひと月も経っていないことを思うと、かなり一緒にいた時間がある。

 

「どんな風にって、そりゃ笑えば可愛いなと思うし、話すと楽しくて、嬉しそうなら俺も嬉しくて、でもそれが俺と関係ないことだと少し寂しくて」

 

 記憶の中のエリさんはずっと可愛くて、思い出すだけで少し気分が上がった。ロナ戦にサインを書いたし、手料理を食べさせてもらったこともある。からかわれてるなって思ったこともかなりあるが、それだって実はそんなに嫌じゃなかった。

 

「あと、抱きつかれると柔らかくていい匂いがするし、そもそも何もなくても会えると嬉しくて」

 

 そこまで言って、俺はやっと気付いた。

 これを恋と言うのではないかと。

 

「やっと分かった?」

 

 ドラルクは愉快そうに笑っている。俺は熱くて仕方がない顔を両手で覆った。

 

「お前、いいのかよ。妹だろ?」

 

 羞恥で茹だりながらも気になるところだった。俺は、例えばヒマリがドラルクと付き合うなんてことになったら確実に暴れる自信があった。正直考えるのも嫌だ。

 

「そんなこと気にしてたの?エリーもいい大人だからね、彼女の意思こそが尊重されるべきだと私は思っているよ。それにね、君、忘れているようだけど、さっきその君の好きなひとは怒って出ていったんだよ?心配する以前の問題でしょ」

 

 浮かれていた気持ちに勢いよく冷や水を浴びせられた。そうだ、先程俺は彼女を傷付けたばかりだった。もう嫌われているかもしれない。そんな相手と付き合うかなんて心配するだけ無駄ということだろうか。

 脳内でエリさんに「ロナルドさんには幻滅しました。嫌いです」と言われるイメージが過ぎる。駄目だ、想像なのに思ったよりダメージが大きい。凄く辛い。

 

「ウッ、そんな……。嫌わないで下さい……」

 

 途端に青くなった俺を見てドラルクはますます笑みを深めた。腹立つなこのヤローと思うが、殴るに殴れない。何せ仲を取り持ってくれる可能性がある唯一の人物なのだ。

 

「まぁ明日、様子を見て諌めておいてあげよう。君はとにかく誠心誠意謝りたまえ」

「お義兄様!」

「やめんか、気色の悪い!君の兄になった覚えはない、自惚れるな!!」

 

 見たことないほど嫌そうな顔をされた。流石に手放しで応援してくれているわけではないか。いや当たり前ではあるが。

 

「なぁそれで、結局何が悪かったかんだ?」

 

 俺が彼女を好きなことは、どうして怒って出ていったのか、その答えにはなっていない。

 

「まだ分からないのかね」

 

 ドラルクは呆れた顔をして溜息をついた。

 

「流石に答えはあげられないさ。エリーが不憫すぎる」

 

 思案げに顎に指をついて首を傾げるのを、目で追う。申し訳ない気持ちは大いにあるが、分からないものは分からないのだ。

 

「ひとつ言えるとすると、ジョンはあとで体調崩すと分かっていてニンニクの調理させるようなまねはしないよ」

「えっ、エリさんニンニク駄目なのか?」

「私ほどじゃないけどね。吸血鬼の弱点になるものはおおよそ苦手だよあのこ」

 

 ではあのぺ、ペロ……スパゲティは何だったのだろうか。

 

「体調崩すって、大丈夫だったのか?確かに次の日は見なかったけど、もともと毎日来てたってわけじゃねぇし」

 

「その翌日にはまた来てたんだから大丈夫さ。自分の出来ないことも、無理のきく範囲もちゃんも心得てるよ」

 

 それはやはり、多少の無理はしたということではないか。ジョンが理由ではないというなら、そこまでしたのは何故だったのか。自分が食べるわけでもなく、恐らく料理が特別好きなわけでもないのだろうに。

 ふと、俺が食べている間やたらと見られていたことを思い出す。見たってそう楽しいことはないだろうに、えらく機嫌が良かったような。

 

「ていうかお前、心配じゃないのかよ。なんかさっきから冷たくないか?」

 

 考えているうちにふと違うことが気になった。

 

「もちろん心配だとも。けどね、それよりも彼女の意思を尊重してあげたいと思ってるんだよ。過保護なのはいっぱいいるしね。したいことをさせてあげたいだけだよ」

 

 そう言って遠くを見るドラルクは、いつもよりずっと年相応に見えた。コイツのことも、エリさんのことも知らないことが多いんだなと思うと、何故か少し寒かった。

 暖を求めてカップに手を伸ばすと、お茶は少し冷め始めていた。

 




【ロナルド】恋愛経験がほぼ0の退治人。仕事仲間、ロナ戦ファンなど無意識に恋愛対象から外している女性が多い。

【ドラルク】なかなか良くお兄ちゃんやってる吸血鬼。好きになっちゃったら仕方ないよね?と割り切る享楽主義者。

【エリー】恋に夢見てる節がある吸血鬼。実は恋人の理想がとても高い部分があるが、ロナルドは合致しているのか。
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